第五十二話 会敵
───刃物だ。どうやらナイフで刺されたらしい。
シリウスは自らの腹部に刺さった、鈍く光る物を観察する。薄くて小さい、おそらく医療用のナイフだろう。
麻痺毒が塗ってあったらしく、小さなナイフで刺されただけにしては異常なほど、身体が動かない。出血量からして、内臓を狙って刺されたのは明らかだ。
犬妖精は人間より毒に耐性があるが、それを想定した強力な毒のようだ。初めから犬妖精を狙って用意されたということか。
幸い、頭は冴えている。瞬きもできるし、口も多少は動かせそうだ。首から下の筋肉に主に作用するとか、そういうあたりの効果なのだろう。
脳をフル回転し、回復役としての分析を終えたシリウスが、次に取る行動はひとつだった。
「清らかなれアオボシ」
腹から流れ落ちる血に、回復魔法を込める。麻痺した手が、ちょうど良い位置と角度で助かった。
清水で作るそれにはもちろん大きく劣るが、流れる即席回復薬の出来上がりである。
下半身が少し動くようになったのを確認し、血だまりを蹴り上げ腕にも付着させた。質が悪いうえに量が少ない分、完全回復には程遠い。───だが、いける!
素早くキオを抱き抱え、走って距離をとった。
腹や口からはまだまだ血が零れ落ちていく。全身の麻痺も再度進行している。
単純な回復魔法だけでは追いつきそうにないが、解毒魔法を使用するには一定時間の集中が必要だ。
さて───この偽物が、そんな時間をくれるかどうか。
「ええ?まだ動けるん?めっちゃ強めに調合したんやで、これ。めんどい、通り越してドン引きやわー」
恩師の姿をした男は、もはや姿以外を真似る気はさらさら無いように見えた。
シリウスは未だぼんやりとしているキオと少女を見比べ、老人を睨みつける。
「この子たちに何をした」
「あー、この子らな。簡単に言うたらなんやろ、催眠術?体質的に、アレの影響受けやすいみたいやったから、それ使てちょっとした刷り込みをな」
「アレ……?何のことだ」
「ブラッドナンバーや、ブラッドナンバー。影響受けやすいうえに魔力量が少ないと、デバフかかるらしいな。意識の混濁っちゅー感じか。研究すればするほど新情報出て来ておもろいわ、ホンマ」
ブラッドナンバー。その単語には聞き覚えがあった。
シディアたちが探しているという、魔王の力の残滓、とかなんとか。
気になるのは、それによる影響の話だ。
(意識の、混濁……)
ネオンが「ママ」と慕う人間の女性───ネオンの飼い主が意識不明の状態に陥っていると聞いた。
ロードリックが言うには、程度に個人差はあれど、似たような症状が他の町民にもちらほら出ているらしい。
回復薬や回復魔法はもちろん試したが、皆一様に、一時的にしか効果がなかったとか。
もしかしなくても、皆ブラッドナンバーの影響を受けているんじゃないのか。偽物が、ブラッドナンバーをこの町に持ち込んだせいじゃないのか。
悲嘆に暮れるネオンの顔を思い出し、シリウスは怒りと歯がゆさで唇を噛んだ。
「さてと。いくら麻痺してるとはいえ、そんな殺意満載の目ェ向けてくる妖精に近づくとか、よーやらんわ。犬妖精を素体に使えれば面白そうや思ってんけど……まあ、この際なんでもええか」
偽トマスはもう一本、同じナイフを取り出すと、おもむろに少女に近づいた。
「ちょーっと埋め込むだけやからな。ぼーっとしてるから痛くないで、きっと」
飛び出したいが、身体が動かない。麻痺がかなり進行しているようだ。
シリウスにとっては、名も知らぬ少女だ。ただ、弟と仲が良いだけの。集落の子どもですらない。人間の娘だ。散々妖精や半妖を虐げてきた、人間の。関係なんてない。それでも───。
昔馴染みである町長の次男と、最近知り合った双子の兄妹が脳裏に浮かぶ。
───それでも、人間そのものが悪ではないことを、シリウスはよく知っている。
(やめろ、やめてくれ。誰か───!)
