自分の価値観を貫いて……
皇宮内とは言っても、皇族が住む城からは少し離れた場所に騎士たちの訓練場はあった。
「皇女……さま?」
そんな場所に突然、現れた……中々お目にかかれない存在のはずの皇女の姿を目にして、入り口で待機していた騎士の二人は驚愕の表情を浮かべていた。
「このような場所に、いかがされましたか」
いち早く気を取り戻した髪が赤褐色の騎士が、片膝をつき頭を垂れて口を開く。そして、その姿に我に返ったもう一人……髪が翡翠色の騎士もまた彼に続いて片膝をつき頭を垂れた。
「顔を上げてください」
顔を上げた赤褐色の騎士……騎士団長補佐である副団長という地位をもつ男――ゼラルドは、立ち上がったあとも緊張を感じさせない堂々とした表情を保っていたが……。
翡翠色の騎士……副団長補佐の地位である男――コーリスは、顔を上げたあと立ち上がることなく惚けた表情でルベラを見つめている。
ゼラルドはそんなコーリスの頭を叩きたかったが、彼の態度よりも皇女の前で叩くことのほうが無礼かもしれないと思い、どうすることもできずにいた。
そのことに気づいていないルベラは淑女の微笑みを浮かべていたが、彼女の後ろにいるカーラからの鋭い視線に気がついて……コーリスは慌てて立ち上がった。
「皇女様は日頃から人のために励む騎士の方々を直接、労いたいと仰っています。今からその機会を設けたいと思っていますので、内密に進めていただけますか」
穏やかながらも有無を言わせないカーラの指示に、コーリスはすぐさま頭を下げて了承の意を表したが……疑問を感じたゼラルドは失礼のないように言葉を考えながら口を開く。
「内密というのは……騎士たちが驚かないための配慮でしょうか。それともその件が皇女様の独断であり、皇帝陛下や騎士団長が知らない話だからということでしょうか」
その指摘に笑顔を崩すことはなかったものの、カーラは自身の言葉が失言だったことを悔やんでいた。
不測の事態ではあったと言っても上手く対応できたはずなのに、内密という言葉を使ってしまったのは自分の落ち度だと……。
そのことからすぐに返答することができなかったが、
「私の独断ですが、この件は皇帝陛下も望んでいます。明日、授与式が執り行われることは知っていますか?」
「はい。誰もが待ち望む栄誉ある式を知らぬ者はいません」
ルベラが代わりに口を開いた。
「その授与式に関係することなので内密にお願いしたいのですが……実はまだ騎士が決まっていません。侍女長と二人で来たのはそのことを知られないよう、労いという名目で騎士の皆さまにお会いしたいからです」
ほとんど嘘のない言葉巧みなルベラのその言葉に、カーラは人を騙すようなことに感心してはいけないと思いつつも感動を覚える。
「皇女様の守護騎士を……騎士の中から選ぶということでしょうか」
「その予定です」
その言葉を聞いたゼラルドは、動揺から瞳を揺らした。
驚くのは無理もない。皇女に授けられる守護騎士は、騎士という名がつくものの名ばかりで……地位の高い貴族や皇女に近しい者たちの中から選ばれていたからだ。
新しく騎士になった者の中には騎士だから守護騎士に選ばれる可能性がある、と夢見る者はいるが……ほとんどの騎士たちは理解していることだった。
「それは……たしかに内密に進めたほうが良さそうですね」
「貴方が知っていたほうがよいと思う方には知らせてください」
今までの会話すべて威厳のある冷静な態度で話していたルベラだが、彼女の内心まったく別のことを考えているだけではなく……真剣に見える瞳はゼラルドの姿を眺めることだけに費やされていた。
この世界の美的感覚では、濃い赤褐色の短髪と力強い橙色の瞳や少し凛々しい整った眉は好まれるほうではあるが、ふくよかではない筋肉質な体格の良さと二重で大きめの目は印象が良くなかった。
目や口などと釣り合っている形の整った高い鼻は、小さくて丸い鼻が好まれているため不評で……。本人はあまり気にしていないが、色を目にしたあとに顔を見てがっかりされることが多かった。
色は良いものの顔は良くはない男性。
