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羽音  作者: 歌宮ゆか
6/17

4(水曜日 午前五時三十一分)

 辺りを切り裂くような甲高い悲鳴を聞いて跳び起きた。

「な、今の何?」

「わ、わからんけど……」

 寝起きの悪い亜美が目を覚ましている事を見ても、とんでもない悲鳴だったことは確かだ。

「……様子見に行こか?」

「そうよね。大変な事が起きてるかもしれないし」

 わたしたちは着替えるのも、もどかしく慌てて部屋を飛び出した。廊下に出るとすでに何人も人がいた。みんなさっきの悲鳴を聞いたのだろう。

「何があったの?」

「わかんない。悲鳴を聞いて今飛び出したとこだから……」

「どっから聞こえたかわかるか?」

「いや、下からだとは思うけど……」

「一階か? よし、とりあえず行こ! 行くで有美!」

 駆けだした亜美の後ろについて走り出す。階段を駆け降りるとすぐに人だかりが見えた。部長や萩野さん、神林さんたち三年とユキや王子たち二年もいる。みんな悲鳴で飛び起きたのだろう、全員パジャマみたいな簡単な服装だ。萩野さんなんて、目にも眩しいけばけばな黄色いシャツを着ている。……かく言うわたしだって派手なピンクのシャツだけど。

「部長! 何かありましたか?」

「いや、私たちも悲鳴を聞きつけて今来たところでな……」

 人の輪の真ん中でりんちゃんがぺたんと座りこんで震えている。その彼女を守るように元花ちゃんがしっかりと肩を抱いている。

「西家、何があったんだい?」

 片膝をついて神林さんが優しく問いかける。りんちゃんは震えるだけだ。

「大丈夫だよ。ゆっくり深呼吸して、大きく吸って……」

 根気強くりんちゃんに語りかける神林さん。その口調には彼女に対するいたわりが感じられる。

「神林……あれだ、と思う」

 辺りを見まわしていた部長が神林さんの肩を叩いて注意を促し、廊下の曲がり角を指差した。

 部長の指の先には赤黒い水溜りのような物があった。

「……あれは」

 あれは……まさか……。

「神林は西家を見てろ。私は確認に行って来る。萩野、ここは任せる」

 部長がやや強張った顔で水溜りに向かって歩きだした。

「部長、わたしも行きます!」

「僕も……!」

「俺も行く!」

「ウチも!」

 わたし、ユキ、王子、亜美が続けざまに声を上げた。

「だめだ、危険かもしれない」

「あたし、生田呼んでくるわ!」

 加瀬名ちゃんがそう叫んで短距離走のエースらしい豪快な走りでその場を離れた。

「そうや、うっかりしてたわ。ウチは岡山先生呼んでくる!」

 加瀬名ちゃんの後を追いかけるように亜美が走りだした。

「とりあえず、先生方を呼ぶにしても、確認だけは行かなければならないな、よし、君らも来い」

 わたしたちは頷いて部長のあとに続いた。新田部長はゆっくりと水溜りに近づいて、そばにしゃがみこむ。

「む……これはやはり血か……。悪戯だと思いたかったが……」

 微かに鼻にしわを寄せながら呟く。わたしの鼻にも金臭い臭いが届いた。

 や、やっぱり、これって血なの? でも、だとしたらこの量は……。

 恐ろしくなって顔をあげると、血痕が点々と廊下の先に続いていた。血溜まりを踏んだ足跡の向きから見てもあっちが進行方向だろう。

「部長……」

「ん? ああ、続きがあるのか……行こう」

 血痕は延々と続いているかのように見えたが、それほど長く続いているわけではなかった。血の跡は数メートル進んだところで部屋の中へと消えていた。部長は扉を横に引こうとしたが、すぐに動きを止めた。

「鍵がかかっている。……おい! 中に誰かいるのか! いたら返事をしろ!」

 ドンドンと扉を叩くが、部屋の中からの反応はない。

 扉に嵌まっているガラスは曇りガラスなうえ、面積が狭いので中の様子を窺うことができない。

「見えないな……中を見ることができる場所はないか?」

「あれはどうですか?」

 ユキが部屋の天井近くにある窓を指差す。

 横長の小さな窓だ。あれで覗けるだろうか? 曇ってるし……あ、でも、隣の壊れた換気扇は穴だらけだ。窓が無理でもあそこからなら覗けるかもしれない。

 しかし……。

「高すぎるんじゃない?」

「いや、俺と藤で台になる。新田先輩か高坂が乗ってくれ」

「わかった。早く台になって」

「騎馬戦型になろう。その方が安定する」

 ユキと王子と部長とが騎馬になる。わたしは素早く跨った。

「上げてください」

 声をかけるとすぐさま視界が上がる。騎馬の上で立つと目線と窓が同じぐらいの高さになった。

「何か見えるか?」

 窓は曇っていたが、ぎりぎり中の様子を窺えた。

「そうですね……あれは……人……?」

 でも、おかしいな? 赤すぎる気が……。……あれは血?