夜の森に銃声が轟いたのは、その時だった。
暗闇を切り裂くように真っ直ぐ飛んだ銃弾は、少女の胸元にナイフを突き刺ささんとする男の腕を吹き飛ばした。
銃声を合図に走ってきた長身の影が、その場から少女を掻っ攫う。月明かりに、特徴的な紫の髪が照らし出された。
「今だ、アリス!」
シディアの叫びと同時に、偽トマスに影が落ちる。彼の頭上から降ってきた、アリスの影である。
「カワイイ女の子に、何してんだ変態ーーー!」
桃色の戦鎚が、勢いよく脳天に振り下ろされた。あまりの衝撃に地面にめり込む偽トマスの背中に、鼻息荒くアリスが着地する。
闇の中から、ライフルを携えたネオンも姿を現した。
「やっほー、シリウス。無事?」
「子どもたちは無事だよ。僕は……まぁ見ての通り。解毒薬とか、誰も持ってないよね?」
「俺、持ってる!けど……その様子だと麻痺毒?うーん、これじゃ効かないかも」
少女とキオをネオンに預け、シディアはポーチから薬瓶を取り出した。ものは試しに、とシリウスの口に解毒薬を含ませてみる。
「ゴホッゴホッ……うん、とりあえず動けそうだよ、ありがとうシディア」
「良かった。でもたぶん、一時しのぎだろうな」
麻痺毒は治療に時間を要する。聖女と称えられる姉オリヴィアのような例外を除き、即席で治せるようなものではないのだ。妖精に効くほどの強い毒なら、なおさらである。
「あとは自分で解毒も止血もできるよ。また麻痺が進行する前に、なんとかしてみせる。だから───悪いけど、時間を稼いでくれるかい」
シリウスの視線に、まさかと思いながらシディアは背後を振り返った。
ネオンは子どもたちを自身の背に隠してライフルをかまえ、アリスはネオンの近くまで下がって戦鎚をかまえている。
ボロボロの姿でアリスの足元にいたはずの老人───だった者が、ゆらりと立ち上がった。怪我は跡形も無く、ネオンが銃で吹き飛ばした腕さえ、綺麗な状態でそこにある。
そして───彼はもはや、「偽トマス」と呼称する容姿ではなかった。
「はァァ、危ない危ない。再生する魔物の細胞、移植しといて良かったわ。ちゃんと馴染んだん、まさかの昨日やで?間に合って良かった~ホンマ」
難しいからおもろいんやけどなー。と呟きながら、やせぎすの男はヨレヨレの白衣の袖から土埃を払った。
ボサボサの黒髪、糸のように細い目、こけた頬。歳は三十前後に見える。
「さすがに変身魔法は解けたか、そりゃそうやな。あの姿になる意味ももう無いし、ええけど」
シディア、アリス、ネオンの三人は互いに視線を通わせた。
事前に最低限の役割分担は決めてある。ただ、守る対象にシリウスがいるパターンは想定外だった。
護衛役がシディアでは不安だとアリスも思ったのか、さりげなく子どもたちとシリウスを守る体勢に移行し始めている。
今のところ相手は一人だが、ロードリックが言っていた通り何が起こるかわかったものではない。現時点で既に、自らに魔物の細胞を移植したとかいう、狂ったワードが飛び出してきているのだ。
シリウスにはなんとか全快してもらい、援護にまわってほしいところである。
後衛にはネオンがいる。剣術も教え込まれた。───大丈夫だ。やれる。
「あんたが、ドクター・コセか」
前に進み出て、白衣の男に声を掛ける。
男は意外そうに目を見開いたあと「へえ」と不敵な笑みを浮かべた。
「もう名前知ってるんや。自己紹介の手間が省けたな。ま、する気もなかったけど」
夜の森に再度、銃声が轟く。
白衣の胸ポケットから何かを取り出そうとした右手と右肩を、ネオンが連続で射抜いたのだ。
「痛ーーっ!痛みは普通にあんねんで!?勘弁してや」
ぶらりと垂れ下がる右腕からは血が滴り落ちる。どうやら瞬時に再生するというわけでもないようだ。ならば、一気に攻めるが吉だろう。
ネオンとしても再生スピードを確かめるのが目的だったらしく、冷静に観察しながら次弾を装填している。
覚悟を決め、腰の剣を抜く。透明な剣身が月光を受け煌めいた。
「いくぞ……!」
第五十二話 会敵 <終>




