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羽音  作者: 歌宮ゆか
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1(火曜日 午後一二時三〇分)

主な登場人物


吹奏楽部

高坂(たかさか)()()…主人公。フルート。

藤行雅(ふじゆきまさ)…幼馴染。昆虫マニア。

(かり)()()…友人。大阪出身。ミステリマニア。

新田(あらた)政子(まさこ)…吹奏楽部部長。

萩野(はぎの)一彦(かずひこ)…吹奏楽部副部長。

浅井(あざい)(ゆう)(すけ)…料理好き。市長の彼氏。

市長(いちなが)未緒(みお)…しっかり者。浅井の彼女。

遠出(とおで)(みき)()…ホルン。小柄でシャイ。

(かぎ)(はま)(とし)(のり)…ホルン。ラガーマンみたいな体形。

九条院(くじょういん)渚子(なぎこ)…ヒステリック女

尾原(おはら)由利(ゆり)…取り巻き1

(ほし)()果保(かほ)…取り巻き2

岡山(おかやま)(あい)…吹奏楽部顧問。


陸上部

王子(おうじ)(がわ)(しょう)…やり投げ選手

加瀬名(かせな)めぐみ…短距離エース

神林(かんばやし)時生(ときお)…陸上部部長。優男

西家(にしか)りん…小柄ウサギみたい。

(どう)大浩(だいひろ)…砲丸投げ。

藍田(あいだ)元花(もとか)…元気ガール。オカルトマニア。

松戸(まつど)亜留人(あると)…粗暴な男。短距離走者。

生田(いくた)(どう)次郎(じろう)…陸上部顧問。


 日中だというのに真っ暗な空から、叩きつけるような雨が絶え間なく降り続いている。窓を伝って流れ落ちる激しい雨の所為で、外を窺うことが難しいが、きっとグラウンドはプールみたいになっているに違いない。

 今日は八月のある火曜日である。

「こんな天気になるなんて……」

 わたしはうどんのどんぶりから顔を上げ、誰にともなく呟いた。誰に言ったわけでもないから、もちろん返事はない。

 今いる食堂の窓にもワイパーが必要かも。それがあったら外の様子が見えるかもしれない。

 雨はすでに一日中降り続いている。ときおり、ガタガタと窓が激しく揺れるのは昨日から吹きはじめた強風のせいだ。この雨風はまだまだ続くと今朝のニュースでやっていた。

 もういい加減に止んでほしいなぁ。こうも続くと、どうしてもお日さまが恋しくなってしまう。湿気もひどいから、手入れが大変だし。

「ぼーっとしてたら練習に遅れちゃうよ、ユミちゃん。時間押してるから急がないと」

 わたしの隣にいた色白の男子がおぼんを持って立ち上がった。

「あ、待って待って、これ飲んだら行くから」

「そのスープを最後の一滴まで飲む癖は直した方がいいんじゃないの? 塩分の取り過ぎになるんじゃないかな? あと、前歯にネギが付いてるよ」

 色白男子、藤行雅(ふじゆきまさ)が言う。

 彼は家が隣近所のいわゆる、幼馴染である。小学校まで一緒に通い、中学は別々になったと思ったら何の因果か、高校が同じになってしまった。こういうと誤解を受けそうだが、わたしは彼の事が嫌いではない。嫌いではないが、特別好きというわけでもない。ただの幼馴染、友人でしかないのだ。

 え? 彼の方はどう思ってるのかって? それは知らない。別段、興味がない。実際のところ嫌われていないとは思う。やたら滅多に甲斐甲斐しいく面倒を見てくれるし――認めるのはシャクだけど――けっこうお世話になっている。

 ただ、そこに恋愛的感情が絡むのかと言えば、やはりそうではないのだ。どちらかと言うと、彼はわたしのことを恋愛対象というより、手のかかる妹または世話の焼けるペットぐらいに思っているはずだ。(事実だとすれば腹立たしいことこの上ないが)

 ところで、彼のルックスは悪くない。こんがり日に焼けた浅黒いマッチョが理想のタイプ、というわたしの琴線には触れないが、客観的に見て、白皙の美少年とは言わないまでも、白皙の割合整った少年とは言えるだろう。

 だが、彼がモテたためしは生まれてこのかた一度もない。見た目はいいのだが、趣味が悪いからだ。

 彼の見かけに騙されてキャーキャー言ってた女の子達も、彼の趣味を知った途端、声を失って、いや、盛大な悲鳴を上げて逃げ去ってしまう。

 その恐ろしい趣味は昆虫採集だ。彼は超のつく昆虫マニアなのだ。

 もうそれはひどい重症ぶりで、虫の詰まった湯船に飛びこめる程だという。実際、自分の家の浴槽でそれを試そうとして、家族に袋叩きにあったらしい。彼は悲しんでいたが、当然の報いだと思う。

 わたしが家族だったら袋叩きですんだかどうか……。

 女の子は総じて、脚の多い生き物が苦手なのだ。無論、彼はそれを理解せず、全人類が昆虫好きだと思いこんでいる節がある。

 要はバカなのだ。

 そのバカに前歯にネギが付いているなんて言われて黙っていられるだろうか?

 そんなことは、できない!

「だまれ! そういうことはこっそり教えるのが礼儀でしょ!」

 わたしはスープを飲みほすと猛然と立ち上がった。

「というわけで、これ持って行ってね。よろしく」

 彼のどんぶりにわたしのどんぶりを重ねて、その上におぼんを乗っけた。

「ちょ、ユミちゃん、どういうわけっ?」

 ここらでひとつ自己紹介を。

 わたしの名前は|高坂有美(たかさかゆみ)

 花の高校二年生。ぱっちりおめめの笑顔がキュートな一七歳だ。吹奏楽部に在籍し、フルートの練習に情熱を燃やし、ウチの弱小吹奏楽部で全国を目指すという果てしなく大きな夢を持っている。

 わたしの野望はさておいて、当面の目標は部員集めと地区大会の上位入賞。理想と現実のギャップに思わず涙ぐみそうだが、努力で道は開けるはずだと信じてる。

 夢を叶えるには対価が必要だが、夢を見るのはタダだ!

