第2章「知らない同級生」
♦︎♦︎♦︎村を挙げての葬儀♦︎♦︎♦︎
翌朝は雲一つない快晴だった。祖母の葬儀にふさわしい、穏やかな天気。悠真は早朝から身支度を整え、葬儀社の人と最終的な確認を済ませた。
午前九時頃から、村の人たちが続々と手伝いにやってきた。小さな村の葬儀は、まさに村を挙げての行事だった。男性たちは会場設営や受付の準備を、女性たちは料理の準備を手際よく進めていく。
悠真は喪主として挨拶回りをしたが、村の人たちの結束力に改めて驚かされた。誰に頼まれるでもなく、それぞれが自分の役割を理解し、黙々と作業を進めている。都会では失われてしまった、共同体としての絆がここにはまだ残っていた。
「悠真くん、久しぶりだな」
振り返ると、中年の男性が微笑みかけていた。村の商店を営む田村さんだった。悠真が子供の頃、よくお菓子を買いに行った店の主人だ。
「田村さん、お忙しい中ありがとうございます」
「いやいや、静さんにはずいぶんお世話になったからな。これくらいは当然だよ」
田村さんの言葉からも、祖母が村でどれほど慕われていたかが分かる。悠真はその事実を誇らしく思うと同時に、自分が祖母のことをどれほど知らなかったかも痛感していた。
午前十時、葬儀が始まった。
村の公民館を借りて行われる葬儀には、想像以上の人が集まっていた。悠真の親戚だけでなく、村の住人のほとんどが参列している。祖母の人柄を物語る光景だった。
お経が流れる中、悠真は祖母との思い出を振り返っていた。厳格だったが愛情深かった祖母。いつも孫の悠真を温かく迎えてくれた。そんな祖母がもういないという現実は、まだ完全には受け入れられずにいた。
葬儀が滞りなく進み、出棺の時間になった。祖母の棺は村の人たちの手によって霊柩車まで運ばれる。悠真は最後のお別れを告げながら、これで本当に祖母との時間が終わってしまうのだと実感した。
火葬場での時間は静かに過ぎた。親戚や村の代表者たちと共に、最後の時を過ごす。骨上げの際、悠真は祖母の遺骨を丁寧に骨壺に収めた。重さはほとんどなかったが、その軽さがかえって祖母の不在を強調しているようだった。
午後二時頃、一行は村に戻ってきた。
♦︎♦︎♦︎懐かしい再会♦︎♦︎♦︎
精進落としは村の公民館で行われることになっていた。悠真が会場に着くと、既に多くの人が集まっていた。その中には、懐かしい顔も混じっている。
「悠真!」
声をかけてきたのは、同級生の山田健一だった。体格のいい男性で、子供の頃から悠真の友達だった。今は村で農業を営んでいるという。
「健一、久しぶり。元気そうだな」
「お前もな。東京での生活はどうだ?」
「まあ、それなりに」
悠真は曖昧に答えた。失業中だということは、やはり言いづらかった。
「そうか。俺は結局村を出なかったからな。でも最近は農業も面白くなってきてるよ」
健一の表情は満足そうだった。自分の選択に後悔はないという感じだ。悠真は少し羨ましく思った。
他にも、何人かの同級生が挨拶に来た。佐藤美香、鈴木拓也、高橋由紀——皆、それぞれの道を歩んでいるようだった。結婚した者、村を出た者、家業を継いだ者。十年という時間の重さを感じる。
しかし皆、基本的には子供の頃と変わらない雰囲気を持っていた。都会的な洗練はないが、素朴で温かい人柄は昔のままだ。悠真は彼らと話していると、自分も子供の頃に戻ったような気分になった。
「悠真くん、お疲れさまでした」
振り返ると、見知らぬ男性が立っていた。
二十代半ばくらいで、爽やかな印象の青年だ。背はそれほど高くないが、整った顔立ちをしている。服装もセンスが良く、都会的な雰囲気を漂わせていた。
しかし悠真には、全く見覚えがなかった。
「あの、どちら様でしょうか?」
悠真が戸惑いながら尋ねると、青年は少し驚いたような表情を見せた。
「え? 僕だよ、白石涼。同級生の」
白石涼。その名前にも聞き覚えはなかった。悠真は記憶を辿ろうとしたが、どうしても思い出せない。
