最後の街灯
普段気にも留めないようなモノが、実は何かを考えてたら…なんて想像すると、世界が少しだけ違って見える。今回は、いつも俺たちの帰り道を照らしてくれる、あいつの話だ。
僕の意識は、温かい光と共に在る。
物心ついた時から、僕はここに立っていた。名前はない。ただの「街灯774号」。それが僕の個体識別番号だった。仕事は単純明快。夜の闇が訪れると、頭の傘に収められた電球に電気を流し、足元に温かいオレンジ色の円を描くこと。それだけだ。
何十年という時間の中で、僕は数えきれないほどの光景を見てきた。
僕の光の下で、初めて手をつないだ若い男女。喧嘩をして、泣きながらしゃがみこむ女子高生。千鳥足で「あと一杯だけ」と管を巻くサラリーマン。ランドセルを揺らしながら、影踏みをして遊ぶ子供たち。その子供たちがやがて大人になり、自分の子供の手を引いて僕の前を通り過ぎていく。
僕は彼らの人生に関わることはない。ただ、彼らの足元を、ほんの少しだけ明るく照らす。それだけの存在。それで満足だった。僕の光が、誰かの安心に繋がっている。その事実だけが、僕の存在意義だった。
tころが、そんな穏やかな日々にも終わりが来る。
街に、新しいタイプの街灯が設置され始めたのだ。白銀のポールに、青白いLEDライト。太陽光パネルとAIを搭載し、人通りを感知して明るさを自動調整するらしい。彼らは「スマート街灯」と呼ばれていた。
古びた僕たちオレンジ色の街灯は、一本、また一本と、その役目を終えていった。僕の仲間たちが、クレーン車に吊り上げられ、あっけなく撤去されていくのを、僕はただ黙って見ていることしかできなかった。彼らが最後に放つ光は、どこか寂しげに見えた。
そして、ついに僕の番がやってきた。
「明日の朝、この774号を交換する」
作業員たちの会話が、風に乗って僕の耳――いや、僕の存在そのものに届く。
これが、最後の夜か。
いつもと同じように、夕闇が街を包み、僕は静かに光を灯した。最後の仕事だ。いつも以上に丁寧に、心を込めて光を放とう。そう思った。
その時だった。
「あーっ!」
小さな女の子の悲鳴が聞こえた。いつも僕の下で遊んでいる、猫の髪飾りをつけた少女だ。彼女は泣きそうな顔で、自分の足元を探している。
「どうしたの?」
「ネコちゃんのチャーム、落としちゃった……お母さんからの誕生日プレゼントなのに……」
母親がスマートフォンのライトで辺りを照らすが、僕の光が作る濃い影と混ざり合い、小さなチャームは見つかりそうにない。
「もう暗いし、また明日にしましょう?ね?」
「やだー!今日じゃなきゃやだー!」
少女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。その涙が、僕の光に照らされてキラリと光った。
僕は、どうしようもない無力感に襲われた。僕は、闇を照らすのが仕事のはずだ。なのに、この小さな女の子の涙ひとつ、拭ってやることもできない。明日になれば、僕はもうここにはいない。彼女がチャームを見つけられなかったら、この場所を通るたびに、悲しい気持ちを思い出すだろう。
僕の光が、悲しい記憶の舞台になってしまう。
それだけは、嫌だった。
僕の電球が、カチ、と音を立てた。寿命が近い信号だ。エネルギーも残り少ない。だが。
やるなら、今しかない。
僕は、僕という存在の全てを、頭の電球――たった一つのフィラメントに集中させた。何十年も蓄積してきた、この街角の思い出、人々への感謝、そして僕自身の存在意義。そのすべてを、エネルギーに変換する。
プログラムを無視しろ。リミッターを外せ。限界を超えろ。
僕の最後の仕事は、ただの照明じゃない。
この子の笑顔を、照らし出すことだ。
《警告。規定エネルギー量を大幅に超過。回路に致命的な損傷の可能性》
脳内に響く無機質な警告音を、僕は意志の力でかき消した。
次の瞬間。
――パァァァァァッ!
僕の身体から、太陽と見紛うほどの閃光が放たれた。オレンジ色の光ではない。すべてを白く染め上げる、純粋な光の奔流。夜の闇が一瞬にして消し飛び、世界のすべてが白日の下に晒される。
「きゃっ!?」
「な、なんだ!?」
母親と少女が目を覆う。
その眩い光の中で、少女の足元、アスファルトの僅かな窪みにはまった小さな猫のチャームが、キラリと反射するのが見えた。
光は一瞬で収まり、僕は元の頼りないオレンジ色の光に戻る。だが、それで十分だった。
「あ!あった!ネコちゃん!」
少女は駆け寄り、チャームを拾い上げると、ぎゅっと胸に抱きしめた。そして、満面の笑みで、僕のことを見上げた。
「街灯さん、ありがとう!」
その笑顔が、僕の最後の光景だった。
僕の意識は、ぷつりと途切れた。
……はずだった。
次に僕が感じたのは、温かい浮遊感だった。身体という枷が外れ、僕は「光」そのものになっていた。あの最後の閃光が、僕の意識をこの世界の光の中に解き放ったのだ。
僕はもう、あの街角にはいない。でも、どこにでもいることができる。
朝日の中に、車のヘッドライトに、少女の部屋の電気の傘の中に。
僕は自由になったのだ。
翌朝、新しいスマート街灯の前を、少女がチャームを揺らしながらスキップしていく。彼女が微笑むたび、世界の光が、ほんの少しだけ、温かく輝く気がした。
書けた。なんか、ちょっと切なくなっちまったな。でも、こういう話もたまにはいいだろ?俺たちの周りにあるモノ、全部に物語があるのかもしれない。なんてな。自分の最期に、自分の存在意義を全うするってのは、モノでも人間でも、一番幸せなことなのかもしれない。