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幸せを願う男

森崎視点のお話です。(最終話+αとなっています)

「――というわけで、ごめんね。一緒に出かけるのは無理になりました」

 定時になって少しすると、ノー残業デーということもあってほとんどの人が帰宅してしまったようだ。俺は特に用事が入っているわけでもなかったが、違う課の友人でも捕まえて飲みに行こうかなんて考えていた。そこへ声を掛けられて嬉々として着いて行けばこの言葉である。

「……そうか。分かった。だけど、本当にいいのか?」

「いいの。白田ってああ見えて優しいのよ」

「優しい、ねぇ」

 諦めきれずに言ってみれば、朱音は嬉しそうな顔で頬を赤らめて微笑んだ。同じ課にいる同期だったから、講習や何かで一緒に過ごす時間はかなりあったはずだ。憎まれ口も叩かれたし、何度も軽い口喧嘩もした。それなのに、俺は朱音がこんなに幸せそうな顔で笑うことを知らなかった。

「――他の女の子に余所見する人よりもずっと良いと思うよー。白田くんはずっと朱音ちゃん一筋だったもん」

 朱音の笑顔につい見惚れていると、俺を現実に返す言葉が容赦なく刺さってくる。それはもうグサグサと。誰だと思えば、その言葉を発したのは課のアイドルである優菜ちゃんだった。今までにこにこと笑みを浮かべているのはよく見ていたけれど、こんなキツイこと言う子だったっけ?

「あれ?優菜ちゃんってそんなこと言う子だった?」

「森崎くんはもっと見る目を磨いたほうが良いよー。それじゃあ、あたしたちも帰ろう。もうみんな帰っちゃったみたいだよ。朱音ちゃん、行こー」

 さらに追い討ちをかけるような一言が俺の胸に刺さった。あれ、俺もしかして今出血してない?何だったらショック死できそうなんだけど……。

「う、うん。それじゃあ、森崎。……ええと、ありがとう!」

「んー。……幸せになれよ」

 最後に朱音にようやくそれだけ言うと、朱音の背中を見ながらため息を吐いた。

 朱音と俺は入社以来の付き合いだから、会社内で限定して考えれば仲も良いし付き合いも長い方だろう。それなのに朱音のことを好きだと気付くのにこんなに時間がかかってしまった。朱音と知り合ってからの間には俺に彼女が居たことも、朱音に彼氏が居たこともある。

 今思えば、その時ももやもやとした思いを抱えていたのだが、当時は全く気付かなかった。と言うのも、俺が今まで好きになっていたタイプと朱音は全然違うタイプだったからというのも理由の一つだと思う。

 それこそ優菜ちゃんみたいな小さくて可愛らしい守ってあげたくなるようなタイプが多くて、軽口を叩き合うような姉御肌の朱音タイプの彼女はいなかった。だから俺はずっと朱音のことを「好きじゃない」と思い込んでいたのだろう。


 そんな風に自分の気持ちに結論付けていると、背後から物が落ちたような衝撃音が聞こえて振り返る。


「――誰かいるんですか?」


 今居る場所は突き当たりの廊下だったのだが、その突き当たりには資料室がある。俺がデスクから立った時には人がほとんど帰宅した後で、灯りも消され始めて残業する人なんていないように見えた。だから資料室にも誰もいないと思っていたのだが、もしかしたら残っている人がいたのかもしれない。そう思って資料室の中を覗きながら声をかけた。


「――あー…。ごめん、立ち聞きするつもりはなかったんだけど」

 ひょこりと顔を出したそのハスキーな声の主には心当たりがある。俺と同じ課の篠山美雪さんだ。俺が新入社員時代に教育係をしてくれた三つ上の先輩で、今ではチーフを務める所謂キャリアウーマンだ。若い女性社員の間では石の女とも揶揄されるくらいは完璧主義者で、仮面ように変わらない表情で淡々と仕事をこなしているイメージがある。顔は確かに綺麗なんだと思うけど、取っ付き難いとうか隙が全く無い。それだけに近寄りがたいし、女性陣も遠巻きにしているようだった。

「これ下ろしていいんですよね?」

「ああ。ありがとう。……その、」

 戸惑った顔の彼女は上にあったダンボール箱を取ろうとして落としてしまったらしく、俺はそれに手を掛けて下ろす。珍しく真顔じゃない篠山さんに俺は内心驚きながらそれを渡すと、彼女はバツの悪い顔でそれを受け取った。

 あれ?篠山さんってこんな顔する人だったか?

