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第三十二話 長い夜の決着

 そこはまるで、隕石が降ってきた痕のような。

 荒れ果てた噴水広場を、シディアはふらふらと歩いていた。

 月明かりに照らされた、巨大な瓦礫の隣を通り過ぎる。ことあるごとに島民たちが集っていた美しい噴水は、もはや見る影もない。

 街に満ち満ちていたはずの毒霧は、綺麗さっぱり消えていた。爆風がその役割も果たすと踏んでの咄嗟の判断なら、やはりダンはすごいな、と思う。

 こんなふうに考えていても、まだ頭はふわふわとしていた。

 きっと、悪い夢だ。頬をつねってみれば覚めるんじゃないか?

 起きたらダンに会いに行こう。やっぱり今年も予定を合わせて強化合宿がしたい。卒業前の思い出づくりも兼ねて、今回はエイミーも最初から誘って三人で───。

「あ……」

 むき出しになった地面に、それはめり込んでいた。震える手で周りの土を掘り、ぐっと力を込めて引っこ抜く。

 ───ダンが愛用していた槍の穂先だ。


 呆然と穂先を見つめるシディアの視界の端で、ゆっくりと地を這う影があった。黒い欠片は徐々に集まり、二メートルほどの塊が出来上がる。

 どこかへと進む気配はない。時折、思い出したように毒霧を少量吹き出すが、すぐに風がかき消していく。

 声もなく、どこを目指すこともせず、ただその場で苦しげに蠢いている。そんな虚しい塊であった。


「……お前のせいだ」

 蠢く黒い塊に、少年は向き直る。

「お前の……!お前らのせいで、あいつらは……!」

 誰かが、叫んでいる。

 ひどく怒気のこもった、荒々しい声。

 それが自らの口から発せられていることに、少年は気づかない。

 黒い柱のようだと誰もが思っていた魔物には、目があった。体躯に似合わぬつぶらな一つ眼だ。血のように赤く光る瞳が、少年を見据える。

「殺して……やる……」

 黒い塊を睨みつける少年の両眼に、同じ赤が宿る。母譲りの美しい紫が、血の色に浸食されてゆく。

 ポケットの奥底で光る小箱と、共鳴するかのように。


 少年の身体がふわりと浮き、真っ直ぐに上昇する。黒い塊が、足下で蠢いている。

「星よ、集まれ。光よ、収束せよ」

 普段の彼にはない冷徹な響きを帯びて、その言葉は紡がれる。

「穢らわしい魔性に、鉄槌を。断罪を。天罰を。すべて、すべて、すべて、この怒りによって滅びろ」

 王家の兵器で使い果たしたはずの魔力が、少年の身体に漲っていた。

 否。漲っているのは、本人の魔力だけではない。別の何かもそこには満ちている。


「───天底の崩壊(スターダスト)


