第五十話 剛剣のロードリック
「よしよし、だいぶ重心が安定してきたな。いったん休憩にしよう」
「ありが、とう……ござい、ましたぁ……」
ゼェゼェと荒い息を混ぜながらなんとか礼を述べたシディアは、もう限界とばかりに中庭の芝生に倒れ込んだ。
特訓二日目の午後。
明日は決戦に備えて、魔力も体力も極力温存することになっているから、実戦形式の訓練を思い切りできるのは今日が最後だ。
ロードリックは決して理不尽ではないが、言語化しづらい感覚を全て実戦形式で教えるスタイルであるため、とにかくスパルタである。初めてまともに剣の訓練をするシディアにとっては、ついていくので精一杯だ。
この二日間で何年分の汗をかいただろう、と読書家の少年は息を整えながら考えた。
地下の研究施設や魔王との対峙が嘘のように、見上げた空は青く晴れ渡っている。
「おつかれー。水いる?」
青一色だった視界が、不意に褐色で塗り替えられた。ネオンが差し出した腕と、その手に持った水筒である。水筒の中身がちゃぽんと音を立てた。
「さんきゅ……助かる……」
芝生に座りなおし、水筒の水で喉を潤す。この二日間、人生で一番水が美味い。
シディアの喉が波打つ様子を微笑みながら眺めると、ネオンも隣に腰を下ろした。
「昨日に引き続き、しごかれてんねぇ。どうよ?調子は」
「もちろん、全っ然ダメ。なにせ、本来は何年もかけて培う技術を、たった数日に詰め込んで超スピードで教わってるんだぜ?習ったことはとにかく頭に叩き込んでるけど、実戦はまだまだ、お話にならない。……でも」
「でも?」
「ダメなりに、成長は感じる。すごいよ、ロードリックは。こんな凡人でも、少しはまともに戦える気がしてくるんだからさ」
確実に前に進んでいると思える。たった二日でこれは凄いことだと、シディアは思う。
魔法使いになりたいんだと、夢を語っていただけのあの頃とは違うのだ。
ダンとの強化合宿でも、結局のところダンとエイミーに「うさんくさい」などと言われた本に書かれていることを、片っ端から試すくらいしかできなかった。してこなかった。
なおその本というのは、我が子の魔法適性がなかなか判明しないことに不安を持つ親に向けて書かれた教育本が主だ。もちろん図書室にはないから、本屋で小遣いをはたいて買っていた。
たしかに改めて思い出してみると、うさんくさいことばかり書かれていたように思う。
あの頃は必死で、とにかく魔法を使えるようになりたくて、それだけで。藁にもすがる思いだったけれど。
「そういえば、この時間にネオンがいるなんて珍しいな」
深い意味はなかったが、ふと思ったことを口に出すと、黒い猫耳がピクリと反応を示した。
いつもこの時間は自宅に帰っているか、町のパトロールをしているはずである。
「あー、うん。実は、これ……」
彼女にしては歯切れの悪い言い方で、おずおずとシディアに両手を差し出す。
その手に乗っているのは、ジョセフ作の魔法銃だ。
「帰る時に落としちゃってさ。返すの遅くなってゴメン。いや、ほんと、借りたのに落とすとかサイテーすぎて!ゴメン!マジで!」
たしかにあの日から見ていなかったが、ネオンが持っているのだろうと思い、魔法銃のことは気にしていなかった。
そんなことよりも、聞かねばならないことがある。
「落としたって……あの家まで取りに行ったのか?まさか、地下まで一人で行ったんじゃないよな?」
怪しげな実験体だらけの地下施設を、拳銃を探しひとり歩くネオンを想像して、胸がざわめく。
ネオンが弱いだなんて全く思っていない。しかしこの状況で敵地に単独で乗り込むなど、危険極まりないのは確かだ。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。念のためギリギリまで猫の姿で行ったし、玄関開けてすぐのとこに落ちてたから地下には行ってないし。先生ん家、人の気配なかったよ。もぬけの殻って感じ」
知らない家みたいだったな、と少し寂し気にネオンは呟いた。
「マジで、ゴメンね。お父さんに作ってもらった大事なものなのに。貸してくれてありがと」
「いや、礼を言うのは俺たちのほうだよ。ネオンがいなかったら危なかった、こっちこそ、ありがとう」
視線が交わり、シディアとネオンは互いに微笑む。
二人の間を風がざあっと音を立て駆け抜けた。
「魔王が言ってたこと、だけど」
するりと、口から言葉が滑り出た。
意識していたわけではない、と言えば噓になる。むしろずっと頭のどこかで考えていたからこそ、思わず口に出してしまったのだろう。