「ユミちゃーん!」

「やかましい! ユキの助! 黙って持って行くがいい!」

「ひどいよ! ユミちゃん。っていうか、何のキャラなのそれ」

「急げ、ユキ! 練習に遅れるって言ったのはあんたでしょ」

 彼もまた吹奏楽部員だ。トランペットをプープー吹いている。人の事を言えた義理ではないが、彼の演奏は、はっきり言ってヘタ。昆虫研究部に入りたかったらしいのだが、生憎そんな部活はウチの高校にはない。でも、なんで昆虫の代わりが吹奏楽?

 わたしたちは食堂を出て、歯を磨いてから体育館の方へと向かった。

 外は相変わらず土砂降りだった。

 本館と体育館をつなぐ通路には天井があるものの、横壁はない。通路には横殴りの暴風雨が吹き込んでいる。

「これ、濡れるよね……」

「はい、これ、合羽」

 ユキが透明な雨合羽を手渡してきた。用意がいい奴だ。どうしてビニール袋なんか持ってるのかな、って思ってたのに……。

 わたしたちは合羽を羽織って通路を駆け抜けた。合羽を着て走ったにもかかわらず、靴に水が入って気持ちが悪い。

「うっげー、ぐちょぐちょじゃない、気色悪い……」

 わたしはぐっしょり濡れた靴を脱いで、じっとり濡れた靴下を引っ張った。

「ユミちゃん、これ」

 彼が差し出してくれたのはタオルと小さな袋。

「この袋に濡れた靴下入れて、そのタオルでしっかり足拭いてね。足が冷えたら風邪引くよ」

「お前はわたしのお母さんか!」

「帰りはサンダルあるけど使う?」

「使う。ありがとう、ママ」

「誰がママだよ!」

 彼のツッコミを右から左へ聞き流しつつ、貰ったタオルで丁寧に足を拭う。

 まだ、暑い時期でよかった。冬場だったら足が凍ってたよ。

 現在は八月。雨の所為で気温はそれほど上がっていない。それでも寒くはないのでありがたかった。

 わたしたちは吹奏楽部の夏季合宿に来ている。

 山奥のそのまた奥の、前人未到の秘境である、と言いたいところだけど、そんなわけはない。まぁ、山奥は合っているが秘境ではない。

 ここはウチの高校が所有する合宿所である。貧乏な高校にしては中々、設備が整っていてそれなりに過ごしやすいところだった。

 わたしたちは今、ここに、この合宿所に閉じこめられている。

 どうしてこんな事になったのか、話は二日前に遡る。



 合宿所は人気だ。部活を頑張っているという実感を抱きつつ、ちょっとした旅行気分を感じられるし、友達とのお泊りはいつだって楽しい。

 ただ、合宿所の使用はエリートな実績ある部活が優先で、弱小の定めとして今年も無理だろうと諦めていた。

 ところがどっこい、天は我らに味方した。直前まで合宿所行きが決まっていた美術部が軽い食中毒で倒れてしまい(部活中につまみ食いしたおやつが原因らしい)文系クラブの合宿に空きが出たのである。

 その空きに、ダメ元で合宿所使用の願書を提出していた我が吹奏楽部が滑り込んだのだった。

 こうして、わたしたちは見事合宿権を手に入れた。

 不安だった季節外れの台風も逸れそうだ、というニュースを聞いて、わたしたちは意気揚々と、八月のある日曜日に合宿所にやって来たのだった。

 もちろん、急に決まった合宿の準備は大変だった。楽器を運ぶ方法も考えなきゃいけなかったし、練習メニューも組み替えなければいけなかった。

 楽器の運搬については顧問の(あい)ちゃんの知人がトラックを出してくれて助かった。これがなかったら、泣く泣く合宿を諦めねばならないところだった。楽器はかさばる物だから移動はいつだって大変なのだ。

 現地に着いて、愛ちゃんの友人に頭を下げてお礼を言ってから、ちぎれんばかりに手を振って見送った。そうなれば、あとはこっちのもの。

 さぁ、合宿の始まりだ、空も快晴、気分も晴れやか、不安な要素は何一つとして存在しない。わたしたちの未来は明るい!

 と意気込んで練習を始めた。

 山奥なのでどれほど大きな音を出しても、誰からも文句を言われない。学校の防音ルームは狭いし、その他の教室だと近隣住民の方々に気を使わなければならないため、学校で思いっきり演奏できる機会というのは意外と少ない。吹奏楽の強豪校ならまだしも、弱小なウチは練習設備も悪い。

 それにしても、思いっきり演奏できるってなんて清々しいんだろう。

 上手いなんて、お世辞じゃないと言えないけれど、合宿一発目の音は伸び伸びとしていて、本当に楽しい音色だった。

 体育館の開け放った扉と窓から山の爽やかな風が吹き込み、その風がわたしたちの音を乗せ、ぬけるような青空と眼に眩しい緑の木々に吸い込まれていく。

 音楽って素晴らしい!

