第六話 怪しげな扉
「ここが、北端の洞窟か」
「思ったよりあっさり着いちゃったよね」
「結界を抜けたらすぐだったもんな。魔物にうっかり出くわす暇すらなかった」
三日月島の最北端。三日月の先端。
空気の澄んだ豊かな森の中、真っ直ぐに伸びる坂道を上った行き止まりに、その洞窟はひっそりと在った。
バーゼルの話では、周囲は切り立った崖に囲まれているらしく、とてもじゃないが陸路でしか辿り着けない場所らしい。遥か下のほうから、崖に打ち付ける波音がかすかに聞こえてくる。
ひょろりと背の高い兄と、小柄な妹。凸凹な双子は、洞窟の入り口に並んで立った。
逸る心を落ち着けようと深呼吸をするシディアを横目に、アリスは準備運動を始める。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。バッチリ準備してきたじゃん。どんな洞窟か知らないけど、なんか出てきたらあたしが……いや、あたしとハンマーちゃんがぶっ倒すから!」
ハンマーちゃんとは、準備運動中のアリスが傍らの岩に立てかけている桃色の戦鎚のことだ。
父ジョセフ作……と言いたいところだが、さすがにこれは本職の武器職人作の戦鎚を父がアリス用に改良したものらしい。
武器職人もまさか、自身が作った無骨な武器が桃色に生まれ変わり、持ち運びやすく伸縮可能になり、更には十六歳の小柄な少女がぶん回すなど、考えてもいなかっただろう。アリスのことだから、そのうち少女趣味なデコレーションを始めてもおかしくはない。
「シディアはまだ試してないんでしょ?その手袋……グローブ?」
「ああ、使い方は単純だし大丈夫かなって。時間もなかったし」
シディアは左手に嵌めた黒手袋を、右手でそっと撫でた。
本当は、候補が三つもあった。父ジョセフが張り切りすぎた結果である。
アリスと違ってシディアは戦士ではない。では何なんだと問われても答えられない。そんな息子の武器を短期間で三つも考案・製作してくれた父に、シディアは頭が上がらなかった。
今はまだ、何者にもなれない。
そして、いつかシディアが就きたい職業はたったひとつだ。
幼いころから抱き続けている夢。それは。
───魔法使いになること。
純粋な人間がその域に達するのは不可能だと言われている職業───魔法使い。
ありとあらゆる属性の魔法を操り、その強さと華やかさで仲間を奮い立たせ、敵を圧倒する、人智を超えた存在。
魔王軍との交戦がなくなった今、人間か否かに関わらず、魔法使い自体を見たことがない、という人々が世の中の大半である。もはや歴史書や物語の中でしかお目にかかれない、幻の職業なのだ。
その幻の職業に憧れ、夢を見ている。
今のシディアは、そんな平凡な少年に過ぎないのである。
「ま、あたしが全部片づけちゃうから出番ないかもだけどね」
アリスは自信たっぷりにそう言うと、戦鎚を手にすたすたと洞窟に入っていく。
迷いのない足取りを少し羨ましく思いながら、シディアは後に続くのであった。
洞窟に入ってすぐ、道は左右二手に分かれていた。
右手の道は明かりの一切ない、ただの暗闇が続いている。
左手の道は、ところどころ壁に穴が開いており、小さなランプが埋め込まれているようだ。以前本で読んだ炭鉱みたいだ、とシディアは思った。
淡い光で照らされている道の奥は、金属製の壁になっているようだ。否、よく見ると中央に縦方向の切れ目がある。両開きの扉だ。洞窟に扉とは、なんとも怪しげである。
「怪しいな、あれ」
「だね。でも、扉があるってことは開けろってことでしょ」
普段なら「感覚に従いすぎだ」「もっと慎重に」と諭す場面だが、今回に限ってはシディアも同意だった。
どうせどこに進んでも安全の保障などないのだ。だったら、気になるところから潰していけばいい。
近づいてみるとその扉は、遠くから見た印象以上に古めかしいものだった。コンコン、と軽く拳でノックしてみる。
金属製、というシディアの見立ては間違っていなかったが、身近にあるようなわかりやすい金属ではなさそうだ。黒ずんでいて本来の色がわからないが、青銅とかだろうか。
「じゃ、開けるよー」