「きゃああああああああ!」

「どうしたのっ? ユミちゃん!」

「ひっ、ひとがっ! 人が血、血だらけっ……!」

 慌てふためいたわたしは素早く騎馬から降ろされた。

「ユミちゃん!」

 ユキがわたしの肩を掴む。

「人影が、み、見えました……」

 誰に言っているのかも確かではないが、わたしはうわ言のように呟き続ける。

 部長の行動は速かった。

 すぐさま立ち上がると、曇りガラスに向かって右肘を叩きつける。

 パリンという音がしてガラスに穴が開く。そこから手を突っ込んで鍵を外して、扉を開け放つ。

「うっ!」

 大きく開け放たれた扉から金臭い、濃密な血の臭いが流れだしてきた。

 あまりの臭いに思わず顔を上げた。部屋の中、奥の壁にもたれかかるようにして、人がいた。

 血まみれの人が。だが、誰も駆けよろうとはしない。

 一目でわかる。もう生きてはいない。確実に死んでいる。

 かろうじて人型を保ってはいるが、顔や胸部、腹部はグズグズに崩れている。まるで、何かに毟り取られたように、引き千切られたように、喰い散らかされたように。

 あれを人と呼んでいいのだろうか? あれは人と呼べるのだろうか?

 おぞましい光景だった。

 なのに、誰ひとりとして悲鳴を上げない。

「……見るな、というのは遅いか」

 部長が虚ろな声で言う。流石の部長も顔が青い。バタバタと足音がして、加瀬名ちゃんや亜美、萩野さんたちが駆け寄ってきた。

「おい、大丈夫か、なんか、悲鳴が聞こえたけど……」

「来るなっ!」

 部長がこちらに来ているみんなを制止する。

「おい、新田?」

「みんな、それ以上こっちに近づくな。私たちもそっちに行く」

 部長がゆっくりとみんなの方へと歩きだした。

「ユミちゃん、立てる?」

 ユキが優しく手を差し伸べてくれた。わたしは知らず知らずのうちにへたりこんでいたらしい。

「あ、ありがとう……」

 彼の手にすがりついて立ち上がる。もう一方からは王子が支えてくれる。

 フラフラとユキに寄りかかって歩きだす。

 あ、脚に力が入らない……誰かに支えてもらわないと足元がおぼつかない。

「近づかない方がいい。というより、見ない方がいい」

「新田、どういうことだ? 何があったんだ?」

「死体が、あった」

「死体だと? おい、何の冗談だ?」

「こんな悪趣味な冗談など言うか。冗談だと思いたいが、まぎれもなく現実だ」

「…………誰の死体だよ?」

「わからない。体型はなんとか判別がつくけど、誰だかわからない程に潰れていたから……誰が死んでいたのかはわからない。とにかく、全員を食堂に集めてくれないか? 誰がいなくなったのか判断したい」

「お前、大丈夫かよ? 顔青いぞ」

「大丈夫だ、と思う。でも、みんなを集めるのは任せていいかな? 私は先に食堂に行って少し休む」

 部長は食堂に向かって歩きだした。



 まだ、起きていなかった人たちも含めてみんなが食堂に集まった。状況が理解できていない人は不安そうだ。

 わたしと言えば、体の震えが止まらない。今になってどうしようもないほど、恐怖が込み上げてくる。歯がカチカチ鳴るのを止められない。

「急に集まってもらって悪かった。今から話す事を落ち着いて聞いてほしい」

 新田部長が真剣な表情で語り始める。

「今朝がた、一階の倉庫として使われていた部屋で、死体を見つけた」

「冗談――」

「決して冗談じゃない。真面目な話だ。私以外にも死体……それを確認した人がいる」

 新田部長の真剣な声に、食堂内の空気が変わった。

「ちょっと、待てよ! どういうことだよ? 死体だって?」

「ああ。……どうしても信じられないのなら、問題の部屋を見に行くといい。お勧めはしないけどな」

 部長が胸ぐらを掴まれながらも、青い顔で薄く笑う。彼女の凄惨な笑みに部屋中に沈黙が降りた。

「ところで加瀬名、生田先生はいたか?」

「……いませんでした。部屋には血痕がありました」

 加瀬名ちゃんも顔色が悪い。

 彼女は一人で血を見つけたの?

