5(水曜日 午前七時四十二分)
合宿所から消えた九条院渚子以下、尾原由利、干見香保の三人組は激しく叩きつける雨と横殴りの暴風の中を歩いていた。なぜ、彼女たちがこんな事になっているのか、それは三人のリーダーである九条院が「あんな合宿所になんていられない、どこに殺人犯が潜んでいるかわからない。危険すぎる」と言った所為だった。
暴風雨が吹き荒れる中と正体不明の殺人犯がいる場所。九条院にとってどちらが危険かは明白だった。明らかに殺人犯が危険だ。
彼女の中でどういった判断がなされ、そういった結論に至ったのかは全くもって不明だが、そう結論が出てしまえば彼女の行動は速かった。
彼女に言わせれば、馬鹿な奴らが何やら悪巧みをしている間に、素早く準備を整えると何の躊躇いもなく篠突く雨の中に飛び出した。もちろん二人の取り巻き、彼女にとっては大切な友人たちを連れて。
彼女の二人の友人は当初、風雨の中、合宿所を出ていくことに難色を示したが、彼女が懇切丁寧に説明をすると意外な程あっさりと首を縦に振ったのだった。二人は元々、彼女に言う事に従うことが常だったし、あまり強硬に反対するとどうしても彼女の機嫌が悪くなってしまう。その時の彼女の機嫌は今までで最悪だったので、これ以上刺激するのはよくないと尾原、干見のコンビは判断したのだった。
「頑張りなさい! これを越えたらもう大丈夫よ!」
九条院は雨風の音に負けないように大声で二人の友人を励ました。
今現在、彼女たちの目の前には茶色の泥山がそびえていた。
昨日バスで遭遇した土砂崩れの現場である。一行はこの土砂を越えて下界に避難しようとしているのだった。暴風雨が吹き荒れる中、ぬかるんで足場は悪く、いつまた崩れるかわからない土砂の山を踏破しようとしているのだった。
冷静に常識で考えれば、そんなものは命を捨てるのと同義だが、彼女はすでに冷静ではなかった。昨日の土砂崩れを目撃したことから始まり、丸一日逃げ場のない合宿所に閉じこめられた(少なくとも、九条院の感覚ではそうだった)極めつけはついさっきの死体騒動(彼女たちも血痕は目撃している)。
そもそも九条院の神経は非常事態に耐性がなく、元々細い神経はこの一日半で完全に打ちのめされ、まともな状態ではなかった。
彼女自身は己がそういう状態にあるとは露とも思っておらず、冷静に、現状での最適な判断を下していると思い込んでいた。
「さぁ、行くわよ!」
九条院は果敢に声を上げる。そうでもしないと流石に心が折れそうだった。
ここに来るまでは土砂を越えることなど、少し頑張れば大丈夫だと思っていたが、現実に越えるべき対象を目撃すると一筋縄ではいかないことがはっきりする。しかし、引き返すという選択肢は彼女の中にない。殺人犯がうようよいるような場所に戻るぐらいならば、この土砂を越えた方がいくらかマシと彼女は考えていた。
「行くわよ!」
すでに三人ともびしょ濡れだ。一応、合羽を羽織っているものの、隙間から侵入してくる雨粒は容赦なく彼女たちの体を濡らしていた。
「待って! 渚子! ……何か聞こえない?」
友人にそう言われ始めて彼女は気づいた。
ミシミシという不気味な音が響いていることに。
「……早く行きましょう」
先頭にいた九条院が友人の方を振り返った時、非情にも山肌がその牙をむいた。
数日間も降り続く雨を、たっぷりと含んだ山はその限界を超え容赦なく滑り落ちる。それに気づかない無防備な三人の少女に向かって、突き進む。
彼女たちは一瞬で、何が起こったのかもわからない内に茶色い濁流に飲まれた。