第六十三話 別れと帰還
いつかは出ていかなければと、思っていた。
猫妖精の───ある意味では半妖に近い自分の寿命が何年かなんて知らないし、きっと誰にもわからないけど。
それでも感覚として、まだまだ生きる気がしている。少なくとも、ただの猫よりはずっと長く生きるのだと思う。
「三十年も四十年も元気でピンピンしてる猫なんて、さすがに普通じゃないっしょ?たとえママが受け入れてくれてもさ、化け猫を飼ってるなんて噂がたったら、町の人にママがどんな目で見られるか……」
ベッドサイドの椅子に腰かけ、ネオンは最愛の母の顔を覗き込んだ。
布団の中で、母・レイは穏やかな寝息を立てている。
ベッドを挟んだ反対側では、シディアがその瞳の不思議な力を行使してくれているところだ。
昨日の今日で魔力を使うような頼みごとをするのは気が引けたし、魔力炉や魔力の流れを見たところでどうにかできるものでもないかもしれない。だが、もうこれ以外に打つ手が思いつかなかったのである。
「……ネオン殿」
隣に跪くヨカゼが真剣な表情でネオンを見つめた。
小柄でぱっと見は幼いが、表情の作り方や仕草は大人と変わらぬように見える。
「この町は、ポートシーガルは変わります。アンヘル新町長とロードリック様が、変えてくださると信じています。拙者も陰ながら、僅かながら尽力する所存です。ですから」
視界の端でシディアが何か言いかけた気がしたが、忍びの少女の力強い言葉がそれをかき消した。
「貴女様が帰還なさる頃には、今のそのお姿で、耳も尻尾も堂々と見せて歩ける町になっています。そうなっているはずです」
この猫耳も、尻尾も、堂々と───。
「そう、なるのかな。みんな、受け入れてくれるかな」
子猫の頃の記憶。
青果店で果物を買おうとした犬妖精の母子が、罵倒されているのを見た。
半妖だからという理由でまともな職に就けず、港で物乞いをする男性を見た。
猫妖精としての自覚が生まれ、恩師トマスの青空学校に通い始めたのは、それよりも後のことだったけれど。
ずっと、正体を明かすのが怖かった。
日々愛情を注いでくれる母も、可愛がってくれる隣の老夫婦も、親し気に名を呼びおやつをくれる町の人たちも。
ただの猫じゃないと知っても、変わらず接してくれるなんて。そんなことがあり得るんだろうか。
でも、もし本当に、何も隠さずありのままで生きられるのなら、きっとそれは───。
「ええ……きっと大丈夫よ」
優しい声に、ネオンは顔を上げた。
ずっとずっと、聞きたかった声。少しだけ弱々しいけれど、明るくて穏やかな、慣れ親しんだ声。
「ママ!」
思わずベッドに飛び乗ると、衝撃でスプリングが大きく跳ねた。
母レイと視線が交差する。
───あれ?ウチ、今の姿って……。
「やっぱりあなた、ネオンなのね」
頭が真っ白になった。
慌ててベッドから立ち上がり、後ずさった勢いで椅子にぶつかる。
倒れそうになった椅子をヨカゼがさっと支えたが、ネオンはそれに気づけないほど動揺していた。
「あ、うわ、え、えっと……今のは間違いで……あの」
自分でもよくわからない、めちゃくちゃな手ぶり身振りをしながら、なんとか誤魔化す言葉を探す。
そんなネオンを見て、レイは微笑んだ。
「誤魔化さなくていいわ。知ってたもの。ネオンが普通の猫じゃないことは」
「知っ……え?マジで?」
「さっきの話、途切れ途切れだけど夢の中で聞こえていたわ。あなたから打ち明けてくれるまでは黙っているつもりだったけど、町を出ていくなんて言うなら話は別よ。もう、隠さなくていいの。そのままのネオンでいいのよ」
言葉が出てこなかった。
知っていても一緒に居てくれたことが嬉しいとか、バレていないと思って過ごしていたことが恥ずかしいとか、様々な感情がネオンの中に渦を巻く。
レイの手が、ネオンに伸びる。いつもの習慣で、ネオンも自らその手に頭を押し付ける。
温かくて優しい、大好きなママの手。
「可愛い子には旅をさせよって言うでしょう?離れるのはとっても寂しいけれど、必ず帰ってきなさい。猫でも、妖精でも。どんな姿だって、あなたはママの可愛い可愛い、大事な娘よ」
堰を切ったように、ネオンの黄緑色の瞳から大粒の涙が溢れ出す。
その光景を、双子は微笑ましく見つめていた。
「ネオン、嬉しそうだね。結局、シディアが起こしたってこと?どうやったの?」
アリスに尋ねられ、シディアは「いや」と首を横に振る。
「俺は本当にただ、魔力炉を見てただけだよ」