「君は……大丈夫か?」

「はい」

 加瀬名ちゃんは青い顔で気丈に頷く。

「け、警察は? 警察に連絡はしたのか?」

 さっき部長がに突っかかった陸上部の乱暴者、松戸亜留人が声を荒げる。

「した。だが、土砂崩れで道は通れないし、台風の所為でヘリも飛べない。そこでじっとしているように言われた。今はそれしか方法がないそうだ」

「そんなっ……!」

「今はそれは置いておく。どうしようもないことだからだ」

「でも――」

「そして」

 誰かが上げた声を遮るように部長は続ける。

「現状から判断するに、あの死体は生田先生だと思う。ここに生徒は全員いるし、死体の体型はがっちりしていた。かつ、部屋に生田先生はいない。ついでに言うと、これだけの騒ぎで姿を現さないのはおかしい」

「そ、それで、俺らはどうすんだよ?」

「さっき言っただろ! じっとしておくしかないんだよっ!」

 部長が初めて声を荒げた。荒い息を吐きながら何度か深呼吸をして、部長は落ち着きを取り戻した。

「……怒鳴ったりして悪かった。でも、私たちにできることなんて限りがあるんだ。落ち着いて行動するぐらいしかな、することがないんだよ」

 新田部長は手で顔を覆う。ここまでしおれた部長は見たことがない。

「……それで、RG――生田は何の事故に巻き込まれたんだ?」

 萩野さんがおずおずと口を開いた。

 事故? 果たして、あれは事故なのか? あれは事故なんかじゃなくて……。

「……わからない。それより、仮、岡山先生はどうした?」

「それが、どんだけ呼んでも返事がないんです……。確かめよう思ったんですけど、鍵かかってたし、なんか怖なって……すいません」

 亜美が血の気の無くなった顔で頭を下げる。

「返事がない? おいおい、勘弁してくれ……。何かあったのか? こんな状況だ、確かめにいかないと……」

「無理しない方がいい。新田は休んでろ、俺が行ってくる」

 立ち上がろうとする部長を押しとどめて、萩野さんが立ち上がる。

「僕も行こう。一人だと何かあったときに大変だろう」

 神林さんが立ち上がる。

「待って下さい。ウチも行きます」

「無理するな、仮」

「女性の部屋に行くんですよ? 女がおった方がええでしょう?」

「それなら、私が行く。仮はここにいろ。君が責任を感じる必要はない」

 部長がみんなの制止を振り切って立ち上がる。

「行くぞ、二人とも。みんなはここでじっとしててくれ」

 三人は食堂を出て行った。


「……二人には言っておく」

 新田は岡山に与えられた部屋に向かう途中で同行の二人に告げた。

「私はさっき生田先生の事故がどうとかいうときに、わからないと言ったが、あれは嘘だ。と言っても、死因が何かわかってるわけじゃない。ただ、あれは事故なんかじゃない。明らかに殺人だった」

「ちょ、ちょっと待て! 殺人だと?」

 萩野と神林も驚きを隠せない。二人は足を止めたが、新田は構わず先に進んだ。

「ああ、死体を見れば一目瞭然だ。あんな、ほとんど物のない倉庫で事故なんて起きるか。仮に起きたとしてもあんな風にはならない。はっきり言ってしまうが、顔面と胸から腹にかけてが抉れていた。とても自然に出来たとは思えない」

