第十六話 ブラッドナンバー
「おじいちゃーん!お昼にしない?おなか空いちゃった」
「む?もうそんな時間か。そうじゃな、仕上げは後にするとしよう」
アリスとバーゼルの会話を聞きながら、シディアは窓辺でひとり、ぼんやりと外を眺めていた。
あまりにも平和な空気に、一昨日から今朝までの出来事が夢のように感じられる。
崩れていくガーディアンの死骸から、あの満身創痍の状態で、しかも気を失っているアリスを連れて。どうやって扉の先に辿り着いたのか、シディアはよく覚えていない。
気づけば、洞窟の最奥、セフィドの花園の中央に座り込んでいた。
いつの間にか左肩や腕の痛みは消えている。折れた骨もどうやらくっついているらしい。体力や魔力すら全快している感覚がある。
アリスの身体にも傷一つなく、ぽかんと口を開け瞬きを繰り返しながらシディアを見ていた。
試練を乗り越えた者への祝福といったところだろうか。花園全体を、不思議な魔力が覆っているようだった。
雪のように真っ白なセフィドの花を、バーゼルに指定された必要数だけ摘み取ると、それを確認したかのように大きく風が吹いた。
ザァッと音を立てて吹く強い風に、思わず目を瞑る。
風が止み目を開けた双子が立っていた場所は、洞窟の入り口だったのである。
朝焼けが眩しかった。
ガーディアンとの戦闘から花園に至るまで、どうやら思った以上に時間を使っていたらしいと知る。もしかしたら、全快するまで花園で眠りこけていたのかもしれない。
帰路につきながら、ちらりと背後を振り返る。
北端の洞窟はひっそりと佇んでいた。まるで、次の挑戦者を待つかのように。
思い返してみても、不思議だらけの洞窟だった。
そういう魔法がかかっていた、と言ってしまえばそれだけなのだが、ではあの魔法をかけた人物───支配人の言っていた「主人」とはいったい何者なのか。
もしも、もしもだ。
ひとりで複数の魔法を使いこなすその人が、人間の魔法使いだったとしたら───。
「く~ッ!会ってみたい!」
憧れに悶えるシディアを横目に、アリスはテーブルの籠からバケットをつまみ、口に運ぶ。
昼食のパスタに合わせる予定のもので、いわゆるつまみ食いというやつだが、空腹なのでしょうがない。
シディアと同じくアリスの記憶もまた、朧気だった。
もちろんあれ───シディアの言葉を借りると「雷神」を目覚めさせたことは覚えている。
雷神がアリスの身体を自由にしている間、アリスの意識は身体の奥の奥に引っ込んでいる。そんな感覚だった。
起きてはいるけれど、夢の中にいるようで。見えてはいるけれど、実感がなくて。
ただひとつだけ、今回でハッキリしたことがある。
雷神は、アリスの魔力に一切頼っていなかった。身体強化を使わずに戦っていたのだ。
アリスの身体なのに、身体強化を使用した時よりも、明らかに身体能力が高かった。
雷神自身の魔力を帯びていたとはいえ───上手く言えないが───それだけが要因ではない気がする。
いったい、雷神は何をどうしたらあんな強さを───。
二つ目のバケットに手を伸ばす前に、キッチンからパスタの皿を持ったバーゼルが顔を出した。
「わぁ、美味しそう!さっすがおじいちゃん!」
「そうだろう、そうだろう。さぁ、冷める前に食べるぞい」
「はーい!シディアもこっち来て食べよ!」
ふと、壁に立てかけた桃色の戦鎚が目に留まる。
変形し戦斧になっていたのは一時的だったようで、いつの間にかハンマーに戻ったようだ。
「ハンマーちゃんも、お疲れさま。ありがとね」
アリスは戦鎚に笑いかけた。
感覚的なことはわかるけれど、これ以上はよくわからない。
やっぱり考えるのは苦手だな。と、アリスは思考を放棄したのであった。
「あんな難易度を俺たちにぶつけるなんて、うちの母はやっぱりどうかしてるよ」
パスタを口に運びながら、シディアは愚痴を零した。
無理もない、とバーゼルは思う。
バーゼル本人は洞窟内に足を踏み入れたことはないものの、どのような洞窟なのかはよく知っているからだ。