観察もそこそこに、アリスが扉に両手を添える。そのままぐっと押し込み、重々しく扉が開く……と思いきや。
「あ、あれ?開かないな。けっこう力、入れてんだけど……っ」
扉はミシミシと音を立てはするものの、いっこうに開く気配はなかった。
アリスの怪力でも開かないのならば、力の問題ではなさそうだ。シディアは周囲を見回す。
「もしかして、これか?」
扉の右側、壁に埋め込まれたランプの上部に、小さなレバーがあった。こちらも古そうではあるが、錆びついているようすはない。
シディアは上がっている状態のレバーを掴み、おそるおそる下げてみた。すると。
「うわわっ」
それまでビクともしなかった扉が勢いよく向こう側へ開いた。
押していた扉が突然全開になったために、よろめいたアリスがなんとかバランスをとろうと踏ん張り、それでも倒れそうになり、やむを得ず地面に手を伸ばす───。
時間にして数秒。
その次の瞬間、なんとアリスはシディアの背後にいた。桃色の戦鎚も一緒だ。
地面にへたり込みながら、わけがわからない、という表情でアリスが呟く。
「え?あたし今扉の向こう側に転んで……なに?どういうこと?」
「それは俺が聞きたいよ」
シディアが下げたまま掴んでいたはずのレバーは、元の位置まで上がっている。
そして肝心の扉は再び閉じてしまっている。
閉まるようすを見た覚えがないのに、だ。
「もう一度、開けてみるか。いったん動くなよ、アリス」
レバーを掴みなおし、上から下へ。
先ほどと同じように向こう側へ勢いよく扉が開く。
「見て、シディア!もうひとつ扉が!」
アリスに言われ扉の奥に目を凝らす。
数十メートル先に、更にもう一枚扉が見えた。同じような両開きの扉が、同じく向こう側へ開いている。そして。
「あー、また閉じちゃった。早すぎない?」
「レバーは確かに掴んでたはずなんだけどな……」
数秒後。やはりレバーは元の位置まで上がっていて、扉は閉じている。
そして二人とも、閉まるようすを見た覚えもなければ、閉じる際に多少出るであろう音すら聞いた覚えがない。
「そういう魔法がかけられてる、ってことだな」
「クリアできなきゃ振り出しに戻る魔法ってことぉ?」
「扉と扉の間に閉じ込められるより、よっぽど親切だとは思うぞ」
わかったところで、解除できるような魔法具も、有効な対策も思いつかない。
どうしても、とアリスが言うので何度か挑戦させてみたが、レバーを下ろしてから数秒で二つの扉を通り抜けるのは、至難の業のようだった。
なにより、たとえアリスが通り抜けられたとしても、アリスが何度も挑戦してギリギリクリアできるようなスピードを、シディアは逆立ちしたって出せるわけがない。諦めて反対側の道へ進むしかなさそうだ。
悔しがるアリスの腕を掴んで半ば引きずりながら、シディアは扉に背を向けたのであった。
*****
「そういえば、あの洞窟ってさ」
束の間の休憩時間。ジョセフは右手に持ったティーカップを口もとに運ぶ。
島主家の使用人の中にも、美味しいお茶を淹れられる人間は何人もいるものの。
やはりローシェンナが淹れてくれる紅茶は格別だな、と思う。若かりし頃の旅が懐かしくなる味だ。
ローシェンナが料理上手で器用なのはもちろんだが、思い出補正というやつもかかっているのかもしれない。
ジョセフの表情を見て、ローシェンナも満足げにティーカップを傾けた。
「三日月島の、北端の洞窟ですか?」
「そうそう。僕も昔ダリアに付いて行ったことあるけど、けっこう時間かかるだろう?テントとか持たせてはあるけど、ちょっと心配だなと思って」
そうですね、とか。でもあの二人なら大丈夫ですよ、とか。
そんな即答が返ってくると思っていたジョセフだったが、ローシェンナの反応は予想と違っていた。
「あら。そんなに時間がかかるものなんですね、正規ルートだと」
「もしかしてキミ、左の扉から!?いやいやいやあれは無理……だよ……うん……普通の人間なら」
「ふふっ。ええ、普通の人間なら、難しいでしょうね」
ティーカップをソーサーに戻し、ローシェンナは眼鏡の奥の瞳を悪戯っぽく光らせた。
「スピード勝負で、私が負けるわけないじゃないですか」
第六話 怪しげな扉 <終>