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第7章「狐送りの夜」


♦︎♦︎♦︎湖畔での再会♦︎♦︎♦︎


午前十時。悠真が湖畔に着くと、涼と結衣が既に待っていた。


二人は湖を見つめながら静かに話をしている。その光景は、まるで絵画のように美しく、同時にどこか非現実的だった。


「悠真!」


結衣が気づいて手を振った。明るい笑顔で駆け寄ってくる。


「おはよう。待たせてごめん」


「ううん、私たちも今来たところよ」


結衣の笑顔は、記憶の中と全く同じだった。天真爛漫で、人懐っこい笑顔。


「体調はどう? 昨日は顔色が悪かったけど」


涼も心配そうに尋ねた。


「少し良くなったよ。ありがとう」


悠真は曖昧に答えた。実際には、記憶の混乱は続いているし、現実認識も揺らいだままだった。


「それは良かった。やっぱり故郷の空気が一番ね」


結衣が嬉しそうに言った。


三人は湖畔のベンチに座った。悠真は二人の間に座ることになり、なんとなく気まずい感じがした。


「今日は狐送りの日なのよ」


結衣が話題を振った。


「狐送り?」


悠真は首を傾げた。その行事については、記憶が曖昧だった。


「知らないの? 毎年この時期にやる村の伝統行事よ」


結衣が説明してくれた。


「各家の灯篭を湖に流して、一年の厄を払うの。とても神秘的で美しい儀式なのよ」


「そうそう。悠真も子供の頃、よく見に来てたじゃないか」


涼が補足した。


しかし悠真には、そのような記憶がはっきりしなかった。漠然とした記憶はあるが、詳細は思い出せない。


「今年も参加するでしょ?」


結衣が期待を込めて尋ねた。


「もちろん」


悠真は頷いた。この二人の正体を確かめるためにも、村の行事に参加する意味はある。


♦︎♦︎♦︎午後の時間♦︎♦︎♦︎


午後は三人で村を散歩した。


結衣と涼は、まるで昔からの親友のように自然に会話している。悠真も時々話に加わったが、どうしても疎外感を感じてしまう。


二人の関係性が、悠真には理解できなかった。恋人なのか、親友なのか、それとも別の関係なのか。しかし確実に言えるのは、二人の間には深い絆があるということだった。


「そういえば悠真、東京での仕事はどうなの?」


結衣が尋ねた。


「実は、辞めたんだ」


悠真は正直に答えた。


「そうなの? 大変だったのね」


結衣は同情的な表情を見せた。


「でも、それも運命かもしれないわよ。こうやって村に帰ってこられたんだから」


その言葉に、悠真は複雑な気持ちになった。確かに失業がなければ、祖母の葬儀以外で村に帰ることはなかっただろう。


「今度は何をするつもり?」


涼が尋ねた。


「まだ決めてない。とりあえず転職活動を再開するつもりだけど」


「急がなくてもいいんじゃない? しばらく村にいても」


結衣が提案した。


「そうそう。都会の生活で疲れてるみたいだし、故郷でゆっくり休んだ方がいいよ」


涼も同調した。


二人の提案は魅力的だった。しかし同時に、何か罠のような気もした。


♦︎♦︎♦︎夕暮れの準備♦︎♦︎♦︎


夕方になると、村人たちが狐送りの準備を始めた。


各家から灯篭が運び出され、湖畔に集められる。小さな石灯篭だが、どれも丁寧に作られている。


悠真も祖母の家の灯篭を運んだ。思ったより重く、歴史を感じさせる代物だった。


「これも古いものなんですね」


運搬を手伝ってくれた田中村長に悠真が言った。


