第六十八話 幻空間
ウィレの村が見えてきた頃。
同時にその東側、そこまで離れていない位置にある、もうひとつの村も目に入った。
「あれが、さっき話したコンウィの村だ」
「流行り病で村ごと隔離してるっていう、あれか」
「必要な物資や食料は定期的に運んでるけどな。コンウィの奴らと面と向かって話したのは、もう一か月以上前さ」
ヒューゴたち黒竜狩りの一族は、二つの村に分かれて暮らしているらしい。
今回のような流行り病や、災害や火事に見舞われた際、全滅するのを防ぐために昔からそうしてきたのだそうだ。
実際、村同士の行き来を速やかに遮断したおかげで、ウィレの村での感染者は一人も出ていない。
ヒューゴたちが属している竜騎兵団も、部隊ごとに住む村が偏らないようにしているため、人手不足とはいえ役割の偏りは無いと聞く。なんとも合理的な暮らし方だ。
ウィレの村から少し離れた広場に、シディアたちは降り立った。
村の出入口らしき門の下に、幼い子どもたちが集まり手を振っているのが見える。愛らしい出迎えについつい表情が緩んだシディアたちだったが。
「わーい、ヒューゴが帰ってきた!」
「ヒューゴ、おかえり!」
歓迎には違いないが、皆のお目当てはヒューゴのようだ。
幼子たちの頭を撫でたり、腕や服を引っ張られたりしながら、ヒューゴはにこやかに門をくぐる。その後ろにミコトが続いた。
微笑ましい光景に目を細め、レオがシディアたち三人を振り返る。
「あの子たちにとって、ヒューゴは憧れの英雄なんだ。さあ、こっちへ。慣れない空の旅で疲れているところ悪いけど、まずは長に会ってほしい」
長の家は村に入ってすぐの、広場の脇に位置していた。
偉い人というのは大抵、集落の奥に住んでいるものだと思っていたが、この村では違うらしい。
「この家はとにかく外部からのお客さんが多いのさ。だから村の奥なんかに家を建てるとなにかと不便なんだ。伝令がすぐに飛び込めるように、なんてのもあるみたいだけどな」
シディアたちの表情で察したのか、ヒューゴが親切に解説してくれる。彼を取り巻いていた子どもたちはいつの間にか解散していた。
「長―!例の助っ人連れてきたぜー」
想像を遥かに超えた、ヒューゴのくだけた態度に驚きつつ、敷居を跨ぐ。
玄関らしき土間から繋がる広々とした板間には、三人の人物がいた。
一人は、左目に眼帯をつけた、筋肉質な女性。腕や足に包帯を巻き、松葉杖をついている。佇まいからして、只者ではない。件の赤目と対峙し怪我を負ったという戦士だろう。
もう一人は、ヒューゴたちよりもさらに歳若い小柄な少女だ。刺繍が施された生成のマントを羽織っているがどう見てもサイズが合っておらず、足下で折れた裾が床に広がっている。杖を持っているがこちらは松葉杖ではなく、魔法を補助するための魔法具に違いない。
そして、もう一人。小柄な少女の隣で、異様な気配を放つ老人がいた。椅子の上であぐらをかいているが、その尻の下にクッションを差し入れたいくらいに痩せこけている。水分も油分も見当たらない腕や脚は枯れ木を思わせた。
窪んだ目元に禿げ頭、腰まで届きそうな長い髭。眼光は鋭く、まるで何百年も生きているような凄みを感じさせる。
「あれ、マチルダが話してる最中だったか。邪魔してごめん」
ヒューゴが気まずそうに頭をかくと、マチルダと呼ばれた女性は松葉杖とは反対の手をひらひらと振った。
「いやいや。ちょうど帰るところだ、気にするな───そうか。たった三人か」
マチルダの右目がシディアたちを捉える。その瞳には少なからず落胆の色が浮かんでいた。
「と、思うだろ?そこらの下っ端騎士を十人とか寄越されるより、この三人のほうがよっぽど強いぜ。オイラが保証する」
ヒューゴの言葉に、小柄な少女が一歩進み出た。額の上方で一直線に切り揃えた前髪と、くりっとした大きな瞳が印象的だ。
「心配なら、マチルダも見ていくといいのです。───幻空間」
少女が杖の先で床を一突きする。
屋内にいたはずのシディアたちは、気づけば荒野に立っていた。
「なになになになに!?」
アリスもネオンも大騒ぎしているが、無理もない。
壁や天井が消えただけではないのだ。吹きすさぶ風、灰色の空、土埃。空気も音も、匂いすら感じられる。
風で転がってきた小石が、シディアの靴にコツンと当たり動きを止めた。
