第六十一話 伝説の狙撃手
「あー、これはもう……あかんか、限界やな」
トマス老人の姿をした男は、やれやれと肩をすくめた。その手に持つ、懐中時計のような形をした魔法具はひび割れている。
老人は消え、代わりにボサボサ頭の、やせぎすの男が姿を現した。ついに真っ二つになってしまった魔法具を、躊躇なく茂みに投げ捨てる。
バルバオラの適性魔法である偽装を、バルバオラ本人がいなくても繰り返し使えるようにするために、ドクター・コセが開発した魔法具である。
なんとなく作ってみた試作品らしいが、バルバオラから見れば試作品とは思えないほどよくできた品だった。量産が可能なら、高値で各国に押し売りしたいくらいである。
魔法そのものを劣化も変化もさせず封じ込める技術など、おそらく天才ジョセフでもまだ到達していない高みだろう。
性格に難はあれど、やはりコセは本物の天才だ───とバルバオラは思う。
出会った当初は偉そうなことばかり宣うクソガキだったが……いや、約十五年経った今もそこは似たようなものかもしれない。
「ほんじゃ、ワイはここらでお暇するわ」
「おー。生きてたら、次は酒でも飲もうや」
身体を引き摺るように港へと歩いていくバルバオラの背を、コセはしばし見守った。
腕時計が淡い光を発し、「ドクター」と呼びかけられた。アカツキである。
「バルバオラ氏を引き留めなくてよろしいのですか。港には……」
「んー?回復薬分けたったし、これまでの義理は果たしたやろ。あそこで死ぬよりおもろい展開になるんちゃうかなー、思てな。ま、知らんけど」
満天の星空を見上げる。
どこからどうやって見ているのかは知らないが、魔王にとって一連の戦いは全てエンターテインメントだ。少しでも面白いほうがいいに決まっている。
「研究も実験も自由にできる今、ワイは生きるのが楽しい。人生楽しまな損やで。……なぁ、魔王様」
*****
息が切れる。身体が鉛のように重い。コセに回復薬を分けてもらったとはいえ、魔力切れはどうにもならない。
バルバオラは港の端、倉庫の影に隠れ様子を伺った。
あのロードリックという戦士がいないことだけでも、よくよく確かめねばならない。
今の残存魔力では、偽装を一度使用することすらできない。もしロードリックと鉢合わせたならば今度こそ終わりだ。
ごくりと唾を飲み込み、港に積みあがった死体の山を見やる。
仲間は皆死んでしまった。あの時と同じだ。
たった一人のスナイパーに海賊団をめちゃくちゃにされた、あの時と。
くそ、くそ、くそ───。
「おい」
唐突に話しかけられ、びくりと肩が跳ねた。声の方向におそるおそる顔を向ける。
海上に浮かぶ、一隻のケルピー船。その屋根の上に佇む人影には、見覚えがあった。
月明かりが、声の主を淡くぼんやりと照らし出す。
バルバオラは震えあがった。
それは恐怖か、歓喜か、憤怒か。はたまた違う感情からくる震えなのかは、本人にもわからない。
「て……てめえ!忘れねーぞ、片時も忘れたことはねえ!伝説のスナイパーだかなんだか知らねーが、てめえのせいで俺の人生めちゃくちゃなんだよ!」
気づけば叫びながら、回転剣を繰り出していた。
同時に、銃声が一発。
正確無比の銃弾は、回転しながら飛ぶ剣の柄を静かにはじいた。
回転が弱まった湾曲剣は急激に高度を落とし、水音とともに暗い海に沈む。
「な……う……うわあぁぁーーー!」
バルバオラは駆け出した。みっともなく足をもつれさせ、泣き喚きながら。
復讐心もプライドもかなぐり捨てて、生存本能に飛びついたのだ。
仲間を失っても船を失っても、この海賊がしぶとく生き延びてきた所以である。
「は~……まだ走れんのかい。ったく、歳食っても元気だねェ」
ケルピー船の屋根の上で、男は頭を掻いた。目深にかぶった帽子の上からである。
その帽子の隙間から、鈍く光る銃弾を取り出した。
一発脅してやればケリがつくものと高を括っていたので、これは予備である。
───投降するなら拘束を。抵抗するならば死を。
それが、男に与えられた指示だった。
男はゆっくりとライフルをかまえた。丁寧に磨かれたそれは、大切に扱われている物だとよくわかる。
「風速良し、風向き良し。距離、射程内。まァ……あっしに撃ち抜けないモンはねェ」
男の視線が、必死に港を走る海賊の後ろ姿を捉えた。
「あばよ───バルバオラ」
風を切り迷いなく飛んだ銃弾は見事、海賊の頭部を撃ち抜いた。
こうして、因縁の対決はあっさりと幕を下ろしたのであった。
