第五十七話 回転剣
輝く月を背負い、少女は飛び上がった。白金のツインテールが夜風に踊る。
眼下のサメは、これまでのダメージが積もりに積もり、動きがかなり鈍っている。休む暇もなく攻撃を続けた甲斐があるというものだ。
「これで……トドメ!!」
腕に魔力をありったけ集中し、鼻の頭にハンマーを叩きつけた。───手応えアリ。
巨体がゆっくりと倒れ込み、端から徐々に崩れ落ちていく。
空中で勝利のガッツポーズを決めたアリスは、サメから少し離れた位置に、半ば落ちるように着地した。仰向けで地面に倒れ込む。
「もう、ムリーー硬すぎでしょ、なんなのこいつ」
悔しい。それが正直な感想だった。
「今のあたしなら、セカンドで余裕だと思ったのにな。サード使っちゃった……はーぁ」
レベルセカンドのままでも、多少の長期戦を覚悟すればアリスが勝っていただろう。ただしそれは、敵の体力がアリスの予想の範疇を超えていなければの話だ。
相手の体力が測れない以上、そんなギャンブルをしている場合ではなかった。これは修練ではなく、実戦なのだから。
(あ……)
星空に包まれ目を閉じる。
必ず毎回というわけではないけれど。双子の兄がとても強く何かを想っている時、それが伝わってくることがある。
今も、きっとそうだ。シディアの強い想いが、アリスの心に流れ込んでくる。
これは───怒り。激しく燃え上がる炎みたいな、怒りの感情だ。
(無理だけはしないで、シディア。今、助けに───)
閉じた瞼の裏に浮かぶ炎に、手を伸ばす。否、伸ばしたいと思ったのに身体が動かない。泥に沈んだように重くて、だるい。
(ごめん、魔力使いすぎちゃった。ちょっとだけ、休む───ね)
*****
切り込み、防がれ、一歩後退し。更に深く踏み込み、刃と刃が激しくぶつかり合う。
シディアの感情の昂りに呼応するように、剣身に纏う炎が揺れた。
海賊団の船長・バルバオラと互角に渡り合えている。むしろ、優勢と言ってもいい状況だった。
ちらりと、風の魔力に包まれた足元を見やる。
(本当は、疲労で鈍った動きを少しでもカバーできたらと思ってたけど───)
───風乗り。
騎士団長カーマインに誘われ、彼の直属の部下であるサザナミの適性魔法を見せてもらったのは、ひと月ほど前のことだった。
学校を卒業したら冒険者になるのだと、アリスと共に報告に行った後のことだ。
風属性の魔法自体はさして珍しいものではないが、カーマインいわく、サザナミの適性魔法は「とにかく便利」らしい。何かの参考になるだろうから見ておけ、というのが誘いの理由だった。
実際に騎士団の施設内で見せてもらったそれを、シディアは穴が開くほど見つめることになった。
板状に薄く広げた風に乗り、滑るように移動する。ブーツのごとく足に纏わせ、機動力を上げる。
シディアが今回魔力を込める際イメージしたのは後者だが、それ以外にも、階段状に風を発生させ空中を移動するという、イレギュラーな使い方も披露してくれたのであった。
魔法石に魔法を込める、という言い方をするものの、適性魔法がそのまま入っているわけではない。
込められた適性魔法の性質により、炎属性の魔法石になったり、氷属性の魔法石になったりと変化するのである。
補助をしてくれる魔法具がない今、シディアは「風乗り」に似た魔法未満の、風属性の魔力を利用できているだけに過ぎない。
そのため、本家本元には遠く及ばないのだが。
(思った以上に動きやすい。魔法剣とも喧嘩してない。……ありがとう、サザナミさん!)
