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羽音  作者: 歌宮ゆか
3/17

2(火曜日 午後一二時五〇分)

「おう、相変わらず仲のよろしいことで、お二人さん」

 足をびしょびしょに濡らした亜美が駆け寄ってきて、体育館の入口で足を拭いていたわたしとユキに言う。

「バカ言わないでよ。っていうか、亜美かなり濡れたんじゃないの?」

「そうやねん。この距離でこんなに濡れるとは思わんかったわ。なんとか本とフルートだけは死守したけどな」

 わたしとしては亜美にフルートと本、と言って欲しいところだ。吹奏楽部としての順番的にね?

「ちゅーか、有美も藤も濡れてなさすぎちゃうん? 防水スプレーでも飲んだん?」

「そんなの飲んだら、お腹壊すわよ」

「ちゃうやろ。今んとこは、体の中防水してどうすんねん! やろ。それぐらいのツッコミがいるやろ。ウチのボケ死んでもうたやん」

「そんなの知らないわよ。高度すぎるわよ、そのボケ」

 関西、大阪のボケとツッコミなんてできるわけないじゃない。亜美と付き合う内に慣れてはきたけど、全部に反応するなんて無理。

「僕らが濡れなかったのは、僕が合羽持ってきてたから……合宿に行くってなったとき色々準備したのが生きたよ。はいこれ、タオルだよ。仮さんも使えば?」

 ビニール袋から新しいタオルを取り出して亜美に手渡すユキ。抜かりのない奴だ。っていうか、どんだけタオル持ってんのよ?

「あ、ええの? ほんならありがたく……」

 ユキタオルで足を拭う亜美。

「助かったわ、ありがとう、藤」

「どういたしまして」

「ほら、行くわよ二人とも」

 わたしたちは三人とも素足に体育館用の靴を履いて入口をくぐった。

「遅刻ギリギリですよ! 先輩方!」

 壇上でわたしたちを見下ろしているのは可愛い後輩の一人である市長(いちなが)未緒(みお)ちゃんだ。彼女は気が強いので、相手が先輩でも非がある時は容赦がない。

 ちなみに未緒ちゃんは部長を厨房から追い出した味噌汁男子、浅井くんの彼女である。

「ごめんごめん。結構濡れちゃってさ、拭いてたら思わぬ時間がかかっちゃって」

「それに遅刻ギリギリは遅刻とちゃうで、セーフやで。まぁ、余裕もって行動した方がええんは確かやけど」

 わたしたち三人はペコペコ頭を下げながら定位置についた。

「よーし。じゃ、音合わせるよー」

 各人楽器の音の最終チェックをして、愛ちゃんの指揮棒を見つめる。ひょいと指揮棒が振られ、

 音楽が流れだした。


「今日は調子悪いね。流石にあれかなぁ?」

 愛ちゃんが指揮棒を止めた。

「非日常的な出来事を経験した後だし、落ち着けないのも無理ないか。一旦練習をストップして、休憩します」

「わかりました」

 わたしたちは楽器を置いて、伸びをしたり腕を回したりして体をほぐす。

 吹奏楽部と言えば、文化系部活の代表みたいな感じだが、実際は運動部に匹敵するほど体力を使う。練習が厳しい学校になると、ここは軍隊かと思うほどにキツイ規律と練習が三百六十日ぐらいは続くことになる。ウチはそこまで厳しくはないが、やっぱりそれなりに体力を消耗してしまう。

