第38話 フルコース・ディナー
誤字・脱字ご容赦ください
「GWOOOOW!!!!!!!!!」
【業魔】が大きく首をもたげ、真上に向かって吼え猛る。それによって轟きわたる轟音はそれが生物の咆哮であるとは信じられないほどの爆音だった。
「くっ!!」
エーイは思わず、顔を剣を持たない左腕で庇う様にして後方に大きく跳んだ。
本来は少しだけ後ずさりするつもりで足を動かしたはずだが、自分でもコントロールできない恐怖感が体を動かした。
ゴウンッ……!!
エーイが跳び退いたギリギリの辺りで音が空気を貫く。
「……ッゥ!?」
ほんの数瞬前に自身が居た地面がプレスしたように沈んでいた。ちょうど【業魔】が吼えた場所から真円を描いて同様にそういった痕がくっきりと見える。
それと同時に、エーイ自身の体にもビリビリと衝撃が走る。
(まさか、この威力で咆哮かっ!?)
規格外の威力の咆哮が地面を抉り取る。バグズの咆哮と比べるのならば、マッチと山火事ほどの差があるだろう。
砕け散った破片が勢いよく周囲に弾かれる様に散らばっていく。飛び退いたエーイが庇った左腕に破片が鋭く突き刺さる。
「くそっ!!」
ただ突っ立っているだけではいい的だ。苛立たしげに駆け出すと同時に、【業魔】に向かってジグザグにフェイントを含めた接近を試みる。
「駄目ですよ!!そんな簡単にいくわけが無いでしょうに!!もっと工夫をしてくださいよ!!!ハハハハハッ!!!」
癇に障るストレイの笑い声が響く。それと同時にぐいっと腕輪の嵌められた左腕をエーイに向けて振るう。
「WOO!?」
その動きに合わせて【業魔】が不満げなうめきをあげる。丁度、首輪を引っ張るようにして首がぐいっとエーイに向かって引き寄せられる。
【業魔】が完全にストレイの支配下にあることは明らかで、ストレイがエーイを害する意思を持つ以上、その敵意が鋭い刃となって彼を襲う。
「チィイッ!!!」
【業魔】がストレイに向けさせられた視線はエーイの姿をしっかりと捉えた。
その一方でエーイは慌しく動く足先を止めることなく、ストレイの動きで生まれた【業魔】の不本意な一瞬を使い、その眼前に飛び出す。
「オォォォォオオォオオオオオ!!!!!!!」
エーイの最後の一歩が【業魔】に届くまでの距離になる。勇気に義務感、それらもろもろを一緒くたに混ぜ込んだ“それ”はエーイにとって生涯で間違いなくベストと言える完璧な踏み込みであった。
ダンッ!!!
踏みしめた足は靴越しだというのに、地面の硬さだけでなく細かな砂や小石の全てまでがはっきりと分かった。踏み込んだ足が叩きつけられるその勢いで、飛び散る砂粒がありありと見える。
腕が振り抜かれる際の空気の流れを感じるまでに意識が何処までも透き通る感覚を体が感じ取る。
まるで時間の全てを支配下に置いたかのような全能感をエーイは錯覚した。
鬼気と呼べるほどの気合を載せた剣閃が、【業魔】の前足を切り裂かんと振りぬかれる。
ブンッ!!
大きな風斬り音が乾いて聞こえる。
「何だとっ!!?」
すんでの所で【業魔】は後方に向かって大きく跳躍。
結果として大きくエーイの懇親の一撃は空振りに終わる。完璧なタイミングで【業魔】の前足を捉えたかに見えた一閃は、虚しく空を切った。
飛び跳ねた【業魔】は着地と同時にそのまま前傾姿勢になる。
その四肢が煌々と光を放ち、魔力が宝玉に集中し始めた。
「GAAAAA!!!!!!!」
その危険性に瞬時に距離を詰め、一矢を報いようとエーイが駆け出す寸前に【業魔】が咆哮を放つ。
「グ、ッハ……ァッ!!?」
咄嗟に前進するために動き出していた勢いを回避に向けたのだが、前に動こうとする慣性の勢いは抑えきることが出来ず、かろうじて斜めに飛び跳ねダメージの軽減に努める以外の選択肢はエーイには残されていなかった。
ゴロゴロと転がり、ほうほうの体でそのまま近くにあった木箱の裏に体を隠す。
「くそ……。っぅ……」
たった一撃である。たった一撃でエーイは膝をつき、木箱を背にした。
身に纏う服には細かな傷が付き、その下の皮膚に引き攣りを感じる。左袖を捲くると爛れたように赤黒く変色し、内出血を起こしているようだ。
「く、くっ……!!」
ただ、それでもこのまま横になっているわけにはいかない。
勢いをつけてその場から飛び出すように脱出する。
ドンッ!!!