「お、俺らは見てないから何も言えないけど、仮に殺人だとして、だ。……犯人はどうなる?」

「ここは今、部外者が侵入できる状態じゃないよ? そうなると……」

「犯人は合宿に来ている中の誰か、ということになる。希望的観測を述べるなら、不審者がずっと潜んでいた可能性がないわけじゃないが、どう考えてもそれは低いだろう」

「そもそも、なんでそれを俺たちに言う? お前の考えだと、俺らだって犯人候補になるだろ? 信用してくれてんのか?」

 萩野の言葉に新田は薄く笑った。窓から射しこむ雷光を浴びた彼女の顔は、恐ろしげな陰影を浮かび上がらせる。激しい雨音と雷鳴が廊下を歩く彼女たちの足音をかき消した。

「……そんなんじゃない。一人で抱えるには重すぎる考えだったから、堪えられなかっただけだ……。同じものを背負わせることになって君らには悪いと思うけどな」

「しかし、僕らの中に犯人がいるとは想像できないな……」

「……私もだ」

 説明はしなかったが、状況は不可解な謎が多すぎる。

 新田は声に出さずに内心で呟く。

 そもそも、あの殺し方はは人間業ではないのではないか? どうやったらあんな風に死体を傷つけることができるんだ? 一体どんな凶器を使えばああなる?

「おい、新田、手から血が出てるぞ。どこかで切ったか?」

 黙考していた新田は萩野の声で現実に引き戻された。確かめると彼の言う通り、掌から出血していた。今までは何ともなかったのに、意識が傷口に向かうと、途端にズキズキと痛みが走る。

「たぶん、ガラスを割って鍵を開けたときに切ったんだな。大丈夫だ。何ともない」

「ハンカチでもあればいいんだけど、今朝は悲鳴で飛び起きてそのままだから、何も持ってないよ」

「あとで手当てする」

 目的の扉を前に彼女は言う。

「今は岡山先生が先だ」

 最悪の事態じゃなければいいが、と内心で付け足した。


 部長たちが食堂を出て行ってから、沈黙がその場を支配していた。聞こえるのは雨音だけで、誰も言葉を発さずにときおり横目で隣を窺うばかり。

 不穏な空気は隠しようもない。どうにかしたいが、どうすればいいのか全くわからない。

「ユミちゃん、落ち着いた?」

 ユキが辺りを憚るように小声で話しかけてきた。

「うん」

 まだ、少し体は震えているが何とか大丈夫だろう。

「それにしても……どうなるのかな?」

「僕にもわからないよ……」

 彼はゆるゆると首を振る。

 しかし、ビビりなユキが気丈にもわたしを励まそうとするとは。あんな光景を見たら気絶してもおかしくない奴なのに。

「りんちゃんは大丈夫かな?」

 血痕を発見したりんちゃんはわたしたちから少し離れた所で、青を通り越した白い顔でぶるぶる震えている。彼女の傍には元花ちゃんが寄り添って手を握って耳元で何か言って励ましているようだ。

 わたしだってあんな光景は見たくなかったけど、もしりんちゃんが見ていたら大変なことになっていただろう。

「西家さんを励ますのはユミちゃんがちゃんと元気になってからの方がいいんじゃないの? それから彼女を励ますのは僕らじゃない方がいいかもしれないよ」

「……どういうことよ?」

「僕らは死た……あれを見てるから、彼女に変な想像をさせてしまうかもしれない。穿ちすぎかもしれないけどね」

「……まぁ、それなら、りんちゃんは元花ちゃんに任せておくことにしましょうか」

「あれについて考えたいけど、今は考えがまとまらないや……。気になる事がいくつかあるんだけど……あの光景が目に焼き付いて離れない」

 わたしは自分のことで精いっぱいだったけれど、今改めてユキを見ると彼の手も小刻みに震えている。

「あんた……わたしの心配する前に自分の心配しなさいよ。ビビりのくせに意地張るのはやめなさい」

「ひどいな……ユミちゃんが慌てふためいてたから僕がしっかりしなきゃって思っただけなのに、ってそんなことはどうでもいいよ。僕は大丈夫だから」

 ユキは震える手を後ろに隠しながら強気に言う。

 わたしが反論しようとしたとき、食堂の扉が開いて愛ちゃんの様子を確かめに行った部長たち三人が戻ってきた。

「どうでし……」

 声をかけた人の語尾が消えていく。

 食堂に入ってきた三人の顔は真っ青だった。


「もう、回りくどい言い回しを考える気力がない。申し訳ないが率直に言わせてもらう。岡山先生は亡くなっていた」

 また新しい衝撃がみんなの間を駆け抜けた。何人かがひっと息を飲んだ音が聞こえる。

「もう、わたしにもどうすればいいのかわからない」

 部長はぐったりと椅子に座り込んだ。だらんと横に垂れた彼女の腕から地面に血が滴る。いつ怪我したのだろう? 神林さんが血の気の引いた顔で部長の手を取って傷口の手当を始める。部長はされるがままで、手当を受けていることすら気付いていないのかもしれない。そんな二人の様子を見て萩野さんが口を開いた。

