第12話 怠惰な2日目
誤字・脱字にはご容赦ください。
窓辺から差し込んできた朝日を浴びて、孝和は気持ちよく目覚めた。筋肉痛は2日目の朝には、すっかり回復していた。昨日の買い物後は、大人しく『陽だまりの草原亭』に帰り、夕食までの間、キールと一緒にごろごろベッドに寝転がりながら読書の時間を過ごすことにした。じゃれ付いてくるキールとの、まったりとした癒しの時間は、ここの所忙しかった孝和の心と体を十分に癒してくれた。
「ああ、よく寝た。い~い感じだ~」
体の節々を良くほぐし、ベッドから抜け出て大きく伸びをする。ルミイ村から出発してからこれまで、いろいろあって体に無理もきていたのだろう。筋肉痛も無く、体が存分に動く幸せをかみ締める。
「さて、顔でも洗って今日の仕込みの準備でもするか」
そういうといまだ寝ているキールを隣のベッドから抱きかかえ、1階に向かった。いまだ寝ぼけているのか、抱きかかえられ起きたばかりのキールの一言目は『ご、ごはんなの?』だったりした。
臨時コックの孝和の2日目の最初の仕事は、ハンバーグの仕込みと調理法の伝授であった。焼き方については、時間をかけてしっかりと教え込んだ。この世界には、冷蔵庫が無い。食中毒を心配したからなのだが、この世界には魔術が存在していた。食材を保管するため、冷蔵庫の代わりに初級水術の氷結が普及していた。食堂や酒場の従業員には、大体1人~2人くらいの割合でいるらしく食材は新鮮に保管することが出来るようだ。このことは、向こうの世界では、その入手に戦争まで起こったスパイス類が安価に入手できることに繋がっていた。昨日、剣を預けたあとに訪れた市場にはスパイス類を取り扱う商店もあり、安価で様々なものが売られていた。これにより、粗引胡椒と塩のみの、肉の味を楽しむタイプのハンバーグと、昨日のソースをかけたタイプのハンバーグを提供できることになった。
「じゃあ、タカカズ。今日のその賄い料理はなんだ?」
ダッチは、ハンバーグのレシピを書きとめた後、孝和に尋ねた。孝和の作る次の料理に興味があるようだ。
今日のメニューはまず、マヨネーズを卵、酢、油、塩、胡椒で作った。キュウリ、ジャガイモ、ハムのベーシックなポテトサラダをこれを利用して作る。
次に、トマトを加熱して裏ごし、コトコト煮込む。砂糖に塩、酢、胡椒を加え、玉ねぎのみじん切りを加えた。手作りのトマトケチャップだ。これでオムライスを作った。もちろん上の卵は「ふわとろ」でなくてはならないのだ。
この2品を作ったのには訳がある。この世界で生きていくと決めたのはいいが、それには食の充実が必須なのである。食材の保存にスパイスが要らないように、ソースや調味料、美味な保存用食料(ハムは有ってもサラミとか無かった。魚の干物とかも)も発展していない。とりあえず、この世界に無い調味料が受け入れられるのであれば、いろいろと自分の好きな料理も作っていくことが出来るだろうと思ったのだ。結果は、目論見どおり。むさぼるようにダッチ以下料理人どころか、なぜか午後出勤のはずの通いの従業員までがそれらを平らげた。大成功である。
これが発端となり、しばらくの間マドックにはこれらの調味料を利用する料理が次々と作り出されるのである。
午後には、かなりの数の客が『陽だまりの草原亭』にやってきた。「招きスライム」のキールを目当てにである。さらには、それをターゲットとした酒場の新作メニューも一躍買っている。昼時の混雑がひと段落つき、休憩時間に入る。今日は、このまま臨時コックは休止して、外にいろいろ見に行きたいものがあった。その旨は昨日のうちにダッチに伝えてあるので休憩と同時に孝和は、軽く挨拶して外出することにした。
今日はキールは受付でお留守番だ。タバサにもそれは伝えてある。どうやら、昨日孝和がキールを連れ出してから受付で一悶着あったらしい。まあ、詳しいことは知らないほうがいいだろう。きっと、キールに嫉妬してしまうから……。
「ああ、ここがそうなのか。聞いたとおりわかりやすい場所にあるなぁ。店構えもデカイし」
孝和が訪れたのは、マドックで評判の防具の専門店だ。店の中は冒険者や、そろいの制服を着たこのマドックの治安部隊と思われる人たちで溢れていた。昨日は武器のメンテ、今日はデュークに切り裂かれた皮鎧の代わりになるものを用立てに来ていた。
「へー。こんなの誰が着るんだ?」
孝和の目の前にあるのは、所謂フルメイルプレートである。ゲームなどでは、騎士なんかが装備している全身鎧だ。しかし、実際見てみると防御力はありそうだがどう考えても、これを着て移動なんてできそうに無い。暑苦しそうだし、もし火術とかで攻撃されたら全身大やけど確実である。形式美以外に実用性ってあるんだろうか?