 準備運動のような合奏を終え、お昼をかっこんでから、パート練習に移行した。わたしはフルート仲間の友人と共に、グラウンドに面した三階のある教室に陣取って練習に勤しんだ。

「このあっつい中、よう走るわ」

 窓の外を眺めながら友人である仮亜美(かりあみ)が呟いた。亜美は大阪出身の小柄な女の子だ。人形みたいな見かけからマシンガンのような大阪弁が飛び出すので、初対面の人にはよく驚かれている。

 亜美の言う通り、グラウンドでは何人もの人間が走ったり跳んだりしている。

 この合宿所は吹奏楽部の貸し切りというわけではない。もう一つの部活と共同利用なのだ。その部活は陸上部。

 ウチの学校では美術部と双璧をなす、運動系クラブ唯一の強豪である。まぁ、美術部にしろ陸上部にしろ、強豪とはいえど、ウチの高校の中では、と言うレベルではあるのだが。ウチの高校は近年、クラブ活動にはあんまり力を入れていないらしい。

 それでも、陸上部は強豪に違いない。なので、この合宿所を利用できるのは当然なのだ。

「確かに、そう思うよね」

 わたしはフルートから唇を離して言った。

「ウチやったら絶対干からびるな。間違いないわ、断言できる。あんな汗かかれへんわ。ウチが人生で一番走ったのあれやで、小学校のマラソン大会やもん。二キロ。二キロ走って死にそうになったんやで」

「今走ってないじゃん。人のやってることで文句言い過ぎじゃない?」

「まぁ、そうやねんけど。でも、あれ見てみぃ、槍とか砲丸とかあんなけ飛ばせんやで? 信じられへんわ、ウチやったら箸持っただけで悲鳴上げるわ」

「亜美ってば大袈裟。それに、わたし知ってんのよ、亜美が荷物の中に馬鹿みたいな分厚さのミステリ入れてきてるの。あれ、かなり重いでしょ」

 大体、今持ってるフルートの方が箸より重いことは確実だけど。

「ミステリ小説には重さがないねん。いくらでも持てるわ」

 彼女はニヤニヤ笑う。

 そう、仮亜美は重度のミステリマニアなのだ。三度の飯より、というか、毎度の呼吸よりミステリが好きという変態である。彼女はミステリ研究部に入りたかったらしいのだが、生憎ウチの高校にはそんな部活は存在しない。亜美は今回の合宿所行きが決まった時「ああ、嵐が来て『雪の山荘』になったらええのに」とかなんとか、不吉な事を呟いていた。

 こうして見ると、吹奏楽部は変人の集まりなのだろうか。よく考えると変人はいっぱいいるような気がする。

 後輩の一年生たちはみんな可愛らしいのだが、部長の新田(あらた)政子(まさこ)先輩は適当の上にお気楽を重ねたようなちゃらんぽらんで、副部長の萩野一彦(はぎのかずひこ)先輩はひょろりとした細長いガリガリなのに筋トレが趣味らしい。趣味が肉体に全く反映されてない可哀想な人だというのが吹奏楽部の共通の認識である。あと、九条院渚子(くじょういんなぎこ)という嫌な女がいるのだが、なにかあるとすぐにヒステリックに喚き散らすという迷惑千万は性癖を持っている。

 うん。まともな奴はわたしと顧問の愛ちゃんだけか。

 愛ちゃんは岡山愛(おかやまあい)といって小柄でふんわりした茶髪をもった可愛い人で、若いけど熱心な教育者であり、わたしたち吹奏楽メンバーのお姉さんみたいな存在なのだ。

「しっかし、ホンマよう走るわ~」

「そうね、って、練習しないと」

「そやな」

 わたしたちは譜面を元に戻して、フルートを口に当てた。

 うまいとは言い難い音色が窓の外へ流れだし、走っている陸上部員たちを包んでいった。


 夕食時、陸上部員お手製のオムライスを頬張りながら(貧乏高校に合宿所の管理人などを雇う余裕はない。なので、ここでの生活は食事や洗濯はセルフサービス制だ。故に交替で食事の用意をしている。大変だけど、こういうのもお泊り感が出て意外と楽しい)ユキの話を聞き流す。

「これからさ、昆虫採集しようよ。ここ森が近いからきっとすっごいカブトムシとか取れるよ! 実はもう仕掛けはうってあるんだ」

 楽しげに喋るユキに対し、じろりと氷のような冷たい視線を向ける。

「……あ、クワガタもいるよ? たぶん」

「問題はそこじゃない!」

 なんで、吹奏楽部の合宿でそんなことをしなければならないんだ! わたしは虫が嫌いだって言ってるだろ!