「ふむ。通常通りを心掛けてはいたが、無理はする必要はないな。のんびりいこう」

 そう言って新田部長は実にのんびりと椅子に腰掛ける。この人は何が起きても動揺しないのだろうか? お気楽というより最早図太い。

「そう言えば、九条院さんたちの姿が見えませんが、どうかしたんですか?」

 ユキがぱたぱたとこちらに駆け寄ってくる。

「話に行ったけど、ダメだった。気分が悪いって寝てるよ。大事なければいいんだが」

「それは問題ないんじゃないですか。あいつすぐにキレるけど、意外と太い神経してるんじゃないかってにらんでますよ、わたしは」

「だと、いいが……」

「お前こそ、悩みすぎんなよ。……まぁ、新田が考え込んで倒れるとは想像できないけどな。お前、図太いもん」

 そう言ってハハハ、と笑うのは萩野(はぎの)副部長だ。

「レデーに対して太いとは何だ。萩野は細いからいいがな、女は太いと言われると傷つく生き物なんだぞ」

 筋トレしても一向にマッチョになれないガリガリに皮肉を飛ばす部長。萩野副部長は苦笑いで応じる。

「皮肉を返すが、お前のどこがレディーだ。大体、お前は太いって言われても一向に傷つかないだろ。ヘラヘラ笑うだろ」

 というか、そもそも部長は太くない。羨ましい程、きれいな体型を維持している。

「ひどい奴だ。私をなんだと思ってるんだ」

 ふてくされた表情で腕を組む新田部長。だが、あれは完全にポーズだ。

「なんだと思ってるかって? そりゃ、部長だと思ってるぜ。……人とは思えねぇけど」

「やかましいわ。ガリガリ星人め」

「貴様、人のコンプレックスを!」

 わたしたちは二人の掛け合いを見て笑う。

「はーい、そろそろ再開しまーす」

 愛ちゃんののんびりした声がかかる。わたしたちは元気よく返事をして元の位置に戻った。

「岡山先生、ちょっといいですか?」

 一人だけ動かなかった部長が問う。

「新田さん、どうかしましたかしましたか」

「顔色がすぐれませんが、大丈夫ですか?」

「……だ、大丈夫よ?」

 愛ちゃんの声が動揺する。

 確かに、言われてみると愛ちゃんの顔色はよくない。それに心なしか声にも元気がないような気がする。

「愛ちゃん、無理しない方がいいんじゃない?」

「む、無理なんてしてないわよ……」

「こういう状況ですから、体調管理は徹底するべきです。少しでもしんどい場合は意地を張らず休んでください」

「で、でも、私は教師だし、生徒を放って寝込むわけには……」

「お気になさらず。我々は大丈夫です。それに今無理をしていざというときに動けない方が困りますよ」

 それでも迷いを見せる愛ちゃんだったが、わたしたちが揃って声をあげ始めると諦めたようにうなだれた。

「……ごめんね。実はちょっと頭が痛くて……。でも、新田さんの言う通りよね。いざというときに生徒を守れないのは教師失格よね。……わかったわ、認めます。私は体調が悪いです。なので、みんなには悪いけど、休ませていただきます」

 愛ちゃんは本当に申し訳なさそうにわたしたちに頭を下げた。

「では、後は私と萩野に任せて下さい」

「ええ、悪いようにはしませんから、安心して休んでください」

 萩野さんはそう言ってニヤッと笑った。それを聞いた愛ちゃんも微かに笑ってこう答えた。

「じゃ、後は任せるわ。……ごめんね」

「私が先生についていきます。部屋まで送ります! 途中で倒れたら大変ですから!」

 未緒ちゃんが愛ちゃんのエスコート役を買って出た。

「ほら、ゆうすけも来て!」

「あ、わかった、行くよ」

 彼女に召集された浅井くんが二人に駆け寄る。

「よし、じゃ、市長と浅井に任せるぞ」

「わかりました、部長!」

「愛ちゃん送って行ったら、すぐに帰ってこいよ、二人で寄り道しちゃだめだぞ」

「萩野さん! その発言は、ほぼセクハラですよ!」

 副部長は未緒ちゃんの叱責に首をすくめた。

「……ごめん」

「いえ、気にしないでください。未緒ちゃん、あれはジョークだよ、あんまりカリカリしないでいいじゃない。笑顔でいようよ」

 優しい浅井くんはそう言って未緒ちゃんと愛ちゃんを連れて体育館を出て行った。三人を見送った後、わたしは部長に聞いた。

「で、これからどうするんです?」

 それに対して新田部長はニヤリと不気味に笑いながらこう言った。

「そうだな……。練習という雰囲気でもないし、楽器片付けて、ドッチボールでもするか?」



 結局その後、吹奏楽部によるドッチボール大会が開催された。

 言いだしっぺの部長はボールを避けるのが異常にうまく、あっちへヒラリ、こっちへユラリと全くボールに当たらなかった。(避けてばっかりなので、一度もボールには触れず、従って投げることもなかった)