冷やかしで見ていたそれにそんな感想を抱いて次に移る。店内はぎゅうぎゅうだ。こんな場所にキールはつれて来れないだろう。やはり、今回は一人でよかった。
「これ、すごいな。どれ位するんだろう?真ん中の宝石って、ルビー?」
今見ているのは盾である。全体が白い金属だが、真ん中に大きなルビーが付けられている。よくみると、そのルビーの中には魔術式が刻まれている。真龍の知識を利用して判断したが、高位の火術が封じられているようだ。
「お客様、そちらにご興味がおありですか?」
じっとその盾を見ていると、店員の男性がこちらにやってきた。ぱりっとしたスーツのような服装で、仕事が出来そうだ。
「いや、見てただけですよ。さすがにこんな高そうなもの、買えませんから」
冷やかしなんです。と正直に白状する。
「実は、先日皮鎧が壊れまして、代わりになりそうなものを探してるんです。できれば前までと同じような素材のものを探しているんです。これなんですが、ありますかね?」
そういうと、ダンブレンの店の鎧のパーツを店員に手渡した。一部だけだが、洞窟から帰るときに回収してきていたのだ。
「では、拝見します。ふむ、こちらは黒狼の毛皮をなめした物に、裏にマウラ杉の表皮で補強してあるもののようですね。こちらはお返しします。お客様は剣はお使いになられますか?それとも槍でしょうか?」
孝和に鎧のパーツを返却し、店員は尋ねた。
「剣を使います。よくわかりますね。これだけで?」
孝和は感心した。さすがはプロだ。
「いえ、こういった軽めの素材に、補強だけということは戦士職の方が多いですから。それにお客様の先ほどからの足裁きはそういった方に多いもので」
どうやら、任せても大丈夫なようだ。孝和はその店員の見立てに従い、軽装の黒狼の鎧と、硬糸を編みこんだ鎧の2種類を勧められた。実際に装着してみて、結局最初と同じ素材の軽装鎧に決めた。硬糸鎧も、プロが選んだだけあって、かなりの品ではあったが、少し肩にかかる重量がネックとなり、剣を2本持って振り回すには難しいため、あきらめた。
購入した鎧はそのまま着たままで、帰宿することにして料金を支払い防具店を後にした。
帰りがけに、果物屋でおそらく柑橘系の果物だろう物を何個か選び、購入して『陽だまりの草原亭』に帰った。鎧の寸法を合わせたり、いろいろ寄り道したのですでに周囲は真っ暗だ。戻ればちょうど夕食となるだろう。
「ただいま戻りました。キールいますか?」
食事の前に受付に寄り、キールを探す。しかし、どうやらタバサもキールもいない。タバサの代理の受付女性に聞くと、どうやらすでに酒場のほうに行っているらしい。
「今日は臨時で酒場のほうは閉めたんです。女将さんも一緒にそちらに行ったみたいですけど」
とのことだ。臨時休業?そんな予定は無いはずだが?
「じゃあ、酒場に行ってみるよ。ありがとう」
礼を言うと、受付女性は満面の笑みを浮かべている。何だろう?
その態度に疑問を感じながらも孝和は酒場のほうに向かって歩き出した。
「ばっはははは!どうだ!これが……!」「そうだ!これがあれば、あいつらに……」
酒場からものすごい大声で怒鳴り声が響く。誰か酔っ払って、暴れているんだろうか?
