第五十一話 天使たちの夜
静かな夜だった。
自室でひとり本を読んでいたアンヘルは、ノックの音に顔を上げる。
どうぞ、と声をかけると、そぉっと開かれた戸の隙間から、小太りの男が滑り込んできた。アンヘルの父だ。この町───ポートシーガルの町長を務めている。
「どうしたんです、父上。そんなに慌てて」
しーっと人差し指を唇に当て、周囲を気にするそぶりを見せた町長は、青ざめた顔で息子を見上げた。
「アンヘル。可愛いアンヘルや。わしが盾になる、どうかお前は逃げてくれ」
可愛い、という言葉に思わず笑顔で頷きかけるが、ぐっと堪えた。習慣は怖いものだ。
そう、アンヘルは可愛い。成人して何年経とうが、その愛らしさは揺るがなかった。
中性的で整った顔立ち。透明感のある白い肌。輝く金の髪。海の色を映したような青い瞳。影ができる長いまつ毛。背は高いとは言えないが、それをカバーして有り余るほどの美青年である。
その美貌に加え、常に柔らかな空気をまとっている彼は、老若男女から愛されるポートシーガルのアイドル的存在だった。
その中でもアンヘルを愛してやまないのが父である町長だ。亡き母に生き写しのアンヘルを、目に入れても痛くないほどに溺愛している。
溺愛が過ぎて、腹違いで生まれた次男をぞんざいに扱ってしまうくらいには。
(これは、あれか。本命の予想がそのまま的中、といったところか。泳がせている意味はあまりなかったかな)
冷静に父を観察する息子に抱き着き、町長は懇願する。
「どうか逃げてくれ、アンヘル。今夜この町は、海賊団に占拠される。奴らの凶行に目を瞑っていれば、お前とわしは助かると言われ我慢してきたが、嘘だった。ぜんぶ嘘だったんだ!このままでは……」
町長が言い終わらぬうちに、部屋の戸が乱暴に大きく開かれた。
派手なスーツに身を包んだ中年の男が、ズカズカと父子に近づく。
異国の宝石商を名乗り、最近屋敷に出入りしていた大男だ。手には小銃が握られている。
「そのとーりだぜ、町長さんよ。アンタの大事な大事な長男は、見せしめで真っ先に処刑される。人気者の無残な姿を見れば、抵抗する気も失せるってもんだろ?必要な犠牲ってやつだ」
震える町長を支えながら、アンヘルは内心ため息をついた。あまりにも想定通りで笑う気すら起こらない。
海賊の頭では、所詮この程度か。
「はぁ。僕の身の安全が脅しの材料になるなんてね。見くびられたものだ……とはいえ、父上には隠してきたのだから当然、か」
やれやれ、と大げさに肩をすくめたのが気に障ったのか、スーツの男は銃口をアンヘルに向けた。
「ごちゃごちゃと……!」
そこからは、あっという間の出来事だった。
町長をそっと自分から引き離したアンヘルは、駆け抜けざまに、壁に掛かっていた剣を鞘から抜き取った。
スーツの男との間合いを一気に詰めると、小銃を握る大きな手を手首から切り落とし、素早く持ち替えて刃の角度を変え、太い首を下から切り上げる。
まるで踊っているような優雅な剣術に、町長は状況を忘れしばし見惚れた。
「能ある鷹は爪を隠す、とは言うけどね。君たちはもう少し、人を見る目を養ったほうがいい」
ごとり、という音とともに大男の首が床に転がる。
アンヘルが剣を振ると、鮮血が壁に線を描いた。
程なくして、廊下から聞こえてきたドタドタと品の無い足音に、アンヘルは顔をしかめる。
せっかく剣から汚い血を落としたところだというのに。
「大変だアニキ!本体からの連絡が無ぇから見に行ったら港が……え?あ、アニキ……?」
「アニキがやられるほどの戦力なんて、ここには……おい、てめぇかボンボン!何しやがった!」
口々に叫びながら武器を振りかざす海賊たちに、アンヘルは何度目かのため息を吐く。
弟ロードリックには遠く及ばないが、剣術は得意なほうだと自分でも思う。
しかし、楽しいかと言われるとそうでもない。そもそも体を動かすこと自体、あまり好きではないのだ。