 どうでもいい話だが、彼女は小学生のころ『避け太郎』という通り名をつけられていたらしい。(本人談。しかし、部長は女の子なはず……太郎って……どうよ?)

 ちなみに、一番球速が速かったのは途中参加の未緒ちゃんだった。(男子の面目丸潰れよね。筋トレマニアの副部長は本気で悔しがっていた)ボールを投げる際の気迫が凄まじくビビりなユキなどは飛び上がって逃げ回っていた。

 わたしはユキと違うチームだったので、執拗に彼を狙った。ユキは涙目で逃げ回っていたが、基本的にウンチ(運動音痴)なので最終的にボコボコにしてやることができた。

「ユミちゃん、ひどいよ……」

 ドッチボールが終わった後、ユキはそうぼやいていたが、わたしはルールに従っていただけだ。文句を言われる筋合いはない。なので、ユキの愚痴はサラッと聞き流した。

「いや、運動したな。久しぶりに童心に返ったよ。明日は肩が筋肉痛になりそうだ」

 一度もボールを投げなかった新田部長がそう言った。彼女のボケに反応する人はいなかった。

「この次は必ず、市長に雪辱を晴らすぞ……」

「ははは。受けて立ちましょう、萩野さん! 私は逃げも隠れもしませんよ!」

 なんて男らしいんだ、未緒ちゃん……!

 っていうか、次の機会なんてあるのだろうか? わたしの所属する部活はドッチボール部ではなく、吹奏楽部なのだが……。

 そんな素朴な疑問は脇に置いておき、わたしは今日の夕飯当番なので適当に体育館を出た。(ユキからサンダルを借りることも忘れない。濡れた靴はユキに任せた。彼がしっかり

 乾かしておいてくれるだろう)傍らには亜美と未緒ちゃん、それにこれまた後輩である遠出幹矢(とおでみきや)くんと鍵浜俊典(かぎはまとしのり)くんがいる。

 遠出くんは小柄でシャイな男子。鍵浜くんはがっちりしたラガーマンみたいな体型をしている。ふたりとも吹奏楽部ではホルンを担当している。あのでっかいカタツムリみたいな楽器だ。