ただの業務連絡とばかりに、淡々とロードリックに報告するネオンを見るのは、なんだか苦しかったし。
ぴくりと眉を動かし一瞬目を伏せただけで、「そうか」と報告を受け取ったロードリックの優しさが、なぜかシディアにも沁みて辛くなったりした。
自分が何者かわからないなんて。信じていた自分のこれまでが、思っていたものと違うかもしれないなんて。───それ以上に不安なことがあるだろうか。
「うーん、あれね。いったん、考えないことにした!」
そう言う彼女の小麦色の顔にも、黄緑色の瞳にも、陰りは見当たらなかった。
強がり、というわけではないようで少し安心する。
「そのドクター・コセってやつ?会ったら会ったで、その時考えるわー」
あの時の魔王とグウェルバートの会話からして、おそらく偽トマスがドクター・コセだろう。これはネオンも含め全員で共有している情報だ。とはいえ、確証があるわけではない。
「ウチは町の自警団だからね。今はポートシーガルを守ることだけ、考える!で、いいっしょ」
「そうだな。まずは、この町を救おう」
シディアが大きく頷くと、ネオンはニッと歯を出して笑った。
*****
───決戦当日。日没後。
本来なら商船が頻繁に出入りし、行き交う人々で活気にあふれるポートシーガル自慢の美しい港は、物々しい雰囲気に包まれていた。
何隻もの巨大な海賊船。それの一回り、二回り小さな海賊船。全ての船に髑髏の旗が掲げられ、風にはためいている。
ある者はニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら、ある者は自らの剣に血を吸わせるのを心待ちにしながら。八十人近いと思しき海賊たちは、とある一点を見つめていた。
たった一人で、堂々と彼ら海賊団を迎え撃つ、精悍な青年である。
彼の足元には既に、二人の男が転がっている。入港するなり、奇声をあげ飛び出してきたため、拳で黙らされた者たちだ。
「俺の名はロードリック。お前たちを叩き切るためにここに来た」
あちらこちらから小馬鹿にした笑いが漏れ、夜の港にこだました。
同時に「死にたがりかよ」などとヤジも飛ぶ。ヤジが飛んできた方向をちらりと見たあと、ロードリックは改めて声を張り上げた。
「まさか、たった一人に怯えて町に逃げ込むような、なさけない男はいまいな?」
大半が挑発に乗り、いっせいに武器を取った。一部では、誰が首を取るか賭けを始めているようだ。
改めて敵陣全体を見渡し、強者にあたりをつける。どれが船長かはわからないが、ひとまず全員切れば問題ないだろう。
海賊団が慎重に下見をしたりしていたのは、何かを警戒していたからだ。
少なくとも船長は噂を耳にしていたということだろう。この町を手中に収めんとするならば真っ先に警戒すべき、剛剣のロードリックの噂を。
右手で剣の柄を握った。そして───両腕を交差させ、左手も柄を握る。
それまで何もなかったはずの右腰に、剣が一振り現れる。
「父さんの剣が優秀なおかげで、いい勝負っぽい雰囲気出してたみたいだけどさ」
手合わせの後、シディアがロードリックの右腰を指差した時は、正直驚いたものだ。
「その剣も使われてたら、とっくに終わってたでしょ、きっと」
「はは、バレていたか」
「魔力の流れが、右腰あたりだけ不自然だったからね。いいなあ、二刀流とか全男子の憧れだよ」
「すまない、君だから隠していたというわけではないんだ。これを使うのは、本気の本気を出す時だけと決めている」
「ロードリックの、本気の本気?見てみたいけど怖いなぁ」
そう言って笑い、少年は興味深そうに隠し方を聞いて来たのだった。
彼に披露できないのは残念だが、観客は十分すぎるほどいる。
───透過。
ただ物を視界から消すだけの、シンプルな魔法だ。
正直、子ども時代は使い道がよくわからず持て余していたくらいには、制限の多い適性魔法である。現に、こうやって柄に触れただけで簡単に解けてしまうようなものなのだ。
両手の剣を素早く引き抜くと、向かってきた男が五人ほど切り伏せられ、三人ほどが血を流しながら吹っ飛んでいった。自動的に先頭になった次の集団が、あまりのスピード感に怯みを見せる。
これまで、海賊たちを追い払う役は基本的にネオンとシリウスに任せて、ロードリックは裏で立ち回ってきた。
全ては、噂以上に実力を測らせないため。この日、この時のためだ。
一人たりとも、逃すものか。
「来い、海賊ども。ここは近い将来、我が兄・アンヘルが治める地。汚すことは断じて、許さん」
第五十話 剛剣のロードリック <終>




