第三十三話 卒業
うっすらと、空が白み始めた頃。
荒れ果てた噴水広場に佇む、隻腕の男がいた。
街は未だ混乱の最中。解毒や回復が成功し助かった者もいれば、もちろんそうでない者も大勢いた。彼も一時的に、毒霧に倒れたひとりである。
毒の名残で黒ずんだ右手には、人づてに受け取った槍の穂先があった。愛する息子の形見。いつかの誕生日に、彼が贈ったものだ。
「……院長」
シディアが背後から声をかけるとハロルドは振り返り、静かに黙って跪いた。表情は見えない。
「違うんです。今は……騎士のハロルドさんじゃなくて」
地面に膝をつき、目線を合わせる。彼の目は、シディアを映してはいないけれど。
「親友たちの親父さんと、話がしたいんだ」
噴水だった瓦礫の山に、二人は腰を下ろした。
「正直まだ、実感がなくて。どうして、って。なんで、あいつらだったんだろうって。そればっかり考えてて」
ぽつぽつと唇から言葉が出ていく。それは、頭で考える前に発せられているようで。
「院長は知ってるでしょ?卒業したら、結婚するつもりだったじゃないですか、あいつら。俺、結婚祝い何がいいかなとか、アリスと一緒に新居に遊びに行こうとか」
声が震える。それでも勝手に口は動いている。
「気が早いけど、子どもが生まれたら俺が一番に抱っこするって言ったら、二人とも、それはさすがに院長が先だって、笑って。じゃあ、その次が院長の奥さんで、俺は三番目だなって……」
ふいに、ハロルドの手がシディアの頭に置かれた。くしゃくしゃと髪を撫でる手は、大きくて、優しくて、温かくて。───ああ、親友たちは、この手に育てられてきたのだ。
撫でられながら隣を見ると、ハロルドの頬を涙が伝っていた。
シディアの瞳からも涙が零れ、口からは嗚咽がもれる。堰を切ったように溢れる感情を制御できずに、幼子のように声をあげて泣いた。
二人が座る瓦礫の裏。
シディアを心配し探しに来たアリスも、声を殺して泣き崩れていた。
悔しかった。情けなかった。
早々にティラミスの手からペンダントを奪って対処できていれば、最悪の結末は防げたかもしれないのに。
最終的にティラミスの逃走を許してしまったと、ラファエルに沈痛な面持ちで謝罪させることもなかったのに。
もっと力があれば。もっとスピードがあれば。もっと戦闘経験を積んでいれば。
───あたしが最強の戦士だったら、こんなことには。
「ごめん……ごめんねダン。ごめんねエイミー。ごめんね、みんな。あたし、絶対に強くなるから。絶対、絶対に」
太陽は昇る。何食わぬ顔をして、眩い光がベーヌスを照らす。
それがどんなに辛く、残酷な朝だとしても。
*****
十六歳の、夏。俺は様々な経験を得て、それ以上に失って。
心はずっとあの日に置き去りのまま、勝手に時は流れていって。
たくさんの涙を見た。たくさんの傷ついた騎士たちを見た。たくさんの別れを見た。たくさんの悲しみを見た。たくさんの嘆きを見た。
気づけば秋が来て、まだ復興途中ではあったけれど、学校が再開して。
ダンとエイミーの机に花を供えたクラスメイトが、俺と目が合ったら泣き出して、クラス全員で泣いたりして。
復興が落ち着いてきて、コード・クラウンが解除された頃。
魔王軍であろう魔物の群れが、今度は海から来たりしたけれど。
騎士団長カーマイン率いる直属部隊が、それこそ赤子の手をひねるように、あっという間に殲滅してくれて。やっぱりカーマインおじさんは凄いな、別格だなって。
ずっとお通夜モードだった首都ベーヌスにも、活気が戻るきっかけになった。
同時に、胸が締め付けられた。叫びたくなった。なんであの日、ベーヌスに居てくれなかったんだ。
敵の策略だとしたって、誰か見抜けなかったのかよって。
本当はわかってる。もう何を言っても、あいつらが戻ってこないことくらい。
でも、ああ───会いたいなあ。
*****
「春うららかな今日、学び舎を巣立つ皆さんの……」
ぼんやりと祝辞を聞きながら、或いは聞き流しながら。
