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行動予約

掲載日:2025/06/12

 朝、目を覚ました男は、ベッドからのそりと起き上がり、ダイニングテーブルを見た。湯気こそ立っていないが、そこにはトーストと目玉焼き、サラダ、それにコーヒーが整然と並んでいる。

 彼は思わず口元をほころばせた。


 「今日も完璧だ」


 最近の男にとって、この朝の光景は日課だった。自分で作った覚えはない。だが確かに、自分が用意したものだ。


 男は、夢遊病の持ち主だった。長年、理由もなく続く睡眠不足と倦怠感に悩まされていたが、睡眠専門のクリニックに通ったことで、その原因が判明した。

 医師に見せられた監視映像には、真夜中に無表情で立ち上がり、部屋を歩き回る自分の姿があった。


 「これは驚きましたよ。でもね、もっと面白いことがあるんです」


 医師はそう言って別の映像を見せてくれた。男が眠る直前にテレビで見ていたのは、誰かが掃除機をかける映像。その夜、夢遊状態の男はまったく同じ手順で自室を掃除していた。


 「あなたの夢遊行動は、就寝直前に視覚から入る情報に影響されているようですね」


 医師は対策として、見知らぬ男がぐっすり眠るだけの動画を処方(?)してくれた。何の変哲もない、ただ寝ているだけの10分間。それを見て眠れば、夜の間は動かない。


 だが、男はこう考えた。


 ──だったら、もっと有効活用できるのでは?


 彼は映像のレパートリーを増やしていった。レシピ動画、掃除術、洗濯物の畳み方、果ては配線の整理方法まで。眠る直前にそれを見れば、翌朝にはすべて終わっている。

 最初こそ半信半疑だったが、回を重ねるうちに“行動予約”の精度は上がり、夜のうちに無意識の自分が家事を完遂してくれるようになった。


 まるで特別な能力を得たような気分だった。誰にも話さず、秘密のまま、この力を楽しんでいた。


 その夜も、男はワインを二杯飲んだ。体がぽかぽかと温まり、眠気を誘うにはちょうどよい分量だった。

 「今夜は運動でもしてみるか」


 そう呟きながら、テレビをつける。ちょうど、国営テレビの健康体操番組が始まったところだった。椅子に座ってできるストレッチ、ラジオ体操風の動き、インストラクターの明るい声。

 男はソファに深く腰を下ろし、その動きをまばたきもせず眺める。


 ──それを、眠ってから再現するために。


 時間にしておよそ十五分。いい頃合いだった。頭がふわりと揺れ、まぶたが落ちかけたそのとき。


 突然、画面が暗転した。続いて、緊急速報のチャイムが鳴る。アナウンサーの強張った顔が映った。


 『速報です。政府施設で、武装したテロリストが発砲──』


 男は酔いのままに、ぼんやりと画面を見つめる。

 やがて映像は切り替わり、追い詰められた男が高層ビルの屋上で暴れる姿がアップになる。警察隊に囲まれ、もはや逃げ場はない。

 そして次の瞬間。


 ──その男は、フェンスを越えて、空へと跳んだ。


 テレビの光が、静かに男の瞳を照らしていた。


 そして、男は、眠りについた。

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