見始めた時点のレイの魔力炉は、陰っていたというか、黒ずんでいたというか。
本来の光を失っているようだった。
魔力的な干渉を受けたのだろうというのはわかっても、ここから何をどうしたものかと考えあぐねるシディアの目の前で、レイの魔力炉は唐突に光を取り戻し始めたのだ。
レイ本人は、何かに導かれるように起きたのだと言う。
抱き合う母娘と、忍びの少女から口々に感謝を述べられ、こそばゆい気持ちで笑みを返したのであった。
*****
翌日。
「見送り、行かなくて良かったの?」
劇的な回復をみせた母レイは、ソファに座って洗濯物を畳みながら、ネオンに問いかけた。
休んでていいよって言ってるのに、と口を尖らせながらも、洗濯物の中にネオンの服が混ざっていることが嬉しくなってしまう。
猫じゃなくても、家族でいていいのだ。
「うん、昨日お別れは済ましたし。またすぐ会えるし」
母の腰に腕を回し、ぎゅっと抱き着いた。
ふふふ、と花のような笑い声が頭上から降ってくる。
「あらあら、甘えんぼさんね」
「やっぱ猫の姿じゃないと、甘えたら変かなあ?」
「そんなことないわ。ママは嬉しい」
いいこいいこ、と撫でてもらいながら、ネオンは夢見心地で目を閉じた。
もう、心は決めている。
───二週間後に、首都ベーヌスで。
自分から言い出した双子との約束を違える気はない。
だからこそ、今この時を大事にしたい。
今日はママにいっぱい甘えて、いろんな話をして、二人でゆっくり過ごそう。
明日はシリウスに会いに行って、トマス先生を弔うための相談をしよう。遺体が行方不明でも、お墓くらいは教え子で建ててあげたい。
ロードリックは先生の教え子ではなかったけど、事をスムーズに運ぶために巻き込もう。だって、森で偶然出会ったあの日から───。
(ウチら、友だちなんだから)
皆と離れるのは寂しい。けれど、決して今生の別れではない。
必ず帰ってくる。この温もりがある場所に。
「ねぇママ。今日の夕飯はウチが作るよ。ネオンちゃんにかかれば料理もお手の物ってワケ★……うん、ちょい盛ったけど。簡単な物なら作れるよん。何食べたい?あ、ネギは勘弁ね」
*****
アンヘルが手配してくれたケルピー船に乗り、双子は首都ベーヌスへと帰還した。
「お客さん、間もなく入港ですよ。荷物をまとめておいてください」
丁寧な御者の口調に、少し寂しい思いを抱きながら、シディアは荷物を整理する。
ネオンとの約束の日まで二週間。休息を取りたいのはもちろん、すべきことも山積みだ。
ぼろ雑巾と言っても過言ではないコレもなんとかしなければ。血がこびりついて取れない、ローブ“だったもの”を荷物の奥に押し込んだ。
「ね、ねえシディア。なんか港ヤバイ!ヤバイことになってる!」
ヤバイじゃわからねーよ、と心の中でツッコミながら顔を上げ、シディアは目を丸くした。
これまでに見たことがないほど、港が島民でごった返していたのだ。
「シディア様ー!アリステア様ー!」
「ポートシーガルを救った英雄のご帰還だ!」
「シディア様が勇者になるって!」
「アリス様とともに魔王を倒してくれ!」
皆が口々に、シディアたちの名を叫ぶ。
ダリアあたりの差し金だろうとはわかっていても、嬉しくないと言えば嘘になる。
「どうして、俺に言ってくれたんですか。アリスのほうが断然勇者らしいのに」
勇気を出してそう聞いた時、ギャビンは「勘」だと言った。
訝しむシディアに彼は問う。
人間と半妖と妖精。見分ける際にどうやって判別しているかと。
妖精は身体的な特徴で分かりやすい者が多いが、人間と半妖はどうか。見た目を観察し判断しているだろうかと。
答えはノーだ。雰囲気というか、魔力の質というか。人間か半妖かの判別は直感でできるものである。
「それだよ、それと似た勘だ。僕の勘が、リヴの次は君だと言っていた。でも君は弱い。兄妹で力を合わせて旅をするのがいいだろうね」
「もちろん、そのつもりです。俺一人だなんて命がいくつあっても足りやしない」
その後、ギャビンが小さく呟いた言葉は、誰の耳にも届かなかった。
「勇者は君だ。……世界は二人とも必要としてるだろうけど、ね」
鳴り止まぬ歓声の中を、双子は時折手を振り返したり、笑みを向けたりしながら進む。
世界を救う英雄としての第一歩を、兄は自覚を持って、妹はイマイチ自覚がないまま、ともに踏み出したのであった。
第六十三話 別れと帰還 <終>




