第三十一話 無上の献身
恐怖に身がすくむ、とはこういう感覚なのだと。
力及ばず次々と倒れていく騎士たちを呆然と眺めながら、ダンは思った。
東門付近に突如現れ、毒霧をまき散らす黒い柱のような魔物は、ゆっくりとこちらに進んでくる。
「走るぞ!」
エイミーの手を取り、走った。
正直なところ、走って戦っての連続だったため体力は尽きかけている。ダンより体力も魔力もないエイミーは、より辛い状況であろう。恋人の手を力強く握り、夢中で走る。
相手は、絶えず全身から強力な毒霧をまき散らしている魔物だ。柱のような体に弓矢が刺さることなくするりと貫通したり、長距離で繰り出された攻撃魔法が毒霧によって威力を相殺されるのを見た。
そうなると近距離から高威力の攻撃魔法をぶつけるしかないのだろうが、毒を防ぐ手立てが無い状態での接近戦はどう考えても自殺行為に他ならない。そもそも、そんな強力な攻撃魔法が使える人材は───。
息を切らして辿り着いた噴水広場で、ダンとエイミーは思わず立ち尽くした。
背後から進んでくるのと全く同じ魔物が、広場に二体。遠くに見えるのも含め全七体の黒く巨大な柱が蠢いているのである。
それらはすべて、同じ場所を目指しているように見えた。───避難所になっている、学校の方角だ。
「大変、止めないと……!」
エイミーが魔物の進行方向に鉄壁の大盾を作り出す。さすがは魔力で出来た盾、足止めは成功のようだ。
「う……ゲホッ」
エイミーの唇から血が滴り落ちる。ダンも立っているのがやっとの状況だ。毒霧を吸わないよう気を付けてはいたが、発生源が付近に複数集まってしまっては防ぎようがない。
「エイミー、無理するな!」
「そんなわけにいかない……!たとえ即死毒じゃなくたって、絶対ダメだよ……あの先にはみんなが……子どもたちも、病気の人も、妊婦さんだっているのに!」
エイミーの肩を支えながら、ダンはグラつく頭で懸命に考えを巡らせていた。
黒柱の魔物は、どうやら極力平らな道を選ぶ習性があるらしい。ご丁寧に整備された道を辿って進んでおり、迂回するという頭もないようすだ。
そして、噴水広場から学校へ続く道は一本だ。同様に、噴水広場から王城───島主家に向かうのも一本道。
魔物たちが学校を目指しているのは明白だが、万が一ということもある。最低でも、この二本の道は守り切らなければ、ベーヌスは崩壊するということだ。
五体、六体、と魔物が集まり、鉄壁の大盾がなぎ倒された。
すぐさま、エイミーがもう一度魔法を発動させる。
「鉄壁の大盾!……絶対に、その先には進ませない……!」
───無茶だ。
今日使えるようになったばかりの魔法を、こんな短時間で連続で使うなど、たとえ訓練でも絶対にあり得ない危険行為だ。加えて、エイミーは魔力量が人より少ない体質。とっくに限界は超えているはずだった。
血を吐きながら、苦しさに涙を滲ませながら、必死に魔法を維持しているのがわかる。
もうダンの目は、ほとんど彼女を映せないけれど。
───これが「死」か。
自分でも驚くほど冷静に、頭も心も現状を受け入れる。
目はほとんど見えない。槍を地面に突き立ててエイミーと自身を支えるのがやっとの状況だ。口の中は血の味がするし、息苦しい。きっと顔色も見れたものではないだろう。
それでも。───この俺がタダで死ぬと思ったら大間違いだぜ、魔物ども。
「なぁ」
「……うん?」
「俺……とっておきの魔法があんだよ。適性魔法だっつっても、こんなん一生使ってやらねーと思って、槍の腕ひたすら鍛えてたけどさ……エイミーと、ずっと一緒にいたかったし」
「うん、私も……ダンとずっと一緒にいたいって、思ってる」
エイミーを背後から抱き締めたダンの腕に、エイミーの左手が重なる。指を絡ませ、手を繋いだ。もうあまり力は入らないけれど、強く、強く握り合う。
「ごめんな、無理させて……怖いか?」
「ううん……ダンがいてくれるから、大丈夫。何があっても……大丈夫だよ」
「じゃあ───やるか。もう一度だけ無理、頼む」