「中を確認しないで話し始めたのは俺なんで気にしないで下さい。出来れば人には言わないでくれると有難いですけど、こう見えて結構落ち込んでるんで」

「……飲みに行こう」

「え?」

 俺が誤魔化すように小さく笑って言うと、篠山さんは真面目な顔で俺を見ている。その篠山さんから発せられた言葉をすぐに理解出来ずに、思わず聞き返してしまった。

「森崎は残業申請してないんだよね?」

「そうですけど、篠山さんは今日残業なんじゃないんですか?」

「今日はサービス残業だったんだよ。まぁ、元々休日出勤する予定だったんだ。さ、行こう。これをデスクに置いたら行くから下で待ってて」

 篠山さんはそう言うと、ダンボール箱を持ってさっさと歩いて行ってしまった。残された俺はただ混乱の中に居た。

 教育係をしてもらったという繋がりがある俺たちだが、歓送迎会いなどほぼ強制参加系の飲み会以外で篠山さんと個人的に食事に行ったり飲みに行ったことがない。それでも一人で家に帰る気にもなれなかった俺は篠山さんの誘いに有難く乗ることにした。


 篠山さんに言われた通りにエントランスで彼女を待っていた。待つ間に考えるのは、やはりと朱音のことばかり。前のように同期として接するようにしなければと思う反面、落ち込む気持ちはなかなか消えてくれない。小さくため息を吐いていると、篠山さんが俺の傍に小走りでやって来た。いつも後ろで一つに纏めてある髪は下ろされていて、それだけで大分印象が柔らかく感じる。

 女の人が小走りで傍に来るのってめちゃめちゃ可愛いと思うのは俺だけか?でも、とにかくこの時の篠山さんはすげー可愛いくて俺の胸が小さく鳴ったのは事実だ。

「ごめん。待たせた?」

「いや、思ってたより全然早いと思ったくらいですよ。篠山さん、髪下ろしたんですね」

「髪留めが壊れちゃって。変、かな」

 見たままのことを何となく口に出したら、篠山さんは困ったような顔で髪を整えるように手櫛を入れて俺を見た。その角度がちょうど俺に大して上目遣い。こんな顔の篠山さんを見るのはもちろん初めてだった。

「そんなことないです。雰囲気が違って可愛いですよ」

「……またそんなこと言って。森崎、行くよ!」

「はい!」

 耳まで真っ赤に染めて早足で歩き始めた篠山さんの後ろをくすりと笑みを浮かべて追う。石の女と呼ばれていたはずの篠山さんは俺が思っていたよりも、可愛い女性だった。きっと仕事のオンオフの切り替えがはっきりしたタイプなだけなのかもしれない。

 思えば、教育係をしてもらっていた時も教え方は丁寧で親切。分からないと質問すれば、こちらがちゃんと分かるまで自分の時間を割いてくれる人だった。ちゃんと真面目にやらないこと、手を抜くことには厳しい人だけれど、きちんと真面目にやったことに関しては評価してくれる面倒見の良い先輩だった。

 俺はいつも表面ばかりに気を取られて、中身をきちんと見ない男だったんだろう。だから朱音を好きだと気付いた時には、すでに朱音を他の男に取られていたわけで。


「あー……。俺、本当格好悪いっすね」

「森崎?」

 ビール片手に漏らすと、篠山さんが俺を心配そうに見た。

「すいません。今日だけ落ち込ませて下さい」

「励ますのに適した言葉は持ってないけど、私で良ければ聞くから。吐き出したいことあれば言っちゃった方がいい。石の女だから口は固いよ」

 苦笑して漏らす俺に篠山さんは小さく微笑んだ。しかし、彼女から出た自身を揶揄する言葉に俺は驚きを隠せない。

「それ、知ってたんですか?」

「まぁね。まぁ、確かに私は愛想が少ないから。可愛げのない女だって言われるのは慣れてるよ。それに、そうでもないと出世はできないし」

 篠山さんはそう言って、小さく笑った。俺たちの会社では女性でかつ、三十前にチーフになったのは篠山さんが初めてらしい。初めてということはそれだけ困難だったということで、いかに篠山さんが優秀な人なのかが分かる。男性社員にも負けずに仕事をこなし、いつも遅くまで会社に残っている。

「篠山さんは可愛いですよ」

「は?な、何言ってるの」

「俺は思ったことしか言いませんよ。お世辞とか言わないですし」

「あのねぇ。今日は私の事は良いのよ、もう」

 そう言ってグラスを煽る篠山さんに俺はくすくすと笑みを零した。篠山さんは明らかに照れた顔で、その表情を見て可愛いと思っているのもまた事実だ。

「下の名前って美雪さんでしたっけ?」

「ん?そうだけど?」

「今日から美雪さんって呼んでもいいですか?」

「え?」

 まだ名前もないこの気持ちは一体何なのかは分からない。それでも、美雪さんをもっと知りたいと思ったのは確かな気持ちだった。

 今思えば俺が朱音に選ばれないのは当然のことだったのだろう。真っ直ぐ朱音を見ることができず、誰かに取られそうになってようやく気付いただなんて、まるで子どものようではないか。それに気付くと、やっぱりこうなるのは必然だったのだ。今はただ朱音が幸せになれれば良いと思う。

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