「……俺から説明しよう。さっきも言った通り、愛ちゃんは亡くなってた。俺たち三人で確認したから間違いない。ベッドの上にいて……始めは寝てるのかと思ったぐらいだったけど、死んでた。……死因は不明。事故か自殺か殺人か、それもわからない。顔が腫れていたが死亡との因果関係は不明。今の段階でわかっていることは愛ちゃんが部屋で亡くなっていた、ってことだけだ」

 萩野さんの顔は暗く声には覇気がない。

 彼の話を聞いても全く実感がわかない。本当に愛ちゃんが……?

「で、でも、あれ、愛ちゃんの部屋鍵かかってたで? そこで……あれって、どういうことなんですか?」

「……それも含めてわからないんだよ」

「鍵がかかってたんだとしたら、事故か自殺でしょ?」

 堂大が上擦った声で萩野さんに詰め寄る。

「だから、わかんないんだって! 事故とか自殺とか殺人とか何の証拠も確証もないんだよ!」

「どうしてくれんですか! こんな、こんな一晩で二人も死んじまって! どうなってんだよ?」

 松戸亜留人が椅子を蹴って立ち上がる。

「俺にわかるわけないだろ! 生田のことも愛ちゃんのことだって!」

「何だよ! そんなこと言ったってどうすんだよ! なんとかしろよ!」

「どうしろってんだよ! ぐだぐだ言うんじゃねぇよ! はっきり言ってやるよ、あれはな――」

「萩野っ!」

 突然、新田部長が声をあげた。

「余計な事は言うんじゃない」

「なんですか? 萩野先輩! 言いたいことがあるならはっきり言って下さいよ!」

「……いや、いい」

「言えよ」

 松戸の言い方にカチンときたのか、萩野さんは部長が止めるのも聞かずに最悪の一言を怒鳴った。

「ああ! じゃあ言ってやるよ、生田も愛ちゃんもどう考えても殺されてんだよ! わかったか、これは殺人なんだよっ!」

 部屋にどうしようもない沈黙が降りた。

「は? さ、殺人? お、おい、それってどういうこと……」

 慌ててしゃべり出す松戸。それを見て萩野さんは泣きそうな表情で笑いだした。

「どういうことだと? そのまんまの意味だよ」

「ま、待って下さい、萩野さん? じゃ、今も殺人犯がうろついてるってことですか?」

 浅井くんが立ち上がっていう。

「ちょっと待ってよ、悠介。それはないんじゃない? だって、ここは今、土砂崩れで誰も通れない……」

 浅井くんの彼女、市長未緒ちゃんが途中で言葉を切った。

「いやよ! ちょっと待ってよ! 誰も通れないのに殺人が起きたってことは、この中に犯人がいるってことじゃないの?」

 ヒステリックな喚き声が聞こえたと思ったらはやり、九条院だった。

 喚き散らしてはいるが彼女の言うことは正しい。

 現在この合宿所は一種の密室なのだ。閉じられた空間なのだ。誰も侵入できない、殺人犯がいるとすれば、ここに集まっている誰かに決まってる。

 食堂にいるほぼ全員が疑いの眼差しで互いを見つめ合う。

 この合宿に修復不可能で、決定的な亀裂が入った瞬間だった。

「もういや! こんな所にはいたくない! 悪いけどもうここにはいられないわ。行くわよ、由利、香保。殺人犯と同じ空間になんていられるもんですか!」

 九条院は憤然と立ち上がると二人の取り巻きを引き連れて、足早に食堂を出て行こうとした。

「九条院、待て! 落ち着け! 一体どこに行くというんだ?」

 部長が九条院の肩に手を置いて引き止める。だが、ヒステリックになった彼女は部長の手を邪険に振り払う。

「触らないで! とにかく私たちはここを出ます!」

「九条院……」

 聞く耳を持たずに食堂を飛び出した九条院たちを力なく見送る新田部長。

「もうだめだ……。これ以上みんなをまとめることは、私にはもうできない……」

「俺も行かせてもらいますよ。こんなとこにいられるか、救助が来るまで、誰も二度と俺には近づくな!」

 松戸はそう怒鳴って鼻息荒く出て行った。九条院と松戸に触発されたのか、おずおずと食堂を出ていく人が増えた。

 それらを止める人物は誰もいない。新田部長も神林さんも項垂れて座り込んだままで反応しない。

「悪りぃ……新田。俺……冷静じゃなかったわ。とんでもないこと言っちゃったな……せっかくお前が隠そうとしてたのに……」

「もう遅い……それにどのみちこうなってただろう。こんなこと隠し通せるはずがない」

