第102話 帰還【RETURN】
誤字脱字ご容赦下さい。
薄く朝もやが煙る中、孝和はゆっくりと瞼を開く。
簡易テントの中でくるまっていた毛布から体を抜けださせると、首をテントの外に出す。
「おはようございます。主」
「うん、おはよう。悪いな不寝番させちゃって」
「いえ、我はそういった休息は、必要としないので」
テントから顔を出した瞬間、声を掛けてきたエメスに軽く挨拶する。
不寝番として胡坐をかきながら目の前のたき火を絶やさぬようにしていたのだろう。
少しばかりつるつるとした光沢のあるエメスの表面が煤で汚れていた。
ふわぁぁと欠伸をしながら、土の上で寝ころんだことで固くなった体を伸ばす。
こきこきと体中の骨が音を発てる。
「なんか変わったことは?」
「いえ、特には。……リザードの方々が、朝食にと山鳥を狩りに出た程度かと」
「そっか」
ブーツを履くと、昨日のうちにキールに空樽の中に溜めておいてもらった水を手桶ですくい、顔を洗う。
ばしゃばしゃと勢いよく洗い、腰につけたボロ布で簡単にふき取る。
多少目元が腫れぼったくはなっているが、一応目は覚めた。
周りを見渡すと、すこし肌寒いこの外でゴブリン達が腹を出して毛布も掛けず、爆睡している様子が目に入る。
風邪でも引かねば良いのだが、若干の今更感がある。
恐らくではあるが、あいつ等は風邪をひかない気がした。
「なにか、ありましたか?」
「ん?いや、なんかこう落ち着かない感じがしてさ。……背筋がこう、何ともいえずむずむずするんだよ。……って、お前にはわかりにくいか」
「はい。そういった感覚は、理解し難く」
「……まあ俺の気のせいだろ。なんとなく目が覚めただけだ」
手をひらひらとさせて、エメスから離れて森へと向かう。
奥に設置してある簡易トイレ、という名の周りをボロ布で囲んだだけの穴へと。
その時である。
……ヒヒィィン……!!
遠くから馬の嘶きが小さいながらも間違いなく聞こえた。
そして、耳を澄ませればかなりの速度で駆ける蹄の音も。
その音が徐々にこちらへと近づいてくるのを感じ、孝和は少しべたべたした首を強く掻く。
(なんだよ。……こっちは寝起きだってのに?)
そう思っていても音は徐々に近づいてくる。
ああ、朝から面倒なことになりそうだと孝和はとりあえずトイレへと向かうのだった。
「ギャギャ、ギャギャ、ギギャッ!ゲーギャー、ギャッ!」
おそらく人間でいう鼻歌のようなものだと思われる、調子っぱずれの自作のメロディーを口ずさみながら、旧盗賊拠点改め、キールのひみつきち(正式名称はまた違うのだが)で洗濯をしているゴブリンがいた。
わしゃわしゃとタライいっぱいに先日、盗賊どもからはぎと……、いや強だ……、いや鹵獲した衣類を洗い上げている彼、仮に洗濯ゴブとしよう。
洗濯ゴブが朝メシを食べてから楽しそうに洗濯にいそしんでいる時であった。
まだうっすらと朝もやが煙る中、早起きした彼は昨日隊長のキールから命じられた任務、とりあえず全部をお洗濯すること、を忠実に実行していたのである。
洗濯してタライの中にある水がどす黒い匂いを発して、それを入れ替えてまた洗いなおして、と中々に骨の折れる作業であったのだが、丸一日を経てようやくその任務にも終わりが見えてきたところだ。
ぱんぱんと物干しざおに服を干していくところで、森の奥から香る匂い。
くんくんとそれを嗅ぎ取ると、まだ干されていない衣類をタライへと戻して、ひみつきちへと戻っていく。
中にいるはずのリザードの友人たちに伝えねばなるまい、と思って。
予定よりもだいぶ早く、仲間たちや隊長や親分が戻って来たのだから。
「なんか、いっつも洗濯物が翻ってる気がするな。うちの拠点」
「しかも全部どことなく汚らしいうえに野蛮な感じの装飾のある、ね」
拠点へと戻って来た孝和とアリアが馬上からそうつぶやく。
屋上のシーツはぱたぱたと風になびき、庭一面の物干し竿には古びた服からマント、洗えそうな盾や武具、それにぱんつが翻っている。
いったいどこの合宿所だと言いたくなるような光景であった。
「まあ、いいか。わるい、馬頼む」
「ワカッタ。アズカル!」
馬の横まで駆けてきたゴブリンへと自分の死霊馬とアリアの馬を渡し、ひみつきちへと足早に移動する。
その後ろでは同じように自分の馬をおっかなびっくりでゴブリンに預ける、冒険者然とした男の姿。
ギルド所属のその男は同じく冒険者ギルドから来ている連絡員と連れだって魔物の巣窟でしかないそのひみつきちへと重い足を進ませていた。
(……そこまで警戒しなくてもなぁ。ちょっとショック)
若干麻痺気味の孝和と違い、ギルドの男どもはまともな思考を持っているのである。
普通の神経ではゴブリンとヘビーボアがうろつくこんな場所でへらへらとしていられる方が"イカレて"いると判断するはずだ。
1階にある大人数で食事の出来るテーブルへとギルド職員を案内しつつ、人数分のカップを取りに台所へと向かう。
「……言い訳できないくらいにサボってんな、お前」
扉から見えない位置にちょうどゴブリン1人分のスペースが開いており、ふがふが、と寝言を言いながら、ゴブリンが仕事をサボって寝ていた。
手には生の齧りかけの芋が握られており、なかなかに図太い神経をしているようだ。
「しかも、コイツあの時の見張りしてたゴブリンじゃんか。相変わらずだなぁ」
じっと見つめているが、よくお休みになっているのかまるで起きる気配すらない。
しかたない、と思い孝和が動く。
両手を大きく広げ、打ち鳴らす。
パァァァン!!!
「ギャッ!?」
ごんっ!
「ぎゅぉぉぉ……」
打ち鳴らした音に驚き、飛び起きたところで頭近くに置いてあった木桶に強かにぶつかったようである。
額を押さえて痛そうにしている。
「仕事しろよ、お前……。皆、洗濯したり周りの柵直したり色々やってんのに……」
「……ガァウゥゥ……」
なでなでとたんこぶになりそうな勢いでぶつけた頭の痛みでようやく目覚めたゴブリンはバツが悪そうにこっそり齧りかけの芋を背に隠す。
買い食いしてきたのがばれた小学生みたいなことをしている。
「えーと、食器食器……」
棚に置かれた食器からコップを探す。
汚いものもあり、かなり廃棄処分になったものもあるが、比較的大丈夫そうなものに関しては、念入りな洗浄後にこの食器棚に収められていた。
そこでひょいひょいといくつかコップを掴んで広間のテーブルへと戻る。
出口に向かう瞬間にちらと後ろを見ると、サボっていたゴブリンが食べ残しの芋を大口を開けてまさに齧りつこうとしたタイミングだった。
双方の視線が交錯する。
一方は呆れ切った表情で、もう一つはどこかテレの入った表情で。
はぁ、とため息とともに孝和はその場を後にする。
恐らくだが、あのゴブリンはどう言っても治らない気がした。
本当に久しぶりで、ごめんなさい。
いや、次がいつになるか全くわからんので。期待せずにね?