第十三話 地獄の番犬
それは、地獄のような光景だった。
遥か頭上、暗闇の中から何かが降ってくる。
───魔物だ。
数は極端には多くないものの、見覚えのある影が次々と。
「アリス……あれって……」
「最初に出会ったやつ、だね……」
一階の通路で双子を追いかけた石像の魔物、ガーゴイルだ。
この洞窟は、配置されている魔物含めて再生される仕組みだと支配人から聞いてはいたが、既に再生は始まっていたらしい。
ガーゴイルはその翼で羽ばたく気力もなく、虚ろな表情でただただ、落ちていく。
まるで、狼の咆哮に吸い寄せられるように。
そして───唐突に、咆哮の嵐がやんだのである。
訪れた静けさの中、もくもくと魔物を口に運ぶ巨大狼の姿があった。
いつのまにか灰色の四肢でしっかりと地を踏みしめている。
延々と続く咀嚼音が、ひどく不気味な響きを持って双子の耳に届く。
「な……あいつまさか」
残念なことに、シディアの嫌な予感は的中した。狼が変形を始めたのだ。
両肩がボコボコと音を立て灰色の毛が盛り上がったかと思うと、二つの顔が出現した。
なんと狼の頭が合計三つになったのである。
六つの瞳がギラリと赤く光り、三つの口からはボタボタと血が滴っている。
その姿は、昔シディアが本の中で見た、伝説上の地獄の番犬、ケルベロスを思わせた。
───考えろ、脳。動け、身体。怖いなんて言っている場合じゃない。
シディアは震える手でポーチをまさぐり、回復薬を取り出した。
必死に身体を起こし戦鎚を掴もうとしているアリスの口に含ませる。
体力や魔力は無理でも、せめて身体強化によって負担がかかった筋肉などは治療してやりたいと思ったからだ。
直接傷にかけるのが一般的な使い方だが、負傷の範囲が広い場合は経口摂取が手っ取り早い。
ボトルに残った分を自身の顔にバシャっとかける。目の上の痛みがひいていくのを確認し、シディアは低く呟いた。
「……行くぞ」
まさか、一日に二回も無茶をすることになるとは。
───動け。走れ。もっと、もっと速く。
鉛のように重たい身体を叱咤しながら、アリスは走っていた。
チャンスは一度きり。
シディアにはあえて目立つ場所で、黒手袋に魔力を装填しつつ、六つの目と睨み合ってもらっている。あくまでガーディアンの気を引くためだ。
リミッターが機能しないシディアに攻撃魔法を撃たせて、万が一、目的の花まで吹き飛んでしまっては何のためにここに来たのかわからない。
アリスがこの一撃で、決めるしかないのだ。
速度をあげ、巨大さを増した三頭狼の背後に回り込む。
ちょうど「成長」も止まったようだ。もはや、「進化」の域なのかもしれないが。
「身体強化───レベルサード!」
脚に力を集中させ、地面を蹴った。瞬く間に、視界は巨大狼の真上だ。
両腕に力を移動し、全身の痛みに顔をしかめながら戦鎚を振り上げる。
今にも全身がバラバラに千切れてしまいそうだ。
「叩き、つぶす……!」
三つ並んだ真ん中の頭、その脳天に全力を叩き込む。……はずだった。
「アリス……!」
シディアは妹の名を叫んだ。そのつもりだった。
口が思うように動かない。否、口だけではない。頭からつま先まで、一切の自由を奪われてしまった。
突如発生した、強力な重力場によってだ。
ガーディアンの向こう側。地面に座り、最奥の花園へと続く扉にもたれかかるアリスが視界に映る。
力なく垂れ下がった白い腕。だらりと斜めに項垂れた頭。ツインテールがほどけた白金の髪が顔にかかり、表情は見えない。
「くそ……っ」
駆け寄って妹の無事を確かめたいところだが、指一本動かすことができないのだ。
この強力な重力場は、ケルベロス風に進化したガーディアンの新たな能力らしい。