「任された……!これが、私の全身全霊、全力の───鉄壁の大盾!」
噴水広場を、鉄の盾がぐるりと取り囲む。かくして、首都ベーヌスに出現した七柱の魔物は全て、鉄の壁の内側に閉じ込められることとなった。
*****
「なに……してんだよ……やめろよ……そんな魔法の使い方……」
水晶玉を通して一部始終を見ていたシディアの頬を、涙が伝う。
魔力も精神力も尽き、極度の倦怠感を訴え続ける身体をなんとか突き動かし、立ち上がる。
同時に眩暈を覚え、水晶玉に手をついた。小部屋の奥の壁が音を立てて開く。外に繋がる出口だとすぐにわかった。やはり地下だったようで、緩やかな上りのスロープが見える。長い階段を延々と上る必要がないのはありがたい。
受信機が地面に落ちた音にすら気づけないまま、身体を引き摺るように外に進み、島主家の敷地を出た。目指すのはもちろん、噴水広場だ。
島主家も街も大騒ぎになっているのが伝わってくる。無事な人員を総動員し、解毒や回復の手段をありったけかき集めているのだろう。
街に溢れている毒霧は、島主家側の道には至っていなかった。今安全に道を歩めているのは、親友が命を張っている結果なのだと、やりきれない思いで唇を噛む。
どう見ても、無茶だ。頭のいいエイミーなら、いくら今日の今日で使えるようになった魔法だからといって、加減が全くわからないこともないだろう。知識はそれなりに持っているはずだ。現に、投石鳥に相対した際は既にある程度の自己分析ができていた。
───■ぬ気、なのか。
脳が、その単語を拒否している。
何か他に方法があるはずだ。早まるな、頼む───。
「来るなよ!」
鉄の壁に近づくと、中から叫ぶような声がした。ダンだ。
「看取りならいらねーぞ?俺ら、愛し合ってる身なもんで。最期くらい、二人で話、させてくれよ」
「なに、言ってんだよ。看取りとか、最期とか……冗談だろ」
声が、震える。ああ、やっぱり彼らは───。
「頼むから少し離れといてくれよ、シディア……お前は、すげー魔法使いになる男なんだろ。こんなとこで巻き込まれて、くたばってる場合かよ」
「そうだよ……。魔法使いになって、お姉さんの隣に並ぶんだっていつも言ってるじゃない」
エイミーの声も、途切れ途切れだが微かに聞こえる。
シディアは鉄の壁に拳を振り上げたが、そのまま力なくだらりと腕を下ろした。
この壁を壊して、今すぐ二人に会いたい。島主家に連れて帰って治療してやりたい。
けれどこれはエイミーが命がけで作り出した壁だ。限界を超えて、それでも島民たちを守るために、必死に維持している盾だ。───殴れる、わけがない。
どうして。どうして。どうして。
泣き崩れながら、シディアは鉄の壁を見つめることしかできなかった。
壁の向こうで、ダンの魔力が爆発的に高まっているのがわかる。
彼が何をするつもりなのか、シディアは知っていた。幼い頃、魔法適性が判明した際にダンが自ら話してくれたからだ。
どうして。どうして。どうして。なんで、お前らじゃないといけないんだ。
騎士でもない、大人ですらない、お前らがなんで───■ぬ必要がある?
俺は二人にただ───生きていて、欲しいのに。
「……お前は生きろよ、親友」
穏やかな声だった。いや、穏やかに取り繕った声だったのだと思う。
もうきっと、親友たちの身体はとっくに限界で、それでもあえて、穏やかに伝えてくれたのだと。
親友に向けた、最期の言葉だったから。
「魔王軍の好きにはさせねぇ。俺たちの最期を毒なんかに渡してたまるか。俺の愛とてめぇらの図体、どっちが強いか見せてやるよ!」
ダンの魔力が更に上昇していく。
シディアは泣きながら数歩、後ずさった。
「理不尽に蹂躙し破滅をもたらす侵略者ども。この身とその身、撒き散らす災厄もろとも爆ぜろ───無上の献身!!」
膨れ上がったダンの魔力が、鉄壁の内側で爆発する。
爆風に負けじと、シディアは目を開いた。とめどなく溢れる涙を拭うこともせず、心に焼き付け、刻み付ける。
親友たちの、最期の輝きを。
第三十一話 無上の献身 <終>




