第104話 黎明期【BEFORE COLOSSEUM】
ぱからぱから、と地面を蹴る馬の足音を響かせながら一団が通る。
もうマドックの街が見える位置まで戻ってきたこともあり、道をすれ違う者たちもいるのだが、その全員がぎょっとした顔をしてこちらを二度見してくる。
(……普通の感覚なら、まあそうなるだろうなぁ)
ぽりぽりと額を掻き、はぁとため息を吐いた孝和を先頭にした一団は、予定通りに「キールのひみつきち」からマドックへと帰還しようとしていた。
ただし、完全武装したゴブリンやらリザードやらが集結しているという、この辺りでは非常に珍しいというか剣呑な光景に、頭一つ飛び出たエメスの威容がそれを後押しし、周囲から浮いた存在となっているわけだ。
まあ、街の防衛に尽力したこともあり、ぎょっとした後には“ああ、そう言えば”みたいな顔に戻るのだが。
ただし、目立つのは仕方ないことである。
「なんか仰々しい割に特に収穫があったわけじゃないって、格好悪いよな」
『えー。こーらとかいっぱい、てにはいったっていわれたけどー?』
「あれなぁ、結構痛んでるのが多かったから売れないし。あと、ほとんどはゴブ達の装備品に加工するんだろ? だから、あんまり売れる量は無さそうだぞ」
「大所帯になったからね。……こういう形の大所帯を目指したわけじゃないんだけど」
孝和もアリアも、そこそこ経済観念は持っている部類だ。
こういう冒険者などという日銭を稼いでその日暮らしを続けるような商売をしているが、肩や日本の一般企業の管財部出身と、こちらの世界の武断派騎士団の運営に携わるインテリ貴族出身者。
人が増えて集団となり、それに伴う消耗品の発生やら人同士の折衝やら、そんな個々人で動く時とは違う出費や調整が間断なく発生することを十二分に理解している。
一言でいえばだ。
(超、めんどくせぇ。なんで、こんなところに来てまでソロバン弾いて伝票処理をせにゃならんのよ……)
とほほ、である。
しかも日本ではないので当然、手書きの紙に一つずつ書きこみ、自動計算の数式もPCもないのだ。
PCを使う現代人に明日からソロバン、ものさし、ボールペンで伝票処理をしろと命令すれば、それはもうパワハラだろう。
(アバウトすぎるんだよ、こちらの集計が。なんだよ、肉の計算するときの数量が“右前脚一本”って。いや、若かったりとか鮮度がどうとか肉付きがどうとかで変わってくるだろうに)
はぁ、とため息を一つ。
このままでは誰か物品管理に人を雇わねばならないのではないか。
本職のバイト生活でひーこらしている人間が、押し付けられた副業の為に人を雇う。
いや、どんな罰ゲームだ、それは。
「出かけるときよりも色々と整ってきてるんじゃない? 観覧席なんてほとんど完成してるじゃない」
アリアがマドックに近づいていく中で、街の外に整備中の石の舞台を見て感想を述べる。
行きがけに見たときと比べ、客席が仕上がりつつあった。
おそらく、仮でもいいので客を入れて儲けようという意向が働いたのだろう。
メインの舞台よりも、周りの出店とそこに向かうための道が整備されているように見えなくもない。
(あと、賭場な。あそこまで堂々とオッズ表貼ってあるってのは、信仰の場としてはまずくないか?)