 手で顔を覆いながら半泣きで弁解する萩野さんに、部長は顔を伏せたまま言った。

「こ、これからどうするべきなの?」

 わたしは食堂を眺め回す。さっきまでたくさんいたのに、今は数えるほどしかいない。わたし、ユキ、亜美、王子と加瀬名ちゃん、りんちゃんと元花ちゃん、この二人についてはりんちゃんがまだ、立つことすらままならないから食堂にいるだけかもしれないけれど。それから浅井くんと未緒ちゃん、多少そわそわしているものの堂大もいる、最後に力なく項垂れた新田部長と萩野さんと神林さん。総勢十三人だ。

「どうって……対策の立てようがないよね。何をすればいいいのか、さっぱりわからないよ……僕なんかが思いつく対策なんて、みんなで一か所に固まって過ごす、ぐらいだけど……それをするにはみんなを集めなきゃいけない。でも、今出て行ったみんなは僕らの話を聞いてくれるかどうか……人によっては絶対に聞いてもらえないだろうね」

「アカンわ……ミステリ読んでたらこういうシチュエーションよう見るけど、なんでバラバラになるんやろう、ちゃんと集まっとたらええやん、って思っとったけど、うまくいかんもんなんやな……。自分が同じ状況に置かれて初めてわかったわ」

 亜美が力なく言う。しかし、果たして今この場に力強くモノを言える人がいるのだろうか?

「……落ち込むのはここまでにしませんか。問題のあれを見ていないわたしが言うのは間違ってるかもしれませんが、今は無理にでも元気を振り絞りましょうよ。落ち込んでいても何もできないじゃないですか。みんなで協力するのは無理かもしれませんが、少なくともここにいるみんなで協力してこれ以上、被害が広がらないようにしましょう!」

 市長未緒ちゃんが椅子から立ち上がって、声を張り上げる。彼女の声は少し震えていたが、力に溢れていた。

 未緒ちゃん……なんて強い女の子なんだろう。こんな逆境にもめげずに声を上げることができるなんて。

「…………市長の言う通り、かな。無気力になるのはもうやめよう。悲しむのは救助されてからでも遅くない。ああ、やってやる。カラ元気だろうが虚勢だろうが何でもやってやるよ。今は全部、飲み込んで働いてやる。大体、私はお気楽なんだ、こんなこと何でもない。私はできる」

 部長が力強くそう言いきった。その姿は誰が見ても強がりでしかなかったが、彼女の決意を笑う者はいなかった。

「そうだね……。何とかやってみよう」

 神林さんも部長に負けじと虚勢を張る。

 二人につられ、わたしたちの顔にも生気が戻ってきた。もちろん、カラ元気を振り絞った情けない元気なのだが、元気であることに変わりはない。それでも無いよりましだ。

「では、対策を練ろう。集合!」

 部長が号令を発した。みんなは自分の椅子を持ち寄って、新田部長を囲む。

「ふむ。対策っていってもどうするべきだろうな? 何かいい案はないか?」

「いい案ね……というより、そもそも何が問題なんだろう?」

 神林さんが根本的な問題提起をする。

「問題は……死体が出てきたことだろうな。おそらく殺人という状況かつ、犯人が我々の中にしかいないと思われる状況であること。……ここが一番のネックだな。あと些細な問題として微妙な密室で発見されたこと、かな。これはみんなに詳しく言ってないけど、鍵がかかっていたから当然のことだ。でも密室はさしたる問題じゃない、管理室に行けば鍵なんて誰でも手に入れられるだろうからな」

 部長は話している内に顔色が戻ってきている。時間が経ったからなのか、状況を整理し始めたからなのか。

「……気は進まないがもう一度、死体を検分する必要があるのかもしれないな。それにあのままにしておくわけにはいかない……」

「でも、警察が来るまでそのままにしておくべきじゃないんですか?」

 王子が手を上げて発言する。それを受けて部長が顎に手をやる。

「そうしたいのは山々だけど……まぁ、それは置いておこうか。私だってどうしても死体を見たいわけじゃない。どうせならもう見たくない」

「死体はこの際だからもう放っておこう。言葉が悪いけど、そうするしかないよ。今はこれ以上被害を増やさないことの方が重要だと思う」

「今は膠着状態ですから、対策を練るなら今のうちだと思います。……犯人が行動できないような状態にもっていきたいですね」

 ユキが果敢に声を上げた。びっくりだ。怖がりのくせに、何かが吹っ切れたんだろうか?

