第二十六話 林間の決闘
痛みの残る左脚を叱咤しながら走る。
消火作業中のエリアを抜け、橋を渡り、北へ、東へ。
ローブには穴が開いて血と埃に塗れているし、髪は汗と潮でベタベタだ。
ダンとエイミーが回収してくれた荷物も見るからにボロボロで、とくにトランクはもう使い物にならないレベルである。
こんな状態で帰宅すれば使用人たちが大騒ぎするだろうな、とシディアは目線を上げた。
小高い丘の上に立つ島主家を視界に捉える。もうひと踏ん張り、と気合いを入れなおしたその時だった。
「っ!二人とも、右に避けろ!」
しんがりを務めるダンが叫ぶ。
シディアとエイミーが慌てて右に飛び退くと、なにかが勢いよく降ってきた。屋根材の一部かレンガだろうか。重量のある四角くて硬い物であろうことはわかる。
音を立てピンポイントで着地したそこが、数秒前にシディアがいた場所だと気づき心臓が縮こまる思いだ。
「見て!屋根の上!」
エイミーが指差す先には、こちらをじっと見つめる四つの眼があった。鳥型の魔物が二匹。大鷲と同程度の大きさだ。
「投石鳥……」
シディアが呟き、ダンが槍を構える。
「投石鳥?」
「高いところから岩とかを落として、獲物を狩る魔物だ。俺も実物を見るのは初めてだけどな」
もともとはただの鳥だったものが、魔王の力により変質した魔物だと、本で読んだことがある。
いや待てよ。と、シディアは四つの眼を見つめ返す。
(魔王は今、封印されているのに───?)
「そっちに行ったぞ!逃げろ君たち!」
騎士が張り上げた声にハッとする。
屋根上に留まっているのとは別の投石鳥が、騎士二人に追い立てられてすぐ近くまで飛んで来ていたのだ。
東門は騎士団が重点的に守っているはずだが、いくら弓兵を配備しても、空を百パーセント守るのはなかなか難しいのだろう。
「エイミー!」
ダンの焦りに満ちた叫びが聞こえる。
投石鳥の鋭い嘴が、エイミーに届こうとした、次の瞬間。
「鉄壁の大盾!」
エイミーの言葉とともに突如、空中に出現したのは、巨大で重厚な盾だった。
投石鳥の嘴を跳ね返し、そのまま地面に叩きつける。
騎士たちは一瞬呆気にとられた後「ひゅー!一撃!」「やるな、お嬢さん!」と誉め言葉を残し、屋根上にいた投石鳥たちを追って去っていったのであった。
「か、かっけぇーーー」
シディアの口から飛び出た素直な感想に、エイミーは振り向き照れくさそうに笑う。
よくよく知っている、ほがらかで料理好きな少女と同一人物とは思えないほど、その笑顔は大人びて見えた。
「わたしの少ない魔力量じゃ、すぐ品切れになっちゃうんだけどね。短時間しか出せないし。今日は使えてあと一、二回ってとこかな」
「ってかエイミー、魔法いつのまに……」
エイミーはシディアと同じく、まだ魔法適性が判明していないはずだった。
少なくとも、長期休みに入る前までは。
「本当は今日、院長が不在でね。慌てて帰ってきてくれたけど、それまでは孤児院に大人がいなくて。わたしがみんなを守らなきゃーって思ったら、なんか、急に」
「なんか急に……?そこんとこ詳しく。とてもすごく詳細に頼む」
「シディア、顔がマジすぎて怖いよ」
そうこうしているうちに、またしても魔物が空から近づいてくる気配がした。
「お前がそこ気になる気持ちはわかるけどさ。急ぎの用があんだろ、行け!背後は俺とエイミーに任せろ」
槍を掴みなおしたダンに促され、シディアは帰路についた。
「二人とも、無理するなよ!」
「おう!」
「シディアも気を付けて!」
*****
遠くに見える林道の灯りを頼りに、アリスは暗い林の中を駆けていた。整備された街道を進むより、このほうが近道だからだ。
右手に戦鎚、左腕に子どもを抱え、怪我人を背負っている。
怪我人が自力でしがみつける体力が残っているのが不幸中の幸いだが、それもいつまで持つかわからない。とりあえず適当な布で止血はしたが、アリスに医療の知識があるわけではなかった。背から聞こえてくる息遣いが、少しずつ弱まっている気もする。
母子を避難所に届けて、怪我の処置を急がなければ。早く。もっと速く。
「おーい、迷ってるのか?林道はこっちだぞー」
林道の街灯の隣に、こちらに手を振る人影が見えた。騎士団員だ。
