1話 魔神の願い
人里から遠く離れた静寂した空気漂う森の中、小鳥たちが舞う楽園の中に、大きな屋敷が建てられていた。
避暑地のような印象すら漂うこの建物は「魔神」の住処となっていたのだ。
「さて、こうして考えると……やっぱりわからないことが多いな」
黒髪の青年こと#相沢智司__アイザワサトシ__#は困惑の色を隠せないでいた。自分がそんな荘厳な屋敷のソファーに座っていたからだ。
智司は数時間前まで日本の東京に住んでいた、それは間違いない。それにも関わらず、なぜこのような外国の地へと飛ばされているのか。
彼の疑問には隣に立っている少女が説明とばかりに言葉を話した。
「智司様、あなた様は転生をされました。それは既にご存知かと思われますが」
抑揚のない言葉遣いではあるが、非常に忠誠心が感じられる声質だ。智司と同じく黒髪の少女は赤い瞳を有しており、白のブラウスに赤いチェックのミニスカートを着用していた。
「それは聞いたよ。……転生、か」
智司は少女の言葉を何度か反復させる。そしてソファーから立ち上がった。そうなのだ、彼は転生という形でこちらの世界へとやってきたのだ。自らの能力が解放された結果と言える。
圧倒的な能力を得た智司は人間の概念ではなくなっており、魔神という別の種族へと変貌を遂げている。見た目はそこまでの変化がないだけに、完全な実感は、難しい状況だ。
「君は、ハヅキでいいんだよね?」
「はい、智司様。あなた様の能力により召喚された、召使いのハヅキと申します」
赤いチェックのミニスカートが眩しい少女は智司に深々と頭を下げる。智司はこの少女の存在も心の中ではわかっていた。自らに付き従う召使いと呼べる存在だ。
世界を掌握できる程の力を持つ智司により、彼女は生み出されている。
「智司様、転生したことに疑問があることはごもっともでございます。ただし、それは事実であり、あなた様の強大な能力がそれを可能にしたのです。この館の前に転送されたのも、ある意味ではあなた様のお力と言えるでしょう。相当に荒廃していますが、ある程度の様式に戻すことは出来たと思います」
智司が転生したその場所は広大な森林地帯であり、眼前にはこの大きな建物が立っていたのだ。もう何十年と人が住んでいないのか、荒廃しており、内部には白骨化した遺体も存在していた。
「遺体を見た時は驚いたけど、思ったよりも冷静だったな。これも魔神の能力を得たからと思えば普通か」
智司は近くの手鏡を持ちながら自分の表情を確認する。現在の年齢は15歳……もうすぐ高校生として生活を始める直前での転送だ。魔神への転生とはいえ、外見的な変化は特に見られない。強いて言えば、顔つきが険しくなったことくらいか。
「状況から察するに、かなり以前にこの館の住人は死亡したのでしょう。痕跡などからも自然死だと推測されます。それから何十年と発見されていないことからも、この場所は人が寄り付くところではないと考えられます」
ハヅキは冷静に周囲を分析していた。この数時間の間にも、彼女は遺体も表情を一切変えることなく埋め、丁重に埋葬したのだ。
そして、清掃を開始した彼女は数時間という時間で内部を荘厳な状態へと戻すことに成功していた。まだ荒廃している部屋は多く残されているが、それらを戻すのも時間の問題ということだ。
「智司様、ご不安な点は十分に察しております。宜しければ、ご自身のお力を試されては如何でしょうか?」
「俺の能力か……そうだな」
周囲は森林地帯だ。迷惑をかける存在も居ないだろうと智司は考えた。
「智司様」
そんな時に聞こえた太く鋭い声。響くように轟いた音響は、近くの窓の外から発せられたものだ。
その窓から覗く一体の獣。巨大な肉体と翼を有し、銀色の鱗に身を包んでいるドラゴン。シルバードラゴンこと「レドンド」が佇んでいた。
「レドンドか、どうした?」
「はい、やはり人の気配は致しません。この広大な森には人間は居ない模様です。サイコゴーレムと名乗る魔物や魚型のバラクーダと呼ばれる魔物を始末いたしましたが……我々の敵ではありませぬ」
レドンドは自らの意志で周辺の様子を探っていたのだ。智司は初めて相対するドラゴンにもまるで以前から知っていたかのような口調で話しかけていた。このシルバードラゴンも智司の配下にして所有物となっている。
「ご苦労さん。人間も近くにいないなら、自分の能力を試すに丁度いい場所だね」
そう言いながら、智司は窓から外へと飛び出した。ハヅキもそれに続くように外へと舞い降りる。自分がどのような技を出せるのかすら初めての経験。
しかし、それでも智司は魔法を撃ち出せるという確信を持っていた。力を込めるだけでそれは湧き上がってくるのだから。
智司自身としても、自らの能力の把握はしておく必要があった。同時に制御の方法なども熟知する必要がある。
智司は十分に館から距離を取り、目の前の森林地帯を見据えた。特に全力を出すつもりなどはない。魔物の気配はしないが、小鳥たちのさえずりは響いているのだ。少しだけ、自らの能力を試す。
「行くぞ」
放たれるのは、魔神として闇の波動とも呼べる一撃だ。一瞬の内に前方の木々を粉砕し、広範囲を呑み込んで行った。それにかかった時間は1秒以下だ。前方からは森林は消え去っており、荒廃した空間が広々と眺められるに至っていた。
「お見事です、智司様」
「素晴らしい」
智司の背後から聞こえる称賛の言葉。ハズキとレドンドはそれぞれ智司を褒め称えていた。だが、そんな言葉など忘れて一番目の前の光景に驚いていたのは智司だ。
