第33話 再起
誤字・脱字ご容赦ください。
ぐらりと、大きくアリアの体が揺れた。ベッドから起き上がることが出来ただけで、それ以上に体を動かせるだけの力はまだ回復してはいなかった。
「危ない!!」
それを見たミリアムが咄嗟に手を貸す。抱きとめた体は、先程まで寝かしつけるために触れていたときと変わらず、ほのかに暖かく感じられるというレベルではなく普通と比べ、どう考えても熱い。
「駄目です。やっぱりこの状態で動くなんて出来ません……。おとなしく助けが来るのを待つべきじゃないですか?」
後発で救出部隊が来るのはわかっているのだから、彼女はここのベッドで休んでいるべきなのは間違いない。
ただ、それが正しいかというと微妙な情勢になったのもまた、間違いないのである。
『アリアさん。どうしたの?きもちわるいの?』
アリアに抱きかかえられていたキールが騒ぐ。体ごとベッドの上に戻されたアリアは薄く苦笑いを浮かべる。
「大丈夫……。って言うわけにも、いかないか……。ごめんね、キール。私、ちょっと動けないわ……」
悔しげに歯を食いしばる彼女の顔は、熱により赤みが差し壮絶な表情となった。視線の先にはいまだ倒れ伏す男の腰の剣に注がれており、ここまで人の物が欲しいのも久しぶりだと苦笑した。
『そっか!じゃーね、ぼくがなんとかするよ!』
へへん!とおそらく人で言う“胸を張った”状態になったキールがそう言い出す。見た感じとしては少し後ろに重心が乗ってるかどうかという格好だったが。
『えーと……。けがしてるとかじゃなくて、まりょくぎれ、なんだっけ?』
ミリアムに確認を求める。起き上がる際に何度も注意されたのを聞いて、キールがそう判断していたことに驚くミリアムは、ただ頷くしかない。
『んーと……。そしたら、ちょっとまっててね……。んと、んと……。こーいうかんじでいいかなぁ?』
ギンッ!
そんなキールの言葉と共に、目の前に球形の魔方陣が描き出される。術式自体は神の祝福に似通ったものであったが、細かなところの違いがある。
さらに言うと、
『ここ、いらなーい。そんで、ここは、あそことくっつけといて……。ここは、ぐにってまげてー。……んんー?やっぱりここもいらなーい。かわりに、ここのやつ、そのままつかって……』
えいえいっとキールが呟く度、球状のあちこちの魔術式が書き変わる。場合によっては半分近くの式が抜け落ち、新たに書き記されていくその様にミリアムは戦慄する。
「ちょ、ちょっと!な、何これ……。球形魔方陣の簡易構築!?上位権限による段階的構成掌握と、更新過程の反作用を完全制圧して…………、あっちのは削除項目のパターン別形成と、術式分解後の効率的運用方式の構築、よね……」
全部しかるべき機関により長い時間と潤沢な資金を費やした上で、ようやく「実現できる可能性」が生まれたばかりと聞いている分野に属する筈の物である。
まちがってもほいほいと目の前で、しかもこんな場所で簡単に行われていい類の物ではない。
ぎゅっと、自分の指に残る跡を知らずになぞったミリアムは、はっとして手を離す。
そこにあるはずの指輪は目の前で大の字になった男に奪い取られている。
それに気付くと彼女は男の上着のポケットを探る。右・左と探り、ズボンのポケットから自分の指輪を奪い返す。
『……うーん?これ、でいいかなぁ?あ、もーすこし、くにゅっ、てかんじ、かなぁ?うん!ここ、じゃまー。……よーし、できたっ!!』
ミリアムが指輪を嵌めるのと同時に、キールの完成の声が響く。
「ほ、本当に?こんな短時間で?」
声に若干の震えが混じる。おずおずと指輪のはまった手を掲げ、解析の術を行使する。
本来、こういった術の開発や改良は個人では難しい。いや、今現在開発・改良については個人の入り込む余地はないと言っていい。
膨大な数の術式を反発させないように組み上げ、さらには「使える」ように洗練させなければならない。
発動はする。しかし発動に使われる魔力が人の扱える枠に収まらなかった。こんな術式は塵芥のごとく存在する。それの逆もまた言うまでも無い。
その山となった塵芥を研究し、「使える」ように術式をいじる。幾千幾万もの膨大な量のパターンを試し、失敗した中から考えられるパターンをさらに絞り込んでいくという、気の遠くなる作業が必要なのだ。
金のかかる学問だが、将来に向けて研究する価値は大きい。だからこそ、国や貴族、大商人が研究者を囲い込むことになったのだ。
解析もそういった点から派生した術だ。最初は敵の術に干渉する阻害魔術だったはずが、消費魔力が大きい上、展開にも時間が掛かる非常に使いにくい術だった。
その本質である術を阻害する部分を削除して、術の組成部分のみを読み取る初級術に組みなおした。魔術に関係する学徒であれば読み取りと理解だけならば容易い。
だから、キールの展開した球状魔方陣がどんな物かも読み取るだけならば容易い。
「嘘……。問題なく使えるの……?発動もするし、術の変質も起きて無い……。でもそんなことが……」
半ば呆然としながらも、成り行きを見守る。
球状魔方陣は、次の瞬間にはテーブル上の水差しの上に移動していた。
『じゃあ、えいっ!』
薄く光ると同時に、魔方陣は水差しの水を勢いよく吸い上げ、その内側に球体として溜め込んだ。その後、魔方陣はサイズを徐々に狭めながら、水の球体と同じサイズになり、さらに一回り小さくなって、空中に留まる。
パンッ!