「じゃ、何が問題なのさ」

「強いて言うなら問題はお前だ!」

 ユキに向かってビシッとスプーンを突き付ける。

「よーう。何の話してんだ?」

「あ、王子」

 こんがり日に焼けた男子がわたしの隣に座った。彼は陸上部の槍投げ選手だ。

 わたしが彼の事を王子と呼んだのは別に彼がわたしの王子だから、というわけではない。

 彼の名前が王子川(おうじがわ)(しょう)というだけの話だ。王子はあだ名なのだ。

「カブト狩りすんの?」

「え? まぁ、僕はそのつもりだけど……」

 ユキの言葉が尻すぼみで消えていく。

「へー、じゃ、俺も一緒に行こうかな。カブトなんて小学生以来だぜ。高坂も行くんだろ?」

「は? いや、わたしは……」

 毅然と断ろうとしたのだが、わたしを見つめるユキの雨に打たれた子犬のような瞳で見つめられると断りにくく、曖昧に頷いてしまった。

 ユキは人見知りなので王子と二人で行く虫捕りが怖かったのだろう。まったく、世話のかかる奴だ。

 何だかんだで、虫捕りに行く人数は五人ほどとなった。わたし、ユキ、王子、亜美、それと、陸上部の短距離走エース、加瀬名(かせな)めぐみちゃんである。

 彼女は髪を短く刈り込んでいて口調もぞんざいなため、ぱっと見は男子に見える。

 愛ちゃんに外に行く許可を貰い、遠くには行かないと約束した上で真っ暗な雑木林に箸を踏み入れた。手に持った懐中電灯の明かりだけが頼りだ。

 足元を照らしながらガサガサと音をたてて歩く加瀬名ちゃんが言った。

「シーツで虫って捕れんの? あたしこんなことしたことないから、よくわかんねぇんだよな」

「あ、捕れるよ。テレビとかで見たことない?」

 少々、オドオドしながらユキが加瀬名ちゃんに説明を始める。それでも好きな話題だからか、次第にユキは饒舌になっていった。

「やっぱり昆虫はすごいよ。生物の中でも、もっとも種として繁栄してるし、環境への適応力も高い。毎年、何千種類って新種が発見されてるんだ。生態だって複雑怪奇で特殊な能力を持ってるものも多い。もし、生物がみんな同じ大きさだったら間違いなく昆虫が最強だって説もある。昆虫は生物の長い歴史上でいきなり出現してて、昆虫が宇宙から飛来したって言ってる人もいるんだ……」

 ペラペラとしゃべるユキに対して、加瀬名ちゃんは引き気味だ。

 その気持ちはわかる……。

 わたしにとっては嫌になるほど聞いた話だし、そもそも興味がないので違う事を考えながら、ブラブラと彼らの後に続いた。わたし来る意味あったのかなぁ……。

 わたしの隣ではヘッドライトを装着した亜美が本を読みながら歩いている。

「部屋で読めばいいのに。何のために来たの?」

「なんで来たのって、その言葉ラッピングして返すで」

 亜美は本から顔を上げずに言う。

「その言葉を打ち返してあげるわよ」

「じゃあ、ウチはその言葉を……って、キリないわ!」

 一通りのボケをこなした後、亜美は理由を語る。

「時間は有限やねん。せっかくの合宿やで? プチ肝試し的なイベントは逃されへん。でも本も読みたい。やったら、こういう空き時間を使わなあかんやろ」

「生き急ぎすぎじゃない?」

「ええねん。花火のみたいな生きざまに憧れてんねん、ウチは。一瞬の輝きでもって全力で人生駆け抜けたるわ」

 そう言って彼女は本を閉じた。

「続きは?」

「もうすぐ犯人わかるとこやから、残りは部屋でゆっくり読みたいねん。解決編はじっくり読まな、バチ当たるわ」

「誰がバチ当てんのよ?」

「知らんけど。なんか、あれちゃう? ミステリの神様とかそんな感じ」

「いるの? そんな神様」

「そら、おるやろ」

 亜美とバカなやり取りをしていると、ユキが仕掛けたシーツが見えてきた。懐中電灯の光に照らされて、闇の中に浮かび上がる真っ白なシーツは妖しい雰囲気を発していた。シーツに近づくにつれて、それに付着していた黒い点々が目に映るようになった。

 ふむ。もしかすると妖しい雰囲気を発しているのはシーツにこびりついた虫どもの気配なのかもしれない。

 ユキは目を輝かせながらシーツに近づいて、巨大なカブトムシを手に取った。

「ほら、見てよ。このサイズはめずらしいよ!」

「おお、確かにデケェ!」

「うわっ! ミヤマクワガタ! このサイズはそうそういない!」

「おい、これは?」

 急にワイワイ盛りあがる男ども。なぜ、あの茶色い虫で盛り上がれるのだろう? あんなの角の生えたゴキブリじゃない。言いすぎか? 

 でも、外国では――特に虫の少ない寒い地方では――カブトムシとゴキブリを比べると、角がないだけゴキブリの方がマシだと言う人がいるとかいないとか……外国では虫の種類の区別が一般人にはあまり知られていないのが普通で、中にはセミもバッタも一緒だって言う人もいるらしい(ユキ談)

 それにしても、ユキと王子が盛り上がっているのが不思議だ。理解に苦しむ。

 男ってバカだ……。

 わたしは天地開闢(てんちかいびゃく)以降不変の真理に深く納得した。

「へぇー……ちゃんと捕れるもんなんだなぁ」

 感心したように頷く加瀬名ちゃん。

「ま、ユキは虫に関しちゃ玄人だもん。……あの情熱をトランペットにも向けてほしいよ」

「ははっ。有美ちゃんだっけ? 彼氏には苦労してるみたいだね」

「彼氏じゃないからね。腐れ縁の幼馴染だから」

「あ、そうなんだ?」

 付き合ってんのかと思ってた、と加瀬名ちゃんは笑った。

 こういう勘違いは心外なのだが、よくされる。わたしは色白のへなちょこには興味がないのだが、わたしとユキはよく一緒にいるし、傍から見たら仲良く見えるのだろう。

 まぁ、仲がいいのは認めるけど。

 仕方がないと言えば仕方ないのだが、どうもすっきりしない。まさかとは思うが、ユキの所為で大物を逃がしているのではないだろうか?

「ほら、見てよユミちゃん、大きいだろ」

「ギャアー! 近付けんな! 離れろ、タコ!」

「これはカブトムシだよ。蛸じゃない」

「わかってるわよっ! タコはあんたのことよ!」

「そんなに嫌ならなんで来たんだよ?」

 非難するような眼を向けてそうほざくユキ。

 わたしは物も言わず、彼の細い首をグイグイ絞めた。

「ぶ!」

 おかしな悲鳴を上げてユキは暴れる。

 お前が眼で懇願するから、ついてきてあげたんでしょーが!




 次の日――つまり月曜日――に目を覚まし、部屋のカーテンを開けると今にも降り出しそうな曇り空が広がっていた。

「今日は曇りか。っていうか雨かな」

 そうやって一人ごちたあと、二段ベッドの上に登って相部屋の亜美の頭を叩いた。

「やい、起きろ!」

「…………ん」

 ごろりと反転し壁の方を向く亜美。

 聞こえなかったフリをするつもりか? そうはさないぞ!