一番金がかかっていそうなのがそこだというのが若干引いてしまう。
いくらなんでもあからさまなのはヤバすぎる。
「怒られるんじゃねえのかな。不謹慎だってさ」
「そうでもないと思うわよ」
と、おっしゃるのはアリア。
「戦いの中で金銭やら信念を賭けてっていうのは珍しくないし。そういう事を積極的に推奨はしないけどね。そこで問題として考えられるのは八百長だけど……」
そう言って、馬上から、舞台袖の辺りを指さす。
そこには賭場の次に金を掛けて整備されている簡易的な祭壇があった。周りには神殿関係者と思しき者たちも屯している。
そしてその後には、青空を指さす。
当然指示したのはいい天気の空ではなく、その向こうにいるどなたかなのだろう。
「少なくてもこの場でそんなことをするとなると、まあ残りの人生、目を付けられるでしょうね。どの神々なのかまでは言わないけど。碌なことにはならないってのだけは保証するわ」
「あはは、まあ当然だわなぁ。そんな怖いことはやろうと思ってもやれないかぁ……」
エメスとスクネの出来事から察するに、この場でそんな無粋な真似をすれば確実に神罰が降るだろうから。試してみるのは個人の自由だが、それに付き合うような狂人はそうそういないだろうことは分かる。
カミサマによほど喧嘩でも売ろうとするような奴は別だが。
「博打にも運・不運にも神はおわし、天に坐してるのよ。そこは、まあひどいことにならない程度に楽しんでもらえればいいんじゃない?」
「さいですか。……ま、俺はそういうのはあんまり得意じゃないからな。別に関係ないけど」
宝くじで万越えの当たりすら見たことが無い人間からすれば、そんな所に金を突っ込む人間の楽しみは理解できないわけで。
それにどう考えてもここ最近、運勢の値は急降下しているような気がするのだ。
今、大きく賭けたところで戻ってくるような気はまるでしない。
「神殿側にもメリットはあるしね。ああ、ほらあれよ」
「えーと? 金取ってる……。お布施?」
「そういう事」
視線の先には祭壇の前にいる関係者に幾ばくかの金銭を渡す二人の男。
仮設ではあってもすでに簡単な金銭を賭けた勝負は行われているようである。
上半身だけ半裸の二人が、そのまま舞台に上がると拳を突き合わせ、殴り合いを始める。
周囲からははやし立てるような声やらヤジが飛んで、まるで場末の酒場のケンカでも見ているような雰囲気だ。
「阿漕な商売っていうんじゃないのか?」
「そうでもないわ。ディア様が認めちゃったからね。周りの人間が問題ないように一生懸命色々と整えてたもの。あそこでお布施もらってるのは、いわば治療費だから」
「治療費?」
孝和が疑問符を浮かべる。
「こんな場で殴り合いってなれば、どうしたって怪我はするじゃない? 変な熱気に中てられて、いつもよりも無理したりやり過ぎちゃったりも。そうなると万が一っていう場合も多くなるわけ」
「まあ、な」
どんなにルールを厳格化し、双方がそれを順守したとしても、こういう場では万が一の事態、所謂リング禍は起こってしまう。
不慮の事故、という一言で片づけるのは簡単でも、それを起こらないようにしていく努力は選手だけでなく、その場を提供する側、プロデューサーにも当然必須なわけで。
「あそこに詰めている者は、最低でも回復魔術が使えることを最低条件にしているのよ。いざという時には必要だから」
「へぇー、なるほど」
要するにリングドクター的な役割の人間だ。
「回復魔術で人を癒すってのは、他の神々の神官連中も不満は無いし、何しろ経験も積めるしね。戦場で、とか魔物に襲われて、とか普通ならちょくちょく起きることでもないし」
そう言ったアリア。
だが、はてと悩むのは孝和である。
あれ、俺ここの所そういう事しかない気がするけどな、t。
「まあ、野営ができない若い修行中の子って結構いるのよ。貴族の子女とかなんだけどね。本当は外で経験を積ませるのも必要だけど、じゃあその子の護衛をいちいち出していかせたはいいけど、何も起きなければ無駄骨。何か起きた時に、もしかしたらその子が役に立たない。そんなことが年に何度かはあるのよ」
「年数回って結構な数じゃん」
「そういうこと。そうなるとえへへ、ごめんなさいってわけにもいかないでしょ? じゃあ、どこで回復魔術を学べばいいか。……その経験が簡単に積める、僅かばかりでもお布施がある、それで信仰を集めることもできる。その修行の場が賭場になってるってのは聞こえは悪いけど、上手いこと考える物よねぇ」
プロモーターの走りとでも言えるのだろうか。
これを大々的にしていけばPPVの格闘技イベントが道の先にある。
そんなおかしな思いを抱きながら孝和たちはマドックへと帰還していくのだった。