第五話 ファーストミッション
あの時。
ドワーフに向かって拳を構えているアリスの隣で。
トランクを抱き締めながら、シディアは後悔していた。
アリスのトランクにも、シディアが肩から掛けている鞄にも、父ジョセフが用意してくれた様々なアイテムが入っている。その中にはもちろん、護身用の武器や防具も含まれているのだ。
明日の朝、出発する前に宿でゆっくり支度をすればいい、なんて思っていたのは、唐突な危険に晒されることなく生きてきたが故の甘えだった。
───両親に、周囲に守られて、安穏に生きてきたが故の。
もし、あの老人が敵意を持った存在だったとしたら。
シディアは反省で半ば悶々としながら、目の前のパンとスープを見つめる。ドワーフが「まずは腹ごしらえといこう」と用意してくれた夕食だ。
大皿に盛った肉料理をキッチンから運んできたのは、なぜかアリスだった。
木製のテーブルのど真ん中に皿を置き、満足げに頷くともう一度キッチンへ消えていく。
アリスの料理の腕を考慮すると、この見るからに美味しそうな肉料理は、ドワーフの仕事だろう。料理の腕に関して、シディアも人のことは言えないのだが。
「さて、食べようかの。お前さんたちくらいの歳が育ちざかりなのは知っておる。遠慮せずにな」
「わーい、いただきまーす!」
「い、いただきます」
隣に座るなり、まるで自宅かのようにリラックスして食べ始めたアリスに正直少し引きながら。シディアもパンを千切って口に運ぶ。
誰とでも臆せず話せて───想い人ラファエルと話す際だけは様子がおかしいが───環境に素早く順応できるのが妹の長所ではあるが、さすがに順応しすぎではないだろうか。
ところで、どこかで食べたことのある味だな……とスープを味わっていると、肉料理越しに、向かいに座るドワーフと目が合った。
「お。もしや気づいたか。スープのレシピは、ローシェンナに昨年教わってな。肉料理は五年前……六年前じゃったか」
老人は思い出すように視線を上に向け、再度シディアに戻した。
「あなたは……何者なんですか」
「うむ、自己紹介がまだじゃったな」
手に持った樽型のジョッキからゴクリ、と液体を喉に流し込み、老人はふぅっと小さく息をつく。中の液体は酒のようだった。
「わしの名はバーゼル。薬師をやっている」
「薬師……鍛冶師とかじゃないんですか?その……ドワーフなのに?」
純粋な疑問がつい、口をついて出る。
その質問は慣れている、というようにバーゼルは笑った。
「ドワーフは確かに鍛冶や力仕事が得意な種族じゃ。でもな、皆が皆それじゃあ同族だけの集落は破綻するじゃろう?」
ま、わしが変わり者であるのは否定できないがな。と自嘲するバーゼルにかける言葉を迷っていると、彼は顔の前で手を振った。
「そんな畏まらんでいい。ダリアとジョセフなんて、初対面から年寄りに向ける敬意も遠慮も何もなかったぞ。そこの妹もな」
んぐっと喉を詰まらせる音がして、アリスが目を見開いた。水の入ったグラスを妹に押しやりつつ、シディアは状況の把握と整理に努める。
「薬師バーゼルから薬を買うのが、俺たちのおつかいってこと?聞いてると、ローシェンナおばさんも定期的に来てるみたいだけど」
「ああ、ベーヌス島から毎年、誰かひとりは来ておるよ。ここ数年はずっとローシェンナじゃったが」
「毎年……」
話しながら、肉料理を頬張った。スパイスがよく効いているローストだ。確かに言われてみれば、この味も知っている気がする。
「今回は子どもたちだけで行くので、くれぐれもよろしくとローシェンナから連絡があってな。聞いていた宿の近くにたまたま用事があったもんで、ついでに迎えに行ったというわけじゃよ」
「移動に使った魔法石は、父さんの?」
「もちろん、ジョセフ作の魔法石じゃ。昨年、薬代のオマケとしてもらったのが、まだ余っていてな」
バーゼルは立ち上がり、壁に無造作に掛けたローブのポケットをガサゴソと探ると、もうひとつ魔法石を取り出した。
「ジョセフ作といっても、市場には出回らない、いわゆる訳あり品じゃよ。ほれ、形がおかしいと思わんか」
