第五十八話 星の終わり
姉のようなセンスも技量もない。記憶の中の姉の、見様見真似でしかない。
それでも、やるしかないと思った。今このチャンスを生かして、決めるべきだと。
まずは、相手の切り込みの角度と速度を把握。さらに今回は回転の向きも加わる。何度か観察し癖を把握済みだ。
そして防御姿勢で受け止めるのではなく───切り返すように受け流し、軌道を逸らす!
回転剣があらぬ方向へ飛び去っていくのと同時に、シディアは駆け出した。
足に纏わせた風の効力はいつの間にか切れてしまったが、バルバオラが姿を消した場所に踏み込む程度なら数秒の話だ。
そして、奴の偽装はおそらく、ロードリックの透過と発動条件が似通っている。激しい動きはできず、まだこの辺りで息を潜めているはず。
「……そこだ!」
わずかに感じた気配を頼りに、魔法剣で切りかかる。燃え盛る炎が、一瞬、海賊の驚きと怯えが混じった表情を浮かび上がらせた。
間髪を入れずにもう一撃。もはやどこを狙っているか自分でも定かではないが、夢中で突くように腕を伸ばす。
「ぐ、う、おお……!」
姿を見せたバルバオラは肩から胸、および腹部に深手を負っていた。魔法剣によってところどころ火傷らしき傷跡も見える。
ふらふらと両膝を折り、海賊団の船長はついに全身を地に預けた。周囲に血だまりが広がっていく。
───勝負あり。
乱れた息を整えながら、シディアはそう判断した。
あとはこの事態の元凶と言える、ドクター・コセを片づけるのみだ。今の奴なら、命を奪わずとも拘束できるかもしれない。
そう思った時だった。
「こんなとこで……こんなとこで終わられへん……アカツキ!!」
助けを求めるコセの声に、彼のAIはすぐさま応えた。
城壁のような木壁に、直径一メートルほどの穴がぐわっと口を開ける。
その穴の中央を瞬く間に通過する矢が、一本。
「しまっ……」
太く重く、風を切って飛んできた矢は、シディアの右胸を正面から射抜いた。
身体に刺さった矢ごと、仰向けに倒れる。
痛い。息を忘れるほどの痛みに、しばし思考が止まる。───ああ、星が綺麗だ。
痛い。生暖かいものが流れていく。この感覚は知っている。血だ。傷口からドクドクと流れ出る血が、ローブを濡らしていく。
まともにくらえば防ぎきれないだろうとは思っていたが、想定以上だった。ローブの防御など初めから無かったかのように貫通させてくるとは。
ハッと正気に戻り、痛みに耐えながら腰のポーチをまさぐった。早く、回復薬を───。
「よーし、捕まえたぜ。島主家の坊ちゃんよお……」
手首を掴まれ、ポーチから引き離された。掴み損ねた回復薬の瓶が地面に転がる。
掴んでいるのは、致命傷を負って倒れていたはずのバルバオラだった。
「あの傷で、まだ……動けるのか……」
「へへ……こちとら偽装とは四十年以上の付き合いでよー……名演技だっただろ……」
そう言いつつ、月明かりの下でもわかるほど酷い顔色である。偽装で致命傷に見せかけたということだろうが、重傷には変わりないらしい。
「あの時の痛みに比べれば……あいつらの叫びに比べれば……こんなの屁でもねぇ……ひひ、ひひひひひ……」
バルバオラはシディアの手首を掴んだまま、反対側の手を振りかざした。いつの間に取り戻したのか、湾曲剣を握っている。
またしても海賊は、にいぃっと口角を上げた。大きく開いた瞳は焦点が定まっていない。狂気がシディアの背筋をゾワリと這い上がる。
「カペル!偉大なる魔王よ!俺の願いを叶えたまえーー!!」
さすがにもう、ダメだろうか。
鼻先に近づいてくる切っ先を見つめながら、シディアは思う。