 枕を引っ掴んで彼女の頭の下から強引に引っ張り出し、その枕を頭に叩きつける。

「起きろ、あーさーだーぞー!」

「……もうちょっと、あと四時間だけ、寝させて……」

「寝すぎだ!」

 その後も枕で叩き続けること数分、やっとのことで亜美を覚醒させることができた。

「絶対叩きすぎやん。アホになったらどうしてくれんねん」

「四時間も寝すごそうとしてる時点でかなりアホでしょ」

「それにしても、もうちょっと、やり方があるやろ。せめて揺り起してや。どう考えても枕でビシバシ叩くのはナシやろ」

 わたしたちは揃って顔を洗いながら会話する。亜美は起きてからずっと文句ばっかり言っている。友人を思ったわたしの行動が理解されないのは辛い。

「遅くまで本読んでるからこうなるのよ」

「それはしゃーないやん。続き気になるんやもん」

「寝不足は勝手だけど、練習に支障のないようにね」

「それは問題ないわ。元気いっぱいキリキリ働くんがウチの信条やもん」

「前から思ってたけど、亜美さぁ、信条とか多くない? 自分を縛る鎖が多いよ」

「ええねん、ええねん。多くても困らんしな。信条を守れるかどうかは別として」

「守れない信条に何の意味があるのよ?」

 例によって亜美と一緒に馬鹿なやり取りをしながら、食堂を目指して部屋を出た。食堂の入口で加瀬名ちゃんと会った。

「おはよう、加瀬名ちゃん」

「オハイオ」

「お、おはいお……」

 亜美の意味不明の挨拶に戸惑う加瀬名ちゃん。……その気持ちは痛いほどよくわかる。

「今日の朝ごはんは吹奏楽の当番だったよな?」

「その通りだ。ボーイッシュ・ガールよ」

 ふりふりで茶色のエプロンを着てポニーテールをなびかせながら、フライ返しを指揮棒のように構えて、我らが部長、新田(あらた)政子(まさこ)先輩が食堂の中心で仁王立ちになっていた。

 吹奏楽部の女子みんなが憧れる細見ボディの持ち主である部長はモデル体型なので、何を着ても大抵サマになるのだが、今の格好も決まっていた。ずるい。

「部長、何やってるんですか? 料理当番が厨房にいないで突っ立っている意味は?」

「私は立つのが仕事だと思う事にしたんだ。厨房は奴ら三人でなんとかなっている。邪魔だと言われた。どうやら私が適当に調味料を加えようとしたのがまずかったらしい」

「…………」

「イケると思ったんだ。大体、味噌汁を煮沸して何が悪い? そこまで味が変わるわけないじゃないか。そんなに敏感な舌の持ち主がいるはずない、と言ったんだが浅井に追い出された。どうやら彼は味噌汁に並々ならぬこだわりがあるらしい」

 お気楽で適当な新田部長には料理の才がないらしい。

 あの優しいことで有名な後輩、浅井悠介(あざいゆうすけ)が怒るとはよほどのことだぞ。

「誰が当番なんでしたっけ?」

「藤と萩野(はぎの)、それと私を追い出した浅井だ」

「あ、ユミちゃん! おはよう」

 厨房からいそいそと出てきたのはユキだった。彼の挨拶に軽く頷く。

「部長、浅井くんがお味噌汁できたって言ってるので、よそってもらえますか」

「任せておけ。私はよそうことに関しては右に出る者がいないと言われているような気がしてる」

 万事適当な部長を尻目にわたしと亜美、加瀬名ちゃんの三人は朝食の列に並んだ。

 ユキたちが作ったメニューはご飯と味噌汁、出し巻き卵に味付けのりだった。いたってシンプル、これぞ朝ご飯メニューだ。

 ここは合宿所なので、時間はキッチリ進む。遅れてくる奴などいないのだ。遅れてきたらご飯にありつけないかもしれないしね。

 この合宿所について少々、説明しておこう。

 まず、広いグラウンドに面した体育館と本館がある。本館と体育館は通路でつながっている。

 本館は四階建てで、上から見るとL字型になっている。一階は先生の部屋や会議に使われる大きな教室、倉庫として使用される教室なんかがある。二階は食堂や洗濯ルーム、シャワー室があって主に生活を支える設備が集中している。三階と四階はいくつかの空き教室を除いて生徒の寝室が主である。

 食堂にみんな揃って、いただきます、と言って朝食が始まった。

 味は悪くなかった。特別おいしいわけではなかったが、別にまずくはなかった。

「普通ね」

 わたしの隣で味噌汁をすすっているユキに言ってやる。

「どうしろっていうのさ。僕らの料理の腕に何を期待してるの?」

「頑張りなさいよ。フレンチのフルコースでも作りなさいよ」

「朝から? 重いんじゃない? そりゃ、ユミちゃんは食い意地が張ってるから、ペロッと食べちゃうだろうけど……」

 ムカつく事をほざいた彼には天罰が下った。彼の皿に乗っていた出し巻き卵半分がわたしの皿に瞬間移動したのだ。

 神よ! バカな男に天罰を与えてくれて、ありがとう!

「ちょっと、ユミちゃん? それ、僕の……」

 ユキの言葉が終わる前に出し巻き卵はどこかに消えた。彼の悲しそうな目は努めて無視する。

 わたしはこっちに天罰が下る前にご飯を片付けることにした。




 体育館に音が満ちあふれる。

 気のせいかもしれないが、昨日より音がきれいで揃っているような気がする。

 愛ちゃんの振る指揮棒に従って、様々な音色が流れ出していく。

 そりゃ、わたしたちの腕はよくないけど、わたしはこの音が好きなのだ。このなんとも言えない……そう、雑草感とでも言おうか。しかし、雑草のままだとコンクールでは通用しない。

 だから、練習を重ねて腕を上げ、高価な花束でコンクールに殴りこんでやる!