双子の兄妹は、それぞれ胸に抱いた遺影の縁をきゅっと握った。
シディアが一人で二人分持つこともできたのだが「エイミーのは、隣であたしが持つよ」と進言してくれたアリスの気持ちを無下にする気もなかった。
「シディア、学校に残らないって本当?」
卒業式が終わり帰り支度をしていると、アリスの友人のひとりに話しかけられた。
「ああ、うん。他に……やりたいことができて」
卒業後は学校で教師の手伝いをしつつ、更に学びを深める予定でいたのだ。
学校を卒業した後、更に勉強を続けられる学校───大学校の設立を以前からローシェンナが計画しており、その先駆けと言わずとも、確実に第一歩になるだろうと、一部の大人から期待されてもいた。
そういえば、目の前の彼女も志望していたんだったか。
「冒険者になるんだってー。イマドキ?って感じだけどね」
帰り支度を終えたらしいアリスが会話に入ってくる。
───冒険者。一般的な職業として扱われた時代も長かったものの、かつての大戦後に一気に廃れた職業である。
「魔王が復活したんだから、冒険者も復活したっておかしくないだろ。この目で世界を見て、魔王軍に虐げられている人たちを助けてまわったりしてさ」
相変わらず、シディアの魔法適性は判明しないままだった。新しい刺激を得ることで、目覚めるきっかけになるかもしれない。魔法が使えるようになったら訓練を積んで、そして、いずれは───。
「ってわけで、双子のよしみ?ってやつで、あたしも一緒に行くことにした!」
騎士団はいいのか、と。
長女が不在の家族会議で、真っ先に質問したのはシディアだった。
アリスは人差し指で頬を掻き、へへっと笑う。
「このまま入団していいのかなーって迷ってたら、カーマインおじ様に見抜かれてたんだよね。ゆっくり考えたらいい、いつでも歓迎するぞって言われちゃった」
あの悪夢のような長い長い夜で、騎士団は壊滅に近い状態に陥った。
騎士だった家族を喪った者、魔王復活の報を聞き奮い立った者などが多数志願し、人数的な補充は徐々にできつつあるものの、戦力としてはまだまだ物足りないところがあるはずだ。
このタイミングでアリスを入団させれば士気も高まるだろうに、騎士団長カーマインという人は決してしない。そういう気持ちのいい偉丈夫なのである。
「あー、だから二人ともその服装なのね?」
アリスの友人に納得したように頷かれ、少しだけ複雑な気持ちになる。
卒業式の服装は、基本的に自由とされていた。
とはいえ最期の機会だからと、制服で臨む卒業生が九割、残りは就職先に関連する服装が大半だ。
そんな中、シディアが身に着けているのは、父ジョセフ作のローブである。それ以外も、あえてあの夜と同じ服を選んだ。とくに示し合わせたわけではないが、アリスも同様だ。
あの夜を捨てるわけではない。忘れるなんてとんでもない。
ただ、卒業したかっただけだ。弱くて情けない、大切なものを守れなかった、あの夜の自分自身から。
「うんうん。いいねー、冒険者!僕も一度は憧れたもんだよ」
背後から唐突に発せられた言葉に驚き振り向くと、教室の窓に男が腰掛けていた。
シンプルでラフな服装に、ひとつに束ねた艶のある白髪。切れ長の金の瞳が双子に視線を投げる。
「姉さんの師匠……どうして?」
「やあ、卒業おめでとう。そろそろ元気が出た頃かなーと思って来てみたんだ」
ギャビンは親指を立て、クイっと窓の外を指した。おそらくあの銀の鷹───スィルヴィがそこにいるのだろう。
状況を飲み込めていないようすのアリスの手を取り、窓辺に向かう。
慌てて、アリスがクラスメイトたちに別れを告げた。
「あ、誘拐事件とかじゃないからね、君たち。ジョセフ殿にちゃんと許可はもらってるから、ご心配なく~」
ギャビンが教室内を見渡し軽く手を振ると、一部の女生徒が黄色い声をあげる。
主と双子を背に乗せた巨大な銀の鷹は、瞬く間に空へと消えてゆくのであった。
第三十三話 卒業 <終>