 この五人のメンバーが今日の夕食担当である。大丈夫だろうか……。

 正直に白状するが、わたしは料理なんてほとんどしない。する機会といえば、学校の調理自習かバレンタインデーの前日ぐらいだ。食べるのは好きだけど、調理には自信がない。

 わたしは手を洗ってエプロンの帯を締め、恐る恐る厨房へと足を踏み入れた。

「さて、何を作るの? 言っとくけど、わたし役に立てないからね。先輩だからって期待しないでね」

「どうしますか? 結構人数いますしね。ガーッとできるものがいいんじゃないですか?」

「カレー、やな。順番がウチらに回ってくるまでに誰かがやると思とったけど、誰もやってへん。これはチャンスや。断固カレーにすべきや」

「定番ですしね」

 亜美の言葉にふむふむと頷く鍵浜くん。

「やろ? そうと決まればさっそく取りかかろか」

 貯蔵室からカレールーやら、お肉、ジャガイモ、人参、タマネギ等の材料を運びだし、厨房に広げる。

「よし。じゃ、わたしが野菜を洗うよ」

「いや、ウチが!」

 自ら率先して無難なポジションを狙いに行ったわたしだったが、思わぬライバルがいた。亜美と無言でにらみ合う。

「…………」

「…………」

「……一緒にやればどうですか?」

 先輩のくだらない駆け引きによる沈黙に耐えきれなくなったらしい未緒ちゃんが口を開いた。わたしたちは揃ってその案に乗ることにした。

 情けない先輩でごめんね……

 じゃぶじゃぶと野菜を洗い続けるわたしたちの隣で、鍵浜くんが包丁で手際よく野菜の皮を剥いていく。ジャガイモや人参が嘘みたいにツルツルになっていく。

 おお……。彼のごつい手があんなにも器用に動くとは……。人は見かけによらないなぁ。

 鍵浜くんが皮を剥いた野菜は未緒ちゃんが綺麗にカットする。わたしたちの後ろでは遠出くんが黙々とお米をといでいる。

 しかし、いくら鍵浜くんが器用だとはいえ、野菜を洗う人間が二人いるとどんどん洗い終わった野菜が溜まっていく。洗い終わって手持無沙汰になったわたしと亜美はピーラーを探し出してきて鍵浜くんを手伝った。(ピーラーを使ったのはもちろん包丁で剥く技術がないからだ)

「うわっ……ジャガイモって剥きづらっ! なんでこんなにゴツゴツしてんねん! もっと丸なったらええのに」

「フハハ。ジャガイモなんてチョイスするから悪いのよ。言っとくけど、亜美はジャガイモ担当だからね。人参には手を出しちゃだめよ」

「なんてこった……」

 わたしは悪戦苦闘する亜美を尻目に、人参をシャーっと軽やかに剥いていく。

「……しかし、有美の剥いた人参痩せてんなぁ」

「亜美のジャガイモだってボコボコじゃない」

「ジャガイモは元からボコボコやろ」

「更にひどいわよ」

 ピーラーという名の皮むき機を使っているわたしたちより、包丁使いの鍵浜くんの方が綺麗に剥けるとは不思議だ。それとも、そんなもんなのだろうか?

 大量のジャガイモと人参を剥き終え、遠出くんが黙々とお肉を炒めている後ろで、わたしと亜美、未緒ちゃんと鍵浜くんは泣いていた。

「泣ける……グスッ……タマネギ切んのってホンマ泣ける……。感動する映画より泣けるわ」

「眼が痛いです……」

「頑張って未緒ちゃん! ズルルッ!……もうすぐ、もうすぐ終わりよ!」

「あ、ダメですよ! 高坂先輩! 今、目を拭ったら死んじゃいますよ! タマネギ切った手で目なんか触っちゃダメです!」

 わたしたち四人は涙涙の中、やっとの思いでタマネギをバラバラに切り刻んで遠出くんがお肉を炒めている鍋の中にタマネギを放り込んだ。

「みなさん……、御苦労さまです……」

 遠出くんも泣いていた。お肉を炒めながら彼は静かに涙を流していたのだ。健気な子……。

 タマネギは恐ろしい兵器だ。食べたらあんなにおいしいのに……。

 そこからは料理音痴のわたしと亜美にすることはあんまりなくなった。後輩たちが大きな寸胴鍋を囲んでああだ、こうだと細かい味をつけている。わたしたちはお皿を用意したり、後片付けをしたりして時間をつぶした。後片付けが一段落すると鍋からカレーのいい匂いが広がっていた。