今の技……魔神としての能力ではあるが、小手調べの一撃と言える。あの程度の攻撃であれば連発することも可能だ。ほとんど溜めも必要としない。今の攻撃を街中でやったとなると、果たしてどれだけの人間を巻き込むことができるのか……考えただけでも恐ろしい。
しかし、智司は笑みをこぼしていた。自らの能力を確認できたことへの喜びと言える。
「凄い……これが俺の中に眠っていた能力……。この能力を使えば……」
智司は言葉をその時点で止める背後に立つハズキも彼の次の言葉を待った。主人の望みはなにか、召使いとしては最も重要な事柄である為だ。レドンドもハヅキと同じ気持ちなのか、智司を注視していた。
「やりたいことは、正直幾つもある。でも……まずは、俺は女の子と仲良くなりたい……なんちゃって」
ハヅキとレドンドの周囲に生暖かい空気が流れた瞬間だった。強大な力を有する智司としてはあまりに普通……いや、違う方向性への使い方だからだ。
所有物……そう、彼は現在はほぼ何でもできる程の力を有しているのだ。ドラゴンを使役するなどという非現実的なことがそれを物語っている。
ハヅキという、美しい少女の召使いも隣に居る状態であるにも関わらず、彼の望みは庶民的であった。
「女性と仲良くなることが智司様の望みなのですか?」
「俺は高校に通う直前だったからさ。充実した学園生活とか憧れるんだよ。なんせ、中学時代は虐められてたからな~」
虐められ続けた灰色の中学時代、友達や恋人も出来ずに日陰者だった時のことを智司は思い出していた。前方の荒野を目にしながら。ほんの少し前のことのはずだが、現在の彼の中では笑い話にすらなっている事柄でもある。
「智司様……その輩、始末いたしましょう」
「え? ハヅキ?」
何気なく語った智司ではあったが、ハヅキの表情は決して笑ってはいなかった。ハヅキの目は真剣だ。まるで自分のことのように怒っているのが智司にも感じられた。
自らの主に対する無礼は決して許さないといった信念が感じられる。嬉しいことではあるが、現実的にできることではない。
「いや、さすがに戻ることはできないだろ」
「智司様の魔神の能力を活用すればあるいは……ゲートを開き、元の世界に行けるかもしれません」
「本当に? いや、戻りたいとは思わないし、復讐もしたいわけじゃないけど……そんなことも可能なのか?」
「……あなた様の能力は想像を絶すると思われます。先ほどの小手調べの一撃からも推測は可能でしょう」
智司は信じられないという雰囲気で自らの身体を改めて眺める。内からあふれ出る能力は非常に強大なものだということが、本能的に理解することは出来ている。
異空間をこじ開けて、このどこかもわからない異世界から地球へ戻れる可能性もある……。そんなことをすれば、いままで自分を見下していた連中はどのような顔をするだろうか? それを考えるだけでも試したくなる衝動には駆られる。
「まあ、そっちは置いといて。まずは、この大地のことを調べよう。俺の年齢からして……そうだな、人間として学園に入るのが手っ取り早いだろう。俺の女の子と仲良くなりたいという願望とも一致するし」
彼の頭は冴えていた。自信満々に彼は宣言して見せる。自らの内なる魔神の能力。それを行使すれば、必ず達成できると彼は確信していた。
「女性と仲良くなる……それが智司様の望み……」
「ん?」
ハズキはどことなく寂しそうな表情を見せていた。智司自身は気付いていなかった表情の変化だが、同じく智司の所有物であるレドンドは彼女の表情の変化を感じ取ったのか、少しの間ハズキの方に目をやった。
「ハズキ、この世界の情報を収集することは可能か? もしも人間が生活していない世界だったら意味がない」
「畏まりました。周辺の調査に参ります。数日ほどお時間をいただけますでしょうか?」
「わかった、ただし気を付けてね」
外見は非常に美しく、智司とそこまで年齢の変わらない少女だ。智司も彼女の身の心配をしていた。
「ご心配ありがとうございます。しかし、私自身はレドンド以上の実力も有しております。レドンド以上の存在に襲われない限りは問題ありません」
「そうか、ハズキも相当に強いってわけだね。でも、気を付けてな」
「はい、それでは行って参ります。レドンド、智司様の護衛をお願いします」
「うむ、任せておけ」
彼女は智司に一礼をするとその場から高速で消えて行った。広大な森林地帯……その場所には魔物の存在は確認出来ていたが、人が住まうのかどうかは分かっていない。自分たちが根城にしているところには白骨化した遺体もあったので、人間は存在しているのだろうが。
その全容はまだまだ分かっていない世界だ、早めに確認しておく必要があった。
「これは第二の人生と呼べるのか? いや、俺の中の才能だとしたら、なるべくしてなった人生か……よし、行ける!」
自らの魔神の能力、それを先ほどまでよりも強く実感し、コントロール出来ている智司。充実した思春期の生活は、誰もが望むことでありながらも、才能や努力が必要な側面もある。それらを怠った者は淘汰されていく日本の社会。
智司は自らに開花した圧倒的な才能を実感しながら、充実したライフスタイルの確立をこの大地で育むことを誓った。
圧倒的な能力の使い方を間違えている転生魔神、相沢智司。今後、彼は美少女を探して、人間世界へと脚を踏み入れることになる。