「すみません、ちょっと記憶が曖昧で……」
「そうか、久しぶりだからな。でも君のことはよく覚えてるよ。小学校の時、よく一緒に湖で遊んだじゃないか」
涼は人懐っこい笑顔を浮かべながら言った。しかし悠真にはその記憶がまったくなかった。自分の記憶力に自信がないわけではない。特に子供時代の友達のことは、ほとんど覚えているはずだ。
「悠真、涼じゃないか。久しぶりだな」
健一が横から声をかけてきた。明らかに涼のことを知っている様子だった。
「健一も元気そうだな。農業の調子はどうだ?」
「おかげさまでね。涼も相変わらず仕事熱心だな」
二人は自然に会話を始めた。明らかに昔からの知り合いという感じだ。悠真は混乱した。健一は確実に同級生だし、その健一が涼を知っているということは……
「悠真、どうした? 顔色が悪いぞ」
健一が心配そうに声をかけた。
「いや、ちょっと疲れてるだけかも」
「そりゃそうだ。葬儀は疲れるからな。無理しちゃだめだぞ」
涼も心配そうな表情を見せた。その気遣いは本物のようだったが、悠真にはどうしても彼のことが思い出せなかった。
♦︎♦︎♦︎詳しすぎる記憶♦︎♦︎♦︎
精進落としの席に着くと、悠真は涼の隣に座ることになった。周りには他の同級生たちも座っており、自然と昔話が始まった。
「そういえば、中学の時の修学旅行、面白かったよな」
美香が話題を振った。
「ああ、京都だったな。悠真が清水寺で転んだのを覚えてるよ」
涼が笑いながら言った。
悠真は驚いた。確かに修学旅行で転んだ記憶はある。しかし、それはごく些細な出来事で、他の人が覚えているとは思わなかった。
「そんなことまで覚えてるのか?」
「印象に残ってるからな。君、結構派手に転んだじゃないか」
涼の記憶は妙に詳細だった。しかし悠真には、涼がその場にいた記憶がまったくない。
「小学校の時の運動会も懐かしいな。悠真のリレーのアンカー、すごかったよ」
今度は拓也が話に加わった。
「ああ、あれは見事だった。最後の直線で三人抜きしたんだっけ?」
涼がまた詳細な記憶を披露する。確かにそういうことがあったが、ここまで詳しく覚えている人がいるとは思わなかった。
「涼の記憶力、相変わらずすごいな」
健一が感心したように言った。
「昔から、いろんなことをよく覚えてたもんな」
他の同級生たちも頷いている。まるで涼の記憶力の良さは、昔から有名だったかのような反応だった。
しかし悠真には、そんな涼の存在自体の記憶がない。
「ねえ、涼って昔からこの村にいたの?」
悠真は直接的に尋ねてみた。
「もちろんだよ。生まれた時からずっとここにいる」
涼は当然というような表情で答えた。
「そうそう、涼の家は村の奥の方にあるんだ」
美香が補足した。
「あの古い家だろ? 確か代々続いてる家だよな」
拓也も同調する。
皆、涼の存在を当然のものとして受け入れている。悠真の記憶だけが、明らかに欠落しているのだった。
「悠真、本当に大丈夫? さっきから変だぞ」
健一が再び心配そうに声をかけた。
「いや、ただちょっと……記憶が曖昧で」
「疲れてるんだよ。東京での生活は大変だろうし」
涼が優しく言った。
「そうそう、都会の生活は大変だからな」
他の皆も同調した。しかし悠真には、彼らの反応が妙に統一されているように感じられた。まるで示し合わせたかのような——
いや、そんなことはないはずだ。きっと自分の記憶違いなのだろう。
♦︎♦︎♦︎違和感の正体♦︎♦︎♦︎
宴席が進むにつれて、悠真の違和感は増していった。
涼は確かに同級生たちと自然に会話している。昔話も詳しく、村のことにも精通している。どう見ても、昔からの村の住人だった。
しかし悠真の記憶には、彼の存在がまったくない。
それも、単に忘れているというレベルではない。小学校、中学校を通じて、クラスメイトの顔と名前はほとんど覚えている。特に親しかった友達については、詳細な記憶もある。
なのに、なぜ涼だけが記憶にないのだろう?