「何とか出て行ったみんなを説得して、戻って来てもらうのが最善ですかね?」

 浅井くんがおずおずと言った。彼の顔色はまだかなり悪い。

「それがいいかな……犯人を特定するという方法がないわけじゃないが、名探偵でもない私たちじゃ、余計な火種を撒くだけだろうな。ここはみんなを信用して――心からの信頼じゃなくてもいい、とにかくみんなが集まっていることが重要だ」

「それじゃ、急いで行動しよう。このみんなで固まって各人の部屋を訪ねて話をしてみよう」

 行動方針が決まったわたしたちは新たな決意と共に立ち上がる。

 なんとか、この悲劇を止めてみせる。


 みんなで連れだって廊下を進み、部屋を訪ね歩いた。比較的穏やかに話を聞いてくれる人もいたが、やはり冷たくあしらってくる人もいた。それでも根気強く話をすれば何とか納得してくれる人がほとんどだった。

 この結果はわたしたちの中に犯人がいるかもしれない、と心の底から信じている人はそういなかったということだろう。なんだかんだ言いつつ、仲間を疑うのは気分のいいものじゃないしね。

 もしかしたら、わたしたちはまだ、団結できるのかもしれない。もう手遅れだと思ったけど、まだ大丈夫なのかもしれない。

「大体は説得したか……あとは……」

 部長の語尾が消えていく。

 残りは暴言を吐いて出て行った松戸と一番最初に飛び出した九条院の一団、九条院と尾原、干見だ。これらを説得するのは大変だろう。

 それでもやるしかない。松戸も九条院も口が裂けたっていい奴だなんて言えないけど、危険な目に合っていいとは思わない。

「悠介、あなた、顔色悪わよ。ホントに大丈夫なの? 休んでた方がいいんじゃ……」

「大丈夫、みんなで頑張るって決めただろ。僕だけ休むわけにはいかないよ。それに顔色は悪いのかもしれないけど、体は元気だよ」

 わたしの後ろを歩く未緒ちゃんたちが互いを気遣っている。二人はお似合いのカップルらしい。わたしの隣を歩くのはユキだ。別に彼に文句があるわけじゃない。さっきは助けてもらったし、今回のユキは頼れるかもしれない。

 そうこうしているうちに問題の九条院の部屋の前に着いた。

「九条院、いるか? 新田だ。話があるんだ」

 新田部長が扉をノックしながら部屋の中に声をかける。だが、部屋は沈黙を保ったままだ。

「九条院! 話だけでも聞いてくれ! 尾原はいないのか? 干見はどうだ? おい! 返事ぐらいしてくれ!」

 部長のノックが激しくなる。返事がないのはどう考えてもおかしい。九条院ならばわたしたちに怒鳴り散らすぐらいのことはするはずだ。もしかして……もうすでに?

「開けるぞ、いいか、九条院! 開けるぞ!」

 わたしと同じ事を思ったのか、部長は焦ったように扉に手をかけた。

「いいか、開けるぞ!」

 部長が腕を引くと扉は何の抵抗もなく開いた。扉が開いたってことは鍵すらかかっていなかったということだ。警戒心の強い彼女とは思えない、ひどく杜撰な管理だった。

「いない……?」

 部屋に駆けこんだ部長が唖然と呟く。部屋の中に隠れられる場所なんてない。ベッドの下や机の陰も確認したが、九条院も尾原も干見も、誰もいない。

 ここにいるはずの三人の姿がない。

「ど、どこへ行ったんだ?」

「さ、探しましょう! どこに行ったか分かんないけど、あいつらが危険じゃないですか!」

 わたしの叫びにハッとした顔になった部長が言う。

「よし、手分けして彼女たちを探そう! 何人かのグループに分かれて捜索するんだ」


 慌ただしく散って合宿所の中を探したが九条院も、尾原も干見もいなかった。

 彼女たちは合宿所から忽然と、煙のように消えてしまった。


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