第十二話 希望と絶望
洞窟の壁や瓦礫の間を、アリスは文字通り飛び回っていた。
巨大な狼の頭上に飛び上がって戦鎚を振り下ろし、一撃食らわせては、狼本体を足場に壁へと跳ねる。
殴っては離れるを繰り返し、自身は一切傷を負わずに相手が倒れるまで撃ち込み続ける───これが、戦士か。
いや、今は妹の成長を喜んでいる場合ではない。
しばし感慨に浸ってしまったシディアだったが、両手で頬を軽く叩き、思考を現実に引き戻した。
必要とあらば命がけで攪乱し手助けするつもりだったが、下手に入るとかえってアリスの邪魔になってしまいそうだ。
だがしかし、僅かながらアリスの息があがってきているように見える。このまま長期戦に持ち込むのは得策ではなさそうだ。
震える左手を震える右手で押さえつけながら、シディアは瓦礫の陰から戦況を見守る。
とんでもなく巨大な狼に襲われていて、しかもイレギュラーらしいときた。
今いるのは勝手のわからない洞窟の地下四階で、しかも上階に通じる階段は一緒に落とされてきた。地上に逃げるという選択肢はない。
そして採取すべき花は、巨大狼の背後にある扉の向こうだ。
あのガーディアンは正常ではないと支配人は言っていたが、扉の前から離れる気はさらさら無いと見える。さすがは花園の門番、といったところか。
「あっぶね……!」
ガーディアンの攻撃の余波か、目にもとまらぬ速さで飛んできた拳大の石が、シディアの右目の上をかすめる。間一髪、瞳への直撃は免れた。
痛みよりも先に、視界に真っ赤な血が流れ落ちてくる。少量とはいえグロテスクだ。
シディアは右目を閉じた。思考が、うまくまわらない。
これが現実だと思えば思うほど、震えが止まらなくなる。
冷静に、冷静に。
自身に言い聞かせながら、状況分析を試みる。
それが「見えた」のは、突然だった。
巨大な狼の腹、いや、胸に近いだろうか。灰色の毛の奥で輝く光の塊。
本来なら見えるはずのないものだ。なぜなら、あれは───。
「アリス!」
「おっ、なんか思いついた!?」
「弱点がわかった!位置を正確に伝える手段がないから、俺が魔法で攻撃する!俺が近づける隙を作ってくれ!」
「隙作ればいいんだね、おっけー!」
兄妹で、双子で良かった、とシディアは改めて天に感謝する。
多くを語らずとも伝わるのは、理解と信頼がなしえる業だ。
アリスが、「考える」のはシディアの担当だと思っているのも要因のひとつではあるのだが、それはそれで良しとしよう。
「体力がっつり持ってかれるから、できれば使いたくなかったけど」
ガーディアンの頭上より更に上、壁の窪みに着地したアリスは、立ったまま瞼を閉じた。
ここならガーディアンの攻撃も簡単には届かない。ゆっくり、深呼吸を一度だけ。───うん、いける。
人は皆、生まれつき魔法の適性をひとつ持っている。
その魔法適性は人により大きく異なる。属性でカテゴライズされがちだが、厳密には全く同じ適性は存在しない、と言われるほどである。
魔力量や、魔法の強さ、そして適性が判明する年齢も。すべて個人差があり、個性とされるものだ。
アリスが自らの適性に気づいたのは、物心がついた頃だった。
正しくは、アリスが無意識に魔法を使っていることに、両親が気づき教えてくれたのだけれど。
戦鎚を握りしめ、瞼を開く。淡い紫の瞳に小さな光が宿った。
「身体強化───レベルセカンド!」
漲った力を腕と脚に集中させ、アリスは壁を蹴り飛び降りた。目指すは、こちらを見上げているガーディアンの顔。
強化時間はおそらく持って一分。否、三十秒かもしれない。ガーディアンに強化の程度がバレていない、初撃が勝負だ。
