7 縄張り
バンバンと壁を叩く音で目が覚めた。
窓の外は明るかった。
部屋を見回したがメイスの姿は無かった。
俺は眠気で顔をしかめながら腹をボリボリと掻いた。
うんと伸びをして欠伸を嚙んだ。
その間もバンバンという音は止まなかった。
どうやらメイスは既に出勤しているらしかった。
「へいへい」
俺は玄関の戸を開けた。
すると、外にいたのは中年の男だった。
「本当に居やがった」
男は俺の顔を見るなり顔を顰めて凄んだ。
「おい、お前、ここはメイスちゃんの家だぞ。どうして我が物顔で居座っていやがる」
「うん。まあ、メイスが居て良いって言うからさ」
「出て行け」
あらかじめ言葉を決めていたように、男は言った。
「出て行け。ここは俺たちの住み家だ。外からの人間は受け入れねえ」
「と、言われてもねえ。家主であるメイスが居て良いって言ってんだから」
「知るか馬鹿野郎。ナビは小僧だから言い負かされたのかもしれねえけど、俺たちゃはそうは行かねえぞ」
「俺たちって――あんた、誰?」
「俺はこの辺りを取り仕切ってるゴードンってもんだ。ここに住むんなら、まずはこの俺に面通しがいるんだよ」
「ああ、そうなんスか。俺はネドヴェドってもんです。そんじゃゴードンさん、これからしばらくよろしくお願いしますね」
欠伸をしながら踵を返して戻ろうとする俺を、ゴードンは「ちょっと待て」と引き留めた。
「ふざけた野郎だ。お前は既に失格なんだよ。なんでも胡散臭いこと吹聴してるみたいじゃねえか。そんな奴を住まわせることは出来ねえ。袋叩きにされたくなきゃ、今すぐここから出て行け」
「やだね」
俺は肩を竦めた。
「俺はこのドヤ街に住んでるんじゃない。メイスの家に住んでるんだ。文句があるならメイスに言え。メイスが出て行けと言うならすぐに出て行くから」
俺が言うと、ゴードンはぐ、と言い淀んだ。
やはりか、と思った。
メイスはここの住人に護られている。
好かれている。
もっと言うなら、愛されている。
ナビもそうだったが、だから誰も彼女には強く言えないのだ。
「話は終わりだな。ほんじゃ、昼寝の続きをするから」
「まだ話は終わってねえ」
ゴードンはそう言うと、背後に向けて顎をしゃくった。
すると、長屋の隙間から男たちが数人、ぞろぞろと姿を現した。
「メイスちゃんに断りを入れる必要はねえ」ゴードンは口の端をにやりと上げた。「何故ならお前は今から黙って出て行くからだ。メイスちゃんに見つかる前に、自分から勝手に出て行くからだ。そして、もう2度とこの町に帰ってくることは無いからだ」
ゴードンたちは鉄の棒や木材を取り出した。
なるほど。
そう来たか。
「俺を殺すのかい」
「殺しゃしねぇよ。ただ、もう俺達には2度と会いたく無くなるようにしてやるだけだ」
「もう既に会いたくねぇけど」
俺は額をほりほりと掻いた。
それから目を瞑り、神妙な顔つきをした。
「観念したか」
ゴードンは俺ににじり寄った。
俺は「辛いよな」と呟いた。
「なに?」
ゴードンは眉を寄せた。
「辛いよな。人との別れというのは、本当に辛いもんだ」
俺は目を瞑ったまま、言った。
「この世は本当に理不尽だ。どんなに愛している人間でも別れというのがやって来る」
「何の話だ」
「あんたの話だよ、ゴードンさん」
俺は目を開いた。
「俺には聞こえるんだ。あんたの心の叫びがね。こうして対峙してると悲しくて黙っていられない。きっと辛い想いをしてきたんだろう。耐え難い苦悩に襲われた。そして辛い別れを、今も引きずってるんだろ」
「な、なんだ、お前。何を」
ゴードンは狼狽えた。
効いたな。
俺は半歩、前に出た。
「あんたにもいるだろ? 悲しい別れをした人間が」
「ゴ、ゴードンさん、こいつ、シアラさんのことを言ってるんじゃ」
後ろに控えてた男が言った。
「ほ、ほら、ナビの野郎が言ってたじゃねえか。このネドヴェドって奴は心が読めるとかなんとか」
「うるせえ!」
ゴードンは怒鳴った。
「今、シアラのことは関係ねえ!」
「け、けどよ」
また別の男が続けた。
「た、タイミングが良すぎるぜ。シアラさんが死んじまったのはついこの間じゃねえか」
こいつは運が良い。
比較的最近、ゴードンは周りで不幸があったらしい。
まあ、最近じゃなくても問題はないんだが。
ゴードンくらいの年齢ならほぼほぼ誰かと死別したことがあるはずだし、死別というのはほとんどが悲しく、そしてその人の心の傷痕になっているものだ。
要はゴードンの中の古傷や心的外傷を想起させてやれればなんでも良い。
1つの後悔もなく生きている大人はいない。
「黙れ!」
ゴードンは怒鳴った。
「シアラのことは確かに不幸だった。俺もまだ悲しい。辛ぇよ。けど、そんなことは言ってられねぇ。俺はもう吹っ切れた。あいつは天寿を全うしたんだよ」
「強がるな」
と、俺は言った。
「ゴードンさん。あんたは気丈な人だ。けどな、シアラさんは心配してるぜ。あんたの本当の心が分かる人だから」
「……てめぇに、シアラの何が分かる」
「分かるさ。今、こうして声を聞いてるんだから」
俺はまた目を瞑り、耳を澄ませた。
「ほら、聞こえる。私はゴードンさんのことが心配だって。ゴードンさんのことが気掛かりだって、そう言ってる」
「そ、そんな馬鹿な。あいつがそんなことを言うわけがねえ。俺はシアラと喧嘩ばかりしてたのに」
「喧嘩なんて誰でもするさ」
俺は微笑んだ。
「けど、シアラさんは言ってるぜ。ゴードンさんと一緒になれて良かったって」
「……は?」
俺が熱弁していると、ゴードンが妙な顔つきになった。
「俺と一緒に? シアラは弟の嫁だぞ。義妹だ」
どきりとした。
やべえ。
弟の方の嫁さんか。
ったく、紛らわしい言い方すんなよ。
「そう、つまりゴードンさんの一族に入れて幸せだったってことだ」
俺は内心の動揺を隠して頷いた。
こういう時こそ堂々としなければならない。
「とにかく、一つだけ確かなことがある。それはゴードンさん。あんたが、まだシアラさんとのことを引きずってるってことだ。俺にはあんたの心が読める。外面ではどんなに強がっていてもあんたは後悔してる。シアラさんに悪いことした。もっと優しくしてやれば良かった。後悔してもしきれない。そんなあんたの心が痛いほどよく伝わってくる」
ゴードンは俯いた。
それから、胸の辺りに手を当てた、
「……シアラ」
「けど、心配は要らない。今、俺がシアラさんから直接聞いた。シアラさんは、ゴードンさんのこと、これっぽちも恨んでなんかいない。むしろ反対さ。ゴードンさんに感謝してる。お金のことや家族のことで喧嘩もしたけど、とても世話になった。ゴードンさんは優しかった。良い人間だった。そう言ってる」
ゴードンはしばらく黙っていた。
しかしやがて顔を上げると、「ほ、本当か」と目を潤ませた。
「シアラは、俺のことを赦してくれると言っているのか」
俺は優しく微笑んで、ああ、と頷いた。




