価値観の相違がありましたが
――世界は残酷だ。
そんな言葉が聞こえてきそうな表情で深いため息を溢している少女――ルベラは、前世の記憶を持ったままこの世界で生まれ変わった……珍しい存在だった。
生まれ変わるという稀な体験をしていると言っても彼女自身は普通の少女であり、前世の記憶があるということと地位が高すぎる家柄の娘であること以外には特筆するようなところはないが……。
「癒しが足りない」
この世界の者たちとは極端に異なっていることがあった。
「推し不足で元気がでない……。このままだったら永遠に出会えない気がする」
それは、人の顔に対しての美醜――美的感覚である。
「今回はどうして拗ねているのですか?」
ルベラの髪を静かに梳かしていた年配女性――カーラは、穏やかな声色でルベラに訊ねた。
「昨日、お父さまと宰相がまた絵画を持ってきて……」
ルベラが昨日の出来事を愚痴るように話すと、カーラは「お休みをいただいていた間に、そんなことがあったのですね」と相槌をうちながら上品に笑う。
「笑い話で終われたらいいけど……『婚約がいやならせめて騎士を選びなさい。選べないなら勝手に選ぶ』って言われたんだよね」
そう言って、目の前の鏡が置かれたテーブルの引き出しから絵画を取り出し一枚ずつ並べたルベラは、苦笑いを浮かべながら項垂れた。
たくさんの絵画には男性の姿が描かれている。ほとんどが明るい髪色と凛々しい眉毛に一重で目は小さい……ふくよかな体型の男性だった。 そして彼らは皆、自信に満ち溢れた表情でもあった。
カーラはそれらの絵画を見て、不思議そうに口を開く。
「どの方も素敵ではございませんか」
その言葉どおり、絵画の男性たちは普通の女性であれば惹かれるような顔立ちである。――この世界の人間の美的感覚なら。
しかしルベラには前世の記憶があるため、価値観は前世のころの価値観のままだった。そのせいで、奇妙で不運なことに……この世界とルベラの価値観、つまりは美的感覚に相違が生じてしまったのだ。
「他の人がいいって正直に伝えても、紹介してくれるのは似たような人ばかりで……」
「それは……皇女様に相応しい素敵な方と出会ってほしいと思っているからですよ」
それは慰めではなく本心からの言葉であるとルベラは理解していた。父親たちも真剣に自分を想って動いてくれているのだとわかっていた。
しかしルベラからすると、素敵だと思うことが難しい男性を周りから永遠と勧められ続けている状況なので……複雑な心境になるだけだった。
「さあ、出来ました。本日もお美しい皇女様のお姿を皇帝陛下がお待ちですよ」
緩やかにうねった長く鮮やかな赤色の髪がカーラによって美しく整えられても、ルベラの心は晴れずにいた。
「行かないと……ダメかな?」
「はい。絶対に来るようにとの言伝がございましたので」
今日一番の深い息を溢した彼女は渋々ではあるもののイスから立ち上がる。憂鬱さが隠せていない。呼ばれた理由が、話していた昨日のことだと察しがついているからだろう。
重たい足を無理やり動かすような足取りで、ルベラはカーラとともに父親の元へと向かった。
――数分後。
父親の元へ辿り着いたルベラは気持ちとは裏腹な……淑女の微笑み作りながら口を開く。
「お待たせいたしました、お父さま」
先ほどまでとは異なる穏やなその話し方がどことなくカーラに似ているのは、彼女をお手本にしているからだろう。
「ベラは今日も美しいな」
「ありがとうございます」
ルベラの父親――この国の皇帝であるルスターは上機嫌だった。着飾った娘が、自分の妻――皇后に似て美しいことに誇らしさを感じたからである。
ルベラ本人からすると大げさで親バカだと思っているが……。
この世界の美的感覚で言うと、女性は男性と同じくふくよかな体型に明るい色の髪と瞳が好まれていて……。目の大きさに関しても小さいほうが好まれ、眉は男性なら凛々しく女性なら精細な眉が好まれている。
なのでその基準で考えるなら、ルベラの皇后譲りの鮮やかな赤色の髪と、皇帝に似た輝く深紅の瞳は最上級の美しさであり……。
二重ではあるが切れ長の細い目と精細な眉、痩せているとは言えない少しふくよかな肉付きや豊かな胸は万人に好まれる体型であった。
つまりルベラの容姿はルスターの感覚が正しく、この世界の人間からは羨望される容姿なのだが……本人が納得できないのは価値観の違いなので仕方ないのだろう。
「呼んだ理由はわかっているな?」
「昨日の件でしょうか」
「そうだ。婚約はまだ一年後でも構わないが、騎士は明日までに決める必要がある」
ルスターがルベラに騎士選びを急かしていることには理由があった。
「明日のパーティーで、私に騎士を授けてくださるから……ですよね」
「なんだ、知っていたのか」
明日は彼女の十六歳の誕生日パーティーが執り行われる予定である。そしてその際、皇帝が皇女や皇子に騎士を授ける……授与式というものも行われることが通例行事となっていることをルベラは知っていた。
「それならば父の想いをわかっているな」
「わかっています」
「そうかそうか。では気に入った者の名を聞かせてくれ」
