国境の川でのトラブル 発端
アルド川の西岸から下った海岸線に集った軍隊。平素であれば魔王国との国境を警備するという名目で配置した駐屯部隊ではあるが、三か月かけて10倍の三千人に膨れ上がっていた。もちろん、川を越えるための船が用意されている。
平素であれば100メートルを越える川幅を渡って人間の暮らす国にやってくるような魔物はめったにいないし、知性ある魔人も漁民以外は岸から離れようとしない。
川は国境ではあるが、不可侵の取り決めをした、どちらの国のものでもないことになっている。そのため、双方の民が自由に漁をしていいということになっていた。基本的には、川の中央を境にするのだから、そこを越えてはならないという制限はある。しかし、正確に船の位置を測るのは困難であるということで、お互いに中央と思われる部分を越えないで漁を行なうことになった。が、多少の越境には目くじらたてないというのが実際のところではある。
相手岸にさえ近寄らなければ、攻撃されることはない。ということである。
3年前、異世界から召喚した者の知恵を借り、ウスギル国では養殖を始めた。最初は岸を掘り、水を引き入れた生け簀で行っていたが、なにしろ岸まで茂ったジャングルである。すぐに水上に浮きを浮かべ、網を沈めた方式に変更していった。
川幅が100メートルを越え、海岸線に近いエリアであれば川の流速も落ち、安定した環境が維持できる。さらに河口付近であれば海の魚の養殖も可能となった。
ここで育った魚はそれなりに安定して供給できるようになった。ちなみに、陸路ではなく、船にのせていったん海へ出たのち、王都近くの港まで半日ほどかけて運ばれている。
しかし、半年ほど前に事件が起こった。
浮き生け簀の一つが流され、対岸に近い位置で座礁したのだ。係留していた綱が弱かったのか、ちぎれていた。
魔人の漁民も最初は戸惑っていた。交流は禁止されているのだ。そしてこのような大きな生け簀をお返しするような船はない。ウスギル国側にそのような船があったとして川の中央を越えて取りに来ることを許すわけにはいかない。少なくとも、漁民にそのようは権限はない。
ここはありがたくいただこう。との結論に達した。
おさまらないのはウスギル側の漁師である。魚は流れてしまったと諦めもしよう。だが、生け簀はそうはいかない。周囲に設置した浮き、そもそもこれまでになかったサイズの大きな網。大変な手間と時間をかけて作ったしろものである。はっきり言えば大変お高いものであるし、そうそう諦めるわけにはいかない。
そこで、早朝に矢文を放った。「浮き簀は大事なので返してほしい。それを引き取るのには船でひきずる形になるので中の魚はそちらで処分してもらってかまわない」という内容だった。
ところがその文の部分が空中でほどけ、川に落ちてしまった。またもやほどけてはかなわないと次の手を考えることにした。次の手が決まらないうちに魔人が川岸に出てくるのが見えた。
そもそも、早朝に矢文を放ったのは、万が一にも魔人に危害を加えないため、という配慮だった。しかし、文のない矢が射こまれただけ、という状況になっている。
いぶかしげに矢を見るひとりの魔人。
矢を射た側としてはそれは攻撃ではないんだと両手を左右に振ったり大きく×を作ったりするが、そもそも人間と魔人とではジェスチャーの意味が違っている。
魔人はその矢を持って森の中に消えた。
漁民は慌てて船を出した。川の半ばまで漕ぎすすめた上で再度矢文を放てば届くだろう。と考えてのことだ。
そのように川の半ばまで到達し、立ち上がり、矢をつがえたところで魔人たちが戻ってきた。
そのとき、漁民はようやく気が付いた。自分がどのように彼らの目にうつっているのかを。そしてこの矢は必ず届けなくてはならないと。
しかし、失敗は重なるものである。フンヌと鼻息を荒くし、弓をひいたとき、ほんのわずかであるが、船が揺れた。そこでバランスを崩した男が川に落ちた。矢は頭上に放たれ、船に落ちてきた。それをよけようとした漕ぎ手も川に落ちてしまった。
自業自得である。川辺にいた魔人たちはそれでも救助のため船を出した。
ウスギル側の漁民も船を出した。
船を漕ぐ力は魔人の方が強い。すぐさま一人に追いつき、手を伸ばした。
ウスギルの漁民はそれを見て襲われるものと思い、矢を放った。
矢は狙いたがわず魔人の腹を貫いた。
流された二人の漁民は行方しれずとなった。
王都への報告
現地漁民が用意した養殖用の網が魔人に奪われた。これを取り戻そうと交渉に出た漁民が二人、転覆して流された。
王都では報告内容に疑義を持ったものもいた。なぜなら、魔人たちは魔物を使役することでこの大地の恵みを存分に享受しているから魚を奪うようなことはしないという意見だ。しかし、その意見は憶測にすぎないと退けられた。