「そういえば悠真、例の件はどうなった?」
涼が突然、意味深な質問をした。
「例の件?」
「ほら、高校の時に話してた、将来の夢のこと」
悠真は首を傾げた。高校時代の将来の夢について、具体的に誰かと話した記憶はない。特に涼とは——そもそも涼を知らないのだから。
「ちょっと覚えてないな」
「そうか。まあ、昔の話だからな」
涼は軽く流したが、その表情には微妙な影があった。まるで何かを確認しようとしたかのような——
「涼って、高校はどこに行ったんだっけ?」
悠真は試しに聞いてみた。
「隣町の高校だよ。君と違う学校になっちゃったから、あまり会わなくなったけど」
「ああ、そうだったっけ」
悠真は曖昧に相槌を打った。しかし実際には、涼が高校に行ったという記憶もない。
「でも時々会ったよな? 長期休暇の時とか」
「まあ、そうだったかも」
悠真はますます混乱した。涼の話は具体的で、嘘をついているようには見えない。しかし自分の記憶とはまったく合わない。
「悠真、本当に疲れてるみたいだな。早めに休んだ方がいいんじゃないか?」
健一が心配そうに言った。
「そうですね。少し休ませてもらいます」
悠真は席を立った。外の空気を吸って、頭を整理したかった。
## 村人たちの証言
公民館の外に出ると、何人かの村の大人たちが話をしていた。悠真は彼らに声をかけてみることにした。
「お疲れさまです」
「悠真くん、お疲れさま。いい葬儀だったよ」
村長の田中さんが振り返った。七十代の温厚な老人で、悠真が子供の頃からの知り合いだ。
「ありがとうございます。ところで、白石涼さんって、昔からこの村にいましたっけ?」
悠真は何気なく尋ねてみた。
「涼くん? もちろんだよ。あの子は小さい頃からいい子でね。君たちと一緒によく遊んでたじゃないか」
田中さんは当然というような表情で答えた。
「白石家は代々この村にいる古い家だよ」
隣にいた別の男性も同調した。
「涼くんの両親も、いい人たちだった。残念ながら早くに亡くなってしまったが」
「今は一人で暮らしてるのかしら?」
女性の一人が心配そうに言った。
「ああ、でも立派に家を守ってるよ。感心な若者だ」
皆、涼のことを当然のように知っていた。そして好意的に話している。まるで長年の付き合いがあるかのように。
「でも、確か涼くんの家って、ちょっと変わった場所にあるのよね」
女性の一人がつぶやいた。
「変わった場所?」
悠真が聞き返すと、その女性は少し戸惑ったような表情を見せた。
「いえ、なんでもないです。ただ、村の奥の方にあるから、少し不便かなと思って」
しかし悠真には、その女性が何かを隠しているような印象を受けた。
「涼くんなら、今も中にいるでしょ? 一緒に帰ったらどう?」
田中さんが提案した。
「そうですね。ちょっと話をしてみます」
悠真は公民館の中に戻ることにした。しかし心の中の違和感は、ますます大きくなっていた。
♦︎♦︎♦︎帰り道の会話♦︎♦︎♦︎
精進落としが終わる頃、涼が悠真に声をかけてきた。
「一緒に帰らない? 久しぶりに話がしたいんだ」
悠真は少し迷ったが、結局一緒に帰ることにした。涼のことをもっと知りたかったし、自分の記憶の混乱を解決する手がかりが得られるかもしれない。
夕暮れの村道を二人で歩く。空は薄いオレンジ色に染まり、山々のシルエットが美しい。昔よく歩いた道だが、涼と一緒に歩いた記憶はない。
「君のお祖母さん、本当にいい人だったよ」
涼が口を開いた。
「よく知ってたんですか?」
「ええ。小さい頃、よくお世話になりました」
涼の表情は懐かしそうだった。
「どんなお世話を?」
「いろいろと。一人暮らしは大変だから、時々食事をいただいたり」
涼の話は自然だったが、悠真は祖母からそのような話を聞いた記憶がない。
「そういえば、君のお祖母さんから聞いたんだけど、君って子供の頃、湖をよく見てたよね」
涼が突然、意外な話を持ち出した。
「湖を?」
「ええ。一人で湖畔に座って、じっと水面を見つめてるって」
悠真は戸惑った。確かに湖は好きだったが、じっと見つめるような行動をした記憶はない。