飛び出した瞬間に、今まで背にしていた木箱が爆散した。真っ二つになった木箱がゆっくり倒れて行く様を横目に見ながら、【業魔】の位置を確認する。
すると全く先程の咆哮から動いたような様子はなく、その場に留まったままだった。
その場から動かず、さらに咆哮が発動したときに感じる空気の震える感じが無いことから、木箱が両断された今の一撃が今まで見せた攻撃とは違う物だと判断することが出来た。
「魔術かっ!?どんな種類だっ!!?」
宝玉を輝かせた魔術の光が今は【業魔】からは見て取れない。その代わりに、【業魔】の周囲を回る黒い刃が4本空に浮かんでいる。
(色味からみて、闇系統か!?まずいな……)
直感で【業魔】の魔術が闇系統だと感じたエーイの顔が渋面になる。
闇系統というのは、孝和と死闘を演じたデュークの攻撃にも現れたように、その場に留まるという特性を持つ。
その証拠に黒刃に両断されただろう木箱を見れば、切断面にこびり付いた黒い闇がブスブスと木片を侵食していた。
(くっ……。近づけるか……?)
一直線に闇色の焦げ跡が【業魔】から伸びている。エーイが接近している今、この位置では鮮明には見えないが、その焦げ跡にも闇が纏わりつき、薄く紫煙を上げていた。
「そこです!!行きなさい!!フヒャ、フフ……ヒャッ!ハヒャ、ハハァッ!!!」
気が触れたかにも見える笑い声が響き渡る。幽鬼と見間違うかのように真っ青どころか、青黒い顔で激しい笑いを噴き出すストレイはどうみても正気には見えない。
その手の腕輪が爛々と照らし出す表情にエーイは寒気を覚えた。
(あいつ、正気……いや!?壊れているのか!!?)
本人にそういった自覚があるのかどうかは分からないが、明確にその目に狂気が混じっていた。
こちらに目線を向けることなく、指示を出すストレイを無理やりに視界から弾く。
「へはぁぁ……。ふへっ!ふへェえぇ?そっ!そこっ!行けえェっ!!!」
笑い疲れたストレイが今度は真っ直ぐにこちらを指差す。目線は合っているものの、あれは駄目だ。興奮を自分の意思で留められていない。ただ、波があるのだろう。比較的最初の様子に近い言葉を撒き散らしている。最初の意志が何とかストレイの体にこびり付いているだけなのかもしれないがまだ先程の狂笑よりはましに見える。
急激に壊れた状態とまともな状態が入れ替わっているのではないだろうか。それが本来のストレイの持つ物なのか、あの呪が原因なのかは分からないが、エーイは後者である可能性が高そうだと判断した。
幾らなんでもあのような状態を突発的に出す人物を、人の上に立たせるほど軍も愚鈍ではないだろう。
「代償がでか過ぎる!なにが大丈夫だと言うんだ!」
そう吐き捨てると同時に、真上から振り下ろされる黒刃をギリギリのタイミングで避ける。
【業魔】を完全に制御し切れているのか非常に怪しい。このストレイの様子を見て、先程ぶち上げた“安心”というのはどういった保障のある“安心”だと言うのだろう。
【業魔】は未だに気の触れた様に笑うストレイの指示どおりに動いている。その指示に従い、エーイを狙い魔術の刃を次々に振りぬいていく。
エーイはそれらの刃を避けてはいるものの、体表を炙る闇の力は先程爛れた皮膚に届いていた。色は違っても炎のように見えるのに熱気ではなく、凍えるほどの冷たさがジリジリと痛む左半身を苛む。それを気力で押さえ込み、絶えず体を動かし続ける。
ストレイが壊れたことによる判断の一瞬の間と、決死の覚悟で魔術を掻い潜るエーイの突進は、一応の成果を挙げた。足を止めたエーイに向かって、黒刃が首を刈り取るように真横に振り抜かれる。髪を数本焦げさせながらも、【業魔】の鼻先まで近づき、両手で思い切り顎の下あたりを狙って突きを放つ。
ガッ!