そんなことを考えながら酒場に足を踏み入れる。そこには昨日はいっぱいだった客席がガラガラという光景が広がっていた。
「タカカズ!やっと帰ってきたか!」
そういったのはダッチだった。孝和に気づき、奥のテーブルから両手をぶんぶん振り回している。そこには20名ほどのグループが宴会をしているようだった。ダッチはどうやらかなりのアルコールが入っている。顔どころか首もとまで真っ赤であった。
他のテーブルの上には椅子が載せられ、奥のいくつかのテーブル以外は片付けられているようだ。タバサは、確か隣の雑貨屋の女性と話していた。キールはその二人の間ではむはむと野菜をついばんでいるようだ。
「何かあったんですか?今日は夜の営業をするって話だったんじゃ?」
そう聞いている。その分も含めて昼前に、ダッチと木製のジョッキが砕けるような豪快な勢いの乾杯をしている肉屋の親父が肉の納品をしているのを見ているのだ。
「実はだな、タカカズ」
がっしと、肩をダッチに掴まれる。かなり目が据わっていて怖い。なんだろう。
「まあ座れ。話はそれからだ」
そのまま、さっきまでダッチが酒を酌み交わしていたテーブルに拉致される。酔っ払いに逆らってはいけない。この対処法はひとつ。自分も酔っ払うしかない。
目の前に突き出されたジョッキの中にはエールがなみなみと注がれていた。あまり酒に強くないが、仕方ない。ぐっと一気に半分ほど飲み干す。混沌としたそのテーブルには、ダッチと同じような真っ赤な顔の親父連中が集まっていた。女気などまるで無い。隣のテーブルにはタバサのほか、それと同年代のレディたちが、キールと戯れながらチビチビとワインを嗜んでいた。できればあちらのテーブルのほうがありがたい。しかし、キールのお土産の果物は、すでに孝和の手から離れ、タバサの手に移ってしまっていた。
「実はな、タカカズ。お前はマドック商店祭の第3商店区画の実行委員《料理部門》に選ばれた」
「……は?え、と、状況が全く見えないんですけど?何言ってるんです?」
「まあ、簡単に言うとだ。昨日・今日とこの店の売り上げは過去最高額だった!完売万歳!皆!拍手!」
何が簡単に言うと、だったのか。ダッチは急に立ち上がり、周りに拍手を求めた。
おい。待て。酔っ払い。
そのまま、隣の親父と乾杯を始めたダッチはどうにもならない。仕方なく放っておいて、まだ話を聞いても大丈夫そうなタバサに話しかけた。
「すんません。説明お願いします……」
「ああ、実行委員とかはジョークさ。酔っ払いなんだから気にしないでいいからね。まあ、来月にこのマドックで商店が主催するお祭りがあるのよ。そこで、今日から売り出されてるこの店の看板メニューで、他の通りの商店街に勝負を挑もう、ということになったのさ」
タバサもかなり酒が入っているようだ。顔はかなり赤い。
『ますたぁ~。がんびゃれぇ~。ぇへへええぇ~』
「!キ、キール?お前、酔っ払ってるのか?」
『ほおう、はっはあぅ。きもちいいかもぉ~』
念話であるというのに、その意思がふにゃふにゃで酷く判りにくい。いろいろな雑念が入ってきているようだ。完璧に酔っ払っている。
「タバサさん!なんで、キールに酒なんて……」
呆れ返ってしまう。とりあえずさっきのタバサの解説への説明は後だ。キールを正気に戻さなくては。
キールを持ち上げそのまま宿の受付に駆け出す。ここよりはいいだろう。受付の女性にキールを預け、テーブルから持ち出した果物と、水を手渡した。何とかこれで酔いが醒めればいいが…。
テーブルに戻るとさらに混乱は深まっていたようだ。タバサの横に座り説明の続きを聞くことにした。
キールが酔っ払ったのは不可抗力であった。テーブルにこぼれたワインから間違って吸収してしまったのだ。まあ仕方ない。
ダッチとタバサの言っていたことの要点を押さえてみた。わかったことは来月祭りがある。各商店街の対抗戦のようなものが行われる。その料理部門に『陽だまりの草原亭』が出場することが、昨日今日の客の入りで決定した。と、いうことであろう。多分。
「でも、料理じゃなくて、キールの人気で人が来てたんじゃないんですか?」
「まあ、それもあるんだけど。あんたの料理も結構話題だったのよ。今日の賄いも試しに出したら、大人気だったし」
あの二つを出したのか。まあ、シンプルで解り易いか。それに、マヨネーズとケチャップのお披露目としてはいいかもしれない。流行るといいなぁ。
そんなことを考えて、ジョッキのエールをちまちまやりながら、ここまでの経緯を聞いていた。
「それで、あんたにはうちのシェフとして、大会にでてもらうことになったから」
「あ、そうなん……。ごはっ。ぐえぇ。な、何ですって?」
いきなりの展開にむせた。盛大にエールが床にぶちまけられる。
「ほ、本人の了承はないんですか!?」
「いいじゃない。結構、料理するの好きなんでしょ?その代わり来月のお祭りまで、あの部屋代と食事代は半額にしてあげるから」
「……やります。やらせていただきます」
よかった。冒険者で稼げなければ、そんなに長く資金がもたないはずだったのだ。調べたところ、孝和の奥の手だった竜の鱗は、王都の魔術ギルド以外では取引できる場所が無いようなのだ。王都までは馬車で15日ほどかかるらしい。そこまでの旅費も無いのだ。何とかマドック周辺で拠点を見つけ、稼がなくてはならないと考えていた。この提案は願ったりかなったりだ。悲しいことだが、プライドだけでは食っていけないのだ。
その日は、マドックの商店祭に向け、第3商店区画の結束を確認する名目で深夜遅くまで宴会が続けられた。結果、孝和はかなりの寝不足で次の日を迎えることになる。
この次の日、そんな状態の孝和と、少量のアルコールに二日酔いとなったキールは新しい一歩を踏み出すことになる。目指す先は冒険者ギルド。こうして二人の前に、新たな道が開かれるのである。
ちょっと軽いノリの話ですが楽しんでいただけるとうれしいです。