00.03.【月とナイフ】
スキャンダルが報道された日の深夜。
所属している芸能事務所のオフィスにて、僕は担当弁護士と電話をしていた。
「……わかりました、会見の会場はこちらで用意します。……マスコミにもこちらから連絡します」
弁護士との通話中、ジェスチャーと口パクで補足してきたマネージャーに頷いて僕はその旨を弁護士に伝えた。
『ありがとうございます。会見の原稿はこちらで用意します。その打ち合わせがしたいのですが、これからご都合はいかがですか?』
「大丈夫です。事務所の方に伺います。すみません、こんな遅い時間に」
『いえ、仕事ですから。そして何より私は有馬さんのファンなんですよ。ですから全力でお支えしたいと考えています』
「心強いです。ありがとうございます」
そうして電話口の男性弁護士は丁寧に電話を切った。ふと壁にかかっている時計を見る。もう日付が変わり、午前1時を過ぎた所だった。
マスコミが一斉に報道した内容はこうだ。
【人気プロゲーマー有馬駿が公式大会で八百長し優勝】
そう、事実とは異なった内容が報道され、僕は主催側、魔法堂から訴訟を受けていた。
マスコミは僕の世界ランキングさえも不正に手に入れた偽物の称号だと言っている。
そもそもなぜそのような事が報じられているのか。いろいろな事が立て続けに起きて混乱していたが、恐らく風間の仕業だろう。
指示を無視した僕を恨んだ奴がありもしない事実を週刊誌にリークしたんだろう。自身の不正をもみ消す代わりに。奴の行動は魔法堂は把握していないだろう。だから事実を知らない魔法堂が僕に訴訟を起こした。
「これから行くのか?」
僕の電話が終わるのを待っていた事務所社長の香月氏が心配そうに立ち上がった。
白髪混じりのオールバック。色の入ったメガネと顎ひげ。ざっくりと胸をはだけさせた柄シャツにスーツ姿。見るからに輩を思わせる容姿をしているが、仕事はきっちりやるタイプの人間で、僕のプロゲーマーデビューに尽力してくれた恩人だ。
愛車で送ろうかと申し出てくれた彼を僕は制する。
「いや、社長はここにいて下さい。何かあった時に対応出来ないと困りますから」
「……悪かったな、駿。話があった時に俺のところで止めておくべきだった」
「社長は僕の気持ちをよく理解してくれていたから話を通してくれたじゃないですか。最後に決断したのは僕です。だから悪いのは僕です」
香月氏は魔法堂から試合出場の打診があった際にすでにそれが八百長だった事を知っていた。それを分かって話を通した。
彼はその事を悔いているみたいだけど、大会に飢えていた僕の気持ちを汲んで話を通してくれた。彼が責任を感じる気持ちはわかるけれど、今回悪いのは最後に決断した僕だ。これ以上事務所に迷惑をかけるわけにはいかない。
「じゃあ私が」
と、今度はその隣にいた担当マネージャーの塩谷さんが手を挙げる。いや、彼女も無理だ。さっきからひっきりなしに電話が鳴りっぱなしだし、彼女は僕の専属マネージャーじゃないから他の所属タレントのフォローに大忙しなのは見てわかる。
「大丈夫です、それに歩けない距離でもありませんから」
塩谷さんを制して事務所を出た。僕が所属する芸能事務所は都心の繁華街にあり、日付が変わったこの時間でも非常に賑やかで人通りが多かった。
「そうか、花火大会……」
それどころでは無かったので忘れていたが、隣町で大規模な花火大会が行われていた事を思い出した。そういえば花火の音が聞こえていたような気がしないでもない。
遠目に見える最寄りのタクシー乗り場は終電を逃した客が殺到して長蛇の列が出来ていたので、弁護士の事務所まで徒歩で向かうことにした。
担当弁護士の方はああ言ってくれではいたけれど、すでに常識的な時間は過ぎている。なるべく早く行った方がいいだろう。僕は大通りを逸れて人気のない脇道に入る。
