第二十七話 凡人には凡人の
息を切らしながら坂を上り、正門を通り過ぎ裏手に回る。正門から入ってももちろん問題はないのだが、裏門のほうがプライベートスペースには近道だ。
裏門には馴染みの門兵がいた。シディアが生まれる前から島主家に仕えている老兵だ。何やら落ち着かないようすで門の周辺をうろうろしている。
「今日もお疲れさまでーす!なんか大変なことになってるみたいだけど」
「あっ、おかえりなさいシディア坊ちゃん!……じゃなかった、殿下!」
「うわぁ、実際そう呼ばれると違和感しかないもんだね……ただいま」
老兵からしても、いつもと違う呼び方はしっくりこなかったのだろう。苦笑いをしながら頭をかいたあと、はっとした顔でシディアの腕を掴んだ。
「今、上で困ったことになっているようで……シディア様かアリス様が帰還次第すぐお連れするようにと。急ぎ、ダリア様のいる執務室へ向かっていただけますか」
「わかった、俺もちょうど母さんに用があるんだ」
裏門から入り、急ぎ足で階段を上る。
困ったこと、が何なのかさっぱりわからないが、シディアが行って解決するようなことなのだろうか。
廊下ですれ違う使用人たちにも、口々に執務室行きを促された。揃いも揃って挨拶の次に出てくる言葉がそれなのだから、よほどの事態のようである。
半ば困惑しながら執務室のドアを開けたシディアだったが、一目で状況を理解することとなった。
「だーかーら!他に指揮を取れる人間がいないんだから、あたしが出るしかないだろーが!離せお前たち!」
「なりません!陛下はこちらで全体の指揮を取っていただかないと」
「そうです!ダリア様に万が一があれば、それこそベーヌス存続の危機でございますよ」
剣を片手に今にも執務室を飛び出さんばかりの母ダリアと、しがみつくように彼女を抑えている騎士が数人。ベテランメイドたちも必死で説得を試みているようだった。
公の場ではいつも「わたし」と言うのに、素の「あたし」に一人称が変わっているあたりにも、母の暴走具合がうかがえる。
というか、シディアがこれを治められると思われていることにむしろ驚きである。いったいどうしろと言うのか。
「シディア、無事だったか!」
ジョセフが駆け寄ることで、ダリアはようやく息子の存在に気づいたようだった。
「おお、シディア!よく帰ったな。お前からもなんとか言ってくれ、このままだと東の砦が突破される!緊急事態なんだからあたしが出たほうが早───うっ」
言葉の最後に発したのが呻き声だと気づく前に、ダリアは頭を押さえ項垂れた。彼女を抑えていた騎士たちに、逆に抱えられるかたちで倒れ込む。
騒然となる場に、ジョセフの静かな指示が響いた。
「サザナミくん、少しだけこの場を頼めるかい?すぐ戻るよ。───君たちはダリアを寝室に運んでくれ、僕も行く。───シディア、一緒に来てくれるか」
母ダリアの寝室で、シディアは父ジョセフと向かい合った。
父も母も、常日頃から忙しい人たちだ。家族団らんは皆無でこそないものの、こうして話すのは随分と久しぶりに思えた。
バーゼルの薬を手渡すと、ジョセフはすぐさまメイドを呼び水を用意させる。
「良かった、これでダリアが……」
そっと呟きながら、宝物を扱うように薬を掌で包む父に、シディアは疑問を口にせざるを得なかった。
「……それって何の薬?」
ノックの音がして、メイドが部屋に入ってきた。グラスと水差しをサイドテーブルに置き退室する。あえて話を聞かないようにしているのがわかる仕草だった。
皆、きっとなんとなくわかっているのだ。それでも気づかないふりをして、決定的なことは耳に入らないよう努めている。───皆の勇者ダリアが、そう望んでいるからだ。
意識のないダリアの上半身を支え、ジョセフが慣れた手つきで薬を飲ませる。
粉上の薬とグラスの水は無事、母の喉を通り抜けたようだった。
「セフィドの花は、万能薬とも言われる材料だけどね。これは、バーゼルがダリア仕様に調合してくれた、魔力炉の暴走を止める薬だよ。本来の効果は約一年。今年は、症状が早めに出ていてね。危うく、手遅れになるところだったかもしれない」
ぽつぽつと、振り出し始めの雨のような調子で、ジョセフは答えた。