そしてダリアの破天荒さもよくよく知るところではある。あれはたしかに「どうかしてる」。
彼女が三児の母親をやっていると頭ではわかっていても、「母」の顔をしているダリアが、未だにバーゼルにはいまいちピンとこない。
「よほどキツイ試練だったようじゃな」
「そう!マジで死ぬかもだったんだよ!ヤバかった~」
「ほう……?」
ローシェンナからの情報によると、シディアはまだ魔法適性も不明で、戦闘経験も皆無だったという。
そのシディアが愚痴るのは無理もない、と思ったのだが、戦士として既に戦闘経験もあるアリスまでもが同じように危機を感じている。
バーゼルは内心首を傾げた。
アリスの戦士としてのポテンシャルも、ローシェンナから伝えられている。さらに天才ジョセフお手製の魔法具をしっかり持たせてあるとか。
それでも二人がかりでなお、「死」を意識するほどの試練があったという。───そこまでの難易度だとは聞いていない。
「まぁでも、最後のあれはイレギュラーだったんだろ。想定外のトラブルっていうか……結局なんだったんだろうな」
「さあねー、支配人さんも知らないみたいだったし」
「最後、というと……花園の門番か?何があった?」
記憶の中から引っ張り出したワードを口にすると、双子は思い出したくもない、というように肩をすくめた。
「変身というか進化というか……巨大化したり頭が三つになったり」
「とにかくすごい強さだったんだよ!」
「あ、そういえば。そのガーディアンを倒した後になんか降ってきてさ」
シディアはローブのポケットに手を突っ込んだ。四つ折りにされた、古めかしい紙切れを取り出す。
嫌な予感がした。ごくり、と唾を飲み込む。
手渡された紙切れを、おそるおそる開いた。そこには。
「あ……ああ……これは……」
全身から血の気が引いていくのがわかった。
急に青ざめ震え出した彼を、双子が驚き見つめる中、バーゼルは席を立った。
よろめきながら作業部屋に向かい、後ろ手に扉を閉める。
急がねば。急がねば。
ほぼ完成していた薬に最後の仕上げを施した。あとは容器に詰めるだけだ。
バーゼルは手の震えを抑え込み、目の前の作業に集中する。
セフィドの花は、この時期にしか咲かない貴重な花だ。
この花の弱点は日持ちの悪さにある。摘み取った花は一日でその効力を失い、加工した薬ですら持って二、三日。早めに飲ませるに越したことはない。
急がねば。急がねば。この薬に今───世界の命運がかかっているのだ。
極度の緊張で呼吸が乱れる。汗が噴き出る。それでも今、この手を止めてはならない。
必死の思いで容器に詰めた薬と、例の紙切れを仕舞った小箱をシディアに半ば押し付けながら、バーゼルは言った。
「支度をしてすぐに出立しろ。いいか、港についたら真っ先に家───ダリアがいる場所を目指せ。ダリアに薬を渡すことを最優先にするんじゃ。わかったな」
バーゼルの鬼気迫るようすに気圧されたのか、シディアは黙って頷いた。
そしてもうひとつ、バーゼルから双子に伝えなければならないことがある。
「……ブラッドナンバー」
「え?」
きょとんとするシディアに、バーゼルは小箱を指差し、捲し立てる。
「旧世界の文字で書かれた文章。血のように赤い、魔力を帯びたページ番号。それはブラッドナンバーじゃ。その小箱は魔力を遮断する効果がある。間に合わせだが、いったんそこに仕舞っておけ。どうせジョセフが何かしら用意するじゃろう。今はこれ以上を説明している時間はない、行け!」
双子を乗せたケルピー船が、彼方に遠ざかっていく。
あの御者なら大丈夫だろう。なんとなくそんなことを考える。
罪人といっても、ダリアが子どもたちを任せるくらいだ。大方……いや、今はこんな考察をしている場合ではない。
遥か先の水平線、ベーヌス島の方角を見つめ、老齢の薬師は祈るように呟いた。
「死ぬんじゃないぞ、ダリア」
第十六話 ブラッドナンバー <終>