「なるほど。その様子だと、港はだいぶ盛り上がってるみたいだね。さすがだよ、ロードリック。これはまたファンが増えてしまうな」
真正面から正々堂々と立ち向かい、完膚なきまでに叩きのめし、圧倒的に勝利する。戦闘でも交渉でも、それがロードリックのやり方だ。
アンヘルの場合、とくにこだわりは無い。騙し討ちだろうが暗殺だろうが、最終的に勝てば良し。そこに戦力差がどれだけ広がっていようとも、手心を加える甘さなど持ち合わせてはいない。
「僕はこの町に、ひいては、この島に害をなす輩が何よりも嫌いだ。大嫌いだ。有無を言わさずクズと認定する。異論は認めない。そしてそんなクズは、一秒でも早く死ぬべきだ。この町の空気を吸わせてやることすら勿体ないと思っている。───心からね」
輝かしい美貌に、黒い影が宿る。海賊たちを一瞬で縮み上がらせるには十分すぎる気迫を、彼は放っていた。
可愛い天使に汚い血は似合わない。
この手は正しい政治を行い、皴の刻まれた手を包み、若者の歓声に応え、幼子の頭を撫で、外交の握手をする。そのためにあるはずだけれど。
ポートシーガルのため。ベーヌス島のため。そこに生きる民のため。
そのためならば、汚れよう。害悪の首ならば、この手でいくらでも刈り取ろう。
「さてと。何人いるんだい?いち、にい……そこに隠れてるのも含めて、五人かな。面倒だから、まとめてかかっておいでよ」
*****
静かな、静かな夜だった。
───どうして、歩いているんだっけ。
犬妖精の少年・キオはぼんやりと考える。
───どこに、行こうとしているんだっけ。
誰かと手を繋いでいることに気づき、その先を視線で辿る。
月明かりに照らされた横顔は、よくよく知っている人間の少女のものだった。
───そうだ。一緒に学校に行くんだった。今日も楽しみだなぁ。
夜の森を、幼い二人は進む。見えない糸に導かれるように、迷いのない足取りで。
*****
(なんで。あんなに言ったのに。どうして)
思考がまとまらない。焦燥感でいっぱいになりながら、大犬は夜の森を駆けていた。こんなに自分の足が遅いと感じたのは生まれて初めてだ。
(頼む。間に合ってくれ)
集落の大人全員が、子どもたちの行動に目を光らせていたはずだった。なにせ、数日前にキオの誘拐事件があったばかりだ。
もちろん、シリウス自身もできる限り見ていたつもりだった。なのに。それなのに。
森の中を歩く二人を見た、という報告を聞いたのは、つい先ほどのことだ。
目撃した犬妖精の若者はしばらく家を空けていて、キオの事件はまだ耳に入っていなかった。こんな時間に珍しいとは思ったが、知らない女児といたため声は掛けなかったらしい。
目撃情報から推測するに、彼らは学校に向かって歩いていたと考えられる。
集落にはもちろん注意喚起をしたし、キオ自身にも繰り返し、しばらく学校には近づかないよう強く言い聞かせた。キオも納得していたはずだ。
キオと一緒に歩いていたという少女の家にも、こっそりと手紙を投函して注意を促した。集落の外から通っているのも、半妖ですらない純粋な人間なのも、今の生徒の中では彼女だけだったからだ。
その少女が育児放棄をされており、保護者に向けた手紙に意味はなかっただろうと知ったのも、つい先ほどだったけれど。
(見つけた……!)
大犬の姿から人型に戻り、駆け寄る。
静まりかえった教室の中央で、ふたり手を繋ぎ佇むキオと少女は、異様な空気をまとっていた。
二人とも、明らかに様子がおかしい。心ここにあらずという感じで、ぼんやりと中空を見つめている。
背後から声を掛けようとした、その時だった。
傍らの暗闇から、ぬっと人の腕が伸び、キオの首を掴もうとしたのだ。
「やめろ!」
怪しい腕とキオの間に、迷わず飛び込んだシリウスだったが。
「……が……はっ……」
腹部に激痛が走り、口からは鮮血が滴り落ちるのだった。
第五十一話 天使たちの夜 <終>