聞きたいことは他にも山ほどある。しかし、こんな辛そうな顔をしている父を質問責めにするような、非情な息子にはなりたくなかった。
「そうか、ありがと。あとは、落ち着いたらまた聞いてもいい?父さん」
「もちろん。こっちこそ、丈夫に作ったはずのトランクをここまでボロボロにした経緯はちゃんと聞きたいところだよ。まぁ、原因と思しき報告はあがってきてるけどね。本当に、キミが無事でよかった」
「その件だけど、姉さんも無事……なんだよな?」
ジョセフは「ああ」と力強く頷いた。
「今詳しくは話せないけど、安全な場所に避難しているよ」
「それならよかった」
「……怒っているかい?キミたちに何も話してこなかったこと」
父の柔らかな茶色い瞳が、後ろめたさに揺れているように見えた。
今や天才と持て囃される父ジョセフも、かつてはただの凡人だったと本人は言う。
母ダリアのように英雄気質でない者にとっては重すぎるものを、父は必死で背負ってきたのかもしれない、とシディアは思った。
とはいえこの研究バカの父から「天才」を取ったら、凡人ではなく「変人」になるだろうとは思うのだが、さすがに黙っておくことにする。
「大人になるということは、抱える秘密が増えるということでもある。秘密は人生のスパイス足り得るものだ。───って、この前読んだ本の台詞にあったよ」
「……そうか。その本、父さんも今度読みたいな」
「もちろん」
ジョセフはひとり執務室へ戻り、シディアは母の寝室に残された。
ダンたちやアリスが無事だろうか、と考えると落ち着かないが、「呼吸が落ち着くまで見ていてやってほしい」などと頼まれればさすがに断る理由はない。
そして、たとえ街に戻っても足手まといにしかならないのもわかっていた。
シディアは素手になってしまった左手を見つめる。嵌めていた黒手袋は、先ほど外して父に渡してある。見るからに擦り切れており、このまま使えば暴発しかねない、とジョセフに指摘されたからだ。
無茶な使い方をしたせいだろう、とも言われた。心当たりはしっかりある。
だったら他の魔法具を……と頼もうとした頃には、ジョセフは背を向け執務室へ向かっていたのであった。
わかっている。わかっている。
息子をこれ以上危険に晒したくない気持ちは痛いほど伝わってくる。
(だって……十六歳で魔法適性すら判明してない、凡人だもんな)
むしろ、このままでは凡人どころか落ちこぼれだ。
無力感に苛まれながら、ダリアの様子を確認する。
慣れない手つきで額の汗を拭っていると、母の唇が微かに動いていることに気がついた。身体を折り曲げ、唇に耳を近づける。
「あたしたちが、もたらしたのは……束の間の平穏だ……。あの子たちには……恒久の平和を……掴みとって……」
うなされたように言い終えると、数秒後、ダリアは穏やかな寝息を立て始めた。薬の効果が出てきたのかもしれない。
メイドと入れ替わりに寝室を出て、後ろ手で扉を閉める。
東の砦が突破される、とダリアは言っていた。
ダンやジョセフから聞いた状況と合わせると、東から首都ベーヌスに向かっている魔物の群れは、東の砦で食い止める必要があるだろう。そこを突破されてしまえば、あとは首都の東門くらいしかまともな防壁はないはずだ。
それに加えて、騎士団長カーマイン、副騎士団長イザベルの不在。隊長を務める姉オリヴィアも行方不明となれば、母が自ら出陣しようとした気持ちもわかる気がした。
今の騎士団は人数こそ足りているが、練度は足りていない、とカーマインが漏らしているのを小耳にはさんだこともある。平和な世が続けばそれも仕方ないというものだが、おそらく問題はそれだけではない。
不在にしている三人が、個々の戦闘力において抜きん出ていることは、シディアですら知っている事実だ。
今、騎士たちはさぞ不安に違いない。強大な支柱をすべて失っているのだから。
それでも───街で見た彼らは皆、戦っていた。自らの役割を全うしていた。
パンッ!と音を立て、シディアは自らの両頬を掌で叩いた。
皆それぞれ大変な思いをしているのだ。この非常事態にひとり腐っている場合ではない。
「俺には、俺のできることを」
第二十七話 凡人には凡人の <終>




