第三十九話 雨は上がれど
「え、島主様の子どもってことはだよ?勇者ダリアと天才ジョセフの息子で、娘で、あの聖女様ときょうだいってことじゃん?……うわ冷静に考えたらやっば。サインもらっとくべき?」
「あはは、よく言われるー」
楽し気に話すネオンとアリスを、シディアが背後から眺める構図で、三人は港を歩いていた。すっかり雨はやみ、先ほどの天気が嘘のように空は晴れ渡っている。
トマスが監視役であること等はもちろん口外できないが、信頼の証として身分は明かしておこうということになり、先ほどの話題になったところだ。
両親と姉の知名度が高すぎるが故に、これまでは積極的に持ち出したい話題ではなかったが、今はシディア自身の名を広め、世界に認められる必要があるのだ。その一歩として家族の知名度を利用しない手はない。
親の七光りというやつのようで複雑だが、慣れていかねば。
「あ、ちょい待ち。町の中でこの姿はちょーっとマズくて。喋らなくなるけど、とりま、ついてきて」
周囲をささっと見渡し人の気配が無いことを確認すると、ネオンは地面を蹴って後ろにくるりと一回転した。いわゆるバク宙である。
見事な運動神経に感心する間もなく、地に降り立った彼女は猫の姿になっていた。艶やかな黒毛と、瞳と同じ黄緑色の首輪の対比が鮮やかだ。
変身前に言われたとおりについていくと、町に入ってすぐ、角の小さな店の前で黒猫は立ち止まった。焼き菓子店のようだ。慣れたようすで窓辺に飛び乗り「ナオーン」と甘えた鳴き声を出す。
「あらあらネオン、遊びに来てくれたの?」
窓から顔を出したのは、店主らしき年配の女性だった。トマスでないことは確かなようだ。ネオンの目的がわからず戸惑っていると、店主の視線が双子に移り、大きな瞳が更に見開かれた。
「まあ、大変!あなたたち、さっきのスコールにやられたのね?そのままじゃ風邪を引いちゃうわ。待ってて、タオルを持ってくるから」
「えっあっ、ありがとうございます」
なるほど、こうなることが分かっていて立ち寄ったのか。猫は優しい人間を見抜くのが得意な生き物だ、と何かの本に書いてあったのを思い出す。
シディアと目が合った黒猫は、得意げに胸を張るのであった。
タオルを返し店主に礼を述べて別れた後の道のりは、大変なものになった。
突如駆け出したネオンを見失わないよう、双子は必死で走った。とはいえ、足の速いアリスにとってはとくに無理のない速度であろう。問題はシディアである。
運動など最低限しかせず、部屋に引きこもって本ばかり読んでいるのが常なのだから、走る猫についていくなどできるはずもない。
アリスがスピードを調整し、ネオンもシディアも見失わないギリギリの距離を保つことで、なんとか事なきを得たのであった。
「ごーめんごめん。ゆっくり歩いてる猫に、人間がついてく構図もなんか怪しいかなと思って」
汗だくで息を切らすシディアの肩を、獣人の姿に戻ったネオンが笑いながらバシバシと叩いた。
繁華街と住宅街を突っ切り、郊外の森に入って少し進んだところで三人は小休憩を取っていた。草木の揺れる音と鳥のさえずりに包まれる豊かな森のようすは、ホテル・ネームレスで過ごした不思議な空間を彷彿とさせる。
「あちゃー、やっぱシディアはあの水たまり入っちゃったよね……」
アリスの憐みの視線がシディアの足元に向けられた。
二人が飛び越えた、そこそこ大きな水たまりを、そんな元気も運動能力もなかったシディアは見事に踏んでしまったのである。もともとスコールでだいぶ濡れてはいたが、靴の中まで水浸しでなんとも気持ちが悪い。
「用事終わったら、すぐ風呂ったほうが良さげだねー。あ、先生ん家はあの木の向こうだよ」
案内された小さな家の前には広場があり、椅子が何脚か置かれていた。黒板らしきものもある。ネオンが通っていた学校というのは、この青空教室のことらしい。