「ん~……ええ匂いや」

「お腹すいたなぁ……」

 カレーの匂いにつられたわけではあるまいが、ぞろぞろと食堂に人が集まりつつあった。

「今日はカレーか」

「あ、王子。元気?」

「え? ああ、元気だぜ。それにしても腹減ったよ。雨降ってるから室内で筋トレばっかだったからなぁ。俺、ご飯大盛りにしてくれよ」

「やっぱ、部屋の中だったんだ? 加瀬名ちゃん、大丈夫だったの? RGうるさかったんじゃないの?」

 ご飯がどうのこうの言ってる王子を無視して加瀬名ちゃんに訊ねる。

「いや、今日に限ってはそうでもなかったな。流石のRGもあの光景に意気消沈してたみたいだ。それについてはラッキーだったよ」

「よかったね。で、ご飯何盛りにする?」

「並盛りで」

「オッケー、ご飯とルーの割合は?」

「六対四で」

「了解! 黄金比率だね! ほい、亜美!」

「おう」

 わたしと亜美の素早い連携でお皿をさばいていく。行列が出来てきたのでおしゃべりはやめて皿を配ることだけに集中する。並んでいた列はすぐに解消した。九条院の姿も見えたので、好きな奴ではないが一応安心した。彼女だって、ご飯を食べられるのならまだ大丈夫だろう。

「すごい皿さばきだね……」

 列の最後に並んでいたユキが呆れたように言う。

「ふっ……。わたしたちは料理はあれだけど、皿さばきは有能だったのさ」

 ユキが手渡してきたお皿にこんもりとご飯を盛りつける

「ちょ、ゆみちゃん? 盛りすぎ……。僕、そんなに食べられないよ」

「何言ってるの? これはわたしの分よ」

「……あ、そう……」

 彼はそう言って新しいお皿を持って来る。わたしも今度はおとなしく彼のお皿にご飯をよそった。亜美にたっぷりとルーを入れてもらい、わたしたち三人はそのお皿を持ち厨房を出て席に着いた。

「いただきまーす!」

 両手を合わせて大きな声で元気よく。スプーンを握ってでっかくすくい取って口に放り込む。

「う~ん。おいしいっ! 流石、自分で作ったカレーはやっぱり、違うわ~」

「ホントに料理したの? ユミちゃん、料理できないじゃないか」

「貴様! わたしを疑うかっ?」

「何のキャラなのそれ……」

 変な眼でこちらを見てくるユキなんか、無視だ。わたしはお皿を持ち上げると、カレーを掻きこんだ。




「ひどい雨だなぁ……」

 昨日と同じようにプレイルームに集まって、みんなでトランプをした。トランプをカットしながら王子がそう呟いた。

 彼の言葉につられて窓の外を見ると、確かに激しいという言葉では足りないような大雨が風と共に窓を叩いていた。

「確かに――」

 わたしの言葉は突如鳴り響いた雷鳴にかき消された。

 うひゃあ、と誰かが悲鳴を上げた。あの情けない感じはきっとユキだ。

「おお、ヘソ隠さなアカンのちゃうか?」

「ヘソどころか全身隠そうとしてる奴がいるぞ」

 新田部長が座布団をかぶって震えている人を指差す。

「彼女は雷が嫌いなんだよ。大丈夫かい、西家(にしか)?」

 神林さんがやさしく女の子に声をかけた。

「だい、だいじょ……ぶ、ではないです……」

 西家(にしか)りんちゃんと言っただろうか? 小柄な可愛らしい女の子だ。初めて会ったとき、ウサギみたいだなって思ったことを憶えてる。確か、彼女は高跳びの選手だったはず。王子がそう言ってた気がする。

「西家は怖がりだからなぁ」

 大柄で筋肉質な男が笑いながら言う。

「そう笑うもんじゃないよ。堂大」

 堂大浩(どうだいひろ)。砲丸投げの選手だ。ちなみにわたしと同じクラスの男子だ。

「怖いものは仕方ないじゃ……ないですか。堂大先輩……」

「ビビりすぎだって言ってんの。雷なんて音だけじゃないか」

「堂大! 女の子にそんなこと言わないように! だから、あんたモテないのよ」

 彼は告白してはフラれる、ということを懲りずに繰り返している。悪い奴じゃないのだが、どうしてか女子受けが悪い男子なのだ。

「た、高坂……お前も言っていい事と悪い事があるぞ……」

 堂大はわたしの言葉にショックを受けたようにふらりと揺れる。

「呪われてますねっ!」

 堂大の後ろからおどろおどろしい大声が聞こえた。跳び上がる堂大。

「どわぁ! びっくりしたぁ! 脅かすなよ……」

 彼の後ろからにゅっ、と姿を見せたのは藍田元花(あいだもとか)という少女だ。

 彼女はオカルト、心霊マニアで合宿一日目の夜、わたしたちがカブト狩りをしている間に怪談を語って合宿所を恐怖のどん底に叩き込んだらしい。……怪談が苦手なわたしとしては、ユキに虫捕りに誘ってもらってめずらしく彼に感謝したものだ。