しかしながら、この攻撃も止められる。エーイの突きの瞬間に【業魔】は顎を引き、僅かなスペースを作るとその牙を剣に向かって走らせた。思い切り歯を立て、剣を咥えるようにして、顔を振る。
「うおおっ!?」
運の悪いことに、両手で突きに行ったエーイはそのまま、体ごと持ち上げられてしまう。さらには横に向け勢いよく振られた為、放り投げられるようにして宙を舞うことになってしまった。
「チィ……いっ!!」
激突の衝撃に備え、体に力を込める。落下位置にあった果物の山に、そのまま埋まるようにして激突してしまった。しっかりと握り締めていた両手にはすでに剣は無い。
ただ、咄嗟に剣から手を離したことはエーイにとっては幸いだった。【業魔】はエーイが宙を飛んだそのすぐ後に真下に向かって剣を叩きつけたのだ。
【業魔】は甲高い音を立てて半ばから砕けた剣の成れの果てを、数回咀嚼し当然気に入るわけも無いのだが、地面に向かって吐き出す。エーイはあのまま手を掴んだままであったのならば、地面に向かって体ごと叩きつけられてミンチになっていたのは間違いないだろう。
それでもこの危機を脱したのが事態をただ先延ばしにしたに過ぎない事ということは明らかで、エーイの焦燥感を誘った。生涯最高の一撃でも、決死の覚悟で飛び込み運を味方につけた特攻でも相手に刃は届かなかったのだ。
それは、“詰み”だった。
現在の状況下で切れるカードはエーイには無い。
「はははっ!結構!結構!!ようやく面白くなってきましたよ!!」
どうやら今の一連の行動がストレイのお眼鏡にかなったのだろう。エーイとしては非常に不本意極まりないが、それでも体を起こす。
「あぁ、あぁ!!楽しいですねぇ……ですが!ですが!!!この後のメインも有りますので、前菜のあなたはここら辺で退場いただきたい!!しかし今生の別れとは、いつも悲しい物だと思っていましたが、こうも心躍るとは予想外でしたよ!!うふ、ふふふ!ははははは!!!!!」
なるほど、とエーイは思った。前菜とは言い得て妙だ。この後のメインとは恐らく軍と傭兵の混合部隊のことだろう。
あそこまで縦横無尽に攻撃を避ける跳躍を行い、広域殲滅用の咆哮に、ダメージを与え続ける闇の魔術の行使、さらには備わった牙は剣を噛み砕くという品揃え。
ストレイが自信を持っている理由も頷ける。このように嬲って遊ぶためにわざわざ【業魔】に命令し、その動きを止めてさせているのもすぐに勝負がついては面白くないからだろう。
本気になれば、さっさと追い込んでとどめを刺すことなど簡単だった事は体で理解している。
要するに時間つぶしのためだけに嬲り、蔑み、怨言のひとつでも聞きたいと考えたその趣味の悪さには辟易する。
だが、それは強者の余裕ではなく、虎の威を借る狐の油断でしかない。
「ふふ……。ド阿呆め……」
体を起こしたはいいが、すでに立ち上がれる気力などすでに尽きてしまっている。
だが、口は動く。
「……何です?今、なんと仰いました?」
本当は聞こえているのだろうに、体裁を整えるためわざわざ聞き返してくる。まさに滑稽。
全く、笑えてくるではないか。
こちらは体中痛みが引かないというのに。
笑い転げて気絶させるつもりか?
