第一話
ミズーリ王国は国土の半分が森に囲まれた自然豊かな国である。
世界の中心地ヴェノンから北西に位置するこの国は、四季にも恵まれ、春夏秋冬様々な景色を見せる。
観光地としても人気が高く、国外からの旅人も多い。
そんなミズーリの王都はずれにある大神殿には、連日多くの巡礼者が訪れる。
イシス教随一の大きさを誇り、聖女ナタリーが毎日ここで祈りを捧げているともなれば、自然と人も集まってくるのだ。
あわよくば彼女の姿を一目見ようという不心得な信者も少なくない。
しかし教団としては、理由はどうあれ祈りを捧げに来た者は拒まない。
今回、そのことが災いしたのかどうかはわからないが、神殿内から聖女ナタリーが消えたことにより、内部はいつになくピリピリとしたムードが漂っていた。
もちろん、それはライルがことの概要を把握しているから感じるだけで、旅の巡礼者や位の低い神殿勤めの信者は何も知らずに互いに笑顔を向けている。
ライルは、頭を下げる彼らへの挨拶もそこそこに、パイロン大司教のいる執務室へと急いだ。
パイロン大司教は高い魔力を有するハイ・プリーストで、『ハンター』の最高責任者でもある。つまりはライルの上司にあたる。
しかし彼に送られてくる命令の数々は書面で、しかも転送魔法が用いられている。直接会うことはほとんどない。むしろ皆無といっていいだろう。
そのため、どんな顔で会えばいいかわからなかった。
(こういうのはカインのほうが向いてるんだがなぁ)
元傭兵で礼儀に疎いライルは、少しばかり身なりを整え、執務室をノックした。
すぐに中から「入れ」という声が聞こえてくる。
ライルは失礼のないように、ゆっくりとドアを開けた。
書物がびっしり並んだ本棚と、木でできた机と椅子だけがある簡素な部屋だ。
「失礼します」
軽く会釈して中に入ると、パイロン大司教が大きな机の向こう側に座っていた。
白い神官衣をまとい、頭には立派な冠をはめている。
肉厚な顔をしているものの、逆光でその表情はよく見えない。代わりに、研ぎ澄まされた眼光が睨み付けるように彼を見つめていた。
ライルはごくりと唾を飲み込んだ。
「ライル・クレーバー。ただいま戻りました」
慣れない言葉遣いでそうつぶやくとパイロン大司教は
「扉を閉めてもっと近くに来たまえ」
と言った。
「はい」
恐縮しながら扉を静かに閉め、パイロン大司教の座る机の前に立つ。
ライルを見上げるその顔は、いつも以上に険しいものだった。
その顔を見た瞬間、(これは思った以上に厄介そうだな)と彼は悟った。
「ライル特司、君はハンターに任命されて何年になるね?」
特司とはライルの階級である。
立場的には司教と同列だが、人々に教えを説く司教とは違って魔物を退治することを専門としているため、こう呼ばれている。
「はあ……、4年くらい、かと思いますです」
「倒した魔物の数は?」
「さあ。300くらい……でしょうか」
はっきりとはわからないが、だいたいそれくらいだろう。
パイロン大司教は「ふむ」と言いつつ、両ひじを机について手を組み合わせた。
「4年で300はたいした数字だな」
褒めてはいるが、顔は笑っていない。それがライルには一層不気味に映った。
「なるほど、実力的には申し分ない。ヨル最高司祭が推薦するわけだ」
「ヨル最高司祭が?」
ライルは驚いた。
ヨル最高司祭といえば、この教団のトップである。
その人柄、徳の高さからいってライルとは正反対の人物といっても過言ではない。
当然、ライルとも面識がなく、向こうは顔も知らないだろうと思っていた。
この国のイシス教徒だけで数万人はいるとされている。
「ああ、そうか。君は知らなかったのだな。ヨル最高司祭は崇高なお方だ。この国だけでなく、世界中の信徒の名前と顔を把握しておられる」
眉唾だが、真実味はあった。現にライルがこうして呼ばれている。
「それで、任務というのは?」
ライルは早くこの場から立ち去りたくて、自分から本題を切り出した。
彼にとってこの場は息がつまる。
パイロン大司教はその意を察したのか、おもむろに机の上に金の入った袋を置いた。
「……? これは?」
「三万ギルドある。持って行け」
「は?」
ライルは面食らった。
三万ギルドといったら、一般庶民の平均年収の約三倍だ。
そんな大金をいきなり目の前に置かれてどうしろというのだ。
「今回の任務の必要経費だ」
「必要経費?」
ますます腑に落ちない。
正式に任命はされていないが、ナタリー捜索に当たることは事前に知らされている。
もちろん一筋縄ではいかない案件だが、それでも三万ギルドは多すぎる。
そもそも質素倹約をモットーとしているイシス教団が、なぜこんな大金を持っているのか。
ライルは背筋が寒くなるのを感じた。
「ええと、パイロン大司教……」
質問しようと口を開きかけたその時、パイロン大司教がそれを遮るかのように一枚の地図をライルに渡した。
「この金を持ってこの場所に行け」
それは隣町ガロの地図だった。
王都の隣町だけあって、大きくて活気のある町だ。
そしてその西側部分に赤い丸印がついている。
『B・S』と書かれているのは何かの暗号だろうか。
「B・S? なんです、このB・Sってぇのは」
「……行けばわかる」
パイロン大司教はそれ以上何も教えてはくれなかった。
いや、口を閉ざしたといったほうが正しいか。
その顔つきは「これ以上質問するな」と言っているかのようだった。
きな臭いなんてものじゃない。
嫌な予感しかしなかった。
「……わかりやした」
ライルは机の上の金を手にすると、そそくさと執務室をあとにした。
早くこの場から立ち去りたかったのと、どうせハンターは命令された任務は断れないとわかっているからである。
(パイロン大司教が直接指示するって言ったのは、この金を渡すためか)
ライルは大神殿から出ると手にした金袋を見て大きくため息をついた。
(はあ。参ったね、こりゃ)
空を見上げる彼の目には晴れ渡った秋の空が広がっていた。