「ああ、君のお祖母さんの家の灯篭は特に古い。江戸時代から続く家系だからな」


村長の表情は、いつもより真剣だった。


「今夜の儀式には、特別な意味がある」


「特別な意味?」


「この時期は、あちらの世界との境界が薄くなる。だからこそ、しっかりとした儀式が必要なんだ」


村長の言葉は、昨日聞いた伝承を思い起こさせた。


「悠真くん、今夜は十分注意するように」


村長は悠真の目を見つめて言った。


「何を注意すれば?」


「湖面を見つめすぎてはいけない。そして、不自然な現象があっても、動揺してはいけない」


村長の警告は、具体的で深刻だった。


## 儀式の始まり


日が落ちると、狐送りの儀式が始まった。


村人たちが湖畔に集まり、それぞれの家の灯篭を手に持つ。夜闇の中で、灯篭の青白い光が幻想的な雰囲気を作り出している。


田中村長が儀式の司会を務めた。


「今年も狐送りの時を迎えました。先祖代々受け継がれた、大切な儀式です」


村長の声が、静かな夜に響く。


「この灯篭には、我々一人一人の魂が宿っています。湖に流すことで、一年の厄を払い、新たな年への祈りを捧げます」


儀式の説明を聞きながら、悠真は周囲を見回した。村人たちは皆、真剣な表情で儀式に参加している。


涼と結衣も、少し離れた場所に立っていた。二人も灯篭を手に持ち、儀式に参加している。


「それでは、順番に灯篭を流してください」


村長の合図で、儀式が本格的に始まった。


## 灯篭流し


最初に村長が自分の灯篭を湖に浮かべた。


灯篭は静かに水面に浮かび、ゆっくりと湖の向こう岸に向かって流れ始めた。青白い光が水面を照らし、神秘的な光景を作り出す。


続いて他の村人たちも、順番に灯篭を流していく。一つ、また一つと、湖面に光が増えていく。


悠真の番が来た。祖母の家の灯篭を手に取り、湖の縁に膝をついた。


「おばあちゃん、安らかに」


悠真は心の中で祈りながら、灯篭を水面に浮かべた。


灯篭は他のものと同じように、静かに流れ始めた。その光を見つめていると、祖母の存在を感じるような気がした。


涼と結衣の番になった。二人は一緒に湖の縁に行き、同時に灯篭を流した。


二つの灯篭は並んで流れ始める。まるで寄り添うカップルのように、美しい光景だった。


すべての灯篭が流され、湖面には数十の光が浮かんでいた。それは本当に美しく、神秘的な光景だった。


通常なら、すべての灯篭が湖の向こう岸まで流れて行き、やがて光が消えて儀式は終了する。


しかし——


♦︎♦︎♦︎止まった灯篭♦︎♦︎♦︎


一つだけ、湖の中央で止まってしまった灯篭があった。


他の灯篭は順調に流れているのに、その一つだけが動かない。まるで何かに引っかかっているかのように、湖の真ん中で静止している。


村人たちがざわめき始めた。


「あれは誰の灯篭だ?」


「こんなことは初めてだ」


「不吉な前兆では?」


不安の声が湖畔に響く。


田中村長が双眼鏡で確認した。


「あれは——白石家の灯篭のようですね」


涼の家の灯篭だった。


「涼くん、何か心当たりはあるかい?」


村長が涼に尋ねた。


「いえ、特には」


涼は困ったような表情を見せた。


「初めてのことなので、よく分からないです」


その言葉に、悠真は違和感を覚えた。涼が「初めてのこと」と言ったのは、狐送りの儀式に参加するのが初めてという意味だろうか。しかし他の村人たちの話では、涼は昔からこの村にいるはずだ。