「阿呆、と言ったんだよ!大局を理解できないのだからな!!貴様は所詮そこまでだ!フハハハハハッ!」
笑え、笑え。
痛くとも、辛くとも今は笑え。
全ての視線がこちらに向くように。
いや、まさにこれこそが切り札。ストレイのそれと並べてみても、エーイの目には今なら“それ”がより輝いて見えるようだ。
「黙れッ!!!貴様ごとき木っ端に、この世界の行く末を憂う我の何が分かろうかッ!貴様はあの世から我等が栄光の道程を見上げるがいい!!」
憤慨したストレイはキッと【業魔】に向き直る。勢いよく左腕を高く掲げる。
「【業魔】よ、殺ってしまえッ!!」
そして、腕が振り下ろされた。
「GAAAAUWAAAAAA!!!!!?」
エーイに飛び掛ろうとその身を撓らせた【業魔】が、倒れる。
倒れた。倒れたのだ。
そしてゴロゴロと絶叫を上げ、その場を転がりだす。
「な、何だっ!!!?な、何がっ!!!!!?」
人間は9分9厘物事が成功すると、残り1厘には目を向けなくなることがある。完璧を目指すのではなく、妥協を是とする生き方をしてきた者には多い傾向だ。
一度痛い目を見れば、どんな人間でもその痛さを思い返し対策を取り、二度をおこさないため努力する。
だが、それが1回目のときは、どうだろうか。
そう、甘んじてその痛みを受けなければならない。
「っ!ら、ぁあああっ!!!!」
丁度【業魔】が跳躍を始めようとした場所。その少し後方の影になった場所から怒号が上がる。
「GYAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!」
さらなる【業魔】の絶叫を聞き、混乱したストレイが目を向けたその先、そこに何者かが居た。
ストレイ、【業魔】、エーイ。この戦場に立つ全ての者が自身の戦いに全神経を傾けていたその間に。
誰も気付かないように、それでいてこれ以上ない位置取り、これ以上ないタイミングを見計らって。
彼は、斬ったのだ。
「もぉおうっ!!いっちょおぉおおおっ!!!!」
気合の入った声を聞きながら、誰にも聞こえないほどの声でエーイは呟く。
「前菜の後はスープだろう……、残さず平らげねばなぁ……、メインを楽しむのならば、順があるものだろう?コースの組み立てくらいは覚えておくのだな、ストレイ殿?ふはは……」
エーイと分かれた孝和は軍服を脱ぎ捨て、一番下に着込んだ進入用の衣装になっていた。血に塗れてはいるが、その色は未だ黒をベースに残している。
それでひっそりと闇に紛れ、照明の無いようなところを選んで船に近づいていた。そしてこっそり乗船、今回の黒幕っぽい様子の偉そうなの(ストレイ)を後ろから制圧する予定だったのだが、目論見が外れてしまい、今はこんなことになっている。
予想に反してあまりにも規格外の敵がいきなり現れたときは度肝を抜かれた。
その後に咆哮が地面を綺麗に圧していく様をまざまざと見せられ、視線をピタリと合わせられたときには、もう冷や汗がダラダラと流れ落ち、心臓が激しく打つビートに耐えられなくなりそうだった。
しかし、その後のストレイの命で無理に首を動かされた【業魔】は孝和に向けた視線を外され、これ幸いと孝和は逃げ出すことが出来たのだ。
ホッと息をついて今度は先程より急いで【業魔】の後ろに回りこむ。そこを通らないと船に近づけない。
エーイが再度の咆哮を何とか耐え切ったのを遠目に確認し、さらに急ぐ。
どうみてもあの様子ではそんなに長くは持たない。魔術で出来た黒刃を目にして、判断した孝和はあと一息、駆け抜ければ船に飛びつける位置まで一気に進む。
だが、ここでエーイに限界が訪れた。
決死の特攻に一縷の望みをかけたのだろう。鬼気迫る形相が【業魔】に迫る。
殺った、と思えた。あれは当たる、と思った。
だが本能的に脳裏に過ぎったのは、“駄目”の一言だった。
まだ、遠い。自分なら、あと5cm。あと5cm踏み込んでいる。
スタンスが、足りない。捻りが、弱い。あの勢いでは、押し込めない。
ダメージが原因だろうか、それとも技量の問題だろうか。
『駄目だ、届かない』。
本能が希望的な考えを、一ピースも残さず塗りつぶしたその瞬間、エーイは跳んだ。
大きく放物線を描いて、資材の山に突っ込んで行くエーイを見て自然と剣を取る。
ジ・エボニーを抜く。音を消し、気配を落とす。
何処までも黒い刀身は闇を写し、周りに溶け込む。ただ、光の反射を避けるため、身に纏う黒の布地をその上に被せた。
(行け……。行け……。行け……)
ぼそぼそと口の中で連呼する。ストレイがはるか上、甲板から何か言っている。そのあとにエーイが怒鳴り返す。
(行け……。行け……。行け……)
いまだ、連呼は続く。ストレイがそれに同じように怒鳴り返す。内容は聞こえているが、頭の隅に自然と追いやられた。耳は聞くことを止めないが、それを脳が理解することを拒否した。いまはそれを文章として理解させるのに費やす脳のキャパすら惜しい。
衣擦れが聞こえる。
ストレイが振り上げた腕の音だ。
足が自然と出る。
衣擦れが聞こえる。
ストレイが振り下ろす腕の音だ。
もう一本の足が出る。
ふと、視線を感じた。
エーイが自分を見ていた。
知らず、笑みが口元に浮かぶ。
斬ッ!!!