「絶対決めてよね、シディア!」
戦鎚にありったけの力を乗せ、渾身の一撃を狼の眉間めがけて叩き込んだ。
狼はその巨体をよろめかせ、痛みに呻き───両目をぐっと閉じる。
「───今!」
アリスの声とほぼ同時に、シディアは走り出した。
全速力でガーディアンの身体の下、射程範囲に潜り込む。
既に魔法石をセットしていた黒手袋に、急ぎ魔力を充填していく。支配人のリミッターが機能することを信じて、遠慮なく注ぎ込んだ。
アリスの戦鎚は、左右対称で両方が面になっている。
どちらかというと複数の敵を想定し、一体殴ればすぐもう一体へ攻撃できる、というような、アリスのスピードを生かせるつくりになっているのだ。
むしろアリスの腕力なら、ただただ振り回すだけでも雑魚は一掃できてしまうだろうが、それはせっかく考えて作成してくれた父のためにも、言わぬが花というものだろう。
とにかく、一点を深く抉るには不向きな武器であることは明白なのである。
そう、この魔法で、一点を深く抉る必要があるのだ。
視界を遮る鮮血をローブの袖で強引に拭い、シディアは標的に向けて左手をかざす。
灰色の毛の向こうに光る、ガーディアンの魔力炉に向かって。
本来見えるはずのないものが、なぜ見えているのかはわからない。考察は後でいくらでもできる。そう、今は。
青白い光を帯びた黒手袋から氷柱が生え、天に伸びていく。
巨大な狼が表情を歪めたまま、目を開けた。血のような赤い瞳が、怒りとともにシディアを見据える。
「貫く氷柱!」
槍のように尖った氷柱は真っ直ぐに飛び、高速でガーディアンの胸の中、魔力炉に突き刺さった。
狼は激しい呻き声とともに身体を強く揺さぶり、前脚を折り曲げバランスを崩した。巨躯が地に倒れ込む頃には、魔力炉はその光を完全に失っていたのであった。
危うくガーディアンの下敷きになるところだったシディアだが、身体強化の効果がわずかに残っていたアリスに、超スピードで助け出されたため無事である。
「やった……倒した……」
「すごかったよシディア!お疲れー」
地下一階で闇雲に火属性魔法を撃った際は、ただ魔法石と手袋に頼った魔力の爆発に過ぎなかった。撃つことに夢中でそれ以外考えられなかったのだ。
今回は必要な魔法のかたちを具体的にイメージして呼称することで、理想通りの魔法を撃つことに初めて成功したのだ。
シディアはとても満足していた。
緊張が解けへたり込むシディアの隣で、アリスは地面に全身を投げ出した。
「あーーー、疲れた。あたしもう動けないよ」
「やっぱ強化系魔法は、代償がすごいんだな。アリスもお疲れさま。助かったよ」
身体強化を使って倒せる確証があれば、アリスもとっくに使っていたに違いない。いたずらに体力が削られれば命取りになると考え、慎重になったのだろう。
脳筋代表でしかなかった妹が、頼もしく成長している。
兄として、守られてばかりではいられないと思った。少しでも強くならねば。
四肢を投げ出したまま息を整えるアリスの横顔を見ながら、シディアは優しく微笑むのであった。
───それも、束の間。
突然、耳を塞ぎたくなるほどの大音量が双子を襲った。
今まで聞いたそれより何倍もおぞましい、獣の咆哮である。
断末魔にしては、気迫に満ちすぎているように思える咆哮は、何度も何度も繰り返し発せられた。
たまらず両腕で頭を抱えながら、シディアは声の主を見やる。
見開かれた赤い瞳がギラギラと輝き、遥か頭上を見つめている。
横たわったまま、首を持ち上げ叫び続ける巨大な狼は、絶望そのものに見えた。
第十二話 希望と絶望 <終>