 わたしは腹の中で野望を燃やしながらフルートに大きく息を吹き込んだ。

 ピーッ!

 という派手に外れた音が響いた。みんなの目がこっちを向いた。私は小さくなって赤面した。

 き、気合いを入れすぎた……演奏中に余計な事を考えるべきじゃないわ。

 わたしは気持ち新たに演奏に集中する。


 日が沈んだ頃から雨がポツポツと降り出して、みるみるうちに本降りとなった。

「ああ、降ってきたな」

 本館一階のあるプレイルーム(だだの広い部屋。畳敷き)で愛ちゃんのお土産をパクつきながら、みんなで大富豪をしているとき、一抜けた加瀬名ちゃんが窓の外を見ながら呟いた。

「明日の練習どうなるかな……。室内だとRGがめんどくさいんだよな。お、これうまいな……」

「でしょ? 愛ちゃんがこの間どこかに行って来た時に買ってきてくれたんだ~。ホントおいしいよね、このチョコ。どっかの国の有名なやつらしいよ」

 わたしはぱくぱくとチョコレートを摘まんで口に放り込む。わたしが食いつくスピードを見て、ユキが非難がましい目で見つめてくるが、そんなものは無視だ。

 ちなみに、RGとは陸上部の顧問、生田銅次郎(いくたどうじろう)のことである。

 レッド・ゴリラの頭文字。幼稚なあだ名だけど、うまいこと生田の姿を描写してると思う。ゴリラみたいな体格だし、すぐに怒りだして顔を真っ赤にする癖があるからだ。

「で、めんどくさいってどういうこと? RGって元々面倒くさい奴じゃなの?」

「それはそうなんだけど、狭いとこだと余計にな。RGの怒鳴り声が響くんだよ。ただでさえ、うっさいのにさ……はい、ハート縛り!」

「ロックでしょ?」

 王子が出したハートの7の上にハートの9を乗せながら言う。

「は? 縛りだろ? 同じマークしか出せないやつだぜ」

「ま、大貧民はローカルルールの多いゲームだからね。呼び方も色々あるだろう」

 そう言ってエースで上がったのは、陸上部部長、神林時生(かんばやしときお)先輩だ。

 彼を一言で説明するなら、優男。これに尽きる。陸上部に所属している割には色白の甘いマスクを持っていて、後輩に優しいことで有名だ。色黒マッチョが好みのわたしは何とも思わないが、クラスの女子が騒いでいるのを聞いたことがある。

「ちょっと待って下さいよ、神林先輩。大貧民ってなんですか? このゲームは大富豪じゃないんですか?」

「ええ? そうかい? 僕は昔から大貧民って呼んでたけどなぁ」

「俺は大富豪っすね」

 王子がカードを流しながら言う。

「ウチも大富豪やなぁ~。なんか、大貧民って景気悪いやん。大富豪の方がええやろ?」

 その場の大勢を占めたのは大富豪派だった。

 結局、そのゲームで大貧民となったのは、雨が降りだした所為で虫捕りができなくてしょぼくれていたユキだった。

 続いてババ抜きをしたのだが(これは満場一致でババ抜きだった)ここでも敗北したのはユキだった。しかも三連敗。結構な人数がいることを考えると彼の弱さは際立っていた。

 それもそのはず、ユキはゲームをすると、内心の動揺がモロに顔に出るタイプなので、ジョーカーを持つとすぐに顔に出るし、相手がジョーカーを引こうとすると、頬が緩むので誰も彼からジョーカーを引かない。ユキはジョーカーを持ったが最後、彼の敗北は決定する。

 しばらくして、トランプ大会はお開きとなり、各人好きなように部屋に帰っていた。

「そろそろ寝ようか。ね、亜美」

「そやな。ちょうど、キリええとこまで読んだし」

 亜美は本をたたんで立ち上がった。

「ほな、また明日、さよ、おなら」

 彼女の謎めいた挨拶(小学生レベル)に部屋に残っていた数名がポカンとした表情を見せた。



 次の日――火曜日、目が覚めると合宿所の中がバタバタと慌ただしかった。

 昨夜から降り出した雨は一晩中降り続いたようだ。

 昨日と同じように亜美を叩き起こすと食堂へ急いだ。わたしたちが食堂に着いた時にはほぼすべてのメンバーが揃っていた。

「愛ちゃん、どうかしたの?」

「ああ、高坂さんに仮さん。起きたのね。遅いから起こしに行こうかと思ってたところだったの」

「それで? 何かあったん?」

「台風が急に進路を変えたらしいの。それでここも危なくなるんじゃないかって」

「え? じゃあ……」

「そうね。最悪、合宿はここで終わりになると思うわ」

 そうなのか。残念だけど、台風じゃどうしようもない。運がなかったと諦めよう。元々偶然手に入れた権利だ。本音はまだまだやりたいけど、自然には勝てない。

「よし、全員いるか! 今から避難を始めるぞ! 貴重品だけ持って玄関に集合しろ! 他の物は落ち着いたら取りに戻って来るから」

 入口の扉からRGもとい生田先生が顔を覗かせて怒鳴った。

「聞いたわね? 吹奏楽部も生田先生の言う通りに避難の準備を始めて下さい」

「あの、楽器はどうするんですか?」

「楽器も置いていきます。みんなの安全が第一だから。はい、急いで急いで」

 愛ちゃんがめずらしくみんなを急かした。楽器のことは気になるけど、これもどうしようもないことだ。

 亜美と一緒に部屋に取って返し、財布などをカバンにつっこんで玄関へと急いだ。

 玄関から外を見るとひどい土砂降りだった。

「おお、えらい降ってるやん」

 玄関にRGの運転するバスが横付けされた。

「よし、行くぞ。ついて来い、後輩ども!」

 我らが部長、新田先輩が一番乗りでバスに飛びこむ。なぜ、お前が? と思った人はいっぱい居ただろうけど、誰も何も言わなかった。彼女に続いて近場にいる人からバスに飛び乗っていく。最後に愛ちゃんと神林さんが残ったが、優しい陸上部部長は愛ちゃんに先を譲って自分が玄関の鍵を閉めた。