「おーい、そこの兄ちゃん。そ、あんただ、あんた。死んだふり下手くそだなァ」
声を掛けると、若い海賊はガタガタと震えながら起き上がった。
小突いただけで折れそうなほどに瘦せており、目は窪んでいる。今日のためにどこぞのスラムから連れ出されたのかもしれない。
生きるために従うしかなかったのかと思うと、男の目には彼がなんとも哀れに映った。
「あんたらのお頭は死んだが、他は何人か……何十人か?知らねェが、まだ生きてるだろ。あんたらが相手にしてた戦士は、この人数相手に手加減ができるレベルのバケモンってことでさァ。わかったら、生きてるやつ連れてとっとと帰んな。それと、お仲間に伝えてくれねェか」
帽子の奥で、男の瞳が力強く光る。
伝説と呼ばれた狙撃手。相対した者、悉くに恐怖を植え付けた、マティアスの深緑の瞳が。
「───二度とこの島に近づくんじゃねェ、クソ海賊どもが」
ひいぃ、と悲鳴をあげ、若い海賊は慌てて周囲を叩き起こす。
マティアスはその様子を横目に御者台へ降りると、おもむろに左手首をさすった。
罪人の証である銅色の腕輪はそこに無い。彼は今夜に限り、自由の身なのだ。
「アレが無ェと、どうにも落ち着かねェや。早いとこ帰って島主様か団長殿に、また嵌めてもらわにゃあ」
ずれた帽子を目深にかぶりなおし、御者は贖罪の日々に戻るのであった。
*****
深夜、とある邸宅の裏庭にて。
魔王軍最強と謳われる魔法使い・グウェルバートは大きなため息を吐き、眉間の皴を指で押さえた。
彼の主は臣下の苦悩などそっちのけで、今日も自身の器である少年と遊びまわり、今はベッドですやすやと幸せそうな寝息を立てている。
主は面白いことが何よりも好きで、むしろそれ以外は視界に入りすらしない性分である。
仕えると決めた日から、それはわかっていた。主が常に心から面白いと思える世にしなければと、誠心誠意尽くしてきた。
主はローガン少年と、かつてないほどに瞳を輝かせ日々を過ごしている。
時には町に魔物をけしかけ、時にはカード遊びをし、時には臣下をねぎらって宴会を開き、時には甘いケーキを好きなだけ頬張り、時には虫取り網を持って早朝から森に出かけ───。
ダメだ。ほとんど遊んでいるではないか。
侵攻や暗殺の提案は楽し気に快諾するのだが、人選などは丸投げ状態でそこまで興味を持っていないのが現状だ。
もともと子どもと相性が良い性質だったからこそ、器に子どもを選んだのだから、必然と言えば必然なのかもしれない。
仕方ない、仕方ないのだ。そのうち、ローガンの意識が主とひとつになれば───。
「ローガンが、どうかしましたぁ?……ガ、ハッ」
甘ったるい声に振り向くと、女は口から血を吐き膝をついたところだった。全身に付着している血液も返り血ではなさそうだ。
「キサマか。派手にやられたな」
「キサマじゃなくて、ティラミスって名前があるんですぅ~。いい加減覚えてくださいよぉ」
ため息まじりに名を呼んでやると、血塗れの口で満足そうに笑った。器である副騎士団長・イザベルはとっくに成人しているはずだが、ティラミスは時折幼い少女のような顔を見せる。
「暗殺失敗しちゃった♡でもでもぉ、これ回収してきたから許してくれますぅ?」
ティラミスは胸元から引っ張り出した紙を両手で広げ、うやうやしく差し出した。ドクター・コセが改良を加えたブラッドナンバーである。
「……言い訳は、回復したら聞いてやろう」
ブラッドナンバーを受け取り、その場を離れた。自分で治療を受けにいく体力くらいは残っているだろう。
(魔力も口調も安定したな。自己は無事確立された、か)
生まれたての名もなき悪魔と、副騎士団長イザベルのもうひとつの人格が融合した存在。それがティラミスだ。
幼少期の実験で既に生まれていたにも関わらず、イザベルの強い意思がそれに打ち勝ち、約二十年にわたり抑え込んでいた。
ティラミスが表層意識に出てこられたのは、イザベルの多大な肉体的・精神的ダメージに加え、魔王復活が悪魔の意識を刺激したからである。
顔を隠させていたのは、自己を確立していない不安定な状態で、イザベルをよく知る人物に会うべきではなかったからだ。
不安定な存在が故に魔法を行使できず、変身魔法をかけてやることすらできなかった。その状態で聖女を探すと言って聞かない面倒極まりない部下に、当時は血管が切れそうなほど苛ついたものである。
疲労を感じ、寝所へと足を向けた。
最強の魔法使いの苦悩は、きっとまだ───まだまだ、続く。
第六十一話 伝説の狙撃手 <終>




