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第二十三話 日没、開戦

 海上は穏やかな日没を迎えていた。ベーヌス島まであと数百メートル。針のような山々だけでなく、港の灯りも視認できる距離まで近づいている。

「全速力のつもりだったが、ギリギリ日没にはなっちまったか。陽のあるうちに着けなくて悪いねェ、坊ちゃんたち」

 申し訳なさに多分の悔しさを滲ませて、御者は目深にかぶった帽子を片手でくしゃりと握った。

「いやいや、十分速かったよ」

 続けて礼を言おうとしたシディアの目に、白い光のようなものが映る。街のほうからだ。

 海上に爆発音が轟いたのは、その直後だった。

「波が来る!しっかり掴まってくだせェ!」

 何がなんだかわからないまま船にしがみつきながら、シディアは徐々に近づく島の様子を、信じがたい気持ちで見ていた。

 火事だ。

 街のあちこちで、明らかに火の手があがっている。

 距離が近づくに連れて大きくなる喧騒。怒号。悲鳴。

 それに混じって微かに聞こえる、獣のような唸り声───平和なベーヌスでは滅多にお目にかからないが、魔物の声に違いない。

「ごめん、シディア!これよろしく!」

 突然、アリスが投げて寄越したのは彼女のトランクだった。またかよ、と言いたいところだが、今はそんな場合でないのも重々承知だ。

「オジサン、屋根借りるね!方向も速度もそのままでいいから!」

「もちろんでさァ!それなりに頑丈な屋根だ、心配せず足場にしてくんなァ!」

 爆発の余波に揺れるケルピー船で、屋根の上に素早く上ったアリスは、相棒(ハンマー)とともに数メートル先の陸に飛び移った。

 シディアには到底真似できない芸当だが、むしろアリスは想定より飛びすぎてしまったようだ。

 おそらく着地したかったのであろう、母子の目の前をさらに超えて。

「わっとっと!」

 そのまま勢い余って、その母子を襲おうとしていた魔物に突っ込んで行く。

 悲しいかな、魔物は自らに何が起きたかサッパリわからぬまま、頭を地面にめり込ませ行動不能に陥ったのであった。

 数秒とたたないうちに、子どもの激しい泣き声が聞こえてくる。

 きっと助けが来て安心したのであろう。ミサイルのごとく高速で飛んできた少女に驚いて泣いたわけではないはずだ。たぶん。

「学校が避難所になってるんだって!あたしはこの人たち運んでくから、シディアは母様に薬、届けて!」

 怪我人らしき母親を背負いながら、アリスが叫ぶ。

 陸から見えるように両手で大きく丸を作ってやると、アリスは駆け出し、すぐに見えなくなった。


 ほどなくして、ケルピー船は無事に入港することとなった。

 街からさほど離れているわけでもないが、港は人の気配がない。日没を過ぎているので当然とも言えるが、普段はまだ漁師や御者がちらほら歩いている時間だ。

 避難指示は早くから出されていて、皆早めに仕事を切り上げたのだろうか。そうすると、先ほどの爆発以前にも何か問題が起きていたことになる。

「オジサンは許可された場所以外、陸上がれないでしょ。できるだけ島から離れてたほうがいいと思う」

「本当に坊ちゃんは、よくご存じで。ありがたくそうさせてもらいやすよ」

 改めて礼を言い歩き出そうとしたシディアに、今度は御者のほうが声を掛けた。

「これは勘でしかねェんですがね。たぶん、良くないものがいまさァ」

「良くないもの?」

「えェ。それが何かまではわからねェが……どうかご無事で、坊ちゃん」


 自宅である島主家に帰るにはいくつかルートがあるが、日が暮れて、謎の爆発もあり、しかもなぜか魔物が出現しているとなると、シディアが一人で進めるルートは限られている。

 人がいる街中を進めば、おそらく騎士団もいることだろう。

 こんな状況で安全もくそもないが、生存確率は高いに越したことはない。

 港から街へ向かう道は、やけに静かだった。その分、街のほうから火事の熱気や混乱がビシバシと伝わってくる。

 何が起きたかを考えるのは後だ。まずは薬を届けなければならない。

 シディアは荷物を持ち直した。ポーチに手を入れ、薬の感触を確かめる。


 きっとバーゼルが気にしているのは薬の有効期限ではない。そうシディアは確信していた。

 セフィドの花は摘み取ってから一日で枯れてその効力を失ってしまうが、製薬してからは三日間持つと聞いているからだ。

 それでも早めに飲ませたほうがもちろん良いわけだが、バーゼルのあの慌てようには結びつかない。

 だとしたら危ういのは薬ではなく───薬を必要としている人間のほうだと推測できる。


 シディアの脳裏に母ダリアの顔が浮かんだ。

(あの、殺しても死ななそうなひとが……?いやいやまさか……)

