第六十二話 幼馴染
さすがに寝すぎたか。
カーテンの隙間から差し込む日差しは、どう見ても西日の色をしていた。
ロードリックに好きなだけ休めと言われた記憶がぼんやりとあるものの、いったい何時間ぶっ通しで眠っていたのだろうか。
喉の渇きを覚え、シディアはベッドの上で身を起こす。
左手を右胸に当てた後、服の中を覗き込んだ。穴が開いていたとは思えないほど、不自然な凹凸も無く綺麗に治っている。いつも通りの頼りない胸板があるだけだ。
シリウスの回復魔法が優れているのはもちろん、あの紫の炎もきっと関係しているのだろう。
両手を天井に向けたり、壁に向けたりと角度を変えながら、手の平に魔力を集中させようとしてみる。……うん、何も出ない。
何をどうやったらあの炎が出たのか、さっぱり感覚を思い出せないのだ。
「せっかく、魔法が使えるようになったと思ったのに」
独り言ち、がっくりと肩を落とした。
帰宅次第、他の報告と併せてこの件も両親に伝えなければ。できればギャビンの考察も聞きたいところだ。
ベッドに座ったまま一人項垂れていると、ノックの後に部屋の扉が開き、アリスがひょこっと顔を出した。
「あ、良かった起きてる。元気?動けそう?」
「元気かって言われると微妙なところだけど。歩くくらいはできるよ。でも、首都に帰るのは明日って話じゃ……?」
「ううん、そうじゃなくて。……ネオンのママ、まだ目を覚まさないみたいで」
ネオンがよほど悲痛な顔をしていたのか、もしくは泣いていたのか。
状況を説明するアリスの表情を通して、彼女の痛みが伝わってくるようだった。
昨晩、ブラッドナンバーを持ったままティラミスが姿を消した時刻以降、意識不明だった町民たちが次々に回復したのだという。
今朝その話をロードリックから聞いたネオンも、期待に胸躍らせていたことだろう。
しかし、現在夕方四時。町内で唯一、ネオンの母だけがまだ意識を取り戻せていないのだった。
「シディアの目で見たら、何かわからないかなって。ネオンが呟いてて……」
そういうことか、と合点がいった。きっと、藁にもすがる思いなのだろう。
すぐに行こう、と言おうとして昨晩シャワーどころか着替えもせずに寝てしまったことを思い出す。
というか、アリスの話を聞く限り、あれだけの戦闘の翌日なのにシディア以外は皆、いつも通り朝から活動していたようである。強靭すぎやしないか。
彼らと同じステージに到達できる日は、果たしてやってくるのだろうか。ため息を吐きつつ、急いで身支度を整えるのであった。
ネオンの家は、海岸にほど近い住宅街のはずれにあった。
「いつもは猫の姿で出入りしてんだけどね。もう、開き直って今朝から人型で鍵持ち歩いてんの。まだみんな昨日の騒ぎを引き摺ってるみたいだし、耳と尻尾さえ隠してたら、ウチもそこまで目立たないっしょ」
ネオンは鍵を手で弄び、チャラチャラと音を鳴らした。初めて港であった時と同じ、黒いフード付きのマントを羽織っている。
「最近この時間はアジトにいるか、見回りしてるかだったから、家にいるの変な感じ」
そう言ってネオンがドアを開け、三人で室内に足を踏み入れた直後だった。
家具の陰から、何者かがアリスの喉元に刃を突きつけたのは。
「……!」
全員の時が一瞬、止まる。
先に動いたのは相手のほうだった。すっと刃を下ろしたのだ。
「アリステア殿でありましたか。大変ご無礼を。その……何か別の気配を少々感じましたもので」
深々と頭を下げる少女は、見慣れない紺色の装束を纏っていた。先ほど突きつけた刃は短刀だと思っていたが、よく見るとくないのようだ。シディアの記憶に間違いがなければ、たしか───。
「忍び……?東の国の忍びがなんでここに……」
「ご存じでしたか。さすがシディア殿は博識でいらっしゃる」
「え、っていうか、誰?なに?なんでウチの家にいんの?」
軽くパニック状態のネオンの前で、少女は跪き頭を垂れた。
「ご挨拶が遅れ申し訳ございません。拙者はロードリック様にお仕えする忍び。名をヨカゼと申しまする。主命によりネオン殿のお母上、レイ殿のお世話をするため敷居を跨がせていただきました」