 しかし、彼女は全然そういう風には見えなんだよなぁ……。大きな瞳はくりくりと愛らしく、ツインテールが元気よく頭で跳ねているような天使みたいな元気ガールなのに、怪談を語る時は彼女自身が幽霊に見えてくるらしい……どんな女の子だ、怖いよ。

「堂大さんがモテないのは呪われてる所為かもしれませんよ……。昔、手酷く振った女性の怨念に取り憑かれているのやもしれません……」

「おいおい、何言ってんだよ、元花。浩は手酷く振られたことはあるけど、振ったことなんてないよ。な、浩、だろ?」

「うるせぇ! 王子!」

「む。そうですか……。では、前世かもしれませんね……」

「きっと、前世もモテてないだろ」

「何で、前世にまでケチ付けられないといけないんだよ!」

「それよりも、みなさん……知っていますか? この合宿所の血塗られた歴史を……」

「ち、血塗られた、歴史……」

 い、いやだ。聞きたくない。

「や、やめようよ……。元花ちゃん……。聞きたくないよ、怖いし……」

「お黙りなさい、りん。聞きなさいよ……。これとっておきの話だから語るチャンスをずっと待ってたのよ? 実はですね」

 元花ちゃんはりんちゃんの制止も聞かず、幽霊モードになって語り始めた。

「私、行ったことのない場所に出かける時は、その土地の過去を調べるんです。大抵の場所には曰く付きの話がいくつかあるもんなんですよ。それでですね……ここがちょっとヤバイ場所だってことに気がついちゃったんです……」

 彼女はゆっくりと語り出す。聞きたくないのだが惹きつけられる。元花ちゃんの語り口は怖ろしいが、うまい語り手なのだろう。誰もが固唾を飲んで耳をそばだてる。

「この場で一番最初に血生臭い事件が起こったのは、戦国時代だそうで、その頃、ここには小さな村があったそうです。ある時、戦に敗れた落ち武者の一団がこの村に逃げ延びて来たらしいんですね。それから、その落ち武者たちは、落ち武者といえど、戦に駆り出される農民の類ではなくてそれなりに地位のあった武士だったようです。凋落寸前だといえ武士ですからプライドは高く、助けてくれた村人たちにも上からモノを言って、それはヒドイ振る舞いばかりしていた、と書かれていました」

 元花ちゃんはそこで言葉を切って、みんなの顔を見まわす。誰かの喉がごくりと鳴った気がする。

「村人たちは堪え切れなくなったようですね。落ち武者たちの不遜な態度に。追い出そうという話が出たらしいんですが、それだと、後からの報復が恐ろしい。なら、どうします? どうすれば、落ち武者たちに居なくなってもらい、かつ何も後腐れがないようにするには?」

 それは……

「そうです。殺すしかありません。一人も逃がすことなく、皆殺しにするしかないんです。まぁ、あの時代においてはめずらしいことではありませんが。落ち武者の持ち物は高価ですしね。それはともかく、村人たちは落ち武者たちを片付けるために乱暴な手段に訴えることにしました。早朝、まだ全ての生き物が眠りこんでいる時刻、村人たちは落ち武者たちが眠る小屋に、お手製の竹槍を構えて突撃しますっ!」