「センセー!トマス先生―!あなたの可愛い教え子、ネオンちゃんが来たぞー!」
ハイテンションな声かけとともに扉をノックすると、少し間を置いて老人が姿を現した。ぴっちりと撫でつけられた薄い頭髪に、清潔感のある服装がいかにも年配の教師らしい。
「久しぶり、先生。元気にしてた?」
「……ああ。とくに変わりなく過ごしているよ」
「今日ウチはただの案内役なんだけどね。こちらはシディアとアリス。トマス先生に会うために、首都から来たんだって」
双子が揃って頭を下げると、老人もそれに倣った。
使者らしく丁寧に、と出発前に口酸っぱく言われた最初の問いを投げかける。
「島主様の命で参りました。あなたがトマスさんですね?」
「いかにも。私がトマスだ」
島主の名を出せばさすがに察してくれるだろうと思っていたシディアの期待は、どうやら裏切られたようだ。
首都から島主の命でと伝えれば、監視役の関連で来たと考えるのが自然だろう。定期連絡を二度連続ですっぽかしているのだから余計にだ。シディアたちを家に招き入れて話をしようとしそうなものだが、老人にその気配はない。───もっとも招かれたとて、このずぶ濡れの足元では遠慮せざるを得ないのだが。
穏やかさをそのまま張り付けたような、変化の乏しい表情もいささか不気味に思える。ネオンは卒業以来、頻繁に会っているわけではないと言っていた。久しぶりに教え子が尋ねて来たのなら、もう少し大げさに歓迎したっていいはずなのに。
「あの、失礼ですが……どこか具合でも?」
「いいや?私は健康体だよ。この歳だから、体力に自信はないがね」
違和感を拭えず、続けざまに問いを投げようとしたシディアの服の袖を、アリスがくいっと引っ張った。視線の先を追うと、いつの間にかシディアの背後に二人の幼い子どもが立ってこちらを見つめている。
「せんせー、今日はお休みー?」
「雨いっぱい降ったから、教室びしょびしょだもんね。授業、できない?」
一人は人間の女児のようだが、もう一人の男児には耳と尻尾がある。犬妖精だろうか。
「もちろん、できるとも。生徒がいれば、学校はお休みしないものだからね」
トマスの言葉を聞いた子どもたちが、やったー!と無邪気に飛び跳ねるのを見て、双子は視線を合わせ小さく頷いた。自宅も判明していることだし、出直すのが無難そうだ。
「では、今日のところはこれで。また明日伺ってもいいでしょうか?」
「あ、ああ……せっかく来てもらったのに、すまないね」
ネオンを先頭に帰路につく。といっても、まだ宿も決めていないのでひとまず町のほうに戻るだけである。
また別の子どもが授業を受けにやってきたらしい青空教室の楽し気な笑い声につられ、シディアは肩越しに振り返った。
(……っ)
危うく漏れ出そうになった声を飲み込み、平静を装って進行方向に顔を戻す。
老人が、シディアを見ていた。先ほどの張り付けた穏やかさとは程遠い、値踏みするような、探るような。そんな───不穏な瞳で。
*****
───夜。
かすかに波音が聞こえる路地裏。それとなく階段状に積み重ねた空き箱。
鍵をかけていない小さな高窓から暗い室内に入ると、黒猫は各部屋を点検してまわる。帰宅後のルーティンだ。
異常がないことを確認し満足したようすで、彼女はベッドに飛び乗った。
(ただいま、ママ)
眠る女性の頬に自らの額をすり寄せ甘えつつ、穏やかな呼吸が繰り返されていることを確かめる。
(ぜったい……ウチが助けるからね)
女性の布団に潜り込み、小さな身体を丸め眠りについた。
今日は無理でも、明日こそは。明日が無理でも、明後日こそは。
大好きな笑顔に再び会えると信じて。
第三十九話 雨は上がれど <終>




