11 トレン
「なるほど。あなたがネドヴェドさんか」
夜遅くに訪ねてきた初老の男――トレンはそのように言うと、値踏みするように俺を眺めた。
「ふむ。噂通りの胡散臭い男だな」
「そうみえるかい」
俺はからかうように肩を竦めた。
トレンは白髪混じりの痩せた男だった。
よれよれで解れたシャツを着ているが、髪の毛はきちんと撫で付けられており、髭も手入れされていた。
背が低く頬も痩けていたが、しかし色素の薄い亜麻色の瞳だけはやけにギラギラと漲って見えた。
この男がトレン。
このスラムのボスで、元エリートの科学者だ。
「聞いたところに依ると、あなたは神からの遣いだと自称してるらしいね」
トレンは俺の前の席に座った。
先ほどまでそこに座っていたメイスは彼の後ろに控えた。
「ええ、まあ」
俺はあえて安っぽい笑みを浮かべた。
「ふむ」トレンは目を細めた。「その"神"というのは、トアト教が信仰する"守護精霊神"のことなのか? それともまた別の――そうだな、例えばマビアナ教の"無数神"のようなものなのか」
マビアナ教は確か大陸の遥か南方で興った宗教だ。
土着信仰が始まりで未開の土地を拠点に急速に広がり、一時期は勢いがあったが、今は皇帝の弾圧によってかなり成りを潜めているマイナーな宗教である。
つまり、この俺を田舎者の与太郎ではないかと皮肉っているのだ。
「もちろん"精霊神"だよ。この世界に神は一人だ」
俺は即答した。
するとトレンはにやりと口の端を上げた。
それから「それは失礼」と頭を下げた。
その所作を見て察した。
なるほど。
わざわざマビアナ教の名前を出したのは皮肉などではなく、俺の教養を試したわけか。
こいつはインテリだ。
このエリアを攻略するのに最も気を付けるべき手強い相手。
すぐにそのように察知した。
「ただし」と、俺は人差し指を立てた。「ただし、俺はトアト教ではないけどね」
「トアト教ではない?」
トレンは小首を傾げた。
「"神"を信仰しておきながらトアト教ではない、と言うのかね」
「その通り」
「それはどういうことだね」
トレンは白髪の混じった太い眉をひそめた。
「トアト教の教義に出てくる神を信仰し、しかしトアトの教えは信じていないのか」
「救世主トアトはあくまで神の御心の代行者だ。神から"能力"を以て遣わされた聖なる存在だ。トアトはトアトであり、神では無い。もちろん偉大な男だとは思うけれどね、しかし彼は単なる聖者に過ぎない」
「……ほう」
「つまり俺は、神は信じるが、かといってトアトの教えを信奉するものではない。トアト教とは違って、トアトを神の子だとも、神の生まれ変わりだとも思っていない」
「要するに、キミは"精霊神"を信仰する新しい宗教者だと言うのかね」
「ま、そうなるね。正確に言うなら、俺はトアトと同じく神の御心の実行者だ。生まれ変わりではなく、神の代行者。つまりは聖者だ。神から"能力"を授かった選ばれし聖者。奇蹟を実行するもの。強いて言うなら」
そこで俺は一旦言葉を止め、半拍置いてから続けた。
「強いて言うなら俺は――トアトの生まれ変わりだ」
トレンは目を細めた。
それから顎髭を絞るよう擦りながら、「……なるほど」と呟いた。
「トアトの生まれ変わり、ね。ふむ、面白い。そういう解釈か」
トレンは難しい顔を作り、顎をさすった。
彼の後ろで、メイスはちんぷんかんぷんな顔をしていた。
「……メイス」
と、トレンは俺に目を向けたまま言った。「メイス、キミはこの男のことをどう思う」
突然話を振られて、メイスは目を丸くした。
「ど、どう、と言いますと」
「思ったままを言えば良い。感じが良いとか気持ち悪いとか、なんでもいい、感じたままを言いなさい」
「わ、私は」
メイスはごくりと唾を飲み込んだ。
それから言った。
「私は、優しい人だと思いました。ここの人たちの相談に乗ってあげたりして」
「そうか」
トレンは一時だけ目を瞑った。
「それで、ネドヴェドさん。あなたの宗教には名前があるのかい」
「名前?」
「ああ。団体を作るなら名前がいるだろう?」
そこでトレンは目を開いた。
俺は小首を傾げ、この男の真意を測った。
この学者くずれ。
何を考えてやがる。
「団体名などない。そもそも俺は、別に信者を集めるなんて気はない。組織を作りそれに影響力を持たせようなどという考えはない」
「そうか。では何故ここで活動を」
「メイスが言っている通りだよ。人助けをしているだけだ」
「人助けか」
「人助けだ」
俺はトレンの目を見つめながら言った。
トレンは長く俺の目を見返していた。
じっと、黙って。
だがやがて、不意に目線を外した。
それから、やれやれという風に大きく息を吐いた。
「俺を疑ってるのかい?」
と、俺は聞いた。
するとトレンは「ああ」と躊躇いなく頷いた。
「何しろ大賢者"トアト"の生まれ変わり、再生を自称する男だ。怪しくないという方が嘘だろう。だがね、私はそれ以上に厄介だと思っているよ。正直な話、ネドヴェドさん、あなたはとても厄介だ。本物だとしても偽物だとしても」
「そうかな」
「ああ。何しろ頭が切れそうだ。出自は分からないが、神学や社会学の教養も持ってる」
トレンはもう一度、深く長い息を吐いた。
「これまで胡散臭い人間は山ほど見てきた。しかしあなたはその"胡散臭さ"すら胡散臭い。真実を隠すために、心を読まれないために、わざとキナ臭さを演じているようにさえ、見える。目の奥が読めないというのかな」
考えすぎだよ、と俺は肩を竦めた。
「俺に裏はないよ」
「表もない、だろう?」
かか、と俺は笑った。
「いやはや、こいつはお互い様だね、トレン。言っちゃあ悪いが、あんたも相当厄介だぜ」
俺はそう言ってトレンを指差した。
トレンは黙ってその指を見ていたが、やがて立ち上がり、
「遅くにすまなかったね。それじゃあ、今日のところはこの辺で帰るよ」
と、後ろに控えていたメイスに言った。
「は、はい」
メイスは慌ててトレンを玄関の方に促した。
その背中を見つめていると、ふと、目の端にメイスの持ち帰ったカバンから赤い実が見えた。
「トレン」
俺はトレンの背中に声をかけた。
トレンは振り返り、なんだね、と言った。
「俺は本当に組織なんて作る気は無いんだけどね。ただもしも俺の宗教に名前つけるとしたら」
そこで1度言葉を止め、俺はメイスのカバンから"ピトロの実"を取り出した。
「ピトロ教という名前にするよ。トアト教の教典にも出てくる神が創り出した伝説の果実だ」
トレンは微かに口の端を上げた。
それから何か言いかけたが、結局は黙って、そのまま家を出て行った。




