第45話 野獣の宴【BEAST TASTING】
誤字・脱字ご容赦ください。
「ああ……何か美味そうな臭いが……」
風に乗って運ばれてきた臭いを鼻を鳴らして嗅ぎ取り、孝和はそうつぶやく。
肘を馬車の覗き窓にかけ、どこか眠たげな表情だ。一通りの聴取が終わって、とりあえず場所を移すことになった為、そのままここに座らされたのだった。
目的地は昨日も訪れた傭兵団の本部。行政区画からは少し離れており、馬車で移動することになる。
「美味そう?……私はそんなものは感じないが?」
孝和の丁度正面に座るエーイがそう応える。
彼の服装はキッチリとしたもので、恐らく傭兵団のユニフォームなのだろう。肩口に盾と斧が刺繍された立派な拵えで、御者席に座ったホーガンも孝和を案内するときの服の上からその上着を羽織っていた。
その一方で孝和自身は未だ起床時となんら変わらない格好である。
席には着いたが、なんとなく腰を落とすには尻のすわりが悪い感じがした。なんとなく売られて行く子牛のメロディーが頭に流れる。
「まあ、俺としてもなんとなく感じるくらいなんですけど。キールはどうだ?」
『んーと……。やけたおにくのにおいー!!でも、ぼくは、おにくきらいー!!』
ここでも孝和の膝の上を定位置としているキールが元気に答える。
ただ、周りの風景はどちらかというと少し寂れた感じの町並みで、そういった店舗があるようには見えない。
それらが集中しているのは、宿屋の集まる付近や、住宅街と港を結ぶ道路沿いだった。
それくらいの位置関係は簡単に説明された上で、散々街中を動き回った。
スタート位置だった本部前はがらんとして、出発時は丁度夕飯どきだったはずだ。ベストタイミングだったはずだが、こういったかぐわしい臭いは漂ってはいなかったと思うのだが。
『みーんな、げっんきなっのかなー?まーだっかなー?』
暇になったのかリズミカルに跳ねながら外を覗き込むキール。微笑ましいが、ちょっと恥ずかしい。
と、そこで恥ずかしい、といえば、で思い出したことがあった。
「そういえば、お前どこであんなの覚えたの?」
『あんなのー?』
そう、“あんなの”である。
「いや、ケツまくって……とかだよ」
『んーと。たしかねー……。ダッチさんだよ?なんかねー、こっそりにげるときに、つかうんだっておしえてもらったんだー』
キャッキャと喜ぶキールに、ははは、と乾いた笑いを浮かべる。ただし、目の奥は笑っていない。
全く一体何を教えてくれるのやら、というわけだ。
(まったくあのおっさんは……。一応タバサさんと、あの一団にチクっておこう。より良い教育環境を与えてやらないと、うん)
ありありと帰った後の『陽だまりの草原亭』の光景が実に浮かぶ。
妻と常連の“おねーさま”方(2度目の成人式どころか、3度目を迎えようかとされておられます)、さらに客の女性冒険者の一団に責められるダッチの姿。
まあ、知ったことでは無い。教えていい言葉とそうでない言葉があるだろう。自然に知る事もあるだろうけれども。そのときはそのときだろうが、積極的に教える言葉ではないはずだ。そこら辺が判断できる分別があってこそ大人なのだから。
ウンウンと一人で頷く孝和をキールは不思議そうに見つめていた。
そんな事もありながらガラガラと馬車は進む。
進めば進むほどに、窓から香る肉の臭いが強くなる。
「ここまでくれば、さすがに解るな……。まさかとは思ったが、あいつら……」
エーイは頭を抱え、こめかみをぐいぐいと揉む。
進行方向に座っているのはエーイのほうだ。窓の先から目的地付近の状況が目に入ったのだろう。本当に痛くなってきたのだろうか、どさりと背板に体を預け天を仰ぐ。
『どーしたのー?』
「いや、ちょっと、な」
ピキピキとこめかみに青筋が立っている。
(なんか、怒ってるよな?)
(そーだねー?ぷんぷんだねー)
どこと無く危険な臭いを感じ取った彼らはヒソヒソ話にシフトする。音を立てずに意思疎通が出来る念話はこういったときには大変便利であった。
(いやぁ……でも、この臭いたまらんぜ、ホント。腹減ったぁ)
(?さっき、りんごもらってたよね?ますたー?)
(いや、こういうのは腹が膨れればいいってモンじゃないんだぞ?)
(そーなの?)
(そーなんだよ。ガッツリ働いたらガッツリ肉が食いたくなるのが人間ってモンだからなぁ)
(へー。そーなんだー)
(まあ、ホントのこといえば俺は肉と米なんだけどな。どーもコシヒカリとかじゃない分、粘りが足らんのだよなぁ……オムライスとか作る分には問題ないんだけどさ)
(ぼく、おこめなら、おにぎりがいい!しおあじー!!)
