第93話 相談しよう、そうしよう【DISCOMMUNICATION】
「結局のところ、何かいるってこと以外は判らなかった、ということで良いかしらぁ?」
かちゃりと湯気の残るカップを皿に戻すと、ふうと茶の香気の残る息を吐き出す。
一見穏やかな茶会にも見えるが、言葉を発したディアローゼの眉間には深いしわが寄っていた。
「ま、そういう事ですね。申し訳ないが私たちがバグズと共に調べた範囲でおかしなことがなかったもので、あくまでタカカズたちしかそれを見ていないことにはなりますがね」
ディアローゼと同じ卓に座るギャバンが、香立つ茶を鼻から吸い込みながら報告を続ける。
足元にはくぁぁと大あくびをするバグズが丸くなっていた。
「実際に被害者が出た瞬間を確認した以上、偶然疲労がピークになった者が複数重なってという線は消えたわけね。当然付近の捜索は行ったんでしょう?」
「付近に不審な形跡は無し。間違いなくタカカズたちが出くわしたはずの"何か"が居るならば、霧のように溶けて消えたとしか思えません。しかも、彼らの話ではどうもアンデッドに類するなにかではないか、とのことですが」
ギャバンはテーブルに投げ出されていた自分の質素な袋に手を伸ばす。
がさごそと漁り、手近な皿に一掴み煎り豆を取り出すと、地面で眠たげにしているバグズに渡した。
あまり食欲もないのだろうか、バグズははむはむと数粒を啄むと先程と同じように大あくびをして寝に入る。
「事前に我々に連絡頂いたアンデッド騒動の"黒幕"説ですか……。面倒なことになりましたな」
うむむと腕組みして悩むのはマルクメットである。
彼にも一脚、湯気の立つティーカップがテーブルに載っているが、手を付けようとはしていない。
「正直、これ以上は僕の手には余るな。恥ずかしながら一時的に冒険者にカムバックしていても、そう日も経っていないし、第一荒事はバグズに任せっきりで僕自身はそう得意ではないんだよ」
あまりほめられたことではないが、と付け加えながらそう独白すると、ギャバンは微笑む。
「引退前の最高でBランク到達だと聞いていますが?」
「幸運にも当時の仲間が優秀でね。僕は一足先に身を引いたが、他のメンバーはもっともっと上に行ける奴らだったよ。まあ、もう全員冒険者からは身を引いてしまったが」
マルクメットの質問に肩をすくめてギャバンが答える。
その一連の動作の中でちらりとギャバンが視線をディアローゼに向けたことに、マルクメットは気付かなかった。
「昔のお話はいいじゃなぁい。今は今の事を考えないとねぇ。と、いう訳でフレッド君?」
「はい、ディア様」
いつもの様にディアローゼの横でとくとくとティーカップに茶を注ぐ姿は、どう見ても勇者という栄えある職責を放り投げているようにしか見えない。
長身でがっしりとした給仕姿がまあ似合っている。
「タカカズ君やアリアちゃんがそのまま捜索活動をしてくれているらしいから、あなたもお手伝いをお願い。まあ、あの子たちの布陣なら余程の事がない限り危険も自分で回避しちゃいそうだけど……。お手伝いの必要もないかも知れないけどぉ、一応形だけでもね?」
「エメスも加わって虱潰しに捜索するとのことですしね。ただ、朝からとなるとそろそろ交替するべきかもしれません」
「ウチの連中も残らせたかったんですがね。対抗手段の無い奴は来るなって言われちゃ、仕方ありません」
「気功術、遣い手は少ないものねぇ」
実数でいうと気功の才を持つ者はそこそこレアものである。
その中で、実戦での行使がだましだましでも可能なレベルとなればぐんと数は減る。
さらに、熟達し戦術の一つとして気功を選択肢に含めることのできる戦士となれば最初の母数から比べればほんの一握りに過ぎない。
ちなみに魔術の才を持つ者はそれと比べると希少とはいえない。
日常生活でちょっと役立つレベルの術が使えるクラスでいいのなら、少し基礎を学びさえすればすぐに皆が使えるのである。
むしろ気功を万全に使いこなしているのに、魔術的才能が皆無に近い孝和が異常であるといえるのだ。
「話からすると、かなりのレベルの気功術か別方式の防御策が無い限り確実に襲われればバッタリお休みになりそうだしねぇ。むしろ、少数精鋭の方が対応としては正しいわぁ」
「彼らの参加は急に決めたもので。本音を言えば無理矢理に連れ出して、そのままなし崩し的に関係させたかたちですから、私としては心苦しいのですが……」
湯気のでも悪くなり、冷めて温くなった茶をぐぃと一気に流し込む。
腹に流し込んだのは茶だけではなく、きっとそんな居心地の悪さもだろう。
「でも、きっと何も言わなくてもいつの間にか首を突っ込んでいたとは思うけれど?」
「だろうねぇ。彼ら、どうもそういう変な厄介事に好かれる性質みたいだものなぁ、ははは!」
ディアローゼとギャバンはおかわりを貰ったカップを美味そうに啜る。
(間違いなく確信犯だな、この二人。あとはあちらの方々か)
壁際に立つ老戦士にフードの女。
フードの女に関しては全く表情が隠れて見えないが、老戦士に関しては厳しい表情を崩していない。
給仕を代わりの御付きに引き継いだフレッドが何かしらそちらと相談している。
ディアローゼとしては詳しくは教える気が無いのだろうが、如何せん気になる。
邪魔はしないので可能な限りの便宜をとの命令が上から出ればそれに従うしかないだろう。
(悪いな、タカカズ。色んな政治ってモンが動いてんだよ。今度皆で飯、食いに行くからな)
ふぅとため息をつくマルクメットには孝和の苦労に思いを馳せるしかなかった。
「何も見つからない……!というか、何探せばいいのかもわからないものをどう探すんだよ……」
道路沿いの木の生い茂った植え込みへぐぃっと首を伸ばしてみたが、見つかったのは小さな小さな白い花をつけた可憐な一輪。
あとは土を押し上げる木の根が地面を這っているだけときた。
こんな街中のほっとした一コマを切り取る光景を探しているわけではないのだが。
『おさんぽー!』
「わうー!」
ぼふっ!