「お祖母さんが心配してたよ。『あの子は湖に引かれすぎる』って」
祖母がそんなことを言っていたという話も、初耳だった。
「変な話だと思わない?」
涼が振り返った。
「何がですか?」
「湖って、なんだか人を引きつける力があるような気がしない?」
涼の表情は真剣だった。
「どういう意味ですか?」
「いや、なんとなくそう思っただけ。気にしないで」
涼は再び歩き始めた。
しかし悠真には、この会話に何か重要な意味が隠されているような気がしてならなかった。
♦︎♦︎♦︎分かれ道♦︎♦︎♦︎
やがて道が二手に分かれる場所に来た。一方は悠真の祖母の家へ、もう一方は村の奥へと続いている。
「僕はこっちだから」
涼は村の奥の方を指した。
「どの辺りに住んでるんですか?」
「山の中腹にある古い家です。今度、良かったら遊びに来てください」
「ええ、機会があれば」
悠真は曖昧に答えた。
「それじゃあ、また明日」
「明日?」
「ああ、村にいるんでしょ? せっかくだから、また会いましょう」
涼は人懐っこい笑顔を浮かべた。
「そうですね」
悠真は軽く会釈し、別れ道で涼と分かれた。
涼の後ろ姿を見送りながら、悠真は考えていた。涼という人物について、自分が知らないということ。しかし村の皆が彼を知っているということ。そして、彼が悠真について妙に詳しいということ。
これらの事実をどう解釈すべきなのか。
自分の記憶に問題があるのか。それとも——
悠真は首を振った。そんなことを考えても仕方がない。きっと単純な記憶違いなのだろう。人間の記憶は完璧ではない。特に子供時代の記憶は、曖昧になりがちだ。
そう自分に言い聞かせながら、悠真は祖母の家へ向かった。
しかし心の奥では、何かが引っかかっていた。涼という人物の存在が、この村の日常風景に微妙な歪みを作り出しているような——
♦︎♦︎♦︎静寂の夜♦︎♦︎♦︎
家に戻ると、悠真は疲労を感じていた。肉体的な疲労よりも、精神的な疲労の方が大きかった。
一日中、多くの人と話をし、故人を偲び、昔話に花を咲かせた。本来なら心温まる一日のはずだった。しかし涼という存在が、すべてに微妙な影を落としていた。
悠真は仏壇に線香を上げ、祖母に今日の出来事を報告した。
「おばあちゃん、今日は多くの人が来てくれました。皆、おばあちゃんのことを本当に慕っていました」
静かな声で語りかける。もちろん返事はないが、祖母が聞いてくれているような気がした。
「ところで、白石涼という人を覚えていますか? 同級生だったらしいんですが、僕にはどうしても記憶がないんです」
線香の煙がゆらゆらと立ち上る。その煙を見ていると、祖母の声が聞こえるような気がした。
しかし実際には、何も聞こえない。ただ静寂があるだけだった。
悠真は早めに寝ることにした。明日は東京に帰る予定だったが、少し延泊してもいいかもしれない。涼のことがどうしても気になるし、自分の記憶について確認したいこともあった。
床についてからも、しばらく眠れなかった。涼との会話が頭の中で繰り返し再生される。彼の表情、話し方、そして他の村人たちの反応——すべてが自然だった。
だからこそ、余計に不可解だった。
これほど自然に村に溶け込んでいる人物を、なぜ自分だけが覚えていないのか。記憶喪失にでもなったのだろうか。それとも——
悠真は考えることをやめようとした。しかし頭の中では、様々な疑問が渦巻いていた。
そして窓の外では、今夜もあの青白い灯篭の光が静かに灯っていた。まるで何かを見守るように。あるいは、何かを待っているように。
その光を見ているうちに、悠真はようやく眠りについた。しかし夢の中でも、涼の笑顔が浮かんでいた。人懐っこく、親しみやすい笑顔。
しかし同時に、どこか不自然な笑顔でもあった。まるで作り物のような——
悠真は夢の中で首を振った。そんなことを考えてはいけない。涼は間違いなく、昔からの知り合いなのだ。自分の記憶が間違っているに違いない。
しかし心の奥では、小さな声が囁いていた。
『本当にそうだろうか?』
その声は、祖母の声にも似ていた。