アリスは急ブレーキをかけ方向転換し林道に向かう。
「アリステア様じゃないですか!?よくぞご無事で……その者たちは?」
「怪我人と、この人の子ども!学校に運べば手当てできるんだよね?」
「仰る通りです!私が怪我人を運びます。さあ、避難所はすぐそこだ、頑張って」
騎士に怪我人の女性を任せ、いったん降ろしていた子どもを再度抱えようとした時だった。
「ふぅん。なんか大変そうだ。そんなことよりさぁ」
突然、耳元で囁かれアリスの背筋が凍る。
背に迫ってきた刃を間一髪、戦鎚で退けると敵は後方に大きく跳躍した。
「お前の姉───聖女オリヴィアの居場所、知らない?」
曲線を描く身体のライン、艶のある声、剣を握るしなやかな手。
暗がりの中に立つ女の顔は見えないが、明らかな害意を感じる。
アリスの本能が危険信号を最大レベルで発し始めた。この女は───やばい。
「……その人たち連れて逃げて」
騎士のほうは振り向かず、女を見据えたまま声を掛ける。
「そういうわけにはいきません!私が残ります。アリステア様は……」
「用事あるのはあたしみたいだから。その人たち巻き込めないでしょ!早く!」
「───っ!」
母子を抱えた騎士が走り去っても、女は無反応だった。
やはり、狙いはアリスひとりだけのようだ。
「姉様の居場所なんて、聞いてどうするの」
「ん~?どうかな、上司次第でもあるけど……」
カツ、カツと靴音を鳴らしながら女はゆっくりと近づいてくる。
そのすらりとした長身が街灯の下に立つと同時に、アリスは驚きのあまり、あんぐりと口を開けていた。
女は、頭に紙袋を被っていたのである。パン屋などでよく見る、素朴で茶色いあれだ。
「え?なにそれギャグ?」
「顔を隠せる適当なものが、道中で他に見当たらなかっただけだ。気にするな」
気を取り直して、というようにコホンと軽く咳ばらいをすると、女は話を続ける。
「上司がオリヴィアをどうしたいかは知らないけど、一応意見は聞いてあげるつもり。そのうえで、ボクの自由にしていいって言うなら───殺す」
アリスは戦鎚を握りしめた。目出し穴すら空けられていない、ふざけた紙袋仮面を睨みつける。
「姉様の敵は、あたしの敵!」
振り下ろした戦鎚が、街灯の光を浴びて桃色の弧を描いた。
キャハハハ、と女は気味の悪い笑い声を発しながら飛び退くと、一瞬で体勢を立て直し細身の剣を突き出して来る。
───速い。
スピードと力技を得意とするアリスだが、女はアリスのそれを凌駕していた。
主にアリスが攻め、女が躱していたはずの戦いが、林の中で撃ち合うにつれ徐々に逆転する。
スタミナの問題だけではない。敵の攻撃のレベルが徐々に上がっているのだ。今や守りで手一杯。攻めるどころではない。
表情は見えないが、女がずっと嗤っているように、アリスには思えた。ふざけた紙袋がどんどん不気味に見えてくる。
「うん、お前はまあまあ楽しめたな。じゃあ────死ね」
防御が間に合わず、女の刃がアリスの胸に届こうとした、その時。
目にも留まらぬ速さで二人の間に割り込む影があった。細身の剣を、更に細いレイピアで弾き返し、アリスを抱き抱えて林道まで跳躍する。
街灯に照らし出された、整った横顔。うなじで短く束ねた黒髪。いつもの執事服ではなく騎士の鎧を身に着けたその姿を、アリスは状況も忘れてうっとりと眺めた。
「ラファエル……さん……」
「遅くなり申し訳ありません、アリステア様」
丁寧な手つきで林道にアリスを下ろし、ラファエルは不気味な紙袋仮面に向き直った。
「ずいぶんとふざけた格好ですね。ギャグですか?」
「いやこれは……って、もう面倒だからいいや。誰かと思ったら、オリヴィアの従者か。ちょうどいい、オリヴィアはどこだ」
主の名にぴくりと反応したラファエルは、レイピアを縦に構えた。
「私はラファエル。勇者オリヴィアの従者にして、今宵は騎士団にて臨時隊長を務める者です。そちらの名は?」
「急に自己紹介かよ」
「決闘には必要な手順かと」
「なるほど?んー、名前、名前ねぇ」
腕を組み少々考える仕草をした後、紙袋の下で女がふっと笑う気配がした。
「ボクの名は───ティラミスだ」
第二十六話 林間の決闘 <終>




