第三十五話 純血の魔女
「エル。妹ちゃんと一緒に、リヴの護衛を頼む」
「承知しました」
ラファエルとアリスが家の中に消えると同時に、魔女は音もなくシディアの前に着地した。
間近で見るその顔立ちは想像以上に幼い。傘を含めてようやくアリスに届くくらいの小さな少女は、シディアを見上げると「ほう」と興味深そうに瞳を細めた。
「お前が長男坊か。顔周りだけはよく似ておる」
幼い顔に似合わぬ不敵な笑みを浮かべる魔女とシディアの間に、ギャビンの腕が割って入る。
「わざわざこんなところまで出向くなんて、よほどの用があるんだろうね?」
「自慢の結界が破られて不満じゃろうが、そうカッカするな。今日は忠告にきただけだからの」
魔女がくるりと傘を回すと魔力が大きく動くのを感じた。どうやら、一瞬で結界が修復されたらしい。
ギャビンは苛立ちを隠さず、魔女の青い傘を上から睨みつける。
「元通りどころか、まさか強化してくれるとはね。でも、権限を書き換えたのはどういう了見かな?」
「なあに、書き換えも強化の一環よ。さっきまでの状態では、お前が精神操作でもされたら終了じゃろうて。無論、わしは耐性があるから安心せい」
精神操作、という言葉に思わず身構えた。
精神に干渉する魔法は、人間に生まれた時点で適性は無いとされている。妖精や魔物、半妖のごく一部だけが行使できるものだ。非人道的だとして、ベーヌスをはじめ多くの国や地域で使用が禁止されている魔法である。
一瞬、ギャビンは言葉に詰まったように見えた。
「……愚兄が、僕にそこまでしてくると?」
「ああ、してくるじゃろうな。それくらい、あの娘は魔王軍にとって……いや、魔王にとって脅威だということじゃ」
話しながら、魔女は探るような視線でギャビンの家を眺め、とある腰窓に目を留めた。オリヴィアの寝室の窓だ。
「ふむ、あの部屋か」
白く細い少女の手が伸ばされると、その窓とカーテンが静かに開いた。もちろん直接触れられるような距離ではない。魔法で開けたのは明白だが、どのような魔法が使われたのかは分からなかった。魔力の流れすら読めない。
まるで彼女の命令に、家そのものが従ったような。
(これが、純血の魔女───)
目の前にいる、幼い少女の見た目をした者に、シディアは憧憬と同時に恐怖を抱いていた。
騎士団長カーマインや姉オリヴィアが「別格」ならば、この魔女は「別次元」と言っていいだろう。ヒトではないのだから当然ではあるのだが、それを差し引いても、同じ人型の存在とは思えなかった。少女の身体におさまっているのは、底が知れないナニカだ。
「優秀な弟子にそこをどくように言え、ギャビン。それとも行儀よく玄関から入れば文句はないか?」
魔女の言葉にはっと我に返ると、オリヴィアの前で剣をかまえるラファエルの姿があった。
隙のないその姿にさすが!と思うと同時に、室内に妹が見当たらないことに気づく。
「あれ……アリスは……?」
「お前の双子の妹なら、あの従者の足元で眠っておる。血の気の多い娘の相手は面倒でなぁ、まあ、許せ。わしが去ればすぐ起きる」
いったい、いつそんな魔法を発動したのだろうか。
呆然とするシディアの隣で、ギャビンが無言でラファエルに合図を送った。
しぶしぶ剣を下ろし、一歩横に退いたラファエルだったが、魔女を警戒する姿勢は変わらない。
「心配するでない、お前の主を見るだけじゃ。どれどれ……なるほど、魔力炉を傷つけられたか」
「僕の見立てでは、自然治癒すると思っているんだけど」
「その見立ては間違っておらん。じゃが───まともに動けるようになるまで、かなりの時間がかかるのう。そもそも、魔力炉以外にも受けた傷が深すぎる。自然治癒に加えて回復魔法で繕っても、完全復活は厳しい。騎士として前線に立つのは、諦めたほうがその娘のためじゃな」