軽く風船のはじける音に似た音が響く。すると、空中に留まっていた魔方陣はちょうど真下に当たる部分が裂け、水をその下の水差しに注ぎ込んでいった。
重力に負け、水が注ぎ込まれると同時に徐々に魔方陣も縮んでいき、最後にはビー球サイズになって消えていった。
『かんせーい!アリアさん、ぐぐっと、のんでー!』
ピョンとベッド脇の床に飛び降り、呆然としたミリアムの横に並ぶように跳ね行く。
「……まあ、じゃあいただくわ……。ありがとうね、キール」
アリアは躊躇い無く、水差しから白く輝く不思議な液体と化した「それ」を器に注ぎ、口をつける。
そのあまりに自然な様子に行為を止めるのも忘れ見入ってしまったミリアムは、その液体が安全かどうかの確認をしていないことを思い出す。
「ちょっ!待って!」
ミリアムが声を上げたときには、クイッと液体がアリアの喉を過ぎていったのが見えた。
「!!?……カハッ!?グホッ、グホッ!!」
そのすぐ後にはアリアが急に咳き込み始めた。
「だ、だからそんな無造作に飲み込んじゃ駄目よ!本当に大丈夫かなんてわからないんですから!?」
喉を押さえ、激しく咳き込むアリアは、詰め寄るミリアムを片手を挙げて押しとどめる。
「ゴホッ……ゴホッ……。あ、ああ……くっ……!!キッツいわね……!!ほとんど生のバーデン酒みたいだわ。喉が焼けそうよ……」
バーデン酒というのはこの世界の酒の一種だ。金持ちの嗜む高価な酒だが、酒精が強いため、あまり女性や酒に弱い者には好まれない。
ただ、アリアが仕える戦神ラウドの信者のほとんどが、現役や引退した戦士や、軍やそれに似た類の集団の者達であり、奉納品としてバーデン酒は人気があった。そのため毎年のように溜め込まれるそれを消費する必要があり、神殿の関係者は好き嫌いに関わらず消費する必要に駆られるのだ。アリアも強い酒は好きではないが、薄めたり少量ではあるがよく飲んでいた。
「バーデン酒みたいって?これ、お酒なんですか?」
「ああ、違う違う。そんな感じの喉の焼け方したからよ。一気に体中流れた感じは、お酒の気持ちよさみたいなものとは違うけれど……」
ミリアムの疑問にアリアは答え、ベッドから起き上がる。
先程までのふらつきや、気持ち悪さ、気だるい熱気も感じない。その代わり、酔ったかのような高揚感がある。体に残る熱も、軽い運動後に感じられる物と同じようで、行動に支障は無いだろう。
「……大丈夫。全快とは言わないまでも、戦える。階下と合流しましょう。後続の足手まといになるのだけは避けたいわ。ミリアム、あなた武器は使えないと言ってたけど、魔術師でしょう?」
そう言いながらアリアは床に転がる男の剣を取る。鞘から抜いて軽く振ると、顔を歪めた。
「え、ええ……。でも、私!」
「“戦えません”なんて言ってる状況じゃないの。戦えないってことは、もしかして冒険者じゃなくて学院関係者とかってこと?」
アリアの質問にミリアムはうつむきながらも答える。
「先日亡くなりましたが、歳の離れた兄がそうでした……。教員をしていたんですが学院の執行部と反りが合わなくて、15年ほど前に田舎に越しまして……。私の術はその兄からのものです。だから、研究用の補助魔術が殆どで戦闘系の術は無いに等しいんですよ!」
「……それでも、協力して頂戴。今の私はせいぜい7割程度しか動けそうに無いわ。できるだけ下の負担を減らさないと、逃げ切れないかもしれないし……」
「でも!私っ!!」
突き放すようなアリアの言葉にミリアムが詰め寄る。
『だいじょーぶっ!ぼくもがんばるから!みんなすぐに、きてくれるよっ!!だから、ミリアムさん、がんばろ?』
アリアとミリアムの間にキールが体を入れてくる。ずずいっと移動しながら、明るくミリアムに語りかける。
「で、でも……。キール君、危ないのよ?怪我をするかもしれないのよ?」
「あ、大丈夫よ。キールは回復術も使えるから。そこらのベテランクラスの神官が足元にも及ばないくらいの、ね?」
軽い調子でアリアは続ける。その間に足元を、転がっていたブーツでしっかりと固め、男からベルトごと剣を奪い取る。
半回転して男が仰向けになると、その顔面はこんがりと焦げていた。軽い呻きが聞こえるので、一応念のために色々と装備を剥ぎ取る。
仕上げに寝床のシーツなどを使い、簀巻きにしてそのまま転がしておく。
「……本当、ですか……?」