すでに白・黒・斑の3つの丸っこいのは本来の目的を忘れ、この捜索活動をお出かけとして脳内変換済みだったりする。
三段重ねになってみたり、シメジを枕にベンチでごろっとしていたり、もうやる気の欠片すら見られない。
「お散歩じゃないのよ?皆、何か変なものがないか、それを探すのがお仕事なんだからね?」
やんわりとアリアが注意するのだが、彼女本人も正直だれてきていた。
対象物が分からないのにそれを探せと言われても"どうせぇっちゅうんじゃい!"と孝和が内心思っていることと同様の心持ちではなかろうか。
まあ、それを表に出さないだけ彼女は偉いと思う。
「でもさぁ、今日はもう出ないと思うけどなぁ。日が昇って霧も晴れたし、人通りも増えてきたじゃん?さっき追っかけられたのにまた同じ事する程阿呆でもないんじゃないかと」
「そうよねぇ」
「役に立てず。無念」
朝の荷運びのバイト明けでエメスが合流したのだが、その時にはもう霧は晴れはじめていた。
最悪全員がガードポジションになって耐える体勢となっても、無機物のエメスにとってはあの呪詛のプレッシャーはどうと言う事はない。
この場において、あの生気を奪い去るようなあの圧力に、完全な耐性があるエメスの投入は理に適う。
「というか、もう腹減ったしなぁ……。次に来る警邏の人員に引継ぎしたら今日は切り上げないか?」
「一応誰かを寄越すようにディア様には連絡してもらうようにしたけど、あなたの出した条件にはまる人材ってそうそういないのよ?」
きょとんとした孝和にアリアが続ける。
「気功を体全体に纏わせるだけでもかなりの修練が必要だし、元々その素養がある人間も少ないわ。それができる人材は一般の人から探すよりは、神殿とか冒険者ギルドに集まるけどそんなに見かけることもないと思うわ」
「え、でもさ。気功術使える奴って俺にアリアにユノにフレッド、あと神殿の中にも何人か居たっぽいけど?」
「神殿の本殿とかならともかく、一地方都市に普通ならこんな数が一度に揃うことなんてないと思ってほしいの」
「そうなの?」
「そうなの」
ふむと腕を組む。
どうも認識が違っていたのだが、かなり要所要所で気功の遣い手とは出会っていたような気がする。
ポンポンとそんな人たちと出会っているもので、思い違いをしていたことにようやく孝和は気付いたのである。
「そうなのかぁ……」
「納得してもらえたみたいで嬉しいわ。だから、気功術の才能があるのなら、それを育てようと努力することは当然なのよ?」
若干胡乱な言い方になってしまったが、アリアは孝和に"その才を生かす"ならばコックとなろうとする人は少ないのよー、と伝えたかったのである。
だが、しかし孝和の関心事はそこではなかった。
(といわれてもなぁ、実はもう一人、初歩位なら出来るようになってるんだけどなぁ。そんなに激レアなわけでもないと思うんだけど……)
孝和の脳裏に浮かぶのはグリーンボディのパワーファイターであった。
要するにスクネにちょちょいと技術的な指導とかを砦の設営時にしていたわけだが、何か出来ちゃったのである。
いや、エメスにも同じ指導をしていたのであるがこちらにはその気配はなく、スクネだけが出来てしまったので、不公平になるしなぁ困ったもんだと、取りあえず棚上げしてマドックまで帰ってきたのであるが。
アリアには黙っているが、恐らくレッドリザードの方々と今はあの砦で修練の真っ最中ではなかろうか。
ちなみに右手のトライバルが鳴動していたので、そのせいもあるのだろうとは思うのだが。
あと、色味はといえば濃緑色が全身から噴き上がるスタイルであった。
ずおおっと吹き上がるそれを纏うスクネはどう見ても悪役ポジションの配色であったが非常に似合っていたのが印象的である。
神様の加護というものは総じてその人物の性情だけでなく肉体的なものにも少なからず影響を与えてくるのだろう。
「まあ、才能があるって判ればそこに今後の方向性を決めて生きるってのは一つのライフプランではあるよなぁ」