 元花ちゃんか急に大声を上げたので何人かがヒッと言って飛び上がった。

「小屋の中は阿鼻叫喚の地獄と化しました。悲鳴が上がり、血飛沫が飛び散ります。最初の一撃で大半の落ち武者は致命傷を負いましたが、腐っても武士。戦慣れしていない村人にいいようにやられるだけではありません。残った落ち武者たちは竹槍を奪って村人を殺していきます。それでも、怪我をして人数も少ない落ち武者たちはそれほど堪えることができませんでした。全てが終わった後、小屋は金臭い匂いに包まれ、赤く染まっていたといいます……」

「…………」

「その年から、おかしな事が起き始めたと記述されていました。落ち武者を埋めた場所からは怨嗟の声が響き、謎の奇病が流行ったとか……」

 話自体はそれほど怖いものではなかったが、元花ちゃんの話し方が怖い。

「元花ちゃん、やめてよぉ……」

 りんちゃんが泣きそうな声で言うが元花ちゃんは黙らない。

「今のは前座よ。本題はここからだから。楽しんでね」

 彼女はそう言ってにっこり笑った。ゴースト元花が一瞬だけ、エンジェル元花に戻った。

「続けます。一番血生臭い事件はさっき語った話ですが、ここはそれ以外にも奇妙で奇怪、妖しく、陰惨な事件が数多く存在します。しかし、全てを語るには時間がありません。では、一気に時間軸を現代に戻します。まぁ、現代と言っても私たちからすれば、過去の話になりますが」

 ニタリと妖しい凄味を帯びた微笑みでみんなを見つめる元花ちゃん。怖い、この子ホントに怖いよ……。

「話はちょっとズレますけど、ウチの高校貧乏ですよね」

「まぁ、お金持ちとは言えないよな」

「なんで貧乏高校がこんな合宿所なんて所有してられるんだと思いますか?」

「…………い、曰く付きの土地だから……?」

「そうです。この辺の土地は地元じゃ呪われた場所だって有名ですから。安く買ったんですよ。それで、本題ですけど、この土地に合宿所が建ってから二度おかしな事が起きています」

「…………」

「まず、当時強豪だった野球部の部員一名が不可解な状況で自殺と遂げています。グラウンドの端にあるボロボロの倉庫知ってますよね。あそこの中で陸上の槍投げの槍に貫かれて死亡していたらしいです。貫かれていたのなら他殺が疑われて当然ですが、倉庫が密室状態であったため、自殺と判断されたようです。詳しい密室状況は不明です。調べたのですが、一切情報がありませんでした。不思議ですけどね……」

「や、やめろよ……。槍って俺昨日まで使いまくってたんだぜ……まぁ、槍は新しくなってるだろうがな」

 がははは、と剛毅に笑おうとする王子。だが、雰囲気にのまれ顔色が悪い。

「わかりせんよ、王子川さん……。ウチは貧乏高校ですから……古い物を使っている可能性は高いんじゃないですか? 現に倉庫は当時のままですし……」

 元花ちゃんの笑みに王子の笑顔が引きつる。

「次は事故です。ある美術部員が階段から落ちて亡くなりました。現場に不審な点は全くなかったそうです。警察は慌てた為に階段から足を踏み外したと判断したらしく、大きな記事はありませんでした。しかし、事故を目撃していた数名の証言があるのですが、階段から落ちた女子生徒は即死ではなく、しばらく意識があったそうです。駆け寄った目撃者によれば、落ちてしまった女子生徒はこう呟いていたそうです。まるで熱に浮かされたように、うわ言のように、こう呟いていたそうです……『やめてほしい。もうやめてほしい、これ以上追いかけてこないで……』と。そればかりをくり返しくり返し、呟いて事切れたとか……」

「うっうう……」

 りんちゃんだろうか? すすり泣いてるよ……。

 っていうか、すすり泣いてるのは少なくとも、ここにいる人なんだよね? そうだよね?

 部屋の隅にいる知らない誰か、とかじゃないよね?