もう、終わってしまうのか。まだ───何も───。
「のっぽのお兄ちゃん!」
木の壁に開いた穴の向こう、遠くから、微かにキオの叫びが聞こえた。
そういえばキオは突然変異で、魔力が低い代わりに目が凄く良いんだって、シリウスが言っていたっけ。
「シディア!今助けに……あーもー、しつこい!」
「く、ダメだ、穴がまた閉じて……シディアーー!」
ネオンとシリウスも、シディアの名を呼んでいる。
そうだ、こんなところで終わるわけにはいかない。
皆頑張っている。それぞれ戦っている。
諦めていいわけがない。
ここで諦めたら、勇者にも、魔法使いにも、なれるはずがない。
今の俺が凡人だろうが、落ちこぼれだろうが、関係ない。
絶望するな、希望を紡げ。力の限りあがけ。未来を掴み取れ。
暗く遠く、壁の向こう。
見えるはずもない光景だった。大きく空いていた穴は、既にほとんど閉じているというのに。
けれどシディアには、くっきりと見えたのだ。
十本の腕を使いこなし、鎌を振り回し、鞭を振るい、弓に矢をつがえるアカツキ。
その中───樹木で編み上げられた人形の、左目にあたる位置で、強烈な光を放っている魔力炉が。
血のように赤いそれは、宝石のごとく輝いていた。
───美しい。思わず、そんな感想を抱いてしまうくらいには。
ドクン、と心臓が波打つ。
不思議な感覚だ。触れられるはずもない紅玉が、手に納まるような気がした。
ドクンドクン。心臓が早鐘を打つ。
共鳴するような。呼応するような。求めれば───呑み込まれてしまう、ような。
吞まれるな。呑まれるな。
自らに言い聞かせながら、赤い光に手を伸ばす。
「お前は生きろよ、親友」
あの夜の最期の言葉が、シディアの心を優しく包み、そして奮い立たせる。
俺は魂なんて捧げない。お前に利用されたりしない。
利用するのは俺のほうだ、ブラッドナンバー!
「な、なんだ?」
バルバオラは狼狽し動きを止めた。
湾曲剣の切っ先は、シディアの鼻につくかつかないかの位置である。
「剣が……火の、色が……」
魔法剣は、シディアが倒れてもその炎を絶やしていなかった。
赤々と燃えていた炎が、ゆっくりとその色を変えてゆく。
鮮やかで神秘的な、青みを帯びた紫の炎へと。
剣から炎が広がり、シディアの身体と、上に跨っているバルバオラをも包んだ。
ひぃ、と声をあげバルバオラは慌ててシディアから身を離す。
「紫の炎……まさか……東の国の……!」
炎に包まれたまま、シディアは静かに身体を起こし、立ち上がった。
血塗れのローブが、とさりと地面に落ちる。右胸に刺さっていた矢は炎に呑まれ、炭と化し消えた。
だらりと垂れ下がる右腕を動かすことはできない。しかし不思議と、剣の柄を握り続ける力は残っていた。
左手を胸のあたりで軽く広げ、手の平を天に向ける。
全身と剣先を覆っていた紫の炎が、吸い寄せられるように手の平に集まった。
混ざり、溶け合い、ひしめき合って、凝縮された炎の塊。
───それは星の終わり、最期の灯火。
頬を引きつらせた海賊に向かって、左手を突き出した。
星空を内包したように輝く、紫の炎。
この魔法の名を、シディアは知っている。心に浮かぶままを、唇が紡ぎ出す。
「星火滅せんとして光を増す!」
放たれた炎は燃え盛る一筋の熱線となって、バルバオラの胴体を貫いた。
なおも進み続ける炎はさらに勢いを増し、輝きを増し、そびえ立つ壁を青紫へと染め上げる。
草木が焦げる匂いとともに、木壁は音を立てて崩壊したのであった。
星雲のように淡く煌めく煙が、夜風に揺蕩う。
第五十八話 星の終わり <終>