 バーゼルがダリアに届けろと言っていたのは、母を経由して誰かに薬を飲ませるためかもしれない。きっとそうだ。

 どちらにせよ、急がねばならないのは確かである。目下の優先順位は変わらない。

 足の速さにはまったくもって自信がないが、のんびり歩いているよりは多少なりともマシだと信じ、シディアは走り出した。

 次の路地を曲がれば街に出れる。

 速度を少し上げた、その時だった。


 視界の端で、鈍く光る物があった。

 本能的に危険を感じたシディアは咄嗟に、右手に持っていたアリスのトランクを首のあたりまで持ち上げる。

 カッカッと軽い音が連続で二回。トランクの表面をおそるおそる見たシディアは青ざめることになった。なんと短刀が二本刺さっているではないか。

 アリスのトランクは、いざという時に盾になるよう父ジョセフが設計したものだ。

 シディアにはローブの守りがあるとはいえ、この勢いの刃物に耐えられるほどの強度は、残念ながらローブにはない。

 トランクに感謝しつつ、浅く刺さっていた短刀を一本ひっこ抜いた。トランクを左手に持ち替え、右手に短刀。警戒態勢を取りつつ街のほうにじりじりと進んでいく。

 壁を背に横這いで進んでいたシディアが角を曲がる直前、その人影は姿を現した。

 正面の暗闇から音もなく現れたかと思うと、息を呑む暇すら与えず、シディアの胸元めがけて刃を突きつける。

 間一髪。剣の突きをトランクで防ぐ。貫通こそしなかったものの盾として作られているトランクに穴を空けられ、思わず「ひ……」と情けない声が出てしまう。

 先ほど投げた短刀ではなく、今度は細身の剣のようだ。

 フードをかぶっていて顔は見えず、マントで体型も隠されており、薄闇では男か女かすら判別できない。

 しかし、この人影は妖精でも半妖でもなく人間であると、シディアの直感が言っている。

 恨みを買った覚えはさらさらないが、目の前の人物に害意があるのは明らかだ。

 フードの人物はトランクに刺さった剣を抜き、そのままくるりと横に回転すると、今度はシディアの左腕に切りかかった。

 こちらも間一髪、右手に持っていた短刀で防いだシディアだったが、相手にとっては想定内だったようすだ。

 どうやら今のところ、害意はあるが殺意はないらしい。わざと剣筋を分かりやすく、シディアでも攻撃を受け止めやすくしているのがわかる。

 これはおそらく───遊ばれている。


 そもそもシディアは戦闘訓練をまともに受けたことなどなかった。

 せいぜい友人ダンとの「強化合宿」で、木刀を使い軽くチャンバラをした程度である。

 幼い頃から養父に師事し槍の技術を磨いてきたダンと、普段は武器を持つことすらないシディアでは、大人と子ども程に大きな差があった。

 今から思えば、あれはシディアの護身術の練習でもなければ、ダンが動かない(まと)に飽きた結果でもない。

 二人ともただ、楽しんでいた。

 拾った木の棒を振り回して遊ぶ少年のごとく、ただただ楽しかったのだ。

 最後は大抵、倒れたシディアにダンが木刀を突きつけて。シディアが「まいった」と言えば満面の笑みで手を取り、助け起こしてくれたっけ───。


 フードの人物の三撃目。斜め上方からの切り付け。

 シディアはトランクで防ごうとするも、衝撃に耐えきれず後方に弾き飛ばされてしまった。細身の剣とは思えない威力だ。

 トランクが宙を飛び、離れたところで落下する音がした。手から抜け出た短刀が、素早く回転しながら石畳を滑っていく。

 丸腰で尻もちをついたシディアの喉元に、剣先が突きつけられた。

 街灯の淡い光を受けて冷たく光る刃に、怯えた少年の顔が映る。


 見上げたフードの奥。闇の中で、薄く嗤う気配がした。

 まるで、このひと時を愉しんでいるかのように。



   第二十三話 日没、開戦 <終>


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