「な……」
もちろん、姉に丸投げする気などさらさらない。それでも、どこかで思っていた。皆と一緒に期待していた。無意識に信じて疑わなかった。
いつか───勇者オリヴィアが聖剣をもって魔王を討ち果たす、その日が来ることを。
「ただし、魔王軍はこの状態を知らん。しばらくは動けないだろう、という情報がまわっている程度じゃ。グウェルバートのやつは随分持ち上げられておるよ。あちら側では、まさに英雄の扱いじゃ。天狗の鼻がそろそろ雲の上に到達するじゃろうて」
相槌の代わりに、ギャビンが「ハッ」と小馬鹿にしたような笑いを漏らした。
グウェルバートは、オリヴィアに奇襲をかけた男だと聞いている。おそらくギャビンの実の兄である、とも。
昨晩話をしてくれた際、グウェルバートの名前が彼の口から出てくることはなかった。あえて避けていたのだろう。
どんな感情なのだろう、と思う。怒りだろうか、悲しみだろうか。それとも痛みだろうか───大切な人に癒えぬ傷を負わせたのが、実の兄だとわかったときのそれは。
「つまり、あの娘が魔王軍にとって脅威なのは変わっておらん。いつまた狙われてもおかしくない状況じゃ。グウェルバートに対抗して手柄を立てようとする者どもも少なからずおるわ。魔王の復活で魔王軍の動きも活発化して、既に甚大な被害が出ている土地もある。魔王自身が動く気配は今のところないとはいえ、用心するに越したことはないぞ」
話は以上、とばかりにエナメルの靴でトン、と地面を蹴り、魔女はふわりと宙に浮かんだ。
優雅なその姿を地に押しとどめるように、半妖の魔法使いがフリルの袖を掴む。
「あのさ、ばーちゃん」
衝撃の呼び方だった。
口をあんぐり開けたシディアには目もくれず、二人の会話は進む。
「なんじゃ、珍しくしおらしいな。祖母のありがたみが身に沁みたか?」
「やっぱり───こっち側につく気はない?」
それは質問というより、懇願に聞こえた。
真摯な孫の姿勢に思うところがあったのか、魔女の口もとから不敵な笑みが消える。
「この青薔薇の魔女・ブラウ。いついかなる時も中立を守ってきた。守りたいと思った者を守り、手を貸したいと思った者に貸す。それがどちら側かは関係ないのじゃ。この在り方を、わしは生涯変える気はないよ」
穏やかな声だったが、そこには確かな意志が込められていた。
小さく「そうだよね」と呟きながら、ギャビンは祖母の袖から手を離す。
再び浮かび上がったブラウだったが、その視線は孫ではなく、シディアに向けられていた。
鮮やかな金の巻き髪と、フリルとリボンでいっぱいの青いドレスが、ふわふわと風になびいている。真顔でいると本当に人形のようだ、などとぼんやり考えるシディアに、魔女はニヤリと口角を釣り上げた。新しい玩具を見つけたとでも言わんばかりに。
「ほーう、面白いモノを持っておるな。その瞳───大事にすることだ」
「あのう、姉さんの師匠……」
去っていくブラウを黙って見届けた後。
わなわなと震えだしたギャビンを心配し声を掛けたわけだが、シディアの声はどうやら彼には届いていないようだった。
「あんの、クソババア!なーにが中立を守ってきた、だ。結局は面倒くさいだけだろうが、グータラ魔女め!勇者の師匠なんて立場になったせいで、強制的にこっち側につかされる身にもなれよ!僕はリヴの味方であって、勇者側になりたくてなったわけじゃ……」
穏やかで、にこやかで、軽やかな大人のお兄さん。
そんなギャビンの印象がシディアの中で音を立てて崩れていく中、乱れた息を整えた“大人のお兄さん”はこちらを振り返りにこりと笑う。
「もうこうなったら、開き直ろう、そうしよう。弟くん───世界を救う勇者になる気は、あるかな?」
第三十五話 純血の魔女 <終>