アリスは宙に浮いた状態から、急に発生した強力な重力で身体のコントロールを失い地面に落とされ、直後に狼の鋭い爪ではじき飛ばされ、扉に叩きつけられたのだ。
背後はさすがに死角だろうと思っていたのが甘かった。
頭が三つあれば視野も広くなるだろうが、それにしても真後ろや真上まで見えるとは。無茶苦茶すぎないだろうか。
その三つの頭が、それぞれ双子を睨みつける。二つはシディアを、一つはアリスを。
このままでは二人ともやられてしまうだろう。───なんとかしなければ。
シディアは、無理やりにでも攻撃魔法を繰り出そうと試みる。黒手袋に装填した魔法石も魔力も、まだ生きているはずだ。
一回限定のリミッターは使ってしまった。魔法を撃てばまた、洞窟の壁などを破壊してしまうかもしれない。最悪、扉ごと花畑が吹き飛ぶ可能性もある。
それでも、命には代えられない。
「ぐあぁ……っ!」
力を入れた左腕と左肩から、嫌な音がした。どうやら骨が折れてしまったらしい。無理やり動かそうとした代償だ。
痛みと悔しさで泣きそうになる。こんなところで終わってしまうのか。
まだ、何もできていない。何も成しえていない。───何者にも、なれていないのに。
その時だった。またしても「見えた」のは。
燃えるように赤い、宝石のような輝き。
ケルベロス化した、ガーディアンの魔力炉だ。先ほど、シディアが氷柱で抉ったそれとは完全に別物である。
三つの頭の、それぞれの首にひとつずつ。人間で言うとうなじに近い部分にあると思われた。
「魔力炉が、合計四つ……だと……」
魔力炉が複数ある、ということは言わば心臓が複数あるようなものだ。
妖精や魔物の中には、魔力炉を複数有している存在がいないとも限らないが、記録は今のところ存在しない。
複数どころか合計四つ、しかも質の違う魔力炉を一つの体内に宿している魔物など、まったくもって聞いたことがないのである。
ガーディアンはやはり何かがおかしい。規格外にも程がある。
奥の手しかない。そうシディアは確信した。できる限り、使いたくはなかったけれど。
『アリス、アリス聞こえるか』
目を閉じ、強く念を飛ばし、アリスに呼びかける。脳に直接語り掛ける感覚だ。
父ジョセフいわく、シディアとアリスにしかできない会話方法だという。
家族に「双子会話」と呼ばれているこの技は、魔力を消費するのが最大のデメリットだ。
幼い頃は内緒でイタズラの打ち合わせなどをしたものだったが、ここ数年はほとんど使わなかった。使う機会がなかったといえばそうだが、魔力消費は心身の気怠さに繋がるのが一番の理由である。
人並み以上の魔力を持つシディアには大きな問題ではないが、アリスにとってはそうではないのだ。
『シ……ディア……』
反応があった。妹の意識があることに安堵した後、気を引き締める。
『このままじゃ二人ともやられる。あれを解放するしか、もう手がないんだ。頼む、アリス』
『あたしも、そう思ってた。でも……』
躊躇するアリスの心中を察し、シディアの胸が痛んだ。
幼い頃の光景が目に浮かぶ。使わせたくはなかった。というより、二度と機会が訪れるとは思っていなかった。
それでも、他に助かる道はない。
『ここに、お前を怖がる人間はいない。終わったら、俺が必ず止めてやる』
『……ほんとう?』
『何が何でも、絶対に止める。俺を信じてくれ、アリス。……妹にばかり無茶をさせる、最低な兄貴でごめん』
『……わかった。約束だからね』
『ああ、約束だ』
アリスの安心が伝わってくる。
同時に、双子会話のパスを閉じる気配がした。
重力に抵抗できぬまま、覚悟を決める。
あれですら届かぬならば、今度こそ本当に終わりなのだと。
絶対に、アリスだけは無事に帰す。シディアは歯を食いしばった。
たとえ───この身と引き換えだとしても。
第十三話 地獄の番犬 <終>