差し出された魔法石を受け取って掌に乗せ、シディアはそれをしげしげと眺めた。
魔法石とは「魔法を込めた石」のことで、魔法石ひとつにつき、魔法をひとつ封じ込めることができる。父ジョセフを天才発明家として有名にした代表作だ。
もともとは透明の魔石で、封じ込められた魔法の性質によって色が変化するのが通常だが、バーゼルの魔法石は何色も混ざりあったような、複雑な色合いをしている。
バーゼルの言う通り、欠けたような、削れたような歪な形をしているが、それ以上に色のほうが珍しい。何より───。
「移動魔法の魔法石は、まだ研究段階だって父さんから聞いてるけど」
「前にシディアが、学校まで一瞬で行けたらいいのにー!って言ったとき、父様困った顔してたもんね。ちょっと悔しそうだったし」
次のパンに手を伸ばしながら、アリスが笑った。我が妹は、小柄で細身とは思えないほど、本当によく食べる。
「商品化できるほど、移動先の精度が安定しないからじゃろうな。技術的なことはわしにも説明できんが、この移動用魔法石は、ふたつの魔法を混ぜて作っておる」
シディアが魔法石を返すと、バーゼルはそれを明かりにかざした。言われてみれば、複雑な色合いの中でも、グリーンに近い色と、オレンジに近い色に分けられるような気がする。
「風属性の移動魔法を込めた魔法石に、わしがこの家の位置情報を埋め込んだんじゃ。どこにでも移動できるなんて便利な代物は無理でも、自宅にだけは一瞬で帰れる。わしだけの便利アイテムじゃよ」
そんな使い方があるのか、とシディアは驚嘆した。
ふたつの魔法をひとつの魔法石に込めるなど、前例がない。しかも片方は後から追加したというのだ。
少なくともシディアは考えつかなかったし、思いついたとしても、魔法石が耐えきれるのか、暴発しないかと安全性をまず心配するだろう。移動用の魔法石が実用化されていないのは、そのあたりに原因がありそうだ。
「ちなみにわしは、肉弾戦よりこういうチマチマした魔法のほうが得意でな。今日背負っていた斧は、見掛け倒しのお守りじゃ。この腕で振るったところで、大した威力は出んよ」
バーゼルは、自身の二の腕を服の上からポンポンっと叩いた。シディアよりは腕力がありそうに見えたが、なんだか悲しくなりそうなので黙っておくことにする。
「で、そんなチマチマ魔法でコツコツ張った結界がこの家の敷地を守っている、というわけじゃ。防御壁としては心許ないが、身を隠すには十分じゃよ。ここいらの弱い魔物には、まず嗅ぎ当てられん。今夜は安心して休むといい」
「おじいちゃん結界張れるなんてすごい!ありがとう」
「ありがとう、バーゼル。それで、本題だけど」
アリスのおじいちゃん呼びをバーゼルが普通に受け入れていることは、いったんスルーしよう。シディアは背筋を伸ばした。
「明日から俺たちは、何をすればいい?」
どう考えても、薬を買うためだけに来たとは思えなかった。
三日月島とベーヌス島は、頻繁ではなくとも商船が行き来しているはずだ。本当に薬が欲しいだけなら、その機会を利用すればいい。
人が直接受け取りに来ないと売らない、ということならば使いの者は誰だっていいはずだ。島主家の使用人に大人がいくらでもいるのだから、誰かに任せればいい。
それでも、毎年ローシェンナが忙しい合間を縫って来訪しているというのだ。
絶対に、何かあるに違いない。
「シディア、アリステア。ここから更に北、三日月島の先端にある洞窟に行ってもらう。洞窟の最奥で、薬の材料になる花を摘んでわしに届けるのが、お前さんたちのミッションじゃ」
「お花を摘んでくるミッション?それなら別にあたしだけでも……」
アリスの提案に、いいや、とバーゼルは首を横に振った。
「ひとりでは乗り越えられん場所が必ずある。最奥はそれなりに深いぞ」
「いったいどんな洞窟なんだ?」
シディアの質問を受けて、年老いた薬師はニイッと口角を上げ、悪戯っぽく笑った。
「それは『行けばわかるからさっさと行け』じゃ」
第五話 ファーストミッション <終>