「ママの……お世話?待って、隣のおばさんがしてくれてると思ってたんだけど?どこから入ってきたの?鍵は?……え?もしかしてウチのごはんも用意してくれてた?ってかロードリックはなんで何も言ってくれないわけ?ビビるんだけど普通に」
まだ混乱している様子のネオンに、ヨカゼは真摯に説明を続ける。
「お隣のおばさまというのは、お母上のご親戚ですね。仰る通り、以前はあの方がお世話をなさっていました。しかし、彼女も同じように昏睡状態に陥ってしまったのです。五日ほど前でした。それを知った我が主が拙者に代わりを務めるよう命じたのです。ええと……」
コホン、と小さく咳ばらいをし、ヨカゼは少しだけ声量を落として言葉を繋いだ。
「ネオン殿のお食事も、僭越ながら拙者がご用意しました。お隣のご主人に伺って、カリカリとお水、時々おやつの魚も……。我が主が何もお伝えしなかったのは、ネオン殿が自警団の役目に集中できるように、との配慮だったようです」
はーーー、と盛大なため息をつき、ネオンは頭を抱えた。
そういうとこある、アイツそういうとこあるんだよな、などとブツブツ呟いている。
ロードリックとアンヘルを除き、町の住民は誰一人としてネオンが猫妖精であることを知らない。ネオンの母を含めてだ。
昏睡状態の人間しかいない家で、猫が不自由なく暮らし、清掃され整った家が維持されていたら、確実に変な噂が流れていたであろう。
隣のおばさんを頼ったネオンは正しかったし、代わりとしてヨカゼを送り込んだロードリックの判断も正しかったと言える。
ただ、一言くらい伝えても良かったのではないだろうか。双子は憐みの瞳でネオンを眺めた。
「実は、主命により手紙を代筆する予定もあったのですが、図らずも直接お伝えする機会に恵まれました。───ネオン殿。そしてシディア殿、アリステア殿」
ヨカゼは、三人の顔を順に見た。
「ロードリック様より、あなた方の友人としての言葉です」
おせっかいなのは重々承知だが、単刀直入に言う。
ネオンは、二人とともに旅をしたほうが良いと、俺は思っている。
一緒に行きたいと、二人とまだ一緒にいたいと、ネオン自身が思っているからだ。
今すぐポートシーガルを飛び出してついていきたい気持ちと、母上と一緒にいたい気持ちで揺れている。そうだろ?
自分の気持ちを整理して納得できたら、旅に出るといい。
その間、ポートシーガルも母上も、俺たちがまとめて守るからそこは安心してくれ。
シディア、アリステア。ネオンが追いかけて来た時は、どうか歓迎してやってほしい。
知っての通り調子のいいやつだが、実力は保障する。
俺とシリウスの大切な幼馴染が、世界をその目で見て、その足で歩いて、その心で感じて。
猫としてだけではなく、人としての幸せも掴んでくれることを、祈っている。
───追伸。直接話ができなかったことは許してくれ。兄の手伝いもあり時間が取れそうにないんだ。
それに、今さら面と向かって真面目に人生の話をするなんて、なんだか気恥ずかしいだろう?
「以上です」
ヨカゼが締めくくると、数秒の沈黙が一同を包んだ。なんとも優しい沈黙であった。
ふはっと声を出してネオンが破顔する。
「時間がないとか言いながら、絶対シリウスとは事前に意見合わせてんじゃん、これ」
「わかるの?」
目をぱちくりさせるアリスに、ネオンはニイッと歯を出して笑った。
「双子ほどじゃないだろうけど。ま、なんとなーく、ね★」
───うらやましい。そう、思ってしまった。
胸がぎゅうっと締め付けられる。どうしても彼らに重ねてしまう。
この数日で、幾度か思い出した。これからもきっと思い出すのだ。
これは辛くても大切な痛みなのだと自身に言い聞かせる。
忘れてしまうより、何度でも鮮明に思い出したい。親友たちの笑顔を。声を。雄姿を。ともに過ごした輝かしい日々を。
目にゴミが入ったふりをして、シディアは少しだけ、泣いた。
第六十二話 幼馴染 <終>