「果たして、この二つの件は普通の事件、事故なのでしょうか?」

「ま、まだ何かあんのかよ……」

「はい……」

 元花ちゃんは立ち上がって部屋を歩き回り始める。

「自殺したとされる野球部員はまるで、竹槍で突き刺された落ち武者のようではありませんか? そして、階段から落ちてしまった美術部員は一体何を慌てていたのでしょう? 一体何に追われていたというのですか?」

 お、落ち武者だろうか……? い、いかん! こんなことを思うなんて、彼女の話術に嵌まってるぞ! 落ちつけ、わたし!

「今の話を聞いてどう思いました? まるで、まるで、落ち武者の怨念が生きてるように感じませんかっ!」

 彼女の声が部屋中に響きわたった途端、部屋の電気が一斉に消えて、激しい雷鳴が轟いた。

「ぎゃぁあああああっ!」

 誰が悲鳴が上げたのかわからない程、大勢が悲鳴を上げたと思う。わたしは悲鳴を上げるのに忙しく声を聞き分けるヒマがなかった。

「ぎゃあああああ! 助けてぇっ!」

 バタバタみんなが暴れまわる。

 パッと電気が復旧した。イタズラっぽい笑顔を浮かべた元花ちゃんが部屋の中心に立っていた。手に持った電気のリモコンを振っている。

 暴れ回っていたみんなの動きがピタリと止まった。

「電気を消したのは演出ですよ。雷は偶然ですけど」

「な、何だよっ! 勘弁してくれ……」

「心臓止まったわ……」

 ヘナヘナとその場に崩れ落ちる王子や亜美とその他大勢。わたしもその内の一人だ。

 電気が消えたときから微動だにしていないのは、新田部長とユキとりんちゃんだけだ。

 部長は多少びっくりした表情をしているが口元は緩んでいる。あの怪談話を楽しんだらしい。ユキとりんちゃんが微動だにしなかったのは腰を抜かしていたからだ。

「あわわわわ……」

「あうあうあう……」

 二人の視点が定まってない。ひどく虚ろな目をしている。……大丈夫だろうか?

「ホント駄目だ。元花の話、マジ駄目だ。怖いわ……」

 王子は自分がまだ、トランプを握りしめていることに気付いて苦笑いをする。

「話し方が怖い。恐ろしい才能だよ……」

 神林さんも苦笑いだ。

「皆さんに楽しんでもらえたようで私も嬉しいです」

「…………うん」

 変な空気になった。楽しかったのだが、素直に喜べない……。

「なぁ、おい、元花さぁ……それって作り話なんだよな?」

 そうであってくれ、とう願いがこめられた加瀬名ちゃんの呟きだった。それに対して元花ちゃんはにっこり笑うだけで答えなかった。

 言わぬが花、ということかな……? でも、お願いだから作り話であって欲しい。ホントに。

「はいはい、そろそろトランプ再開すんぞ~。カード配るぞ、みんなちゃんと座れよ~」

 新田部長の呑気な声が部屋を支配していた緊張感の残りを吹き飛ばす。

 この人はやはり唯者ではないな……。

「新田先輩、それ俺のセリフっすよ? カードは俺がずっと握ってたんですから」

 部長と王子のやりとりを聞いて、みんなが笑いながら姿勢を正した。


 わたしたちはこの時まだ、十分にくつろいでいたし、かなり安心していた。合宿所に閉じこめられたとはいえ、極論それを意識する必要は全くなかった。

 ここには生活に必要な物がほぼ全て揃っていたからだ。

 正直な話、これで危機感を抱けという方が難しいかったかもしれない。せいぜい、めずらしい体験が出来たぐらいの感想しかなかった人も多いだろう。

 元花ちゃんの怖い話にビビってはいたが、それはあくまでレクレーションの一つだった。みんなで盛り上がるための手段の一つ。

 わたしたちは閉じこめられた生活を安穏と楽しんでいたのだろう。


 わたしたちはそれが間違いだと思い知ることになる。

 そして、それは避ける間も、予測することすら不可能で、わたしたちに襲いかかってくるのだった。


 わたしたちは惨劇に見舞われる。



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