(塩むすびか……具なしって、なかなかにしぶいチョイスだな、キール)
などとしかめ面のエーイの前でそんなことを考えているうちに馬が軽くいななく。カラカラとなる車輪が止まり、ゆっくりと馬車が停車した。
「着きました。阿呆どもが騒いでいるようですな」
「だろうな。……すまんがホーガン、馬車を納屋に頼む」
「わかりました。でもエーイさんもほどほどにしといてやってください。あいつ等も阿呆ですが、“ド”阿呆まではいかんでしょうから」
「それは見てからだな」
降車する孝和たちを残し、馬車はホーガンと共にカラカラと進んで行った。その先には納屋があり、馬小屋も併設されている。
昨日はじっくり観察する暇が無かった分、ぐるりと本部内を見回す。
「はー……。やっぱすんごい感じです。こう、戦うぜって感じがしますね」
「まあな。逆に言えばそうでなければ本末転倒なんだがな」
『あ!あっちからにおいがするー!!ごはんーーー!!』
少しだけ孝和は逃げた。目線をわざと“そこ”からずらして、全体の光景の感想を言ったのだ。
隊列を組んで歩く団員たち。剣や鎧、備品の整備を行う小屋。鍛錬に余念の無い訓練風景。
しかし、エーイの目線はしっかりと“そこ”に釘づけになっている。その顔に浮かぶ青スジはヒクヒクと振るえ、ちょっと尖った針で刺せば勢いよくぴゅーっと血が吹き出してきそうなくらいだ。
しかも、見たままをキールが実況してくれるおまけ付きだ。
「ホーガン……。“ド”阿呆だった様だぞ。あの阿呆どもは!!」
ズンズンとエーイはそちらに歩いて行く。ずんずんと進む後姿に鬼の気配を感じた孝和にはそれを止める術は無かったのである。
『ねー。ますたー』
「何だキール?」
『なんで、あんなにエーイさんは、おこってるのー?』
「そりゃあ、なあ?」
孝和には分かる。
自分が必死に頑張っていたその間。そんな時に仕事もせず、あんなことをされていたんでは腹も立つ。
そう考える孝和の後ろに2台に別れていた馬車が到着する。
そこから降りてきたイゼルナと護衛の団員もポカンと空を見上げる。そして、それに気が付くとイゼルナは乾いた笑みを浮かべ、団員は肩を怒らせるエーイを見やり身を竦ませる。
「幾らなんでも、こんなことのあった日の真昼間からバーベキューなんぞするなよ。自重しろよ。さすがに、さぁ……」
見上げた空には、天高くもくもくと、肉を焼く煙が立ち昇っていた。
「でも、こうでもしないとみんな気が立ってどうしようもなかったんですよ?そこは、度量の大きさを見せてくれないと」
とは、皆と共に肉をほおばるククチの台詞である。右手に肉、左手に皿に盛られたトマトを装備していたりする。
「しかしだな」
「さすがに酒は禁止しました。あくまで、食事会の範疇です」
「いや……」
「朝から酒場にバックれるつもりだった阿呆はノしておきました。日の高いうちに女買いに走ろうかとしてたド阿呆も同様です。ですがね?そこまで昂ぶった奴等をそのままにしておくほうがヤバイですよ」
「むう……」
「警備のローテーションも組みなおして明日以降に調整掛ければ大丈夫な形には収めましたので、存分に騒がせてしまいましょうよ?」
「あ……ん……」
「大丈夫です!私の方で大将、じゃぁない、コーン行政官の決は取りましたので。もしかしたら奴等が最後にもう一度掻っ攫うつもりで来られたらまずいですし。ある程度見知った連中で周りを固めておいたので不心得者が近づけば返り討ちですよ」
完璧なくらいに論破されきったエーイを前に、ククチは肉をもう一口噛み千切る。もしゃもしゃと音をさせながら十分に咀嚼し、胃袋に落とし込んでいく。
「はあ……。お前に任せたのだからこれ以上は言えんが、そこら辺大将は知ってるんだろうな?」
ガックリと肩を落としつつも、ククチを自分に引き寄せ、トーンを少し落とし周りの喧騒にまぎれるかどうか位で質問する。
「当然でしょう。どちらかというと私は反対した側です。本人が“ようやく美味そうなエサに見えるだけの貫禄がついたか”って乗り気ですし。逆に来ない方がつまらないと考えてそうですね、アレは」
「らしいといえば、らしいか。色々鬱憤もたまってただろうしな」
「ですよ。元々私らと同じ“斬った張った”で生きてきた人ですし」
エーイの脳裏にはアデナウ・コーンの生き生きとした表情が目に浮かんだ。
そうだろう。あの人は、そうなんだろう、と。
「わかった。しかし、その大将はどこだ?先に来ていると聞いていたが?」
キョロキョロと周りを見渡したが、周囲には焼けたかどうかも怪しい程度に炙られた肉を、次々と豪快にほおばるむさ苦しい男たちのみである。