 上げていた腕を、黒い塊に向けて振り下ろす。

 その腕を、力強く掴む手があった。

「おおーっと、ストップストップ!」

 危なかった~、と冷や汗を拭う男の声には覚えがある。幼い頃、どこかで聞いたような───。

「いやー、このタイミングで戻ってきて良かった。ああ、なに、メイドゴーレムの素体を手に入れたはいいけど、着せる服を忘れていてね。ちょいと調達しにきたんだ」

 さすがに人型ゴーレムを素っ裸でいさせるのはね、と軽い調子で付け足した男は思い出したように真面目な顔になると、少年の前で人差し指を横に振る。

「こんな魔力量で撃ったらベーヌス島が半壊しちゃうよ?僕は正直困らないけど、リヴが悲しむからね。エルも無事じゃすまないだろうし」

 男の言葉を聞いて、少年の脳に閃く名があった。───ギャビン。姉オリヴィアと、その従者ラファエルの師匠だ。

「あとこれは僕の直感だけど、それたぶんキミの本来の適性魔法じゃないね?空中浮遊も含めて、なーんか後付け感があるんだよなぁ」

「空中……浮遊……?」

 足元を見て、シディアは青ざめた。同時に、瞳が紫へと戻っていく。

 ぐらり。視界が揺れたかと思うと、身体が急に傾いた。

 シディアは察する。───あ、これ、頭から落ちるやつだ。

 恐怖に目を閉じた次の瞬間、首根っこを掴まれたような感覚になった。そして放り投げられ、絨毯のように柔らかな地面に尻もちをつく。

 おそるおそる目を開けると、そこは巨大な鷹の背中だった。美しい銀色の羽に囲まれ戸惑っているシディアの隣に、ギャビンが音もなく着地する。

「ありがとうスィルヴィ。飛行や浮遊系の魔法は得意分野じゃなくてね。僕も助かったよ」

 主人に褒められた銀の鷹は、どこか得意げに見えた。

 眼下にはまだ、黒い塊が蠢いている。

「お、さっきの変な魔力は消えたね。空中浮遊も意識しちゃうとダメになるのか。やっぱり、本来の適性じゃ無さそうだなー」

 しげしげとシディアを観察しながら、ギャビンはひとり頷いた。

 現実感のない状況、親友たちの(かたき)への怒り、半妖とはいえ憧れの魔法使いを目の前にした興奮、様々な感情がシディアの心に渦を巻く。

「キミはあれを、倒したいんだろう?」

「……姉さんの師匠(せんせい)は、反対ですか?」

「捕獲してジョセフ殿の研究にまわしたほうがいいか、という意味かな?いや、僕としては倒すほうに賛成だよ。あれはトドメを刺しにくいタイプだし、今がチャンスだ。魔力が回復すれば最悪、綺麗に元通りって可能性すらある」

 それだけは、絶対に阻止しなければ。親友たちの命を無駄にするようなことだけは、絶対にあってはならない。

「さっきの……さっきの魔法って、えっと……何を、どうすれば……」

 我を忘れていたが、記憶が全くないわけではない。たしかにこの手は、何か攻撃魔法を繰り出そうとしていたのだ。

「さっきのあれは、やめておいたほうがいい。僕も知らないけど、キミが力を借りていた何かが、悪いものなのは確かだからね」

 ギャビンの言う通り、何かから力を与えられていたのはたしかだろう。借りていたというより、乗っ取られるような感覚に近かったが。

 思い出して身震いするシディアの肩に、ギャビンの手が軽く触れる。

「よし、特別授業といこう。本来のキミができることを、ちゃんとイメージしてごらん」

「できること……」

「今のキミが、キミのままできることだ。大丈夫、焦らず落ち着いて、ゆっくりやってごらん」

 できること、なんて。

 何もないのだと叫びたい衝動に駆られた。

 何もないから、凡人として生きてきた。双子の妹の命を危険に晒した。親友たちを……喪った。

 視線を感じて見下ろすと、魔物の一つ目が変わらず、シディアを見据えていた。その血のように赤い瞳は、記憶に新しい。

花園の門番(ガーディアン)……)

 形も大きさも何もかもが違っていても、その目は同じように見えた。

 今のシディアが、シディアのまま、できること。

 すうっと息を吸い、ふーっと細く吐き出した。月明かりの下で蠢く黒い塊に目を凝らす。

「……見えた!魔力炉だ」

 塊の中央に、燃えるように赤い魔力炉を見つけた。

 ガーディアンの時とは違い、その輝きはかなり弱々しい。複数体いたはずだが、今の魔力炉はひとつだけのようだった。ダンが命を懸けて放った魔法は、ここまで奴を追い込んだのだ。

「へえ、珍しい能力だね。魔法とは違うようだけど……まあ今はいいか。よしよし、あの手の魔物は魔力炉が心臓と同義だからね、動けない相手の魔力炉の位置がわかれば勝ったも同然だ」

 さて、とギャビンはどこからか鋭利なナイフを取り出した。

「あとは魔力炉を壊すだけだ。持ち合わせがないならこれを貸してもいいけど……キミはどうやら、何か手段を持っているようだね?」

「……できる気がします。たぶん、だけど」


 この魔物は、絶対に、この能力で仕留めてみせる。

 思い出せ。雷神を止めた時の、あの感覚を。

 理屈はわからない。知らない。それでも、感覚だけは───。

 黒い塊に向かって両手を突き出し、魔力を込めた。直接触れずに魔力を送り込むなど初めての経験だったが、なぜかすんなりと成功した。

 塊の中央、赤い魔力炉をシディアの魔力がわし掴む。薄いガラスが割れるように、弱った魔力炉は粉々に砕け散ったのだった。


 崩れゆく塊の傍らに、古びた紙が一枚、ひらひらと舞い落ちる。

 右下の(すみ)。血のように赤いページ番号が、名残惜しそうに光を放っている。


 こうして、ベーヌスの長い長い夜は、ようやく終わりを迎えたのであった。

 重く暗い悲しみを、皆の心に残して。



   第三十二話 長い夜の決着 <終>


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