真横に振られた剣がスローモーションに見えた気がした。
(行け!)
牛の胴を断つような感触が一番近い。脳裏にそんなことが過ぎった。本当に役立つのか不信であった訓練が役に立ったという幸運。肉の“硬さ”を学ばせるため、肉牛を一頭用意し、刀で断つという実生活には役立たないであろう訓練が生きた瞬間。
孝和は師達への感謝よりも、牛と感触がどう違うかの摺り合わせを必死に行っていた。
脱力からの瞬転。斬鉄に通ずる剣の奥義ともいうべき技であったが、【業魔】の右後脚を狙った一閃はそれを両断するには至らなかった。
精々7割。いや6割3分から4分といったところ。肉の質が、脂肪を含む牛と段違いだった。筋肉に剣の勢いを持っていかれた。この筋肉の密度なら、脚を支えきれる。内心の舌打ちと共に、自身の対象物への硬さに対する判断の甘さ・未熟さを悔いる。
だが、その葛藤を押し殺し、そのまま剣をかろうじて掴んでいた右手を離す。先達が見せてくれた経験を無駄にしてはならない。そう、このままでは一緒に飛んでいってしまう。
飛び出したというかなんと言おうか【業魔】は大声で激痛を訴える。ゴロゴロと転がるその場は近づくにはあまりに危険だった。
それでも、行く必要がある。攻撃に加わった瞬間から自分はバックアップではない。フロントマンだ。声を上げ、暴力を振るい、相手に警戒を与える存在に成らねばならない。
「っ!ら、ぁあああっ!!!!」
怒号を上げ、転げまわる【業魔】へ突進する。その跳ね回る体の動きを読み、偶然に孝和の前に飛んできた爪を幅跳びの要領でかいくぐる。
着地と同時に脚に突き立った剣を握りしめる。
脚と逆に向き直り、ジ・エボニーを背負うようにして両手両足に全力を込めた。ただ、単純な力で押し切る。上手く切れない食材を無理やりに引きちぎるあの感覚。包丁をジ・エボニーに、食材は筋肉で覆われた【業魔】の脚に。イメージの転換は完了した。
あとはちぎる。ここで引きちぎれなければ、まさに“詰み”だ。
賭けは不利な方が大きく戻る。勝てば、美味しい。賢くは無いが、真実である。
「GYAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!」
結果賭けに勝った。振りぬかれた腕に剣は残ってはいないが、ほぼ切り落とせた感触が手に残っている。【業魔】は悲鳴に近い声を上げ、さらに大きく跳ねる。
孝和はその死を覚悟せねばならない暴風圏を腹ばいになって回避した。tはゆうに越えることは確実な体積が、頭の上を擦る様に跳んで行く。
ぞっとすると同時に、それでも結果を目にして少しだけ心が落ち着いた。
今跳んで行った本体と分かたれた脚があったのだ。その脚から抜けそうになっているジ・エボニーに視線を送り、引き抜く。
「もぉおうっ!!いっちょおぉおおおっ!!!!」
追撃を行うのだ。相手が立ち直る前に。相手が本気でこちらを殺す体勢が整う前に。
「アレが、報告の件のですか!!くそっ!!!」
遊びが過ぎたのは否めない。侵入者がいたことも、それがそれなりの腕を持つことも報告されていた。
だが、【業魔】にここまでの痛手を与えるような強者、いや特級品であるとは思わなかった。
並みの剣では精々薄皮一枚程度しか刃が通らないと言われていた。名剣であったとしても薄皮が一枚から二枚・三枚に増える程度だとも。
それが両断されたのだ。刃が通った程度の話でなく、脚が一本無くなった。
その衝撃は半端ではない。
自分が出来ないと考えることをしたものを見た時にどう動くかで人は判断される。
ひとつはそれを出来うる事実として認め、どうしてそれが出来たのかを自身に問うタイプ、もうひとつは出来ないことだと認め、自身の選択肢より排除し、違う道を選び取り次に繋げて行くもの。
