映画と元カレとX'mas 後編
最悪のデートから一週間が経過。あたしたちの状況は元通りどころかもっと悪い状況に陥っていた。
月曜から職場で顔を合わせても、白田はすぐに視線を外す。いつもだったら話しかけてくれてたタイミングでも、あたしの横を素通り。月曜からそんな調子で、習慣となっている夜のメールは辛うじて返事が返って来るものの、かなりそっけないものだ。
「――えー。なに、元彼に会ったの?デート中に?なるほどー」
「……うん」
優菜はそう納得したように頷いて、お弁当のタコさんウインナーにフォークを指した。あたしはそれを尻目に大きくため息を吐いて、ゼリー飲料を啜る。何かを食べようと思っても食欲が沸かないのだ。だが、食欲は無くともお腹は鳴る。それの防止のためにとりあえず何か食べようとゼリーを飲んでいた。
「どうりで白田くんとギクシャクしてるんだ」
「でも!大学生の時に付き合ってた人で、だいぶ昔に別れた人だよ?別れてからは初めて会ったくらいだし」
言い訳がましい言葉を優菜に向かって続ける。そんなあたしの言葉も虚しく、優菜はゆるゆると首を振る。
「それ、あたしに言っても仕方ないよね?」
「……はい」
「ちゃんと白田くんと話し合ったらいいんじゃないかな?」
「そう、だよね」
優菜の言うことは尤もだ。いくら優菜に身の潔白を弁明しようとも、元彼と鉢合わせしてしまった事実は拭えない。さらに優菜相手に言うのではなく、白田と話さなければ何も変わらないのだ。
「でもさ。いくら元彼と鉢合わせしたからってそんなに避けたりするかなー?会っただけなんだよね?」
「それはもちろん!」
優菜の疑問にあたしはしっかりと頷いて答えた。誓って、挨拶以上のことはしていないと言い切れる。思い返してみても、アイツが話したのは……まぁ、昔の思い出話を勝手に話していたけど。でも、あたしからは特に何も話していなかったと思う。
「だったら、そこまでの反応ってちょっと過剰じゃない?それとも、その元カレとやらは自信を無くしちゃうレベルのよっぽどのイケメンなの?」
「それはない。普通の中肉中背の男だよ。身長もあたしとそんなに変わらないし。そういう意味では白田の方がよっぽどいい男だと思うんだ!」
「……ご馳走様です」
はっきりと言い切ったあたしに、優菜はため息を付いてお弁当の卵焼きを頬張った。
いやね、昔は付き合っていたとは言え、元彼の紘史は背だってあたしと大差ないし。痩せても太ってもいない、中肉中背は欲を言えばあたしの好みから外れるわけです。顔も悪くは無いんだろうけど、普通。まぁ、あたしが何を偉そうに!って話なのかもしれないけど。……とりあえず、そこは置いておきましょう。
ただ、明るくて物怖じしないキャラクターは仲間内では好かれていたし、グループのまとめ役みたいな感じではあったと思う。だけど、時々天然というか場の空気の読めないところがあったっけなぁ。今回、彼が口走った内容とかがそれに当たるわけですね。ええ。
でも、やっぱり何度考えてみても、そこまで白田に避けられる理由が思いつかない。
「とにかくさ、話してみたらいいんじゃないかな?今日はクリスマスイブなんだし」
「……うん。頑張る」
そんな反省会と言う名の昼休みを終えて業務に戻ると、あたしは仕事の合間に人の間から白田を覗き見る。あたしのデスクからは背を向ける形で白田のデスクがあるという状態から分かるように、あたしからは彼の表情は見えない。ただ、ずっとパソコンの画面から顔を離さないので真面目に仕事に励んでいるのだろう。
けれど、いつもの白田だったら業務の切れ間にちらりとあたしの方を見てにこって笑ってくれたり、コーヒー休憩の時にはあたしに声を掛けてくれたりとさりげない接触があったんです!
しかし、今日の接触は今だにゼロ。先ほど、白田がコーヒーを取りに席を立つのが見えましたが、その時もこちらをちらりとも見なかった。……これって、やっぱり避けられてるよ、ね?