本来であれば皇帝が自ら選んだ騎士を授けられるが、選択肢を与えてくれている父親の優しさも知っていた。なのでルベラも本当は早く決めたいと思っていたが、どうしても決めることができなかったのだ。
「許してくださるなら、もう少しだけ私に時間をいただけませんか?」
意を決して口を開いたルベラにルスターは硬い表情で返答しようとしたが、
「お父さま……」
手を握られ潤んだ瞳で可愛らしく請う娘の姿を目にして……言おうとしていた言葉は呑み込まれ「今夜までに決めなさい」と、正反対の言葉が口から溢れる。
咄嗟に言ってしまった言葉を取り消すことはできず困った表情を浮かべながらも、娘が浮かべた満面の笑顔にまあ良いかと思うほどには娘に弱い父親であった。
「ありがとうございます。さっそく捜しに行ってまいります」
そう言い残し去って行ったルベラを見送ったルスターは、彼女の捜すという言葉に一抹の不安を覚えたが……。
カーラが傍で仕えているはずだから大丈夫だろうと放っておくことにした。――その選択が間違いだったと彼が知るのは後々、手遅れになってからである。
そんなルスターをよそに……。
執務室から出てきたルベラが来たときとは異なり上機嫌であることを近くで控えていたカーラはすぐに気づいた。
「待たせてごめんね」
「謝る必要はございませんよ」
「あ、つい……。待っててくれてありがとう、カーラ」
ルベラは思い出したように言葉を言い直す。
皇女という立場上、両陛下以外の人に謝罪を口にしてはいけないと教わっているものの前世の記憶があるため、謝らないように気をつけることがルベラにとっては難しいことだった。
とくに幼少のころから傍にいてくれるカーラに対しては気楽に接してしまうことが多く……。カーラも立場上、嗜めてはいるが……ルベラのその態度や人柄を好ましく思っているため、怒ることなくむしろ微笑んでしまっている。
「お父さまから今夜まで時間をもらえたから、今から捜そうと思ってるんだけど……付き合ってもらえないかな?」
「それは喜んで付き添いますが……捜すというのはもしかして絵画からではなく、直接捜そうと考えいるのでしょうか」
「そうだよ、でも大丈夫。お父さまに捜してくると伝えたから」
そう言って笑うルベラに、本当に伝えたのか不安を覚えたが……。
皇帝が娘に甘い父親であること知っているカーラは、きっとお願いされて許したのだろうと思い直した。――彼女もまたルスター同様、その考えが間違いだったと知るのは手遅れになってからである。
「ところで皇女様。どちらへ向かっているのですか?」
「騎士を捜すなら騎士からかなーって」
「まさか……騎士の方々の訓練場に……?」
「うん、正解。朝のこの時間は、騎士の人たちみんな訓練場にいるみたいだから最適だよね」
ルベラの言葉に、カーラの表情が固まった。
「そんな情報をどこから……」
「聞いたらすぐにわかったよ」
皇女の周りに仕える者の管理はカーラの仕事である。優秀な彼女はルベラの害にならない者たちだけを選んでいたので仕える者は皆、ルベラに好意的で忠実だった。
そこまではカーラの思惑どおりだったのだが……唯一の誤算は、彼らがルベラのためならば良いことも悪いことも従うところであった。
「いけません。訓練場は多くの男性が立ち入る場所でございますよ」
「だからこそ行かないと。――そこに行っても見つからなかったら、たぶんどこを捜しても見つからないと思うから……」
カーラは説得しようと思っていたが、悲しそうに言葉を溢すルベラを見てしまうと……口を開くことができなかった。
そんな彼女の様子に気づいていたルベラは申し訳ない気持ちになったものの、それでも足を止めることはなく訓練場を目指し続けた。
「(ごめんね、カーラ)」
迷惑をかけるようなことはしたくないものの今後、傍で守護してくれることになる騎士に関しては……ルベラはどうしても自分の価値観で選びたいと思っていた。
過去の皇女たちのほとんどが守護騎士と婚約していて、そのうえ後に夫婦となっているという事実をわかっていたからだ。
実際に、十六歳の授与式で紹介される守護騎士が実質的には婚約者なのだと……一部の人々は暗黙の了解で認識している。
そして誰かから聞いたわけではないが、過去の文献を遡って調べたことがあるルベラからすると推測できることであった。
「(結婚相手はどうしても……自分の目で見て、知り合ってからがいい)」
もし前世の記憶がなければこのようなことにはなっていなかっただろう。そのことを考えると不憫なことではあるが……。
価値観が異なるせいで、幼いころからずっと自分の美的感覚基準の顔の良い整った人を見る機会がほとんどなかったルベラは……どうしようもないほどに、美人や美形に飢えていた。
「(あわよくば、顔が良くて性格も良くて素敵な男性と出会いたい。結婚できなくてもいいから、せめて知り合いになりたい)」
その結果、今のルベラは願望を叶えるために動くという意志と決意が固かった。
それによって周りを困惑させてしまうとしても、けして揺らぐことはないだろう。
この世界で生まれてから大人を困らせないように過ごしていた彼女だが……限界まで我慢したあとにくる渇望というものは、時に人を狂わせてしまう恐ろしいものであった。