五十円均一、という話
「やあ君か、ちょうどいい所へ来たな。ラーメン一杯に……チャーハンもつけて、どうだい」
傘岡に住む本好きでこの店を知らない人間はモグリだ、とまで言われる名古書店の主・真樹啓介はまだ二十代の精悍な二枚目。だが、時々客を捕まえては店の手伝いをさせるのが玉に瑕だった。
「チャーシューメンならのりますよ」
報酬の上乗せを約束してもらうと、僕は真樹さんともども紙袋に収まった古書の山を崩しにかかる。だが、子供の背丈ほどあった古本の山は、その大半が見切り品の五十円均一棚行き、と決まってしまった。
「必要な工程というのはよくわかってるんだが、我ながら罪深いなと思うね。なんせその当時はそれ相応の需要があって出てきた本を、こうやって二束三文の扱いにせざるを得ないんだから……」
チャーシューメンの出前を頼み終えた真樹さんは、古新聞の上に転がした五十円本の山へ物憂げな眼をくれる。
「気持ちはわかります。でも、『紅茶キノコ健康法』に、五百円とか投じる人っているんでしょうか……」
「……それは大いにわかる。俺だったらその金でコーヒーでも飲んでるよ」
素っ気ない返事のような気もしたが、古本屋さんも商売なのである。いつまでも不良在庫を抱えて過ごすわけにはいかないのだろう。
そのまま三十分ばかり駄弁りながら待っていると、銀色をした岡持ちをぶらさげて中華料理店からの出前が姿を見せた。ところが、二杯と一皿分の代金を受け取り、毎度ありぃ、と出かかったところで実に不思議なことが起こった。
「あれっ、その本……!」
四十がらみの、ひげをそった跡が青々と見える出前持ちが、広げてあった五十円の山へ丸々とした瞳を向けだした。
「真樹さん、そこにある本……遠目だから間違えてるかもしれないけれど、陳謝摺の『日々挑戦する中華料理』じゃないかい」
ちょうど近場だったこともあり、僕が代わりに本を手渡すと、出前持ちのおじさんはああやっぱり、とどこか懐かしそうに表紙を撫でまわした。状態もよく、まるで新刊のように状態がよかったので、いくらか気にはなっていたのだが……希少本なのだろうか。
「うちのじいさんがこの本を書いた陳先生の二番弟子でしてね。本の出たときに献呈でもらってたんだけど、もらい火事で店ごと焼けちゃって……。真樹さん、これほど状態がいいんだ、それなりにお値段はするでしょう。言い値で買いますよ」
思いがけない展開に、僕は出前持ちと真樹さんに挟まれて気が気でない。だが、真樹さんは実にあっさりとした態度で、
「ああ、そいつなら五十円ですよ。中身を足した新装版が出てるから、あんまり値段もつかなくって」
「ご、五十円!? 真樹さん、あともう一桁と言わず、三桁くらいは出しますよ……」
値切るならともかく、値上げを申し出てくるお客というのは珍しい。だが、真樹さんは五十円をキープし続け、それに折れる形で本を手にしたおじさんは、ホクホク顔で店を後にしたのだった。
「真樹さん、よかったんですか? 五十円が、五万円とかに化けたかもしれないのに……」
「あいにくと、僕は一度値付けした本の価格は変えない主義でね。だが……」
なにかいいことを言ってやろう、となりかかっていた真樹さんの二枚目がげんなりとした色見を帯びる。
「どうせなら五百円の棚に置いとけばよかったな。コーヒー代くらいにはなったのに」
紅茶キノコの祟りだ、とは言わなかったが、真樹さんの目はありありと本音を語っていた。
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