あたしは小さくため息を吐くと、嫌な考えを振り払うように書類に目を走らせる。そうしても、当然ながら文字なんか頭に入ってこなくて、文章が目を滑っていくばかり。
ようやく諦めて、あたしは上着のポケットから携帯を取り出す。慣れたようにメールの履歴から白田の名前を探し出し、新規のメールを打ち始めた。
職場近くのカフェで待っているとメールをした。メールまで無視されたらどうしようかと思ったけれど、思い切ってメールをしたら了承の返事が返って来た。
温かい店内にはクリスマスソングが流れている。それはどれも幸せで楽しげな音楽ばかりなのに、あたしの心は吹雪が吹き荒れているかのように寒々しい。下手したらこれで別れてしまうことになるのかもしれない。そう思うと、あたしの指先がどんどん冷えていく。
「待たせてすみません」
「あ。ううん!あたしこそ、年末の忙しい時期なのに急に呼び出してごめんね。座って?」
はっと気付くと、いつの間にか目の前に白田が立っていた。あたしは慌てて顔を上げると、そこで白田とこうして顔を合わせるのはすごく久しぶりのように感じていることに気付いた。
「……その。朱音さん、すみません」
白田は目の前の席に座るなり、テーブルに頭が付きそうなくらい頭を下げた。あたしはそれを見て、さらにぎゅっと心臓が縮む。
顔を合わせるなり、すみませんって何?それってどういう意味なの?
「――それって、どういう意味?やっぱり、あたしたちもうダメなの?」
気が付くと、あたしの視界は揺らぎ、今にも雫が落ちそうになっていた。それをギリギリのところで我慢して、白田を見た。
「え!?」
「だって。すみませんってそういう意味でしょう?」
驚いた様子で顔を上げた白田にあたしはそう続けた。この状況でそれ以外の言葉ってありますか。
「まさか!そんなわけないです!絶対別れたくないです!……ええとその。すみません。嫉妬です!みっともないですよね。男のくせにそんなことでウジウジして」
「……嫉妬?」
あたしは白田が言い放った言葉にほっとするよりも前に、きょとんと首を傾げた。
「だって朱音さん、俺の下の名前知ってます?」
「え?翔……だよね?」
普段名字で呼んでるせいか、そう言葉に出すだけで何となく照れくさい。
「いつまで経っても俺のこと名字でしか呼んでくれないのに、元彼さんのことは下の名前……しかも、あだ名で呼んでたじゃないですか」
白田にそう言われて、あたしは紘史のことを「ヒロ」と呼んでいたことを思い出した。でも、それは本当に深い意味は無い。元々同じグループ内の友達という関係で、初めからあだ名で呼んでいたのだ。そこから付き合い始めたから、そのままその呼び方が続いていて。別れてからもその流れだった。
「え。でも、あれは初め友達だったからで、深い意味はないの!本当に!」
「分かってます。朱音さんのことだし、きっとそうだろうなって。でも、俺も朱音さんに下の名前で呼んで欲しいです。ダメですか?」
「……ダメじゃないよ」
いつになく真剣な目で訊くからあたしは断ることもできなかった。……断るつもりもないのだけれど。
「じゃあ、呼んで下さい」
「い、今?」
「今です」
「しょ……翔」
そう言葉に出してみて、改めて照れが襲ってくるのが分かる。鏡を見なくても、あたしの顔がサンタクロースの服と見分けが付かないくらいに真っ赤に染まっていることが分かるだろう。
「もう一回」
「……翔」
「朱音さん。嬉しいです!」
そう言って翔があんまりにも嬉しそうに笑うものだから、あたしまでつられて顔が緩んでしまうから困る。
「そんなに嬉しそうにするようなこと?」
「はい。そうですよ。……あ。実は、予約の時間が迫っているので移動しませんか?」
「え?予約の時間?」
「クリスマスは一緒に食事しようって言ってたじゃないですか。今日はイブですけど、お店予約してるんで行きませんか?」
「……ありがとう」
「じゃ、行きましょう」
そう言って立った白田の手を取って、あたしたちはイルミネーションに彩られた街へ出かけた。今日職場を出たときはあんなにどんよりとして見えた街も、今はキラキラと輝いて見えるから不思議だ。そう思いながら翔の顔を見上げれば、翔と目が合ってにこりと笑った。
「翔」
「はい?」
「呼びたくなっただけ」
「それなら、いくらでも呼んで下さい」
そう言って嬉しそうに笑う翔と顔を見合わせて微笑む。彼が隣にいるだけで、それだけで寒い季節も温かい。そう思わせてくれた彼の手をぎゅっと握る。寒い季節だからこそ、寄り添えるから温かいんだろう。
――白田翔の言い訳。
「あのさ。今日、仲直りできなかったら翔はどうするつもりだったの?」
「ちょうど俺もメールしようとしてたところで朱音さんからメールが来たんです」
「……へぇ」
「朱音さん、信じてないですね」
「いや、信じてるよ?うん?」