『えへへへー。ぼく、ぷろふぇっしょなるっ!!!』
キールがガサゴソ作業中のアリアの代わりにふんぞり返りながら応える。孝和との日々の生活の中で覚えたばかりの言葉であるが、本人は実はよくわかってなかったりもする。
まあ、あくまでキール的に“なんとなーく”なので問題はないのであるが。
「ああ、あんまり深く考えない方がいいと思うわ。私もそうだったし……。気にしたら心が折れるわよ、ボッキリと芯の芯からね」
分捕れるだけの装備一式を男から分捕り、軍装に身を包むアリアは着替え終わった神官服を無造作にベッドの上に放り投げる。
男の着ていたものという抵抗感が多少あるが、嘔吐物で汚れた服よりは大分ましだった。しかしサイズが合わないものを無理にベルトで縛り上げたため、体のラインがモロに出た。
「これは……少し恥ずかしい、かな?まあ、仕方ないか……」
袖口や足元も捲り上げた格好は、お世辞にも凛々しいとは言いにくい。
『なんていうか……。アリアさん、へーんなかっこうだねー』
率直な感想がキールから掛けられる。
「ふふふ、私もちょっとそう思うわ。でもちょっと試してみたいこともあるから、ねぇ?」
ちらりとキールを見てアリアは不敵に笑うのだった。
「それで、結局“アレ”はどうするんです?あなただけで勝てるんですか?」
そーっと通路の影から下に向かう階段を伺う。そこには“アレ”が居る。
「……うーん……。難しいかしら、やっぱり?」
階段前に鎮座した竜牙兵【ドラゴントゥース・ウォーリア】は幅広のバスタード・ソードと赤黒いショート・ソードを両手に持ち階下を警戒していた。
おそらく、部屋で伸びている男が下からの襲撃に備えて命じていたのだろう。
それを確認してから少しはなれた場所に動く。
「でもこの格好なら、行けないかしら?もしかしたら躊躇するかもしれないし、あの男も何かそういった命令できるアイテムを持ってなかったぁら……。まあ特定の動きとかだったらわからないけど?」
目に付くもの何にでも襲い掛かるのではマジックアイテムとしては失格だ。どういったものか判らないが何かしら除外されるポイントがあるはずだ。
男を起こして確認することも考えたが、正直に吐くかも判らないし、何より時間が無い。
「……まあ、その通りですか……。それでも、準備だけはしていきましょう?これくらいしか私は協力できませんし……」
そういうとミリアムは両手を組み合わせ祈るように膝立ちになる。ブツブツとつぶやきながら、焦点の合わない視線の先にいるアリアとしては、多少居心地が悪かった。
「氷晶壁!」
低く抑えた掛け声と共にアリアの周りをキラキラとした氷の粒が飛び回る。
「へぇ……。これは初めて見るけど、もしかしてさっき言ってたお兄さんの研究成果?」
アリアの質問にミリアムは頷く。
「はぁ、はぁ……。ええ、そうです……。う、上手くいって良かった……」
息も絶え絶えに答えたミリアムはとても疲弊したように見える。
「大丈夫?これ、複合魔術のようだし、大変なんじゃないの?」
返事する余裕も無いのかミリアムは頷くだけだった。
「……あ!飲んだ後は保証しないけれど、よければこれ、どうぞ?」
アリアの周りを跳ぶ氷の粒を追いかけるキールを片手であしらいながら、ミリアムに金属製の水筒を渡す。
それは男の持ち物だったが、中身の酒を部屋の水場にぶちまけて、残ったキールの魔力水を注いでみた物だ。
「いただきます……」
ガッと掴み、そのまま口に一口分だけ啜る様にする。
「……ガッ!!?」
大声を出せないため、口を両手で覆い声を押さえる。
「ね?そうなるでしょう?」
涙目でブンブン縦に首を振る。湧き上がる熱気が喉を焦がす。
『んーと、ねぇ……。やっぱり、しっぱいしちゃったかなぁ?』
結果その“不思議水”の作り手は『どっかへんだったかなぁ?』と疑問符を背負っていた。
カッ……カッ……
靴底が床面を軽く叩く音を聞きながら、前へ前へとアリアは竜牙兵の元へと近づいて行く。
カッ……カッ
その音に気付いた竜牙兵は、その体を階段から半分だけアリアに向ける。そして両手の剣を軽く握りなおし、アリアの接近に備える。
「GRRRUU…………」
空気を振るわせる唸り声がその空洞の頭蓋骨を通して響く。その声からひしひしと感じる敵意は勘違いではないだろう。
(やっぱり……。そう上手くはいかないみたいね……。どこらへんまで“行ける”かしら?)