「いろいろ回収してきたものの確認で、さっきまでは後ろに居たんですがね。十分堪能したんでしょう。“良いものを見た”とホクホク顔でしたよ。まあ、腹も減ってたのかこっちに来ましたけど“肉だけでは飽きる”と言っていましたからね。たぶん中に何か無いか探しに行ったんでしょう。実際あの人はこの中で唯一酒飲んでも問題ない人ですし。こっそり一人で飲むんじゃないですかね?」
「あの後でガッツリ飯と酒をいくと言うのは、図太い神経だな……雑とも言えるか」
「泰然自若という好意的な見方もありますが?」
掌を空に挙げ、降参ですとポーズをするククチにエーイは同じように天を仰いだ。
「ああ、そこまだ焼けてない!待った待ったぁ!!」
「バカヤロウ!!これっくらいの焼き加減じゃないと肉の旨味がしねぇんだ!!」
「レアと生焼けは違う!!腹壊すって!?もう少し待ちなよ!!」
やんややんやと騒がしい肉祭り(食事会?)のど真ん中で何故か孝和は肉を焼いていた。
会場に何の心構えも無く、一般人の格好で登場した孝和は、そのままの勢いで「まあ、食ってけや、アンチャン」「そこに肉があるからよ」「あ、でもただで食わせるわけにいかねえからな?」「よし、アンタ肉焼け。俺らは食うから」「いや、ちょ……」「なんか文句アンのか?」「……すんませんでした。俺、焼きます」
と言う経緯を経て鍋奉行ならぬ鉄板奉行を任ぜられていた。
肉焼き用の鉄板がデデンと中央に陣取り、その横に豪快にぶつ切りになったキロ単位の肉のブロックが転がっている。
そのインパクトに隠れ、見えてはいなかったが、周囲には肉のほかにパンの山やチーズの山。水を張って置かれた巨大なたらいのような物にぶち込まれた野菜の数々があった。
「あ!ここら辺大丈夫だから。ここの食って待っててほ……」
ガチガチガチャン!!!!!
孝和が言い切る前に程よく火の通った桜色の肉にフォークが鋭く突き刺さる。男たちの力任せな一撃は肉を悠然と貫通し、鉄板を不恰好な打楽器のように鳴らした。
ガツガツガツ!!
口の中に放り込まれた肉が失われるかどうかのタイミングで、パンの山に男たちの手が伸びる。
ブチブチと硬いはずの黒パンが男たちの顎により引き裂かれて行く。
(野獣か。お前ら……)
いや、むしろ野の獣の方が分別があるのではなかろうか。
ちら、と地面に散らばる残骸を視界に捕らえため息をつく。野の獣ならばここまでむさぼる様に食い散らかすと言うことは無いだろう。きっともっと綺麗に“お召し上がりくださる”だろう。
(まあ、俺もそこそこ食えてるから文句は無いけど)
ムグムグ口を動かしつつ肉の甘みを楽しむ。声を掛ける直前に自身の口にベストタイミングな焼き上がりの肉を頂戴するのだ。まさに、この位置の特権であった。
用意されていたのは、機械的な精製ではないからか少し黄色がかった塩と、荒く挽かれたばかりのコショウだったのはラッキーだったと思う。
変にこだわったソースやわからないような調味料でなかった分、自分のさじ加減でいい肉を作り上げることが出来ている。
(キールも食えてるみたいだし、あっちは大丈夫だろう)
少し離れたイゼルナのひざの上でキールはここでもなかなかの“はーれむぷれい”を楽しんでいるようだ。
傭兵団の食堂のおばちゃんがたと、通いの事務の女性陣の間で餌付けをされていた。
「ほーらキールちゃん?葡萄ですよー?あーん、してー」
『あーーーんっ』
おばちゃんの指がつまんだ葡萄の房が上からそーっとキールに近づく。キールがその一番下の一粒を食み始めたところで、上にぷちんと本体を引きちぎる。
『おいしーよー!でも、もっとほしーなー?』
「あ、今度私!私!」
「あんた2回目じゃない!?今度は私が木イチゴをあげるんだから!!」
「キール君はキノコって好きかしら?」
『うん!やいてくれるとおいしーから。でも、いまはあまいのがいーなー』
といった調子である。一応、酒は気持ち悪くなるので厳禁だ!と伝えてはあるので大丈夫であろう。
それを見ていると抜け駆けした女性がキールに桃を差し出し、キールが食し、恐らく礼を言っているのだろう。
いい年をしたおばちゃんがくねくねと体をくねらせていた。
若干年齢の高い女子会が執り行われているその横で、孝和は自分の現状を省みる。
「肉、オッサン、俺」
なんとなく寂しい。バーベキューと言うのはもう少し若者にも優しいイベントではなかったのだろうか?
ジュウジュウと焼ける肉の香りだけが孝和を癒してくれる。精神的にではなく、肉体的な飢えを、であるが。
「くそ!俺は食うぞ!!タダメシなんだから!!」
「おお!その通りだ兄チャン!!その代わりガンガン焼いてくれよ!」
「あ、そこらいい感じに焼け……」
ガチガチガチャン!!!!!
「ホントに野獣かあんたら……」
肉と共に口に入れたタマネギの甘さを感じながら、聞こえない程度でそう孝和はつぶやくのだった。