それがゼラルドの、女性からの評価なのだが……。
「(素敵な筋肉とワイルドで男前なお顔……最高にいい。この人みたいなイケメンが、前の世界で消防士か現場系の仕事をしていたら……似合いすぎてて絶対に推してたなぁ)」
それはつまりルベラからすると……顔の良い美形男性ということである。
「騎士の方々には労いのためと知らせ、声がかかるまでは普段どおり過ごすようにと伝えていただけますか?」
心の声を表情に出すことも口に出すこともなく、ルベラは別の言葉を話している。
さらにはゼラルドの容姿をさりげなく堪能するという器用な才能を発揮していることを、この場の誰も気づいていなかった。
「承知しました。騎士団長と話し、急ぎ準備してまいります」
ゼラルドはルベラに頭を垂れて敬意を表したあと、コーリスを連れて訓練場の中へと入っていく。
その後ろ姿を見つめるルベラはなんとも名残惜しそうである。
「皇女様。私の失言のせいでお手間をとらせてしまい、申し訳ございません」
「ううん、大丈夫だよ」
ルベラは反射的に答えたものの、カーラが何を謝っているのかはよくわかっていなかった。
「皇女様は素直すぎるところがおありでしたので心配していましたが、失言さえも利用して話される言葉の巧みさ……安心いたしました」
「……それは褒めてる? それとも窘めてる?」
「感心はできませんが、感動いたしましたので褒めています」
誰かが来るまでの間、二人はたわいない会話を楽しみながら過ごしていた。
――そうして、数分後。
ゼラルドでもコーリスでもない、年配で存在感のある明るい琥珀色の髪の騎士が出てきた。
「お待たせして申し訳ございません」
片膝をつき頭を垂れるその騎士は、騎士団長という地位と皇帝の護衛騎士としての地位をもつ男性である。
「ナスター、顔を上げて。こちらこそ突然だったから……気にしないで」
そのため彼――ナスターは、ルベラとはカーラと同じく幼少のころからの仲であり……親である皇帝と皇后やカーラを除くと、もっとも関わりが深い騎士であった。
「本日も、お変わりなくお元気そうでなによりです」
その言葉と穏やかな微笑みを目にしたルベラは、今回の件に関して彼が見透かしていることに気づく。
ルベラがお忍びで外出するときには護衛を任されることが多かったナスターは、ルベラの性格や婚約相手の候補に関する不満を知っていたので……話を聞いた瞬間、彼女の魂胆に気がついていたのだ。
「皇女様に失礼ですよ、ナスター騎士団長」
ルベラを庇うように口を開いたカーラに、
「これはこれはカーラ侍女長。貴女が傍にいながら、このようなことになっているのですか」
ナスターは鋭い言葉を返す。
声色は穏やかであるものの言葉と目で言い合うカーラとナスターは険悪そうな雰囲気ではあるが、それは今だけのことではなくて……この二人は会うたびにいつもこのような調子だった。
そしてルベラは今日もまた、脳内で一推しの二人に対して「(今日のケンカップルも絶好調でいいなぁ)」と微笑ましく思っていた。――ちなみに彼らは夫婦でもなく付き合ってもいない独身者である。
そんな二人の会話をしばらく聞いていたかったルベラだが、その気持ち堪えて口を開く。
「ナスター。お父さまは大丈夫だから、お願い。今日、決められなかったら……私は二度と笑えなくなると思う」
切実な言葉とまっすぐな眼差しを向けられたナスターはすぐに答えた。
「反対するとは言っていませんよ。私もルベラ様の幸せを願っていますから……」
ナスターはルベラの魂胆に気づいても、最初から止めようとは思っていなかった。
「――すでに騎士たちには知らせていますので、念のため私やカーラ侍女長から離れないようにお願いいたします」
そのナスターの言葉にルベラは瞳を輝かせ、明るい表情を浮かべる。
今回の件を進める場合、一番の難敵になるかもしれない思っていた彼をすでに懐柔できていたことが嬉しかったのだ。
「(やっと出会えるかもしれない)」
訓練場の中には、ゼラルドのように顔が良い人がきっといるだろう。
そう思いながら歩き始めたルベラの足取りは……とても軽やかだった。