僕の早歩きの足音がオフィスビルの谷間で反響する。夏の夜の風が肌にまとわりつく。
表通りとは一変して街灯も少なく、人通りがまばら……いや、全く無かった。だから、僕の足跡のほかにもう一つの足音がしているのに気がついた。
「……っ!?」
その足跡が妙に近づいてきたので振り返った次の瞬間、僕の脇腹に激痛が走った。いや、背中か? わからない。どこが痛いのかわからない程の激痛。僕は思わず倒れ込んだ。
「ーー!」
「うぐあぁ、ぐっ……!」
くぐもった悲鳴をあげる僕を見下ろす影。フードを被っており、顔は薄暗くて分からない。しかし常軌を逸した眼光を放つ瞳。まともな人間ではない事がひしひしと伝わってくる。
それに薄暗くても鋭く光るナイフを手に持っている。そう、刃には大量の血液が付着していた。
刺された……のか、僕は。
激痛が走った患部を恐る恐る触ると、ねっとりとした感覚が手のひらに感じる。見るまでもない、間違い無く血だ。
激痛に耐えながら思考を走らせる。
こいつは誰だ。男。顔は見えない。なぜこんな事を。助けを呼ばないと。スマホは……倒れた衝撃で取り落としたか、暗闇でどこにあるかわからない……。
痛みに身体を捩っているうちにだんだんと意識が遠のいて行くのを感じていた。
あれだけ熱かったはずのアスファルトの熱が心地よく感じるほどに身体が冷えて来ていた。
「く、くくく、あははははは!! お前が悪いんだ! 大会はビジネスだと言っただろう! 貴様ら陰キャ共がどれだけ夢を見ようが、大会は金を稼ぐためのパフォーマンスなんだよ! くだらん意地を張ってシナリオをぶち壊したお前が悪い!」
……か、風間?
魔法堂の風間、か?
暴露……?
わからない。もう考えられなくなってきた。
「お前が身勝手な事をした事でいくら損害を出したか分かるか? 貴様がいくら働いても一生返す事が出来ない大金だ! その損失の責任を私は取らなければならない!! 引きこもりの気持ち悪いガキの意地のために!!」
……そうか、損失。僕が決勝で相手を倒してしまったから。どういう経緯で損失が出たのかは知らないが。なるほど、全部僕のせいにして殺そうとしているのか。
抵抗、しなきゃ……死ぬ。死にたく、ない。でも、もう、動けなくなってきた。
僕は力無くビルの隙間から見える夜空を見上げる。星は無く、三日月が僕を見下ろしていた。
……ごめんな。
遠のく意識の中でそんな言葉が浮かんだ。
自分の欲を満たすために受けた八百長の話。結果的にそれに抗ったが、不正の渦中に自ら飛び込んでしまった。
大会は楽しかった。でも結果的に大きな罪悪感が残り、スキャンダルとして報道されて多方面に多大な迷惑をかけた。社長、マネージャー、チームメイト……そう、さくらにも。
僕が死んだら話は終息するだろうか。いや、それとこれとは別の話だ、さくらにももっと大きな迷惑がかかるだろう。
振り返れば、ゲームばかりの人生だった。
ゲームに明け暮れ、ゲームで生計を立てて。ゲーム中心の人生。それに後悔はない。ただ、もっと違う道があったんじゃないだろうか。
腕を磨き抜いた結果、強くなり過ぎた僕はゲーム界隈から干された。それでも仲良くしてくれた人たちはたくさんいた。そんな人たちともっと深く関わりたかった。
楽しかったはずだった。最初は。
でも結局、損得ばかりのゲーム人生だった。
もし、生まれ変われるなら、気の合う仲間たちと心からゲームを楽しみたい。
たかがゲーム。
でも、僕の半生はそれが全てだった。
そう、最期に浮かんだのは楽しそうにゲームをするさくらの表情だった。
僕に馬乗りになってナイフを振り上げる男。
……さくらの事を想いながら、僕の意識は完全に途切れた。
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