ダメ元での行動だったが、想像以上の効果を発揮してくれていた。
シディアも同じくではあるが、これまでの戦闘でバルバオラも息があがってきている。
厄介なのは、予備動作ほぼ無しで素早く繰り出される、湾曲剣を回転させブーメランのように飛ばす攻撃だ。木の幹すら切り刻まんばかりの勢いで、避けにくい下半身を主に狙ってくる。
その間バルバオラは丸腰になるわけだが、手元に湾曲剣が戻ってくるまで、お得意の偽装で背景に溶け込んでしまうのである。
魔法剣の炎を警戒してか、もしくは体力の温存目的か、はたまた両方なのかはわからないが、繰り出される回数は徐々に増えていた。
避けきれず二度、脇腹と太腿に食らってしまったが、ローブの防御力のおかげで浅い傷で済んでいる。
しかしローブも既にボロボロだ。当たり所によっては致命傷になりかねない。
───観察は大切だ。戦闘前はもちろん、戦闘中も観察を怠らないように。
剣の師匠の教えに従い、戦闘中、敵の行動パターンを冷静に観察してわかってきた。
姉オリヴィアやラファエルの剣技を、幼い頃から日常的に見てきたのだ。そんなシディアからすれば、バルバオラの剣はただの力任せと言っていい。良く言えば豪快、悪く言えば雑なのである。
(その雑な剣相手でも決めきれないのが、今の俺の度量ってことかよ。情けない)
力押しのわりに、不自然に間合いを詰めてこない一瞬がある。その次に繰り出されるのが回転剣だ。
コセのほうを横目で確認する。再生が追いつかず、地面に這いつくばったままこちらの様子を伺っている。魔物の細胞はその機能をほとんど失ったようだった。
刃を交えながら機を伺う。次の回転剣のタイミング。そこを狙って───決める。
しかし先に勝負を決めにきたのは、バルバオラのほうだった。
つばぜり合いの最中、突如としてシディアの視界が回る。バルバオラが足払いをかけたのだ。
少なくとも今のシディアには思いつかない手だった。剣の技量はそこそことはいえ、実戦においての経験値がまるで違う。
なんとか転ばず踏みとどまったものの、完全に体勢を崩し膝をついた。
咄嗟に防御姿勢に移ろうとしたところで、はたと気づく。
───間合いを、詰めてこない!
「死ぬんじゃねーぞ?だいじな人質なんだからよー!」
勝利を確信した笑い声とともに、湾曲剣は主の手元を離れた。同時に、バルバオラの姿は森の景色に溶け込み消える。
(なにが、死ぬんじゃねーぞ、だ)
やはりあの海賊は狂っている、とシディアは思った。回転剣の目指す先は、どこからどう見てもシディアの首だ。
「体勢を崩された時、素早く防御に転じるのは確かに基本ね。師匠もそう仰っていたし、エルは間違ってないわ。でもこれじゃあ、自ら不利な状況に持ち込むことになりますよ」
いつかの、島主家の中庭。
まさに少々体勢を崩し防御姿勢をとった少年ラファエルの剣を、カンカンッと自身の剣で叩きながら、少女オリヴィアは弟弟子にぼやいた。
「大きく崩されたわけでもないのに、もう防御姿勢だなんて弱気が透けて見えます。私は手抜きしませんよ?どうやって巻き返すつもり?」
「あの……間違ってないのに、ダメなの?」
シディアとともに見学していた幼いアリスが、小さな手を斜め上に伸ばしながら尋ねる。
オリヴィアはこちらを振り向き、ノンノン、と人差し指を左右に振ってみせた。
「ダメじゃないですよ。相手が隙を見せれば、そこから攻勢に転じることだってできる。ただ、この程度崩されただけなら、もっといい方法があるの。やってみるから、良かったら二人も見ていて。───さあ立って、エル」
あの時。姉が見せてくれた剣技の鮮やかさは、シディアの記憶に、心に、しっかりと焼き付いた。
十年近く経った今も、鮮明に思い出せるくらいには。
ずっと、できるわけがないと思っていた。
そもそも魔法使いになるんだから関係ない、住む世界が違う話だと。
ああ、でも。
剣を持ち、剣を習い、魔法剣という力を得た今ならば───あるいは。
シディアは膝をついたまま、素早く剣を持ち直した。
紫の瞳に、魔法剣の炎が揺らぐ。
回転しつつ宙を進む刃が、月光をギラリと反射した。
第五十七話 回転剣 <終>