どうやら別の場所に転移したわけではなく、幻覚を見せる魔法のようだが、杖の補助を差し引いてもかなり高度な魔法だ。
「ほら、ヒューゴ。ちゃっちゃと始めるです。ちゃっちゃと終わらせてご飯にするです」
「わかったわかった、急かすなって」
少女に杖の頭で腰をグイグイと押され、ヒューゴはシディアの正面に立った。
その右隣にミコト、左隣にレオが並ぶ。三対三で向かい合うかたちだ。長とマチルダは少し離れたところでこちらを見守っている。
「まずシディアたちに説明が必要だな。ヒルデ……あ、あのチビッ子の名前なんだけど。ここは、あいつの適性魔法・幻空間で作った疑似空間の中だ。今から、一人ずつ戦い方を見せてもらう。長に見せる意味もあるけど、オイラも討伐隊の隊長としてそれぞれの能力を把握しとかねーと、だからな」
なるほど、とシディアは頷いた。
必要性は理解できるし、シディアとしても共に戦う者たちの能力はぜひ把握しておきたい。何より、ひとつでも多くこの目で魔法や剣技を見たい。幻空間とやらももっと詳しく知りたいところだ。
「ここなら暴れても問題ないってこと?戻ったら壁に穴開いてたりしない?」
アリスが心配そうに眉を寄せた。手持ちの弾数を確認しながら、ネオンも聞き耳を立てている。
「存分に暴れていいぜ!この空間で起こったことは、ここを出れば全部なかったことになるんだ。腹に風穴が開こうが、魔力不足でぶっ倒れようが、終われば全部元通りさ。あ、心の傷は戻らねーからそこは注意な。……あー、そろそろヒルデが怒り出すころだ。よし、始めようぜレオ」
「はいよ、隊長」
どこからどうやって出したのか、レオの手には彼の身長ほどもある、巨大な盾が握られていた。うっすらと魔力を帯びた盾だ。これも魔法具らしい。
「誰から行こうか……じゃあ、アリスが一番かな。準備万端っぽいし」
「やったー!そろそろ身体動かしたかったんだよね」
アリスは大盾をかまえるレオの前に、意気揚々と進み出た。
戦鎚をくるりと縦に一回転させ、すうっと息を吸い、相手を見据える。───戦士の顔だ。
「───はじめ!」
ヒューゴが発した開始の掛け声と同時に、その場からアリスの姿が消えた。
否。消えたように見えるほどの速度で、瞬く間にレオの背後に回り込んだのだ。
「もらった!」
勝負あり。アリスはそう確信していたし、傍から見ていたシディアとネオンも同様だった。
が、しかし。なんとレオは、アリスのトップスピードに対応して見せたのである。
大盾に弾き飛ばされたアリスだったが、空中で難なく体勢を整え着地した。
驚くシディアたちを見て、ヒューゴは楽し気にニシシっと笑う。
「レオは一番隊の守り神だ。甘く見られちゃ困るぜ」
「ふー、今のは危なかった。久しぶりに焦ったよ」
大盾を持ち直しながら、レオは気が気でない様子だ。額の汗を袖で拭い、深呼吸する。
「ヒューゴが見たいのは君の本気だからな。それを引き出せなきゃ守り神失格だ。───さあ、来い!」
「そっか、本気か。……ケガしてもぶっ倒れてもいいって話だったよね」
アリスの口角が不敵に上がった。「いくよ」と小さく呟くと、魔力を全身に巡らせる。
「身体強化───レベルマックス!」
それは、まさに爆発的な強化だった。
アリスの身体強化は、魔力を使って一時的に身体能力を引き上げる魔法だ。見た目に大きな変化が起きるわけではない。
だが、今回は違った。
強化されたアリスは、全身に桃色の稲妻を帯びていたのだ。金のツインテールにまで稲妻が絡みつき、眩しいほどである。
ネオンが隣で「わお」と声をあげた。
「ド派手~★バッチバチじゃん物理的に。あれが、前言ってた雷神ってやつ?」
「いや、雰囲気というか表情というか……上手く言えないけど、あれはアリス本人だ。雷神じゃない」
「え。じゃあ、なにあれ……」
わからない。シディアにはわからないし、アリス自身もわかっているか怪しい。
あの稲妻は、いったい───。
シディアとネオンが戸惑いつつ見つめる中、アリスが動いた。
先ほど以上に目視を許さない速度だが、稲妻の名残が戦士の道筋を示している。真正面から突っ込んだようだ。
大盾は粉々に砕け散り、レオの胴体は戦鎚のかたちにべこりと凹む。
盛大に吐血したレオはその場に倒れ伏し、彼の背後まで駆け抜けたアリスもまた、その身を地に預けるのであった。
第六十八話 幻空間 <終>