「点呼!」

 RGが怒鳴る。順番に返事をしていき、最終的に全員が揃っていることが確認された。

「全員います、生田先生」

 愛ちゃんが教師の責任感を発揮して報告する。

「よし、これで最後だぞ。いない奴は返事しろ! …………返事無し! いない奴はいません! 先生、出発してください」

 神林さんがジョークを飛ばす。


 わたしたちはこの時点では何の危機感も抱いてはいなかった。慌ただしく出発したとはいえ、台風がまだ遠い間に避難できるはずだったからだ。

 山のカーブの多い一本道をしばらく走った頃、バスが急に止まった。

 おかしいな、こんな山奥に信号なんてあるはずないと思うのだが……。

「何てことだ……」

 前から聞こえるRGの言葉に覇気がない。

 通路に顔を出して前方を窺うと、茶色い山が見えた。

「あれって……」

 わたしは途中で言葉を失った。バスの内部が沈黙に包まれる。

 道路にはみだした巨大な土の山、大量の土砂が崩れて、わたしたちの進路を塞いでいた。


「ど、どうするんですか! 避難どころか、帰れなくなってしまったじゃないですか!」

 一番早くにショック状態から立ち直ったのは、以外にも吹奏楽部のヒステリック女王、九条院渚子(くじょういんなぎこ)だった。しかし、彼女は土砂崩れを見たショックから立ち直っただけで、別のショックに呑まれてしまい、キーキー声で喚き散らしている。

「落ち着け、九条院。君の甲高い声で新しい土砂崩れが起きるかもしれん」

 新田部長が立ち上がってヒステリック女の肩に手を置いた。流石は天性のお気楽人。こんな状況でもしっかりと理性を保っている。

「生田先生、早急にこの場から離れた方がいいのではないでしょうか? 雨は激しいし、風もかなり強くなってきています。この暴風雨が台風の影響かどうかはさておいて、ここにいるといつ新しい崩落に巻き込まれるかわかりません。とりあえず、合宿所まで戻った方が安全かと愚考するしだいです」

「あ、ああ。そうだな」

 お気楽で適当なちゃらんぽらんは非常事態に強かった。このバスの中で一番冷静だったのは間違いなく新田部長だった。

 彼女の助言に従い、バスはついさっき出発した場所を目指すことになってしまった。だが、合宿所が一番安全な気がする。

 合宿所に着くまでの道が通れなくなってたらどうしよう、という不安が頭をよぎったが、とにかく無事にたどり着くことができた。みな声には出さなかったがホッと弛緩した空気がバスの中に満ちあふれた。

「生田先生、これからどうしましょう?」

 愛ちゃんが年長者のRGに伺いを立てる。

「そうですな……。とにかく、中に戻って救助を要請しますか」

 平時ならドスケベのRGの鼻の下が伸びるところだが、流石のRGもそんな余裕はないらしい。

 全員がバスを降りて、とりあえず食堂に集合した。RGが救助を頼む間、おとなしく座って待つ。しばらくして、RGが暗い顔で食堂の扉を開けた。

「救助は遅れる可能性があるらしい。道の復旧は時間がかかるし、この風ではヘリを飛ばすのは危険だと言われた」

「ど、どうするんですか?」

「どうもこうもない。ここにいるしかないだろう」

 渋い表情で言うRG。食堂の内部に沈痛な空気が満ちる。

「だから……合宿なんて嫌だって言ったのよ!」

 九条院のヒステリックが炸裂する。

「あんたが合宿に行こうなんて言わなかったら……」

 九条院の馬鹿がわたしを指差して糾弾してくる。

「な、何よ! あんただって最後は納得したじゃない! 今更文句言わないでよ!」

「私は最後まで嫌だって言ってたじゃないのよ! どうしてくれんのよっ!」

 ヒステリッカーが金切り声で叫ぶ。彼女の友人二人(取り巻き連中)が追従して頷いているのが余計に腹立つ。

「わたしだって、こんな事になるなんて思わないわよっ!」

「うるせぇんだよ! 黙れ!」

 突然、男の怒鳴り声が割りこんできた。

 声を上げたのは陸上部員で、少し粗暴なところがある男――松戸亜留人(まつどあると)だった。

「あんたこそ黙りなさい! 今はわたしたちが話してるとこ――」

「ユミちゃん! ちょ、落ち着いて!」

 ユキがわたしの袖を引っ張ってくる。彼の顔を見ると急激に頭が冷えた。

「……ごめん。確かにうるさかったわ」

「松戸君だっけか? ウチの部員がうるさくして悪かったな。しかし、少々特殊な状況だ。その辺を汲んでくれると助かる。九条院、とにかく落ち着くんだ。危機感を感じているかもしれないが、実際のところ今はそう悪い状況じゃない。食糧は十分、寝る場所だって問題ないし、電気も通って雨風の心配もない。数日、我慢すればすぐに救助は来る。理想的な避難所だ」