「そうそう。わかってくれて嬉しいわ!」
(神様がこれがいいんじゃね?って道を指し示してるなら才能はあるってことなんだろうし。食の神様でフズっていったか……。どんな神様か一回調べてみようかなぁ)
どうもアリアの意図した生き方とは逆向きに進みかけている。
ただし孝和の内面を知る機会はアリアにはなく、自分の仕掛けた一言が実は地雷を踏んでいることには気付かなかったのである。
「では、ここからは僕が引き受けるよ。朝から長い間申し訳なかったね」
フレッドがにこやかにほほ笑みながら手を差し出してくる。
それに対して孝和が握り返した。
フレッドのパーティーはあのディアローゼ護衛メンバーなのかと思ったが、いつもと違う者がいる。
こちらを値踏みするようにしてじろじろと観察しているデカい白髪の美丈夫とフードを深くかぶった恐らくは女と思われる2人組が追加されているのだ。
孝和は名前を知らないが、ホブロとフロンの2人である。
それだけならばまあ予想の範囲内なのであるが。
「なんでお前がここにいるのよ?村に帰るんじゃないのか?」
「俺もわかんないんだよ。というか本当は今日にでも帰るはずだったんだ!でもダンブレンさんがちょっと付き合えって!」
なぜかタンとダンブレン、それにスパードがそこにいた。
ルミイ村の面々がなぜかここにそろっている。
「土産物も買ったし、帰る準備のためにマニッシュさんの馬車に色々積み込んでたら急に引っ張られて!どうなってんの!?」
「……お前、もしかして今ここで何があったか知らないで連れてこられるんじゃないよな?」
「知らないよ!?」
「いや、それは拙いだろ」
首をダンブレンに向けると朗らかな表情を見せる。
「昔馴染みのギャバンに頼まれてな。まあ、昔取った杵柄と言うやつだ。すこしばかり小金稼ぎもできるのでな。第一足も悪いものでね。飛んだり跳ねたりまではする気はないさ」
「大丈夫、大丈夫。私達もそこまで無茶はしない。あくまで勇者殿のサポートに徹するよ」
「いや、だから!何があったんですか!?教えて!!」
哀れ。
その一言に尽きる。
「ちなみにタン。お前気功術って使える?」
「使えないよ!」
「こう……、すごい魔術的な才能とか?」
「日常で使える程度だけど?」
「……どう考えてもお前が酷い目に遭う光景しか思い浮かばないのだが……」
本当に彼らに全部任せていいのだろうか?
どことなく不安に感じる。
そんな最中であった。
ぎゅるるるるっ!!
大きな音がした。
何かとそこを見れば、キールが舌を出して倒れてしまっている。
顎を横倒しのシメジの上に乗っけて腹這いになっていた。
「くぅぅぅんっ」
『おなかすいたー、っていってます。ぼくもおなかすいたー。ますたー、ごはんまだー?』
確かに昼はとうに過ぎている。
朝も早かったこともあり、どうやらキールの腹は朝食・おやつ含め全てを消化しきってしまったようだ。
「ああ、俺も腹減ったな……。良いか、うん。良いよな……」
「おい、何かやる気無くなってないか、タカカズ!?」
引継ぎにフレッドと話すアリアに目配せする。
エメスはこのままフレッドと一緒に街をまわるらしいので、実はここで抜けるのは孝和とアリア・3種の丸い奴らだけである。
その全員がここに揃っている。
「なんか、疲れたし。多分、俺がどう言ってもタン、お前はフレッドたちと一緒に巻き込まれるんだろうし」
「どういうこと?いや、マジでさ!?」
なんとなく、もう大丈夫だと思う。
いい大人、しかも勇者様がいらっしゃるのだ。
うん、大丈夫だと、思うことにした。
「大丈夫、皆が付いてる。きっとお前なら大丈夫だ!」
「だから、なにがだよ!!?」
ああ、いい天気である。
「じゃあ、お疲れ様でしたっ!!」
きっと今、自分はいい笑顔をしているだろう。
そう確信して、孝和はバックれることにしたのである。
「誰か!俺に説明しろっ!!!!!」