第零話 異世界へ行く前に彼のことを話そう(人物批評)
初投稿です。いろいろ間違いもあると思います。暖かく見守ってくれることを期待します。では、よろしくお願いします。
本来、多くの場合ある世界から他の世界への移動というのは大別して2種類に分けられる。特定の理由をもった何者かによる召還か、奇跡にも近い偶発的事故のどちらかに分けられる。
今回の場合については前者であった。
八木孝和(25歳)、事務職2年目、彼女なし、趣味はネットサーフィン・ゲーム・雑学・ベランダの家庭菜園の世話・食べ歩きである。
仕事については事務職とは名ばかり、ほとんどは先輩の後ろにへばりつき荷物運び・修繕といった体力仕事を任されていた。まあ、採用時の面接時に
「キミ、体力に自信ある?」
と問われ、
「はい!」
と答える前に、
「うん、ダイジョブそーだね」
と面接官が勝手に判断してしまった。
ちなみに186cm87kgの体格がその判断基準だったようある。
ただし、先にも述べたとおり趣味は基本草食系男子(オタク寄り)のためそこまで評価されるのは先走りすぎではないかと本人は思っている。スーツ姿があまりにもスポーツマンぽく見えたのも一因であろう。まあ、確かに体力はある。だが、面接の内容としてはあんまりではないだろうか。
ちなみにこのときに一緒に採用された同期の佐伯は
「鍛えているやつ以外の何に見える」
と、呆れながらもそう教えてくれた。(佐伯は面接時の質問はキッチリ答えさせられたとのこと)
孝和自身は勝手に企業側が判断したのだから「ま、別にいっか」ということでそのまま内定をもらい、大学を卒業し、そこに無事就職したのである。
ほぼ雑用という職場ではあるが孝和自体はそんなに不満はなかった。他の多くの学生と同じく就職活動という戦場が目の前に広がり、なかなか内定という次へのステップが手に入らない者も多い中で社会人への第一歩を踏み出すことができたのだから。
どちらかというと職場への感謝のほうが大きい。自分自身は口下手で人付き合いも不得手としていたから、対人関係の多い営業や窓口対応をしなくても良いこの職場はまさにピッタリだった。
15年前、家族は死んだ。姉の小学校の卒業式の帰りに自動車事故に巻きこまれたのだ。相手側のトラックがハンドル操作を誤ったのが原因ということだった。そのときの事故に孝和は巻き込まることはなかった。卒業記念に、デリバリーのピザを頼んでいたから家で留守番をしていたからだ。
自宅でいつまでも帰ってこない家族を待っていた孝和は、警察からの電話が鳴り響いたあのときの光景を今でも夢に見る。
相手側のほうの責任が大きいということで多額の賠償金と、掛けていた保険のおかげで多額の財産を手に入れた彼のもとには多くの“自称”親戚たちが集まることになる。それらの多くはまさに“自称”であり、孝和とは今まで接点がなかった者達だった。
よくある三文小説のような話、まったく理由のわからないことで失った家族、金のにおいに敏感な親戚連中、そして誰も助けてはくれないことへの絶望から彼はあまり誰とも話さなくなった。軽い対人恐怖症になったといってもいい。
誰も愛さない、誰も信じない、そんな孝和の不幸な日常に一筋の光がさした。
祖母の弟という人物が現れたのだ。最初は孝和もそれは反発した。今まで自分の周りに来た“自称”親戚と変わりないと思っていた。ただ、その時点で今までの孝和にあったはずの資産はほとんど残ってはいなかったので、真意を掴めないことも事実だった。
だが彼、結城法寿は違った。まず第一声が
「こっちを向け、バカモン」
だったのである。いままでの孝和にとって初めて出会う人物は、すべて敵であった。目を合わせず過ぎ去ってくれることを唯一の解決策だった。
今度もまた同じ日々が続くのか、と何度も繰り返された転校により少なかった友人も全ていなくなり、孝和の心はゆっくり、確実に腐っていった。
「まずは挨拶。次に笑顔。最後に鍛錬」
保護者となった法寿の言葉である。孝和は挨拶と笑顔を叩き込まれた。このことがいい影響を孝和に与えたのは間違いない。
「人生どうにもならないなりに、何とか生きていけるもんだ」
これは、2年ほどして悟った孝和の座右の銘である。大きな声で挨拶をして、バカみたいに笑い、足腰が立たないほどの拷問(?)に近い鍛錬。これが卑屈だった心を前に進めることを乱暴であったが可能としたのだ。
保護者の法寿は陶芸家であり剣術家であった。陶芸自体は60を過ぎてから始めたが国内ではそこそこの評価を受け、日常の生活を支えていた。
家の中では法寿はバラエティ・音楽番組の好きなファンキーなジジイであった。最新式のミュージック・プレイヤーにはダウンロードされた曲が演歌からJポップ、洋楽の最新チャートまでぎっしりだったことがその一例といえる。
孝和に某漫才コンテストに二人で組んで出ないかと誘ってきたときにはさすがに引いたが。
孝和にとって楽しい暖かな家族であったが、法寿は剣術家としては鬼だった。引き取られた中学2年からの鍛錬は壮絶であり、週3で通うほかの弟子と違い、放課後はみっちりと鍛えられ夏季・冬季休暇は武道場の床でほぼ雑巾になっていた。
そんなこともあり
「皆伝を与える。明日からは師範だ」
となるまで時間はかからなかった。
20歳で鍛錬からの卒業となり、抑えていた反動で一気に草食系男子の道をまっしぐら。
「俺はっ!!自由だー!!」
と叫んだ翌日、自由だと考えてはいたが、だからといって人見知り程度にまで落ち着いた軽度の対人恐怖症の人間に、急に自分の未来像を描けと言われてもピンと来る訳がない。
そのため、オタク趣味以外は、それまでと変わらず日常と化していた鍛錬を続け、そんな日々がそのまま続いた。
孝和が大学を卒業してすぐの3年前に法寿は亡くなった。脳卒中であった。それを予期していたわけではなかろうが、
「なかなかこの人生は、楽しかった。有意義というのはこういうことだな」
という夕食の会話が最後の言葉となった。
孝和はそれに、軽く照れ笑いを浮かべ、穏やかに最後の会話をすることができたのを非常に幸運だったと感じている。
仰々しい場が好きでなかった彼のため、簡素な葬儀を終え、身の回りの整理をした。
道場は高弟の一人に引き継いでもらい(年若い孝和よりも、彼のほうが適任だと納得している)、自分は道場兼自宅を譲り渡した遺産をもとに一人暮らしを始めた。楽しかった思い出、日常のちょっとした感謝、鍛錬に対するちょっとした不満、その他もろもろの感情を胸に孝和は法寿との生活に終止符を打ち、新生活を始めた。
そして新生活2年目、スーパーの帰り道から物語が始まる。