 フムフムと頷きながら、もっともらしく語る新田部長。語り口は適当だが、彼女の言っていることは正しい。

 それにしても、あんなに適当人間だった新田部長がこれほど頼りになるとは……。

 彼女の新しい一面を発見したなぁ。

 離れた場所で愛ちゃんと相談していたRGがこちらに帰って来て言った。

「よし、新田の言う通りだ。必要以上に慌てる必要はないぞ。普通に合宿を終えればそれで帰れると考えればいい」

 部長の言葉を横からかっさらった感じがするが、RGがその場をまとめた。



 与えられた部屋のベッドに寝転がりながら、ぼんやりと天井を見つめる。

 こうなってしまっては、わたしたちにできることは待つことぐらいしかない。

 しかし、最初のショックから立ち直ると、どうも気が緩んでしまった。

「ヒマねぇ……」

「本貸したろか? おもろいで」

「いや、本読む気分じゃないし……。練習しようかなぁ。それは別にいいよね?」

「ウチに訊かれても知らんけど、別にええんちゃう? 慌てず普通に生活しよう言う話やったやろ? 練習は普通の生活の代表みたいなもんやん」

「じゃ、一緒にやらない?」

「おー、ええよ。いこか。ちょうど読み終わったし」

 亜美と二人してフルートケースを持って部屋を出た。一昨日と同じ教室で、同じように窓の外を眺めながらフルートを吹いた。一昨日と違うところといえば窓から見える景色に陸上部がいないことぐらいだ。一昨日陸上部が汗を流してしたグラウンドには激しい雨が吹きつけている。

 窓を叩く激しい雨音でフルートの音が響かない。

「しかし、あれやなぁ……。あんなこと言わんかったらよかったわ」

 フルートを口から離して亜美がため息をついた。

「あんなこと?」

「うん。ほら、ここ来る前にウチ、ふざけて言うてもうたやん。『嵐来て雪の山荘になったらええのに』って。図らずもウチの言う通りになってもうたしなぁ。反省せなアカンわ。余計な事は言わん方がええってことを今回学んだわ」

「それは別に、亜美の所為じゃないでしょ」

「まぁ、そらそうやねんけど……」

「ちょっと! 変に責任感じてるとかやめてよ」

「流石に責任は感じてへんよ」

 亜美は苦笑いをしながら続ける。

「あれやな。土砂崩れ見て、ちょっとナーバスになってもうたわ。……元気出すわ」

「そうよ。だって亜美の信条は元気いっぱいキリキリ働くことなんでしょ?」

「そうそう。そういや、そんなこと言うたなぁ」

「ポジティブに行きましょ、ポジティブに!」

 わたしは拳を握って力説する。

「そうや、その通りや! 周りが暗いからってウチらまで暗くなることないしな! これもええ経験やと考えよう! ミステリマニアとして閉じ込められるのは垂涎のシチュエーションや! 楽しまな損!」

 気分が盛り上がってきたので二人で意味なくハイタッチしたりした。

「よーう。盛りあがってるじゃないか。何か良い事でもあったのかな? それにしても練習とはいい心掛けだな。私も部長として鼻が高い」

 カラカラと扉が開いて新田部長が顔を覗かせた。

「部長、どうしたんですか?」

「なんかありました?」

「いんや。慌てるな少女たちよ。何も起きちゃいないさ。連絡を伝えにきただけだ。生田先生、岡山先生と神林、その他数名で話したんだが、余計な事を考えないですむように通常の生活スタイルを貫こうという風に決まったんで、それを伝えて周ってるんだ。というわけで、我ら吹奏楽部は昼食のあと、午後一時から体育館で練習を再開する。それまでは自由時間とする。練習に遅れないように。君らは私が伝えるべきメンバーの最後から二番目だ。連絡は理解したかね?」

「了解です、ボス」

 わたしと亜美は揃って敬礼する。

「うむ。それは上々」

 新田部長は芝居がかった仕草で頷く。

「で、ウチらが二番目……ほんなら最後に伝えるべき相手は?」

「……気が重いが九条院だ。岡山先生が行くと言ったんだが、同じ生徒同士の方がいいかと思ってな。それに岡山先生にはこれ以上負担をかけたくない。見たところ精神的にかなり参ってるようだったから。君らも気をつけてくれ」

「はい。わかりました。しかし、九条院が話聞いてくれますかね? 参ってると言えば彼女ほど参ってる人はいないんじゃないですか?」

「だろうな。あの後からずっと、尾原(おはら)干見(ほしみ)の二人と一緒に部屋に籠りっきりらしい」

「何だってあの二人は九条院なんかとつるむのかな。あいつ嫌な奴じゃない」

 尾原由利(おはらゆり)干見果保(ほしみかほ)

 いっつも九条院と一緒にいる、彼女の金魚のフンだ。

「そら有美はそう言うやろ。性格的に合わんのやから。でも、九条院も悪い奴ちゃうやろ。まぁ、色々問題はあるけどな」

「仮の言う通りだ。高坂、仲間の事を悪しざまに言うべきじゃないぞ」

「そうですね、ごめんなさい」

 確かに九条院とは合わないけど、わざわざ言うべきじゃなかったな。反省しよう。

「わかればよろしい」

「それにしても、新田部長がこんなに頼りになるとは思いませんでしたよ。わたし部長のこと見直しましたもん」

「む。何を言う。私いつもは頼れる先輩だろうが。……味噌汁は作れないけどな」

「味噌汁は作れなくても部長は素敵ですよ」

「おだてても何も出ないぞ。……さて、そろそろ九条院たちと話をしに行くとしようかな。それじゃ、また。練習に遅れるなよ」

「頑張って下さいね、新田部長! わたしも応援に駆け付けたいんですけど……」

「アカンわ。有美がおったら九条院との話し合いがこじれてまうわ。行かん方がええよ」

「だよね……」

 わたしたちは新田部長の背を見送った。



 これがこの二日間に起こった出来事で、話はやっと冒頭に戻ってくる。部長を見送ったあと、わたしは一旦亜美と別れて、ユキを一緒にうどんを食べ、練習のために体育館へと急いだのだった。


 ここまでの話を総括すると、色々あったがわたしたちは雨と風の影響でこの合宿所に閉じこめられている、ということだ。





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