どちらにも利はあり、非もある。
ストレイは後者だった。だからといってそれを選ぶことは恥でもなんでもない。正解を見つけ出す手法としては正しい。全ての違う道を試してそれが外れならば、最初の方法が正しいのだと言い切ることが出来るのだから。
かといって前者も正しいのである。実際に出来ているのだから。自分が出来ないのは何らかの理由があるのであり、手法が違っていてもできた理由を追求すればいつかはたどり着ける。
だからこそ、ストレイは後者を選ぶ。自身の出来ないことはプライドが許さなかった。ならば、違う手段。それでプライドを守る盾を作り上げる必要がある。
その為にもここでつまずくことは出来ない。決して。
「【業魔】よ!!そいつだ!そいつを狙え!!!」
指示を出した先にいたのは孝和。半死人のエーイよりも危険度は高いと判断した。多少壊れているとはいえ、その程度の状況判断は出来るのだろう。
「遅ぇっ!!!」
さすがに脚3本で立ち上がるのに四苦八苦している【業魔】に、素早く動くことを強いるのは無理がある。そのタイムラグは更なる追撃には十分すぎるほどだった。
孝和はそう判断して、おそらく動物ならば柔らかな骨の少ない腹を狙う。経験とそれから類推する限り現行で打てる最善手だ。暴れまわる【業魔】が、ストレイの焦りによる指示で動きを止めた瞬間に、そこ目掛けて剣を走らせた。
ぞぶりっ……
粘着質な音をさせて【業魔】のわき腹にジ・エボニーが突き立つ。先程の筋肉の鎧に包まれているとも言える脚と違い、こちらは硬いには硬いが、肉の質が比較的軟い。
刃を立てられるのであれば、刺さるのは間違いない。
そのまま、【業魔】がさらに暴れまわる瞬間までのほんの数秒間を、手首を返してえぐるようにかき回した。
「GWOOOO!!!」
激痛から来る悲鳴ではなく、憤怒による殺気が込められた呻きを全身に浴び、孝和はそのまま剣を腹に残したまま横っ飛びに逃げる。
孝和と【業魔】の戦いの光景は、そのまま悪漢たちとエメスの戦いの一部に置き換えることができる。
要するに単純な重量による圧殺が可能なのだ。
それほどの重量級の敵はそれを行う。残された3本の脚で孝和の側に向かって倒れこんでくる。
ズズンと地面が揺れ、あたりに砂が舞い上がる。
「くっ……そ!!立ち直りがはええんだっ、つうの!!!」
腹の剣が深々と刺さっているのは間違いないが、それでも期待していたよりも内臓をズタズタにするまでには至らない。いまだ、【業魔】は戦意を失わず、孝和を滅するためにその身をまた立ち上がらせる。
脚を失ったというのに、すでに失ったなりに動けるという立ち振る舞いは、知らず孝和の額に脂汗を浮かばせた。
「うわぁ……。マジでキレてんな……。まあ、当然だけどさ」
転げるようにして距離を取り、ベルトから鞘を取りだす。剣の予備は無いので、これが孝和に最後に残された武器である。
その目の前にいる【業魔】は完全に怒りを抑え切れず唸り声をあげ牙をむき出しにこちらを睨む。だが、それでも警戒しているのだろう。こちらも残された3本の脚で距離を取るため後方に大きく跳んだ。
「で、それか?ま、順当だわな」
苦笑いが口元に浮かぶのを止められない。
【業魔】が距離を取ったのは、これ以上孝和を接近させないためだったのだろう。
残された3本の脚の宝玉がまた、紅く光る。
そして、空に黒刃が4本現れる。
接近戦を完全に捨て、遠距離から火力で潰す。選択肢として妥当なそれは、いまだ孝和の予想内だった。
「じゃあ、戦るとしますか……。あぁ……こえぇ…。信じてますよぉ……ボルドさぁぁん……」
自分が握る鞘をぬめる手汗で濡らしながら、孝和は覚悟を決めたのだった。