しみ_03(わかってる)
*
彼女は本を集めている(初版・絶版・色違い)。
買って必ず読むわけでもなく。
チラシの挟まったままの本。
しおりの挟まったままの本。
映画の半券。美術館のチケット。日付/買った日のレシート。買い物レシート。
「本を読まないから好き」
彼女は云う。「わたしの蔵書に触らない、文句も云わない」
そうだね。
「興味ないでしょ?」
そうだよ。
「そのままでいてね」
だから、そうした。
彼女が愛しているものは:本と仕事と。
ぼくは違って、でも充分(心地良い)
その距離。ぼくの満足:彼女の満足。
過不足なし。
*
幾つもの仕事を抱えていて、締め切りの順に片付けていく。作業中は次の仕事、その次の仕事、考える(アイディア出し)──彼女の仕事術。
いつも/いつでも(頭の中)色が見える・構図が見える。文字が言葉が、渦巻いて、
「声が聞こえる」の、と云う。「鳴り止まない」の、と云う。
でも、と云う。「手を付けたら早いよ?」けれども行き詰まると猫が出る。飽きたら飽きたで猫になる。彼女が背中から覆いかぶさって(にゃー)甘えてくる(なのに)撫でようとすると途端に(しゃっ!)、爪を立てる。
酔っぱらっても猫になる(ごろごろ)。
今は、ただ、恋しい(ペット・ロス)
飼われていたのは、ぼくなのに。
思えばそう──サカナの大敵。
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「本のお墓に行きたいのです」
それは何処と訊ねれば。紙魚は、悲しそうな顔をした。
「本は一時のためにだけ存在します」
そうだね。
「読み終わったら、役目を終えます」
そうだね。
「誰かの心に残ることもあります」
──そうだね。
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彼女が仕事を断わった。
「あの本」
強く云った。「新装版を出したいって」
憤慨して、「ありえない」
どうして?
すると彼女は。
「わたしの一番好きな本」
むすっと答えた。「時代に合わない、古くさい、値段を変えたい」
バカじゃないかしら。
(彼女は怒っている)
どうして(そうしてまで)世間に・読者に・阿る必要があるの?
「五〇年、ずっと変わらず版を重ねてきたのに」
そうなんだ?(半世紀?)
「冒涜だわ」
でも、自分の好きな一冊に携われる──絶好の機会でしょ?
「デザイナーは新しい提案をする」彼女は云う。「不要なら、変えないことを提案する」
でも、(その仕事)断わっても(別の)誰かがするんじゃない?
すると彼女は(すごく苦しそうに)そして(泣いた)。
(わかってる/わかってる/わかってる)
そんなこと、(わかってる)
(自縄自縛)
彼女は(静かに)泣きながら、
仕事を、受けた。
*
ぼくは知っている。
(本音)口に出せない(悩み)突き当たった時(逃げ道)のない壁(越えられない)
──迂回しろ。
自尊心は幻覚で、羞恥心が徒になる。
*
「題字を作って欲しい」と、彼女が切り出した。「あの本」わたしの好きな本。その新装版に、
(ぼくの文字/レタリング)使いたい。
「揮毫、頼める?」
いいよ。
一文字ずつ(ばらばらにして)ちょうだい。
「ええ」分かってる、と、彼女が呉れた文字カード。
「こういう感じで作って欲しい」
彼女の要望。手を指を使って、腕を使って身体を使って、
「こういう感じ、」なんだ、って。
いいよ。
そしてぼくは並びの分からない文字を(バラバラのまま)作って渡した。
「ありがとう」
彼女はそれを機械に取り込む(いつもなら)
──あの文字、どうなったのだろう。
使う/使わない・彼女の選択。
(ぼくはお皿を洗い、洗濯をして掃除をし、湯船を洗ってお湯を張る)
彼女には、静かで温かな時間が必要。