アリアはゆっくりと手を剣に伸ばす。その足は先程よりさらにゆっくりと階段に向け移動を続ける。
「GYAAAAA!!!!!!!」
すでに竜牙兵の目線は完全に階段方面から外れ、アリアに正対する。
ダンッ!!
アリアと正面で向き合った竜牙兵は、自分の警戒ラインを超えたアリアを敵と認識した。床を撥ね飛ぶようにアリアの前に移動する。
その膂力を遺憾無く発揮し、バスタード・ソードの矛先はアリアだった。
「っちぃぃっ!!!」
バスタード・ソードはすんでのところで回避に成功する。袈裟に振るわれるそれを、沈み込むように体を低くし空振りさせると、逆から来る赤に染まるショート・ソードを剣で抑える。
しかし、純粋に膂力が違った。竜牙兵はショート・ソードを片手で扱うというのに、相対している両の手で振るうアリアを押し込むという結果を見せている。
さらには、そのショート・ソードがほの暗い赤い光を放つ。
ボオッ!!!
勢いよくショート・ソードから炎が吹き上がる。それを予期してアリアは剣を滑らせるように竜牙兵の真横に移動する。
「熱ッ!!」
それでも熱気がアリアの肌を焦がす。ただ、ミリアムの補助魔術による多少の熱気の軽減のおかげで、何とか剣を握る手には力が入る。
初見で持っているショート・ソードが何らかの魔術的付与がされたものであるのは解った。剣の色味からして火炎系統のものであると見越して、冷気のコーティングと剣勢を食い止める衣を纏ったのだ。
ミリアムが“出来る”と宣言したので念のため頼んでみたのだが、結果的には成功といえるだろう。
ただ、初手で袈裟に振るわれたバスタード・ソードをアリアに向け振りぬこうと、右腕が肩口から動く。
だが、
「VWWOOOOUAA!!?」
竜牙兵の右腕が、ガクンと何かに掴まれたように大きく動く。
勢い良くたたきつけられた剣は、地面に突き立っていた。もちろんそんなことは竜牙兵も承知の上であったはず。
そこから十分に引き抜き、アリアを分断するため振りぬいたはずだった。
その不可解な状況に竜牙兵は、眼球がないにもかかわらず、顔をバスタード・ソードを握る右腕に向ける。
「!!?GWHAAU……?」
突き立ったバスタード・ソードの柄がいつの間にか、うっすらと霜で覆われていた。
そして、柄から剣先に視線が動く。すると、剣だけではなく地面までもが完全に凍りついていた。
一筋の氷の線がまっすぐ通路の先に続いている。その先にいるのはミリアムとキールの2人だった。
ミリアムは力強く地面に両手をつけ、祈るかのように目を閉じている。その地面には方陣が精緻に刻まれている。その冷気を放つ陣を発動し、剣ごと地面を凍らせたのが彼女なのは間違いない。
「氷結乃蛇……!!」
彼女のつぶやきは竜牙兵に聞こえただろうか。すぐさまミリアムは片手で横に置いた水筒に口をつける。
その途端、剣の半ばまでだった氷が、柄を握る右手にまで一気に成長する。
傷みを持たないが故の竜牙兵が見せた失策を見逃さず、アリアは真横に回りこんだ勢いのまま、剣を足元に落とす。
「ああぁぁああぁっ!!!!!!」
急に圧力を失ったショート・ソードが空を切り、がら空きになった肋骨部にアリアの輝く気孔の拳が叩き込まれた。
さらには、アリアの通ってきた通路方向からは特大の光輪が飛んできた。
氷はさらに成長し、足首までを覆い始めていた。避けるに避けられず、竜牙兵はその2撃をそのままに受けるのだった。
久しぶりに時間ができてPC開くと、結構時間が空いてました。
見てくださるすべての方に感謝を。