「とりあえず様子を見よう」


村長が決断した。


「もしかすると、しばらくしたら流れ始めるかもしれない」


しかし時間が経っても、灯篭は動かなかった。湖の中央で光り続けている。


♦︎♦︎♦︎直会での観察♦︎♦︎♦︎


儀式の後、村の公民館で直会が開かれた。


参加者たちが集まり、お酒や料理を楽しみながら談笑する。本来なら和やかな時間のはずだが、今夜は皆、灯篭のことが気になっているようだった。


悠真は涼と結衣の様子を観察していた。


二人は自然に隣同士に座り、親しげに話をしている。その関係性は、まるで昔からの恋人同士のようだった。


「二人は付き合ってるの?」


悠真は近くに座っていた美香に小声で尋ねた。


「え? 誰と誰?」


「涼と結衣だよ」


「さあ、どうかしら。でも仲がいいのは確かね」


美香の答えは曖昧だった。


悠真は二人の会話に耳を澄ませてみた。


「今度の休みに、山の方に行ってみない?」


涼が結衣に提案していた。


「いいね。あの場所、久しぶりに行きたかったの」


結衣が嬉しそうに答える。


「あの場所」というのが何を指すのか、悠真には分からない。しかし二人だけの特別な場所があるらしい。


「悠真も一緒に来る?」


結衣が悠真を振り返った。


「え? いいの?」


「もちろんよ。三人で行けば楽しいわ」


結衣の提案は自然だったが、悠真には罠のような気がした。


「考えておくよ」


悠真は曖昧に答えた。


♦︎♦︎♦︎村人たちの不安♦︎♦︎♦︎


直会が進むにつれて、村人たちの不安は深まっているようだった。


「灯篭が止まるなんて、これまでになかったことだ」


「何かの前兆じゃないだろうか」


「昔から、異常なことが起こると村に災いが降りかかると言われている」


そんな話が、あちこちで聞こえてくる。


田中村長も心配そうな表情を浮かべていた。


「村長、大丈夫でしょうか?」


悠真が尋ねると、村長は深刻な顔をした。


「正直に言うと、心配だ。このような異変は、古い記録にも残っていない」


村長の不安が、悠真にも伝わってきた。


「何か対策はあるんですか?」


「今のところは様子を見るしかない。朝になれば、何らかの変化があるかもしれない」


しかし村長の表情は、楽観的ではなかった。


♦︎♦︎♦︎二人だけの世界♦︎♦︎♦︎


直会が終わりに近づく頃、悠真は涼と結衣が外に出ていくのを見た。


二人だけで話をするためらしい。悠真は好奇心に駆られて、こっそりと後を追った。


公民館の裏手で、二人は静かに話をしていた。


「今夜のことは、予想外だったね」


涼が言った。


「そうね。でも、そろそろ時が来たということかもしれない」


結衣の答えに、悠真は身を潜めた。


「悠真のことは、どう思う?」


涼が尋ねた。


「可哀想だと思う。でも、これも運命よ」


結衣の声には、どこか冷たいものが混じっていた。


「彼には気づかれていないよね?」


「まだ大丈夫だと思うけど、そろそろ限界かもしれない」


二人の会話は、悠真には理解できない内容だった。しかし確実に、自分に関することを話している。


「もう少し時間をかけた方がいいかもしれない」


涼が提案した。


「でも、あまり長引かせると危険よ。村の人たちも気づき始めている」


結衣の答えには、急迫感があった。


「分かった。じゃあ、予定通り進めよう」


涼が決断した。


「明日の夜に?」


「そうしよう」


二人は何かの計画について話しているようだった。そして、それは悠真に関係することらしい。


悠真は恐怖を感じた。二人の正体が何であれ、自分にとって危険な存在であることは間違いない。


♦︎♦︎♦︎湖底への沈降♦︎♦︎♦︎


深夜になり、悠真は一人で湖畔を訪れた。


止まっていた灯篭がどうなったか、確認したかったのだ。


湖に着くと、灯篭はまだ中央に浮かんでいた。しかし光は弱くなっているようだった。


悠真は湖畔のベンチに座り、灯篭を見つめていた。


その時、灯篭がゆっくりと沈み始めた。


光は次第に弱くなり、やがて水面下に消えていく。まるで湖の底に引きずり込まれるように。


完全に沈んでしまうと、湖面は元の静寂を取り戻した。月光だけが水面を照らしている。


「何が起こっているんだ?」


悠真は呟いた。


灯篭が沈んだということは、涼の家に何らかの異変が起こったということなのだろうか。それとも、別の意味があるのだろうか。


田中村長の説明によれば、灯篭は村人の魂に対応している。だとすれば、涼の灯篭が沈んだということは——


悠真は考えるのをやめた。あまりにも恐ろしい結論に達しそうだったから。


しかし一つだけ確実に言えることがあった。


明日の夜、何かが起こる。


涼と結衣の会話から、それは確実だった。そして、それは悠真にとって危険なことかもしれない。


悠真は立ち上がり、家に向かった。明日に備えて、しっかりと休む必要がある。


歩きながら、悠真は決意を固めた。


真実を知るために、どんな危険があっても立ち向かう。


この村で起こっている異常な出来事の正体を、必ず突き止める。


そして、涼と結衣の本当の正体も。


湖の水面が、悠真の後ろで静かに波紋を描いていた。まるで何かが水中から見上げているかのように。


しかし悠真は、それに気づくことはなかった。

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